第27話 憂鬱
《5章》
金曜日、早朝。
東京遠足につき、僕は普段より1時間早く起きなければならなかった。
親愛なる母上は、息子の自立心を促すために妹の弁当作りを一任している。
断じて、面倒事を押し付けたわけじゃない。先輩社畜として、ギリギリまで惰眠を貪りたいのである。社会と会社の厳しさを間接的に伝えたい親心のなせる業らしい。
……うるせぇぇーーっっ! ごたくはやめろ!
僕が非行に走った場合、真っ先に家庭環境が原因の一端になるだろう。
現代社会の闇が生み出した憎悪がぁ~、マスコミ様ってほんとこのネタ好きだよね。
文句を垂らしながら、弁当をやっつけた。
おかずは、卵焼き、タコさんウインナー、アスパラベーコン巻き、ロールキャベツ、から揚げ。昨晩の残りと冷食、あとはフライパンを軽く振る。
鮭フレークにごまとマヨネーズを和えて、海苔と共に白飯に乗せた。
「あとは、勝手に食べてくれ。お残しは許しまへんで~」
ゴミが増えるからね。食料廃棄、由々しき問題ですよ。
「プーちゃん、はよ~」
突如、妹がキッチンに現れた。眠り眼をこすりながら、冷蔵庫を物色する。
「楓子? 早起きなんて珍しいな。いつも自分で起きないのに」
「兄氏が頑張ってる気配を感じたよん。愛妹弁当を見るだけで、もうお腹いっぱいだぜ」
「え、愛で空腹は満たされないけど? 感動するなら、金をくれ」
「やれやれ、プーちゃんにはもっとロマンを抱いてほしいですなぁ~」
楓子は不満げな口で、野菜ジュースを一気飲みしていく。
クマさんスリッパをパカパカさせつつ、テーブルに腰を下ろした。
生意気にも朝食に、フレンチトースト・あんこクリームフルーツ添えを注文しやがった。
プレミアム会員と同じくらいわがままな小娘に、僕が食パンを投げつける寸前。
「そいや、兄者!」
「なんや、妹者!」
結局、サンドイッチで妥協した楓子。
当然、作ったのは僕。
大きい要求の後、小さい要求をのませるテク。ドアインザフェイスだっけ?
断った罪悪感は全然生じないけど、ビジネス用語が染みついた己に絶望感を覚えた。
「昨日、ノートパソコンが壊れました。起動しないぜ」
「へー」
「何もしてないのに! 壊れました!」
「いや、その理屈はおかしい」
楓子が今思い出した言わんばかりに、ハッとした。
「私はまだ、なんやかんや誕生日プレゼント貰ってないよん。あ、そういえば! 妹に優しくてチョロ――頼りがいしかないプーちゃんが、品物を決めかねているご様子じゃないですか。うんうん、怪しげなバイトで多忙な兄のためにも、僭越ながら謹んで! 一体全体、私が早々に提案する以外の選択があるだろうか! いや、ナッシングッ」
「買わない以外の選択肢が」
「ナッシングッ」
バンッとテーブルを叩いて。
「ノートパソコンは望みません。タブレットPCでオーケー。そう、アイパッド!」
「アイパッドぉ~? でも、お高いんでしょ?」
「分割払いできるから!」
市場価格をスマホで調べると、楓子が所望したアイパッドはキュキュッパ。
9980円? 否、99980円である。
「中古のエントリーモデルは、半額だな」
「容量とか性能を考えて、こちらの商品の方がお買い得ですぜ。長期間の使用を見越した判断でさあ、だんな」
言わんとすることは理解できる。長持ちするなら、結果的にお得な買い物。
僕は即買いだっただろう。何もしないでノーパソを壊した奴の口車でなければ。
「他社ブランドを考慮すれば、やっぱり半額の類似、」
「アイパッドがいいアイパッドがいいアイパッドがいいアイパッドがいい――」
しまいには、床でゴロゴロとごね始めた我が愚妹。
学校では、愛嬌がある子。凛とし姿勢がかっこいいと評判の女子。
その実態が……コレなのか。何もしない人を以てしても、悲しいね。
ツナヨシトクガワが、妹類憐みの令を発行したのも頷ける。違うね。
ちらりと、時計を確認した。そろそろ出発しなければ、遅刻してしまう。
僕が遅刻したところで誰も気付かない。集合しようが出席扱いを受けられない。
普段なら楽観的に構えたものの、月冴さんと高陽田さんを待たせたくない。あと、真の相棒・裏方くん。
あの2人、妙にそりが合わないようだ。
何もしたくない人が、ケンカ予防にクライアントの間に入るしかあるまい。
何もしない人を言い間違える程度に、辟易ついでに焦っていた。
「小学生の頃、同じ振る舞いをトイザらスで披露した楓子や。僕のクリスマスプレゼントを犠牲に、着せ替え人形を買ってもらった楓子や」
「およ、まだ部屋に飾ってあるよん。あの時、私はネゴシエイトに目覚めたのさ」
「そういう問題じゃねえ!」
深くため息をこぼした後。
「僕に残された時間は僅かゆえ手短に。アイパッド、買ってやろう」
「流石、プーちゃん! すげーよ、兄ピッピは」
「ただし! 誕生日、クリスマス、正月、一生のお願い、諸々込みだ! しばらく、僕にたかる行為を一切禁ずる! 予算オーバーがすぎるぞ」
SE、ドシャーンッ!
楓子の背後に、落雷が落ちた、そんな衝撃。
「ひ、ひどい……っ! なんて残酷な兄君、私の年4回の楽しみを奪うの!?」
滂沱の涙が洪水を呼び、嵐のような嗚咽が響いた。
「ちゃっかり一生のお願いを毎年行使する強欲は誰だ?」
「ひゅーひゅー」
視線は定まらず、下手な口笛だった。
「今度、頼みごとをする場合、ともだちレンタルを利用しなさい。何もしない人の指名料、一番安いぞ?」
「むぅ~、プーちゃんのバカぁ! あほんだら! チンチクリン!」
プーっと頬を膨らませた、プー子。
僕の妹とは信じられないくらい、むくれ顔も可愛い。
いやさ、彼女の兄としてスペックを満たせないこちらが異常なのか。
「二度寝、するなよ」
異端審問会に諮られたくないので、僕は早々に玄関へ移った。
ドアを閉める直前、見送りがやって来た。
「プーちゃん、いってらっさい! 六花さんに、よろしくしてねー」
「よろしくできるほど、僕は何もしないだろ」
役に立てー、と楓子に念押しされた。
役には立たず、基本突っ立てるだけ。それがプー太郎と呼ばれる所以。
今日は長い1日になりそうだ。
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