閑話2-1
自分はエリクスと申します。ヘッセリンク伯爵家に仕える家来衆の一人で、文官見習いをしております。
始まりは、オーレナングの森の氾濫でした。
国への通達を必須とする特急災害。普段は森の中にとどめられている魔獣達が、押し出されるように外へと溢れ出す現象です。
幸い、伯爵様と家来衆、そして協力者のご尽力によって氾濫の原因であった脅威度Sのディメンションドラゴンは討伐され、下位の魔獣達も屋敷周辺で食い止めることができました。
屋敷を襲ってきたマッデストサラマンドも、フィルミーさんの禁呪によって討伐され、一人の犠牲も出すことなく事態は収束したのです。
「だが、それで終わりといかないのが面倒なところでね」
伯爵様は、疲れ切った顔でした。討伐から帰ってきた時よりも、各所へのお礼状を
早急に必要な文書がなんとか片付き、一段落付いたところで伯爵様からお声が掛かったのです。
「深層から魔獣があふれ出た影響で、いままで把握していた浅層の状況がどう変わったのかを知りたい。残念なことにと言うべきか、当家にはこの手の調査を行える人材が不足していてね」
たしかに、前に一緒に浅層を回ったジャンジャックさんは、あまりその手の事に注意を払っているようには見えませんでした。生存に必要な水場や食料については把握しているものの、魔獣の分布や森の植生といった巡回の目印となり得るような場所については、非常に無頓着だったように思います。
地図を見せるように言われたので、浅層を回るときに参考にしている地図を出しました。これは、伯爵家付きの騎士団の人たちやフィルミーさんが巡回して作り上げていた概略図に、家来衆の皆様のお話と自分で実際に回った場所についての参照情報を書き加えたものです。
「ほう。なかなかよくできているじゃないか」
伯爵様が感心したように声を漏らし、地図を見ながらしばらく考え込んでおられました。すると内容がまとまったのか、ペンを持ったかと思うとものすごい勢いで詳細を書き込み始めたのです。
あっけにとられながらその光景を見ていました。伯爵様の頭の中には、魔獣の森についてどれほどの知見が詰め込まれているのでしょう。時折考え込むようにじっと地図を見つめては、魔獣の種類と脅威度、魔獣以外の危険が予想されるため迂回するべき場所といった覚え書きを付け加えていきます。地図の空白部分を埋め始めたときには、感動を覚えたほどです。その深い知識を新参の私に惜しげもなく披露してくださっているということに、深く感謝しました。
「さしあたってはこんなところか」
伯爵様がペンを置いたときには、地図の情報量は倍近くまで増えていました。中でも目を引いたのは、魔力溜まりと注釈が付けられた、結晶様の絵が描かれている部分です。
「今回確認してきて欲しいのは、ここだ。学院で学んでいたエリクスには改めて言うまでも無いことかもしれないが、魔力溜まりの様子が大きく変わると森の浅層と中層との境界が変動する可能性がある。氾濫の影響で何か異常が起きていないか、確認して報告してくれ」
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「それでは参りましょうか」
今回一緒に出かけるのは、オドルスキさんとクーデルさん、それに騎士団付きの歩兵の方2人でした。氾濫の兆候が見えたときより、森に出る際にはジャンジャックさんかオドルスキさんを同行させて不測の事態に備えるよう伯爵様が命じられたのですが、それはまだ有効なようです。特に騎士団の方は、自分の護衛と荷物の運搬に徹するよう厳命され、積極的な戦闘を禁止されていました。
「本当なら斥候としてもフィルミーさんが適任なのでしょうね。詳細についてはフィルミーさんが本調子になったら改めて確認するとして、今日は目に付いた部分だけにしましょう」
フィルミーさんはマッデストサラマンド討伐の際に使用した護呪符の影響で、魔力切れを起こし倒れていました。起き上がれる程度には回復したものの、今はジャンジャックさんにしごかれている最中で、とても巡回に連れ出せる雰囲気ではありません。
「魔獣はオドルスキさんと私にまかせて。エリクスさんは周辺の警戒と、なにかおかしな事がないかの観察を」
その言葉と同時に、クーデルさんが駆け出しました。早速現れた数匹のスプリンタージャッカルを、クーデルさんとオドルスキさんが前に出て仕留めていきます。
しかし。
「こういった観察は得手ではないのですが。それでもはっきりとわかりますな」
大剣を振り回しながら、オドルスキさんがつぶやきました。
明らかに痩せ細った魔獣の群れ。まだ年若い個体ですら、記憶にあるスプリンタージャッカルより毛並みの色艶が劣っているのが見て取れます。
あっさりと群れを蹴散らした後、クーデルさんが。
「・・・・・・餌が不足しているのかしら。でも、リーダーも含めて弱っているのはおかしいわね」
「はい。群れ全体が一様に衰弱しています。森の浅層になんらかの異変が起きていると考えていいでしょう」
どうやら、伯爵様の懸念はまだ続くようでした。
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