二、

 更年期の相談に行ったはずが、移植手術が決まってしまった。手術は一ヶ月後、四十六歳にして初の人工臓器移植だ。人工卵巣は二十五歳頃の機能をトレースしているから、移植すれば更年期の諸症状が緩和する上に骨粗鬆症の予防にもなり、妊娠の可能性も上がるらしいが。

「あなたがいないのに、卵巣だけ若返ってもねえ」

 タブレットを手に座卓へ着き、小さな文字が連なる約款を拡大する。小煩い文言に一層移植する気が目減りしていくものの、公務員は積極的な移植が推奨されている職種だ。しないとバレたら「校長室でお話」が待っている。生き永らえたくはないが、仕方ない。

「まだ、私は呼んでくれないみたいね」

 手元から視線を移した写真の夫は、十七年前に時を止めたままだ。火事で、庭の柘榴と一緒に燃えてしまった。私が、修学旅行の引率で留守にしていた時だった。

 火事のあと似たような田舎へ引っ越し、同じように古びた借家を借りた。庭に柘榴はないが、この時期になると金木犀の香りが胸を癒やしてくれる。夫の好きだった花だ。

 夫は、新卒一年目に私を指導してくれた先輩だった。飄々として、モディリアーニの人物画みたいな撫で肩をしていた。美術教諭らしい浮世離れ具合で、驚くほどに生活力がなかった。気づけば私が世話を焼く側に回っていて、二年も経つ頃には脱ぎ散らかした靴下を拾い、飲んだままのコップを洗い、約束をすっぽかされた画廊のディーラーに頭を下げるようになっていた。

――礼亜れあ。僕が死んだら、聖地のどこかに骨を撒いて欲しいな。

 あの果樹園へ足を踏み入れたのは、夫との約束を果たしたあとだった。あんな印象的な場所だったのに、今日あの画像を見るまで完全に忘れていた。

「僕が死んだら、か」

 電子誓約書に署名を済ませ、タブレットを置いた。

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