02. 巫女の役割(1)


 おかしな夢を見た。


 わたしの前に、二階建ての家くらい大きな本があった。表紙の縁には金に輝く細工が施されている。

 タイトルは読めない。知らない文字だ。本は地面からわずかに浮かんでいる。


 不思議な雰囲気の本。

 魔法の本かな。


 何だろうと首を傾げていたら、本が勝手にぱかっと開いた。

 なんだか本が大口を開けたみたいに見えた。


 そしてあっという間に、本はわたしを挟んで食べてしまった。




   ◇




「ひゃあっ」


 飛び起きたわたしの体は汗でぐっしょり濡れていた。

 心臓がバクバクと音を立てている。びっくりした。変な夢。一体何だったんだろう。


「ステラ、大丈夫か?」


 部屋の隅で着換えている途中だったらしいニゲルが、ベッドに駆け寄ってくる。

 引き締まった上半身を隠しもせずに彼が近づいてきたせいで、夢とは全然違う意味で、わたしの心臓が暴れ始めた。


 昨日は気がつかなかったけれど、ニゲルの胸には筋肉の盛り上がりがはっきり見えるし、腹筋もしっかり割れている。

 顔の線は細いのに体はがっしりしているなんて、ずるい。うまく言えないけどずるい。


「わたしは大丈夫! 大丈夫だから服を着て!」

「ん? ああ、悪い。君が寝ている間に着替えようと思ったんだが」


 夢なんかより、目の前の光景のほうが心臓にとって大丈夫じゃない。

 夫婦だから同じ部屋で着替えるくらい普通なのかもしれないけれど、全部忘れたわたしには、半裸の男のひとが近くにいるなんて刺激が強すぎる。


「なんでもないよ。夢にびっくりしただけだから」

「そうか」


 ニゲルはわたしの頭を軽くなでてから、クローゼットの前に戻って着替えを再開した。


 ……ん? 夫婦だから気にしていないというより、子供扱いされているような?


「わたし〝おちびさん〟じゃないもん!」

「まだ寝ぼけてるのか?」

「違う……」


 空気を頬にめいっぱいためてから、ぷすっと吐きだす。

 着替えを終えたニゲルが不思議そうな顔をしたけれど、首をかしげただけで何も言わなかった。


「ステラ、そろそろ朝食を食べに行こう。着替えの場所はわかるかい?」

「わかんない」

「そうか。ここの棚の」

「待って!」


 クローゼットの中にあった引き出しの一つにニゲルが手をかけたので、慌ててベッドを飛び降りる。

 棚の前まで駆け寄ると、おかしそうに笑ったニゲルがまたわたしの頭をなでた。


「心配しなくても、勝手に開けやしないよ。ここからここまでが君の持ち物だ。廊下で待っているから、着替え終わったら出ておいで」

「はーい」


 ニゲルが退室してから棚の中を確認する。わたしのものらしい服と下着が数着ずつ、きちんとたたんだ状態でしまわれていた。

 でもどれにも見覚えはない。

 知らない服ばかりだと全部広げて選びたくなるけれど、ニゲルが廊下で待っているから今は我慢しよう。


 一番上に置いてあった服を急いで着て、二人でダイニングに向かう。

 美味しそうな食事と眩しい笑顔のマレが迎えてくれた。


「おはようございます、ニゲレオス様、ステラ様。お食事のご用意ができておりますよ」


 テーブルの上にはパンと、湯気の立ち上るスープに山盛りのサラダ、ヨーグルトとフルーツが乗っていた。どれも綺麗に盛り付けられていて、すごく美味しそう。


「ああ、ありがとう。ステラ、いただこうか」

「うん、いただきます」


 ニゲルが窓際の奥の席、わたしはその右斜に座る。パンを手に取ったらまだ温かくて、しかもふわふわだった。


「このパン美味しい!」

「喜んでいただけて何よりです。朝から焼いたかいがありましたよ」

「えっこれ、マレが焼いてくれたの?」

「はい」

「すごーい!」


 マレはパン屋さんでも開けそうだなあ。だってこんなにふわふわで、美味しいパンを焼けるんだもの。

 一口かじったパンを眺めてみる。外は均一な小麦色で、中は白くきめ細かい。ほんのり甘くて美味しいし、絶対売れる。


「マレ、昨日も遅かったのだから、無理はするなよ。後で昼寝の時間でもとってくれ」

「まあ、ではお言葉に甘えますね」


 頬に手を当てて微笑んだマレが、わたしの前までとてとてと歩いてきた。


「ステラ様。このお屋敷には私の他にもう一匹の従者がいるのですが、ご挨拶差し上げてもよろしいでしょうか?」

「うん、いいよ」

「では呼んでまいりますね」


 マレが部屋を出ていくのを見送ってから、ニゲルに顔を向けてみる。


「ニゲルの従者は二人しかいないの?」

「ああ、マレとオルドだけだよ。それがどうした?」

「王様にはもっといっぱい下の人がいるのかと思ってた」

「人間の王は臣下を多数従えているらしいな。俺からすれば、なぜそんなに必要なのかがわからん」

「へえ」


 そう言われてみると、王様の家来は何をする人たちなんだろう?

 考えても思い当たらない。まいっか。人間の王様なんて会う機会もないだろうし。


「失礼いたします」


 しばらく食事を続けていたら、マレが白い龍と一緒に戻ってきた。


 ひょろっと細長い胴体に、小さな手足がついている。目の上には白くてふさふさの眉毛が乗っていて、口の周りにも白いひげがたっぷりついていた。

 ピシッと背筋を伸ばした白い龍は、咳払いをした。


「ウオッホン、オルドでございます。ステラ様、引き続きよろしくお願いいたします」


 しゃがれた声。龍の年齢なんてよくわからないけど、おじいちゃんなのかな。

 深々とおじぎをされ、つられてわたしも頭を下げた。


 秩序オルドというだけあって、キッチリしていそうでちょっと怖い。

 難しい顔で食卓を見ていたオルドは、視線を隣のマレに向けた。


「今日も作りすぎではないか?」

「いいじゃないですか、ステラ様の快気祝いですよ」

「快気祝いって、あとでケーキも焼くんだろう」

「ちょっとっ! 今言わないでくださいよっ!!」


 マレが眉を釣り上げて両手を腰に当てる。

 どうしよう、ケンカが始まりそうな空気だ。

 困ってニゲルに顔を向けたけれど、彼は平然とパンを食べていた。


「気にするな、いつものことだ。少し聞いていれば関わる気も失せるよ」

「でも……」


 マレとオルドに視線を戻す。二人は向かい合ってそれぞれに怒った顔をしていた。


「どうせ今日もキッチンに残った料理を一匹で平らげるんだろう。また太るぞ」

「だって残したらもったいないでしょう」

「最初から作りすぎなければいいんだ。ここ十年でまたぶくぶく太りおって」


 ああっ、女性に対してその発言は地雷だよ。

 つい腰を浮かせたけれど、


「〝どんなお前でもいい〟って言ってくださったじゃないですかっ! あれは嘘だったんですか!?」

「プッ――プロポーズの話を持ち出すな!! 別に嫌だとは言っとらん!」


 その発言を聞いて、すとんと座り直した。

 ……ん?

 プロポーズ? 嫌だとは言ってない?

 あれ? どういうことだ??


 真っ白だったオルドの顔が今は赤く染まっている。

 またニゲルに顔を向けると、彼はマイペースに食事を続けていた。


「聞いてのとおりだ。その夫婦喧嘩に割り込んでも、熱々っぷりに当てられるだけでいいことはないぞ。マレがオルドの話を聞いているうちは大丈夫だよ」

「ああー、そういうこと」


 オルドが栄養バランスがどうだの、肥満は体に良くないだのといった健康の話をし始めたのを見て、わたしも食事に戻ることにした。

 オルドはマレの体が心配なだけだね。オッケーわかった。ほっとこ。


「年の差カップル? 素敵だね」

「いや、二人は同い年だよ」

「えっ!?」


 まだ口論を続けている二人に目を向けてみる。

 オルドは眉もひげも真っ白だし、声の調子もおじいちゃんみたいだった。

 でもマレは鱗もツヤツヤで元気だし、てっきりまだ若い女性なのかと思っていた。


「龍は年のとり方に個体差があるからな。俺たちも本人が言わなければ相手の歳はわからない」

「へえー……」


 龍って不思議。人間と違うことは他にもいろいろあるんだろうなあ。


「ねえねえ、わたしたちのプロポーズはどんな風だったの?」


 マレとオルドを見ていたら興味がわいて、にこにこしながら聞いてみる。


「…………」


 でもニゲルはあからさまに目をそらした。

 部屋の中が急に静かになる。

 不思議に思ってマレとオルドを見ると、喧嘩をしていたはずの二人はそれぞれにわたしから顔を背けた。


「なあマレ、そろそろ洗濯を始めないと夜までに乾かないんじゃないか」

「そっ、そうですね。あなたも今日は空き部屋の掃除ですよね?」

「ああ、そうだったそうだった」


 マレとオルドがそそくさと退室していく。

 目をしばたいてからニゲルを見ると、彼はまだわたしから目をそらしていた。


「あー……ステラ、この屋敷に住んでいるのはマレとオルド、それからノヴァだ。俺の妹もたまに帰ってくる。それ以外の生き物が屋敷の内外にいたら、人間だろうと龍だろうと、不審者だから近づかないように」


「わかったけど、プロポーズは?」

「……」

「ねえ、プロポーズはどんな風だったの!?」

「…………」


 ねばってみたけれど、ニゲルは「まあ、その話はそのうちな」と言うだけで答えてくれない。

 どんなプロポーズだったのかわからないまま、食事を終えてしまった。


 でもまだ朝だ。聞き出すチャンスはまだまだあるはず!

 ダイニングを出ていこうとするニゲルを追いかけて廊下に向かうと、


「ステラさま、あーしょーぼー!」


 小さな青い龍が飛んできた。


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