第31話 わんにゃんカフェ②

「熊野くん、こっちこっち」


 商業ビルの入口をうろちょろした途端、高陽田さんに声をかけられた。


「ふぁっ!?」

「ん~、その素っ頓狂なリアクションは面白いね」

「高陽田さん、僕の姿が見えるの……?」


 熊野風太郎は透明人間にあらず。実態、あります。

 そういえば、影が薄いだけ。失念しておりました。


「アハハ、君はいつから幽霊になったのかな?」

「人材派遣部だと、ほぼ幽霊部員みたいな扱いだよ」

「それじゃあ、あたしがたくさん依頼して活動させないとなぁ~」

「――え」


 プレミアム会員の前で、露骨に顔に出てしまう僕。


「本当に嫌そうな顔してる。ちょっとショックだよ」

「た、高陽田さんは、気遣いの人で全然大丈夫! 単純に、働きたくないだけです! 自分、何もしたくない人なんでっ」

「何もしない人じゃなかったかな?」


 そして、ツッコミである。

 高陽田さんが微笑を携えたところで。


「行き先はもう決まってる? 僕は基本、背後霊リスペクトだけど」


 やっぱり、幽霊かもしれない。プー太郎、ノーマル・ゴーストタイプ説濃厚。


「さっきこの辺りを調べてみたら、興味あるイベントがここで開催してたよ」


 高陽田さんは、電光掲示板に表示された広告を指差した。


「わんにゃんカフェ! 時代は癒しを求めてるからね」

「へ、へー。そだねー……」


 目を輝かせた依頼人に、僕は何度も首を縦に振った。

 気のせいかな? 僕、わんにゃんカフェ知ってるぞ。

 デジャブかな? いいえ、体験済みの既視感です。


「あたし、ネコちゃん好きなんだぁ~。うちはペット禁止で飼えないけどね」


 口笛交じりにルンルンスキップな高陽田さん。

 イベントエリアに近づくにつれ、僕はそわそわと落ち着かなかった。

 月冴さんと鉢合わせしたら、またケンカしそう。平穏が脅かされていく。


「どうしたのかな、熊野くん? 挙動不審だねぇ~」

「イツモドオリダヨ。ちなみに、犬はあまりお目当てにならない?」

「断然、ネコちゃん。ダメじゃないけどイヌ派とは相性悪いかも?」


 確かに。納得せざるを得ない確証だった。

 月冴さんと高陽田さん、犬猿ならぬ犬猫の仲である。

 もはや、祈る他なかった僕。バッティングはやめてください、何でもはしませんから。


 わんにゃんカフェの案内を再確認するや、3つのエリアで構成されていた。

 ワンちゃんオンリー、ネコちゃんオンリー、わんにゃんユニオン。

 いぬぬわんがいたエリアは、ワンちゃんオンリー。

 すなわち、高陽田さんが向かう先といえば。


「わぁ~、ネコちゃんがいっぱい! 楽園は存在したんだねっ」


 クライアントが陽だまりスマイルを咲かせた。

 マンチカン、アメリカンショートヘア、スコティッシュフォールド、ロシアンブルー。


 国際色豊かなキャッツが、触れ合い広場でのびのびと寝転がっている。

ボールにネコパンチ、キャットツリーを闊歩。自由を謳歌していた。


「にゃ~ん」

「シャーッ」

「ねこーん」


 ワンちゃんオンリーと反対側のエリアで、僕は安堵した。

 この際、ねこーんなる鳴き声も自然と許容できた。


「おいで、おいでぇ~」


 高陽田さんが、おもちゃ箱からねこじゃらしを手に取った。


「にゃ~ん」

「シャーッ」


 キャッツは、揺れる穂先をたまらず追いかけていく。


「これがいいのかにゃ~?」

「ニャァァアアアーッ」


 高陽田さんのテクに魅了され、猫まっしぐらに荒ぶり給う。

 集え、全てのネコちゃん! 他の客より、美少女と戯れるために!

 極上の遊び相手が出現した中、我関せずを貫いた無頼派もいた。


「……で、どうしてお前はこっちに来たんだ?」

「ねこーん」


 縞模様の少し太めな猫が騒々しいとばかりに、僕の足にすり寄った。


「確かに、僕の周りはいつも静かだけどさ。初見で看破するとは只者じゃない?」


 ねこーんは、大きく欠伸ついでに身体を丸めた。


「変な声担当は勘弁して」

「ねこーん」


 ――うるさい。おちおち昼寝もできないにゃ。

 ……っ!? こ、こいつ、直接脳内に……っ! そんな心境である。


 慰めにねこーんの背中を撫でた、僕。滑らかな毛並み、しやがって。


「熊野くん、大変だよっ。あたし、ネコちゃんに占領されちゃったみたい!」


 高陽田さんの嬉しそうな悲鳴が聞こえた。

 振り返れば、先方は床に片膝をつきながら。

 足に猫、膝に猫、腕に猫、手に猫、肩に猫を乗せている。


「ネコを纏わせた人間ツリー?」

「可愛いけど、抱えられる数じゃないかな? 熊野くん、お願いできる?」

「ちょっと待って」


 僕が徐にキャッツへ手を伸ばしたちょうどその時。


「シャァァアアアーッ!」


 ――控えろ、下郎。処すぞ!

 そんな威嚇だった、気がする。ネコ語? 知らないけど。


「なんか、僕、嫌われてる気がする」

「そんなことないよ。みんな、良い子たちだからね」

「「にゃ~ん」」


 こいつら、猫なで声出しやがって。ネコちゃんです。

 動物は生存本能が高いらしく、僕の存在を高確率で感知した。

 敵じゃないと判断するものの、大方雑魚と認定していく。


 僕が依頼人の背後に回り込むと、猫たちが一斉にこちらを振り向いた。

 キャッツアイは、狙った獲物を逃さない。泥棒はダメだと思います。


「ねこーん」


 ――オメー、何やってんにゃ?


「高陽田さんを解放したい。しかし、ネコと和解できないよ」


 会話が成立するわけない。ただの愚痴である。


「ねこーん」


 ――仕方がにゃー奴。自分の女くらい守るにゃ。まぁ、今回は仲間の不始末ゆえ、力を貸してやるにゃ。ありがたく思え。


「いや、ねこーんの一言でそのワード数は変換できないだろ」


 そして、セルフツッコミである。


「どうしたの、突然大きな声出して。何か困りごとかな?」

「全然、大丈夫」


 全然大丈夫は、全然大丈夫にあらず。

 国語の偏差値52だからね。すぐ間違えちゃうよ。

 僕は、ねこーんを持ち上げた。見た目以上にずっしり重い。

 ……お前、本当にネコちゃんなりや?


「ねこーん」


 ――詮索はおススメしない。長生きしたければにゃ。ワイを小娘の頭に乗せるにゃ。


「ワイって……インターネット老人かよ」


 他に手が思い浮かばず、僕は己の幻聴に従った。悲しいね。

 高陽田さんの後頭部にねこーんを失礼した途端、器用に寄りかかっている。


「プニプニの肉球は満足だけど、あたしは助けてほしいなぁ~。追い打ちはいらないよ」

「結果的に、これで助かるらしい」


 果たして、高陽田さんの疑念を晴らせるだろうか。一体全体、無理そう。

 否、時たまどうでもいい奇跡ほど起こり得た。


「ねこーん」


 ――ここを、ワイのキャンプ地とする! 者共、早々に散るにゃ!


「にゃ~ん」

「にゃにゃにゃん」

「シャーッ」


 ネコちゃんズは尻尾を丸めて、キャットタワーもとい高陽田さんから飛び下りていく。

 謎の力関係が発揮された瞬間だった。


「ねこーん」


 そして、ドヤ猫である。


「猫の手も借りたとはこのことか」


 ありがとう。ねこーん。話の分かる奴で助かった。


「うーん。全体的に軽くなったけど、頭は結構フラフラするね」


 高陽田さんがねこーんを取ろうとしたものの、なかなかどうして外せない。


「おい、先方が嫌がってるぞ。そろそろ退きなさい」

「ねこーん」


 ――このおなご、気に入ったにゃ! ワイのこねこちゃんにするんや!

 きも。冗談は妄言だけにして。


「高陽田さんから、は・な・れ・ろ」

「ねこーん」


 さりとて、ネコパンチで必死の抵抗。

 完全に敵と化したねこーんに、僕は最終兵器で迎え撃つ。

 100円を代償に、ペーストタイプのおやつ・ちゅる~んを購入。

 ネコ野郎の前でちゅる~んを開封すれば、鰹節フレーバーが鼻孔をくすぐった。


「ねこーん」


 ――そ、それは滅多に口にできないワイの好物!? それ、くれにゃあ……

 興奮冷めぬまま、ベシベシと高陽田さんの額をネコパンチ。


「痛いよぉ~。このネコちゃん、急に暴れてどうしたのかな?」

「食い意地に抗えぬ珍獣と認めるなら、これはお前にくれてやろう」


 ちゅる~んを差し出すが、ねこーんは寸でのところで届かなかった。

 二者択一。可愛いこねこちゃんか、美味しい好物。

 性欲と食欲。どっちも甲乙つけがたい。僕は、睡眠欲を取ります。


「ねこぉぉおおおんんんっっ!」


 ねこーんが衝動に駆られ、跳躍していく。

 畢竟、僕の手からちゅる~んを奪う選択だった。

 好物を咥えたドラ猫は、他のネコちゃんに取られまいとキャットタワーの頂上へ。


「ねこーん」


 ――覚えておけ、小僧。次にペロペロするのは、ワイのこねこちゃんやで!

 きも。それ、セクハラですよ。

 僕は、ねこーんと今生の別れを済ませた。化けて出そう。


「高陽田さん、猫は満喫した? 満喫したね。次行こうか」

「熊野くんが次を急かすなんて珍しいね。あたし、ビックリだよ」

「ちょっとイヌネコアレルギーになりまして。しばらく、動物と絡みたくないよ」

「それは大変。別のとこ、回ってみよっか」


 高陽田さんがきょとんフェイスで、僕の顔を覗き込んだ。


「確かに、顔が赤いねぇ~。アレルギーかな?」

「……アレルギーだよ」


 平凡な男子の9割が発症すると言われた美少女アレルギー。

 症状、好きになっちゃう。ワクチンも予防接種もほとんど効果なし。

 さりとて、真の平凡を冠した僕は何も期待しない人ゆえ、可憐な乙女を慮るのみ。


「さ、行きましょ。高陽田さんに付いてくから」


 依頼人に催促する何もしない人レギュレーションに違反した。罰則は特にない。


「強引なんだからぁ~。君が先導するコースでも、あたしは構わないけどね」


 先方は気配りの人ゆえ、サービスを提供する側も満足させたい性質だった。

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