第33話 スムージー

 連絡橋で繋がった別館の同じ階。

 噴水広場の中心にて、依頼人の怒りが静かに揺らめいていた。

 砂漠のオアシスが蜃気楼のごとく、先方の烈火も陽炎だと思いたい。


「遅い」


 親の仇を睨むような月冴さん。


「わたしを待たせるなんて、偉くなったじゃない」

「下請けバイトに地位なんてないけど。あと、人権と労基、保険……」


 ついでに、団体交渉権など。言い出したらキリがない。


「ふん、動きたくないプー太郎の異名通りね」

「いや、働きたないプー太郎――ではなくて、月冴さんの呼び出しなので走ったよ」


 その証拠に、口内はレモネードと違う嫌な酸味が広がっていた。おえっぷ。

 世の中の酸いを味わった気分だね。甘いも嚙み分けさせて。


「待たせてごめん」


 僕が十八番の土下座を披露しかけたタイミング。

 月冴さんは腕を組むと、そっぽを向いて。


「別に怒ってないわ。あんたが今まで、高陽田に媚びへつらっていたとしてもね」

「高陽田さんは配慮の達人だから、テキトーなおべっかは通用しないさ」

「は? クラスの人気者を理解できるほど親しくなったわけ? それ、プー太郎の思い込みでしょ。みっともないからやめなさい」

「サーセン。僕の思い込みです」


 高陽田さんは、友達に資格は要らないと語っていた。みーんな、おともだち。

 目から逆鱗がレアドロップする発想だった。尻尾の剥ぎ取りで鱗を出すな。

 さりとて、天上人たる彼女の考えと地底人たる僕では成立しないイデアである。


「プー太郎は、わたしの役に立っていれば良いのよ。わたしは感想を正直に伝えるし、ちゃんとできれば褒めてあげるわ。言動の真意や裏を探る必要がないもの」

「その分、いつもダメージが大きい気がする。心の傷ほど、治療費は出ないんだ」

「何か言ったかしら?」


 僕は、首を横にブンブン振った。


「あんたを諭したせいで喉が渇いたわ。あっちのジュース屋さん、寄るから」


 ほぼ、パワハラまかり通ってましたよ、お客さん。


「今回は半ば勢いの連れ出しで、付き合わせて悪いと少しだけ思わなくもないのよ」

「どっち」


 モジモジと黒髪を人差し指に巻き付けた、月冴さん。


「だから! 奢ってあげるから、さっさと付いて来なさいっ」

「了解! それを待ってました」


 ただ漠然と人の後を追いかける。何も考えない人、数少ない特技である。考えろ。

 広場の横手に、カラフルなキチンカーを模した売店があった。

 パンフレットによれば、新鮮なフルーツをたっぷり使ったジューススタンド。

 レジには、可愛い制服を着た売り子さんが控えている。


「すいません、イチゴバナナスムージーとトリプルベリーミックス。両方、トールで」

「かしこりましたぁ~! オーダーッ、イチゴバナナスムージー、トリプルベリーミックス入りまぁ~す」


 月冴さんが、本人と僕の分のジュースを合わせて購入――

 ……っ!

 SE、ピシャーンッ!

 背景、サンダーボルト。


 そんなト書きを記さずにはいられない。

 僕は、後頭部を金属バットで殴られたかのような衝撃を受けた。

 この後、怪しげな薬を飲まされて身体が縮んでしまうかもしれない。

 真実とは、人の数だけ存在すると思います。事実は1つだね。


「なによ。おかしな表情……はいつものことね」

「つ、月冴さん……ま、まかさっ、今注文したの!?」


 依頼人が戻るや、震えた身体を押さえつけながら事実確認する。


「当たり前でしょ、他にどう見えたわけ?」

「だって、その、あの」

「煮え切らない態度は嫌いよ。ハッキリ言いなさい」


 代わりに業を煮やした、月冴さん。

 言及を避けた僕の配慮は無残に切り捨てられ、逡巡のダムが決壊していく。


「スタバの注文できなくて泣きべそかいた、月冴さんが! オサレなジュース屋さんを1人で注文したなんて! うぅ……成長したねっ。僕は今、猛烈に感動しているッ」


 滂沱の涙につき、防波堤は押し流されました。


「……っ!? わ、わたしが注文失敗したくらいで泣くわけないでしょうっ。勘違いしないでよね、アレは単に情けない姿を晒した己を憐れんだだけなんだからねっ」


 月冴さんもまた、慌てふためいた。


「プー太郎こそ、泣かないでちょうだい。いつもの調子じゃないと、対処に困るでしょ」

「あ、はい」


 スッと涙を引っ込めた。


「……」

「補足。僕はプライドがない。ゆえに、平気で泣き喚くことが可能。解除も簡単だよ」

「あっそ。心配して損したわ。きも」


 月冴さんは、怜悧な面持ちで噴水付近のベンチに腰かけた。

 僕が注文の品を受け取り、先方へイチゴバナナスムージーを渡した。


「隣、座れば」


 依頼人が睨みを利かせ、非常に座りづらい雰囲気を醸し出している。

 これが圧迫面接というやつか。そうだよ。

 僕は、恐る恐るお尻を軽くベンチに乗せた。退散するチャンスを見逃さないため。


 小心者のキョドりに呆れつつ、月冴さんがスムージーをごくごく飲んでいく。

 不満げな表情でストローを吸う姿は、図らずも似合っていた。


「プー太郎、にやけた視線を飛ばさないでちょうだい。とんだヘンタイね」

「一生に一度くらい、仲間と共に大空を舞いたいなあ」


 そして、編隊飛行である。

 いかんせん、熊野風太郎に仲間はいません。残念、あなたの夢は墜落しました。


「月冴さん、めっちゃ喉が渇いてたんだなって。僕なんか待たず、スタバに再挑戦すればよかったのに。一度盛大に失敗した以上、次はもう大丈夫じゃない?」

「短絡的な発想ね。あんたが来ないと行く意味ないでしょ」

「そんなことないけど」

「そんなことあるのよ」


 月冴さんが意固地になってしまい、僕は頷くばかり。

 徐に、トリプルベリーミックスに口を付けた。彩り豊かな3種のベリーがミルクと交ざり合い、濃密なハーモニーを調和している(重複)。


「美味しい」


 言葉とは裏腹に、半分飲んでギブアップ。

 味に文句はないけど、すでにお腹はレモン帝国に支配されていた。

 ベリー共和国の進軍失敗。残存勢力、撤退せよー。

 ところで、いつも帝国が悪者なのはどうしてだい? 雰囲気でしょ、絶対。


「ふーん、気に入ったわけ? わたし、そっちのドリンクを選ぶか迷ったのよね」


 月冴さんが僕と間を詰めるや、無言の圧を放った。美人、再確認ヨシ。

 よくよく考えたら、プレッシャーは日常的だった。可及的速やかに解放せよ。


「こちら、飲みます?」

「別に、あんたがどうしてもって頼むなら貰ってあげるわ」

「月冴さんに飲まれた方が、戦場で散っていった果物たちも浮かばれるよ」


 それって、とってもミキサー。願わくば、美少女の栄養になりたいだろう。

 うんうん、月冴さんの健康はワタシが育てました!

 生産者面でジュースを手渡すと、先方が僅かに表情を和らげて。


「ありがと……もう返さないから」

「全部頂いちゃって、どうぞ」

「ん。そうするわ」


 月冴さんはストローを口元に近づけ、一瞬迷ったように観察した。

 使用済みが気になるお年頃かしらと思った矢先。

 依頼人は、勢い良くトリプルベリーのミックス加減を堪能していく。


「こっちはまあまあね。予想通りのテイストかしら」


 口元、緩んでますよ。


「月冴さんが満足そうで何よりです」


 僕は、自然と立ち上がった。無意識に一歩後退。


「待ちなさい」


 ピシャンと停止のギアス発動。


「待ちます」


 ……危うく、帰りかけた。癖になってるらしい、自宅へ足を向けるの。

 月冴さんは眉根を寄せたと思えば、急にせわしない様子で。


「あんたに飲み物を半分貰った以上、わたしも半分あげなければおかしいわよね」

「僕はもう、お腹いっぱいなんで遠慮するよ。いや、固辞しますっ」

「黙りなさい」

「黙ります」


 珍しく自分の意思を伝えれば、即否定された。カスハラは滅びない。


「ふん。プー太郎のくせに、わたしのスムージーが飲めないって言うつもり?」

「当方もご期待に沿えない結果だと自負しております」


 あれ、少し前にこのやり取りを体験した気がする。

 デジャブを感じていると、月冴さんに肩を掴まれた。再び、ベンチに座らされる。


「わたしはプレミアム会員でしょ。あんたは死ぬ気で命令に応じる義務がある。違う?」

「ともだちレンタルは、依頼人の要望を叶える何でも屋。間違ってないね」


 なぜか、何でもしない人が1人交ざってるけどさ。

 まだ報酬貰ってないけど、サービス料金は振り込まれている。


「じゃあ、飲んで。わたしの気が済まないから」

「合点」


 僕は、やれやれと小さくため息を吐いた。

 断じて、先方の飲みかけが嫌なわけにあらず。リアルガチで、水分供給量が過多なのだ。横になりたい。休みたい。おうち帰りたい。おっと、本音が漏れちゃった。

 僕のお腹タプタプ事情など関係ない依頼人は、ニンマリと綺麗な笑顔で。


「あんた、さっきから挙動不審よ――いつものことね。特別に、わたしが飲ませてあげる。歓喜に打ち震えるといいわ」

「えっ」


 ギロリ。


「わーい、ヤッター」


 僕は、精一杯万歳した。

 クールビューティーとドリンクシェアなんて、一生の思い出うれしいなー。

 ……お分かり頂けただろうか。恐ろしく強い眼力、僕でなくとも見逃さないね。

 月冴さんがすぐそばまで寄った。脚が触れ合い、彼女の体温が伝わってくる。


「プー太郎が逃げそうだから、結果的にくっつくことになっただけよ?」


 誰かに言い訳するように、月冴さんは僕の左腕をするりと抱いた。

 肩がぶつかり、綺麗な黒髪に腕を撫でられてくすぐったい。レモネード、ベリーミックスを口に含んだ時以上に、人を甘く惹きつける芳香が脳を刺激していく。


「口、開けて。あーんしなさい」


 月冴さんがスムージーを差し出した。

 言われるがまま、僕はストローを口に突っ込まれる。


「ふふ」


 妙に気恥ずかしく、月冴さんの方を向けなかった。初めて俯くのが得意で助かったよ。

 否、広場前のピカピカに磨き上げられた支柱は鏡のごとく、通行人たちを映していく。


 そこには、楽しげな面持ちの美少女と顔がひどくぼやけた奴も加わっていた。

 まったく、なかなかどうして商業ビルの清掃スタッフは働き者だと感心しました。

 人材派遣部の落ちこぼれも見習いたまえ。じゃあ、クビで。退部のやる気、あります。


 スムージーを飲み終わり、ズズズと空音が鳴った。

 月冴さんが僕の腕を離さないまま、白く眩しい脚を組んだ。

 全然見てないけど、綺麗なものを見ると心が浄化されるよね。邪な気持ち、ないです。


「これ。案外、面白いわね。もう一杯、いきましょうか」

「固辞します!」


 今度こそ、断固反対。


「そこまで嫌がらなくてもいいでしょ。あんた、変なとこで頑固ね」


 不満げな依頼人。脇腹つねるのやめて。


「プー太郎に奉仕させられるなんて、とんだ屈辱じゃない。倍返しで尽くさせないと、割に合わないわね」

「え、今年一番の当たり屋!? 堅気のやり口じゃないっ」

「元々、あんたはしばらくわたしの下僕でしょ。諦めなさい」


 月冴さんは、ニヤリと嗜虐的な笑みで憐れな獲物を捉えた。

 誰だ! ともだちレンタルを一か月使い放題のサブスクなんて打ち出したのは!

 部長だ! あの野郎っ、労働の義務がない僕に奴隷を強いるなんて許せない!

 何もしない人、マグマのごとく沸騰した激情に駆られる。もっと熱くなれよ!


 ……ふぅ。騒ぐと疲れるし、体力の無駄じゃないですか? それ、意味あります?

 熱しやすく、冷めやすい。僕は近頃の若者よろしく、コスパを重視した。


「月冴さん。コスパついでに、ちょっと所用を思い出した」

「コスパ?」

「普段出かけたくない僕が、大きなモールに来たんだ。約束のブツを手に入れないと」


 愚妹の誕プレ、渋々買います。でも、お高いんでしょ? はいっ……はぁ~。

 僕のテンションは、山の天気より乱高下。躁鬱で、休部しよう。

 人材派遣部はブラック部活なので、もちろん休職手当など存在しない。滅びろ。

 まことに名残惜しいものの美人の感触から脱した、僕。


「一回用事済まさせて。何かあったら、また呼んで。多分、急ぐよ」

「多分?」

「絶対でありますサァーッ」


 ビシッと敬礼。鬼軍曹に口答えは許されない。


「行ってくれば? それ、プー太郎の優先順位がわたしより高いんでしょ。ふん」


 心なしか、頬っぺたが膨らんだ月冴さん。可愛いも備えたら、手に負えない。

 僕は持たざる者ゆえ、持て余す感情に揺さぶられなかった。悲しいね。

 先方との別れ際、もう1つ思い出した。


「そういえば、高陽田さんは月冴さんとちゃんと仲良くしたいみたいだよ」

「そう」


 月冴さんが目を伏せる。


「高陽田と交友ね。彼女は最大派閥の長なんでしょ。今更、わたしを求める理由が塑像できないわ」

「仮に、僕に友達100人いても」

「冗談は顔だけにしなさい」


 初手、否定。


「あ、はい」


 挫けるな、熊野風太郎! ぐすん。


「万が一、いや億が一、僕にたくさん友達がいても、月冴さんと仲良くできたら最高」

「……っ!」

「高陽田さんの場合、何か通じ合った部分を感じたんだろうなあ」

「……」


 返事がない、ただの無視のようだ。いつものことさ。


「あれ、顔赤いけど大丈夫?」

「赤くないわよ」


 僕が首を傾げるや、月冴さんはそっぽを向いてしまう。


「時間がもったいないわ。さっさとどこへでも、行ったらどう? きも」


 朱に染まった横顔は、僕の錯覚らしい。何もしないのも、結構疲れるからね。

 僕がいつもの調子で、雲散霧消するかのように離れれば。


「……わたしもあんたみたいに、バカみたいなこと、そのまま言えたらいいのに……」


 ポツリとこぼれた心情は、僕の幻聴らしい。振り返るのはよそう。

 もちろん、僕はすこぶる疲れてるんだ。

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