第138話 カレーは姉の味
カリンダノールにミアが留学し城も賑やかになって少し経った頃、ナツキ食品のカレー工場が稼働し始めた。
港からほど近い空き地に建てられた工場には、南大陸から輸入した香辛料が届けられ、領内から募集した従業員がカレーを作っている。
「くんくん、美味しそうな匂いがします」
工場内に入ったナツキが、漂ってきたカレーの匂いに反応した。食欲を刺激するカレーの匂いがピリッと香る。
大きな釜で小麦粉と油を炒め、そこに様々な香辛料を混ぜ合わせる。調理されたルーをトレイに入れ冷まして固めたら完成だ。
匂いこそ美味しそうだが見たことも無い固形物に、従業員たちも不思議な顔をしている。
「ナツキ様、これが料理になるのですか?」
「四角い塊だけどよ。ホントに美味いのかな」
「匂いは美味しそうだけど石鹸みたいな形だぞ」
口々に完成品を不思議がる従業員のところに、ナツキが説明に行く。
「これは固形調味料ですよ。肉と野菜を煮込んだ鍋に、このカレールーを入れると料理ができるんです。皆で食べてみましょう」
口で説明するより実際に食べた方が早いだろう。完成品第一号をナツキが調理して人々に振舞った。
「おおっ、美味い!」
「こんな美味い料理は初めてだぜ!」
「このピリッと辛いのが食欲を誘うぜ」
「ホント、最高に美味しいわね」
「スゲぇ! 何だこりゃ、ナツキ様は天才かよ」
皆が大喜びだ。次々にカレーを平らげてゆく。
「良かった。これなら成功ですね」
ナツキの言う通り、カレールーの第一号は大成功だった。従業員が食べた噂が街に広がり、製造した分は即完売となる。
ナツキ食品は大量生産の準備に入った。
先ずはカリンダノール、そして同じナツキの領地である極東へ。売れ行きが順調なら帝国中、いや、世界中に販売する予定だ。
◆ ◇ ◆
「ナツキ様、カレーの売れ行きが好調です。ガザリンツクやミーアオストクでも即完売となり予約が殺到しております」
執務室でグロリアからの報告を聞いたナツキがイスから立ち上がった。嬉しい驚きだ。
「やった! 大成功ですね。すぐ増産しましょう、グロリアさん」
「はい、ナツキ様。ナツキ食品で働きたい希望者も続々と増えています。増産する手はずも整えております」
「ありがとうございます。将来的にはカリンダノール名産品として魚の加工品と共に各国に輸出しましょう。仕事が少なかったカリンダノールですが、これで領民の皆さんもお金が稼げて喜んでくれるはずです」
「ナツキ様……」
ナツキを見つめるグロリアの瞳が輝いている。家令としてやって来た当初は厳しい目で見ていた彼女だが、今では完全にナツキに心酔しているような羨望の眼差しだ。
「でも、良かった……」
「ナツキ様?」
ナツキが遠い目をしている。
「ボクが帝国にやって来た頃は、街ゆく人々が皆険しい顔をしていたんです。生きる希望を失っていたり、心が荒んで犯罪に手を染めたり……。きっと格差や重税や強制労働といった、厳しい環境で絶望して投げやりになっていたのかも……」
「ナツキ様……」
「でもきっと、生活できるだけのお金が稼げて、美味しいものを食べられることができたのなら、皆さんも笑顔になれるはずですよね。そうです、温かく美味しいものは幸せの元です」
ナツキは思う。貧しさや寒さや空腹は人の心を荒廃させてしまのだと。
もし、温かく美味しい料理が食べられて人間が平等に扱われる日が来たのなら――
「ボクは、まだダメダメかもしれないけど、領民の皆さんに領主がボクで良かったと思ってもらえる人になりたいんです」
「ダメダメなんかじゃありません。ナツキ様は素晴らしい人です!」
グロリアが熱い瞳を向けナツキの手を取った。
「私はナツキ様を尊敬しています。これまでの帝国は一部の上級貴族が特権や富を独占し、平民は夢も希望も失うような社会でした。でも、ナツキ様が来てからは、街の人々も皆笑顔になっています。きっと感謝しているはずです」
「グロリアさん、ありがとう……」
「あ、あの、わた、私は、その、いつも変態とかクソガキ勇者とか言っちゃってますけど、本当はナツキ様のことを尊敬しているのですよ」
「嬉しいですグロリアさん」
「そ、それに、い、いつも怒ってばかりいますが、本当はナツキ様のことを、す、すす、好――――」
蕩けた顔のグロリアがナツキに迫る。まるでキスをするかのように。
ドォオオオオォォーン!
「ナぁツキぃー! 学校終わったわよぉー」
グロリアのくちびるが、あと10センチでナツキとくっつきそうになったその時、突然ドアが開きやかましいメスガキが入ってきた。
帝国に留学しながら城に居候しているミアである。
「って、あれ? 仕事中だった?」
もの凄いスピードでナツキから離れたグロリアがテーブルの書類をめくる仕草をしている。真っ赤な顔を隠しながら。
「ミア、ドアは静かに開けようよ」
ナツキがジト目になって注意した。
帝国に留学してからというもの、ミアが益々ヤンチャになっている気がする。貞操逆転帝国とメスガキは最高に相性が良いのかもしれない。
「うっさいわね。それくらい良いでしょ。それよりナツキ、た、たまにはあたしに構いなさいよ」
「ミアは勉強した方が良いよ。卒業後は帝国士官学校に入学するのなら試験勉強しないと。遊んでばかりいると――」
「そういう意味じゃないってば! もう、この鈍感男。せっかくあたしが来てやったんだから、もっと嬉しそうにしなしなさいよ。まったく」
相変わらず男女の機微に疎く真面目なナツキの反応に、ミアが怒って口を尖らせる。
幼い頃からずっと、それとなく好意を伝えているはずなのに、このナツキときたら全く気づいていないのだから。
「こほん、私は仕事に戻りますね。ナツキ様」
グロリアが部屋を出ようとする。
去り際にミアの耳元で囁きながら。
「ミアさん、ナツキ様は積極的なお姉さんタイプが好みのようですよ。それも胸部が豊かな……」
「は?」
それを聞いたミアがナツキに詰め寄る。
「ナツキってば、本当にエッチなんだから。どうせ胸が大きい人が好きなんでしょ!」
「えええ! な、何のことだよ、ミア」
「うるさい! ほら、あたしだって胸あるんだから」
ぎゅぅぅぅぅ!
ミアがナツキの頭を抱えて抱きしめる。ただ、ハグというよりプロレス技に見えなくもない。
「い、痛い、痛いよミア!
「はあああ! あたしの胸が硬いって言いたいの!?」
この二人ときたら、全く甘い恋人のような雰囲気にはならないようだ。
「もう、マジむかつく! この鈍感男にはハッキリ言わないとならないようね。あたしはあんたの彼女になってやるって言ってんのよ! 感謝しなさいよね!」
「ええええ! 彼女は間に合ってます」
「うっさいうっさいうっさい! あたしがなるって言ったら彼女になるのよ! もう決定だから!」
無理やり彼女候補に収まろうとするミア。彼女候補八号のグロリアの次で九号と思いきや、自称九号の女秘書がいるので、結局十号に落ち着いた。
ただ、幼馴染ポジションの小娘が許せぬ
◆ ◇ ◆
城での食事風景は賑やかである。
本来は城主のナツキに家令のグロリアと秘書のマリーのみであるはずだった。そこに大将軍七人とミアが押しかけ大所帯となったのである。
いくら戦争が終わったからといって、帝国の要である大将軍が全員ナツキに耽溺状態というのは如何なものかと思われそうだ。
しかし、ナツキの故郷デノア王国は帝国と関係を深め、その隣国のリリアナ王国も右に同じである。
ゲルハースラントとヤマトミコはナツキの言うことを何でも聞く状態であり、独立を回復したフランシーヌ共和国も帝国に従っている。
更に西に位置するアルビオン連合王国の動静は不明だが、圧倒的軍事力と経済圏を確立したルーテシア・ヤマトミコ・ゲルハースラント同盟と対立する愚は避けるであろう。
人の歴史には戦争が付き物であるが、ナツキが創った平和な時代は、まだ暫く続くはずである。
この偉業を成し遂げた大英雄はといえば、当の本人に全く驕りも増長も無く普段通りのマイペースさだ。
今日も今日とて姉を堕とすのに余念がない。
「美味しそうな匂いがします。今日の晩御飯はいつもと違うみたいですね」
テーブルに並べられた料理を見たナツキが気づく。いつもと少し違うことに。
普段は城の専属料理人が作っているのだ。庶民的なナツキとしては、あまり豪華な料理が毎日続くのは苦手なようで、少しだけディナーを簡素化してもらっていた。
それでも豪華なのは変わらないのだが。
しかし今日は、いつもと違い家庭料理のようなメニューである。まるで料理人が変わったかのような。
そんな驚いているナツキのところに、エプロン姿のネルネルがメイン料理を運んできた。
「ナツキきゅん、カレーができたんだゾっ♡」
「えっ、ネルねぇが作ってくれたんですか?」
「おうだゾ、地元の魚介を使ったシーフードカレーなんだナ」
まさかのネルネルがナツキの為に手料理を作るという奇跡にような展開に、そこにいる全員が驚いた。昔の彼女からは想像もできない。
貞操逆転の上に女性上位社会である帝国に於いて、女性は男性にイケナイコトばかり強要し、食事となれば『おい、飯!』と言うズボラな女が多かったりする。
強引な女性にエッチされるのが好きなM男性には天国な世界だが、その他の生活では色々と不満が多いのだ。
そんな帝国代表のエッチでヘンタイで強引なネルネルが、心を入れ替え男に尽くすヒロインになってしまったのだから大事件である。
「いただきます。あむっ、うん、美味しいです」
「ぐひゃぁ♡ ナツキきゅんに喜んでもらえて嬉しいんだナ♡」
「ネルねぇは強くて優しくて、料理まで得意なんですね」
「ぐひゃひゃ♡ そ、それほどでもないんだナ♡ ふひゃぁ♡ そんなに喜んでくれるなら、毎日でも作るんだゾぉ♡」
くねくねしながら照れるネルネルが両手を後ろに隠した。実は料理など初めてで、何度も失敗しながらやっと作り上げたのだ。
その証拠に、指は絆創膏だらけである。
新婚さんみたいな雰囲気の二人に、他の彼女たちが危機感を覚えた。
「ちょっと、どうするし、あれ」
「マミカさん、わたくしたちも甘やかしますわよ」
「何だかお似合いの二人だよ。私も料理を習おうかな?」
「私は剣以外はまるっきりダメでありますな。ははっ」
彼女たちからそんな声が上がる。
「ナツキくぅん♡ 先生は一生ナツキ君の手料理を食べたいわぁん♡」
一部例外の彼女(自称)もいた。
「手料理かぁ……。男を堕とすなら先ず胃袋を掴めってやつね。あたしも頑張ろっ。年増彼女には負けないんだから」
ミアが余計なことを言い、周囲の姉たちに捕まってしまう。
「あんたは説教ね。なんか腹立つから」
「そう、本来なら極刑だけど折檻……説教で赦してあげる」
「ちょっとぉ、なんであたしだけ! 何か、あたしって目を付けられてる?」
今夜もミアが
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