第30話 わんにゃんカフェ①

「初めから全力で勝つ気のない奴に、わたしが後塵を拝するわけないじゃない」


 勝者の弁である。

 ジャンケンで勝った直後、小さくこぶしを握っていた月冴さん。

 嬉しそうと指摘すればグーが飛んできそうで、僕は沈黙を貫くばかり。

 高陽田さんは悔しそうにしながら、約束通り優先権を譲ってくれた。大人だね。


 僕は、首根っこを掴まれ連行されていく。仕事が始まった以上、逃げやしない。

 東京駅なる田舎者難易度S級ダンジョンを抜け出さんとしばらく闊歩する。


 同じような景色をすれ違う度、疲れた表情や姿勢が悪いサラリーマンたちとエンカウント。社畜はモンスターだった? 一度倒れたところで、二度と起き上がらない……


 大手を振ってまかり通れば、あら不思議。目的地に到着だ。


「別に、わたしは小休止できる場所ならどこでもいいのよ? たまたまイベントの広告を見て、記憶の断片を思い出したに決まってるわ」


 初手、言い訳。

 どうやら、月冴さんがぜひ訪れたかったスポットらしい。

 商業ビルの入口、僕は電光掲示板に視線を送った。

 ――わんにゃんカフェ、イベントエリアで絶賛開催中。


「わんにゃん?」

「なによ……悪い?」

「良い」

「どうせ、強情な女のくせに動物と戯れるつもりで失笑したんでしょ。ふんっ」


 月冴さんがムスッと腕を組んだ。


「お気になさらず。月冴さんが楽しめる場所に同行するのが僕の役目だから。ちなみに、わんにゃんのどっちが目的?」

「当然、イヌ。わたし、ネコ派とは仲良くできそうにないわ」


 二大派閥、仲悪いのかな? 僕は金魚派です。

 ギョギョっとカフェの受付を済ませて入店。


 ワンちゃんと触れ合うスペースを中心に、個別ブースが設けられていた。

 柴犬、コーギー、ブルドッグ、チワワ、ミニチュアダックス。

 お犬様に疎い僕でさえ存じ上げるメジャー級の布陣だ。


「わんわんわんっ」

「きゃんきゃんきゃんっ」

「いぬぬわんっ」


 揃いも揃って、走り回って元気だなぁ~。

 流石ビジネス犬、人に慣れてやがる。そちらも仕事、大変ですね。


「ちょっと待って。今、どなたがいぬぬわんって鳴いた?」


 僕の疑問に回答してほしいものの、僕が気にするべきは依頼人。


「……っ」


 月冴さんは不思議と、触れ合い広場の角で硬直していた。

 本来、何もしない人は察しが悪く、このまま黙って静観するのだが。


「月冴さん、どうしたの? 部屋の四隅、端っこは僕の住処だけど」


 別に、隅っこ暮らしにあらず。辛辣なツッコミを期待すれば。


「プー太郎、由々しき事態よ」


 手を震わせて青ざめた、月冴さん。もはや、ただ事の様相じゃなかった。


「如何に?」

「うかつだったわ、わたし……イヌと接し方が分からないの」

「……お、おう……」


 ズコーッ! 心中、喜劇役者よろしくずっこけた。

 ハリセンを常備してなくて良かった。

 あやうく、なんでやねんと月冴さんの頭をひっ叩くところだったよ。

 刹那、僕は全てを察した。ついでに悟っていく。


「まさか、犬見知り!? 人見知りならぬ、犬見知りっ!」

「あんたとイヌ、全然勝手が違うじゃない。当てが外れたようね」

「僕の立場、犬と同列!? 下扱いされなくて、高評価嬉しいなー」


 謙虚な僕。自分を褒めてあげたい。稀によくあるポジティブだ。

 聞けば、月冴さんはワンちゃんと触れ合った経験がない。だから、ここに来たと。


「先方がファーストタッチをご所望ならば、僕が連れて来るよ」

「ん。お願いできるかしら? 手間をかけるわ」


 月冴さんが、バツが悪そうに頷いた。

 依頼人のオーダーを受け、僕は触れ合い広場を見渡していく。

 さて、どの子なら月冴さんの相手が務まるか。いや、相手をしてくれるか。


 できるだけ大人しく、可愛らしく、活発で、人見知りしない犬。

 注文が多い面倒な客を自覚するや、僕の足元にとある1匹がすり寄った。


「いぬぬわんっ」

「イッヌ、お前だったのか」


 犬種は分からない。毛色がイエローとホワイトの短足なワンちゃん。


「僕の依頼人がお前と遊びたいらしい。協力してくれるか?」

「いぬぬわんっ」


 僕が片ひざをつき、ワンちゃんは短足を前に出した。

 交渉成立にしよう。そりゃ、何言ってるか不明だわん。

 いぬぬわんを抱きかかえ、月冴さんの元へ戻った。


「この子は月冴さんと遊びたいみたい」

「いぬぬわんっ」


 ヘッヘッヘ、はよ遊べと息が荒い。


「か、噛まない?」

「余計なことしなければ」


 むしろ、人に噛みつくのは月冴さんの方が得意だと思いました。口撃は最大の攻撃。

 余計なこと言いかけたので、沈黙は金よろしくお口にチャック。

 依頼人は、おそるおそる犬の背中を撫でていく。


 次第に、耳、額、顎、あんよをマッサージ。

 月冴さんが口元を緩ませながら、尻尾のブラッシングを加えた。


「きゅ~ん」


 気持ち良さそうに目を細めた、いぬぬわん。お前、普通に鳴けるじゃん。


「わたしの寵愛を受ける名誉、誇りなさい」


 月冴さんも、すっかり調子を取り戻したご様子。

 いぬぬわんは床に下りると、自らあんよを曲げて仰向けに寝転んだ。


「こ、これは! 月冴さんに服従のポーズだ!」


 定かにあらず。犬の気持ち、知らないし。


「あなた、矜持はないのかしら? けれど、利口な判断じゃない。誰がご主人様か、ハッキリ理解したようね」

「いや、この子は月冴さんのペットにならないけど」

「ふん、当たり前でしょ。別に、飼いたいなんてちっとも思ってないんだからね」


 月冴さんは真剣な面持ちで、いぬぬわんのお腹をわしゃわしゃまさぐった。


「いぬぬわんっ」

「……かわいい」


 今生の別れを控えているかのごとく、名残惜しそうに見つめた。

 後ろ髪を引かれるとはこのことか。僕が引っ張った瞬間、ぶち転がされちゃう。


「ごめんなさい。わたしは、プー太郎って下僕の面倒を見なければいけないの。あなたを飼う余裕はないわ」

「下僕はペットじゃないよー。あと、僕はサブスク型のバイトです」


 月冴さんの下へ、他のワンちゃんたちも集結していく。

 どうやら、犬見知りを克服した遊び相手と判断したらしい。


「まったく、我先にと駆け寄って来て。浅ましくも、わたしに戯れをねだるつもり? そこに並びなさい。興が乗ったわ」

「わんわんっ」

「きゃんきゃんっ」


 そして、満喫である。

 ウィンウィンな関係を見届けたちょうどその時。

 ――あたしの番はまだかな? 1人の時間、シェアしたいなぁ~。


 高陽田さんから写真付きのメッセージ。共有フォルダに入れときます。

 僕は、クライアントに了解の意を伝えた。


「一度、高陽田さんの所用に付き合ってくる。また何かあったら、呼んで」

「……」


 返事はない、自分の世界に入り浸っているようだ。

 高陽田さんが満足しているようで何よりです。

 入口に足を向けた僕に、ふと忍び寄る影。


「どっぐどっぐ!」

「いや、その鳴き声はおかしい。いぬぬわんって、鳴きなさい」


 世の中には、得体の知れないイッヌがたくさんいると思いました。

 それはとっても、ワンダフル。

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