第19話 焼きそば

 月冴さんが暮らすマンションは、駅から徒歩5分の距離。

 すごく、大きいです……控えめに言って、リッチなお金持ちの住処だ。

 重複はさておき、エントランスに噴水があった。大理石の床はピカピカで眩しい。

 8階の角部屋。月冴さんがカギを取り出した。


「今はここに住んでるわ。入って」

「お邪魔します」


 戦々恐々。虎穴に入らずんば虎子を得ず。

 ダンジョンの最奥を目指す気概で、僕は月冴さんの後に続いた。

 仮に異世界転生しても、お宝欲しさにモンスターが跳梁跋扈するダンジョンに潜りたくない。危ないでしょ、死んじゃうよ?


 長い廊下を歩く途中、ロボット掃除機とすれ違った。

 ピピピと反応。僕の足へ、執拗に悪質タックルをかましていた。


「!?」


 否、僕は驚愕していた。ゴミ扱いされたことが悲しい? いや、違う。

 ――お前は僕を認識しているのか?

 我が人生、これまで幾度となく機械のセンサーがすっとぼけてきた。


 存在を認められた気がする。高度に発展した科学は魔法と見分けがつかない。

 気付けば、僕は膝をついてロボット掃除機に触れていた。


「僕は今、ここにいる!」

「あんた、何してるのよ。きも」


 ナチュラルに侮蔑の眼差しだった。

 僕は、嫌々ながらリビングに通してもらう。

 高級マンションに相応しい広々とした空間。


 アンティーク調のシャンデリアが、シックな黒で統一された家具を照らしている。

 モデルルームのパンフレットに載っていそうなコーディネートだった。


「当たり。家具付きでそのままだから」

「でも、お高いんでしょう?」

「女子校生の一人暮らしには過ぎた部屋よね」

「ん?」


 僕が聞き返すと、月冴さんは自室へ引っ込んでしまった。

 一人暮らし? この部屋で? 3LDKは飾りか? 家族4人とワンちゃん、成功者のみが体現を許される理想的なファミリーはここに住んでいない?


 訳あり、か。

 何度も申したが、本人が言わない事案は干渉しない。何もしない人、冷たいよね。

 冷蔵庫を開けていいと言われたので飲物を探した。


「綺麗に陳列されてて、うちとは大違いだな」


 高そうなチーズ、生ハム、ミックスナッツ。成城石井が贔屓らしい。

 ワインはなかったと安堵しつつ、ジンジャエールを頂戴する。

 僕は、光沢感溢れる黒塗りのテーブルの席に着いた。精緻なガラス細工のグラスにジンジャーエールを注ぎ、優雅に足を組んでみる。細かい炭酸粒を見上げるや。


「貴族の戯れに乾杯」

「部屋で妄言垂れ流さないでくれる?」


 ラフな格好に着替えて戻ってきた、月冴さん。


「なぜ、庶民の気持ちが分からないんだ。何だ、生姜10倍って。僕が普段飲んでるジンジャーは何じゃーっ!」

「知らないわよ、砂糖水でしょ。あと、お金持ってるのは父親で、わたしじゃないから」


 月冴さんはすまし顔のまま、キッチンへ向かっていく。

 ショッピングバッグから買った品を取り出して、調理道具の準備も済ませた。


「さっそく料理する?」

「えぇ、速やかに」

「僕は?」

「あんたは黙って待ってなさい。働きたくないから、プー太郎でしょ」


 働きたくないのは心情であって、由来は――以下略。

 月冴さんがロングヘアーをポニーテールに結い上げ、エプロンを装着。

 僕は、その姿をじっと見つめていた。目が離せなかった。


「なによ、じろじろ見ないでちょうだい。気が散るんだけど」

「可愛い」

「は?」

「いや、その、つい本音がポロリしちゃったというか、あはは……」


 うだつが上がらないサラリーマンよろしく、僕は乾いた笑みを浮かべた。

 月冴さんのエプロンスタイルが似合っていたのだ。他意はない。


「ふ、ふーん? わたしが可愛いのは当たり前だけど、あんたもお世辞が言える社交性を身に着けていたわけねっ。発揮する機会が巡ってきて良かったじゃない」


 月冴さんは焼きそばに視線を落としたまま、ポニーテールを徐に弄り始める。


「料理するから。あっちでじっとしてなさい」

「御意」


 マズったなと焦りつつ、僕はシャンパングラスを傾けることにした。

 観葉植物を観賞してリラックス効果を試みる。オリエンタルな香りに鼻を塞いだ。

 キッチンの方を窺えば、月冴さんがテキパキ動いている。


 シャキシャキとキャベツを切る音やジュージューとフライパンで焼く音が響いた。

 ようつべでASMRの動画を検索すると出てきそうだ。

 何もしないは唯一の得意技ゆえ、ぼぉ~っと10分経過する。

 ガクチカ(学生の頃力を入れたこと)は、時間跳躍と答えよう。


「プー太郎、食器並べて」

「了解」


 テーブルクロスを敷き、箸や皿を並べていく。

 付け合わせのサラダを盛りつけ、麦ティーをグラスに注いだ。

 月冴さんお手製の焼きそばを受け取り、往年の日曜ランチタイムを再現した。


 焼けたソースの甘い匂いが漂ってくる。鰹節がパラパラ躍り、青のりのアクセント。

 僕は食欲がそそられ、割り箸を綺麗に真っ二つに折った。


「いただきます」

「待って」


 グゥ~と腹の虫が抗議した。


「おまけよ」


 月冴さんが、背後に隠していたフライパンを取り出すと。

 僕の焼きそばのてっぺんに、黄金色眩しい目玉焼きを落とした。


「一応お客だし、もてなしてあげる」

「月冴さんが優しい人に見える!」

「は? 焼き、入れてあげましょうか?」


 そして、脅迫である。フライ返しで喉元狙うの、やめて。

 縮こまった僕は、麺が縮こまる前に焼きそばをご賞味した。


「どうなの?」


 一転、不安そうに月冴さんが尋ねる。

 自分のものには一切手を付けず、僕の感想を待っていた。


「麺はモチモチ、キャベツともやしはしんなりしてて、食感が良い。ソースと半熟卵が絡んだ豚肉の油がたまらない。魚粉のコクは、焼きそばの味のバランスを引き締めている」


 グルメマンガじゃないけれどレビュー調。究極か、至高か。どっちでもいいと思う。

 畢竟。


「すごく美味しいっ」


 感想など述べてる場合か。

 僕は競争でもないのに、焼きそばを口へ運んでいく。食す。食べる。食らい付いた!


「そんなにがっつく必要ないでしょ。朝食、食べてないわけ?」

「食べたよ。材料はほとんど同じなのに、おふくろの味の10倍美味しいのが謎なんだっ。美人な女子が作ったから? 月冴さんの手料理だからか?」

「……っ!?」


 月冴さんが急に、頬を紅潮させた。暑いのか、麦茶を一気飲み。

 ひょっとして、僕また何か言っちゃいました? 普通の感想しか言ってないね。


「プー太郎、おかわりは要るの? 要るでしょ、要るわよね!」

「う、うん。貰います」


 鬼気迫る譲渡だった。奪われる側じゃないのが不思議である。

 まだ手を付けていないもう一方のお皿を手渡された。焼きそばの湯気が揺れる。


「これじゃあ、月冴さんの分がなくなるよ」

「別に、問題ないわ」

「僕だけ食べるのはちょっと具合が悪いな。何分、気が小さいものでして」

「言い訳だけは達者ね」


 深いため息を吐いた、月冴さん。


「一度しか言わないから清聴なさい。あんたが全部食べた方が作った甲斐があるのよ。そんなことも分からないわけ?」


 プイっと頬杖を突きながら、依頼人は僕が気になっていた件を紐解いていく。


「……わたし、小さい頃は何でもできる子だったわ。両親や周囲の大人に、六花ちゃんは1人でできて偉いってよく褒められてたの。子供ながら、それくらい誰にでもできる、できない方が理解できないって冷めていたものよ」

「月冴さんの幼嬢時代? 前にも言ったけど、僕は依頼人の過去を詮索する気は、」

「黙って聞きなさい」

「御意」


 仕事ならば、仕方がない。働きたくはない今日この頃。やっぱり、常日頃。


「今振り返ると、嫌な性格だったわ。自分は言われたことをすぐにこなして、手間取る相手を眺めては愉悦に浸る。人間観察が趣味と嘯く小学生、ろくな大人にならないでしょ?」


 月冴さんが、ちらりと僕の様子を覗いた。

 何もしない人もまた、何でもできた人を覗いていた。


「1人で何でもできたから、1人で良いと思った。プライドばかり膨れ上がり、気付いた時には独りぼっち。それがわたしの評判――近寄る者を拒み寄せ付けない、孤高に咲いた一輪の花とやらの正体よ」


 フッと唇を歪ませて。


「お笑い種ね。やる気の低下と共に、才能は人並みに劣化を辿ったわ。結局のところ、ただ恥ずかしくて、輪に入れてが言えなかった傲慢な者の末路よ。失笑を禁じ得ない」

「月冴さんは自分に厳しいね。あ、僕にも当たりが強いっけ」


 人付き合いの話は苦手だ。理解も共感も、僕には程遠いゆえ。

 攻撃される方が楽だと油断していると。


「事情に違いこそあれ、プー太郎も独りぼっちで仲間だと思ったの。けど、ちゃんとコミュニティーに属していたわ。その一点において、あんたはわたしより優れている」


 月冴さんが、真っ直ぐ僕を見据えた。強い意思が宿った瞳は、獲物を逃がさない。


「そんなわけないって。あなたは、僕のような風が吹けば飛ばされる存在を気にかけてくれた。その優しさは、傲慢な奴じゃけっして持ち合わせていないものだ」

「ごたくは結構よ。わたしのつまらない過去をつまびらかにした以上、プー太郎のバックグラウンドを明かしなさい。なぜ、友達がいないくせに友達の真似事をするのか? そのモチベーション、教えてちょうだい」


 月冴さんは、僕の行動原理に疑念を持っていたらしい。

 自分語りは好きじゃないけれど、先方の要望ならば極力叶えよう。


「僕が人材派遣部に入った理由は、ただの偶然で特に意味はないよ。いや……そんな睨まないで、ちゃんと話すから。二年前、初代部長が<ねこのて>の前身組織を設立したけど、何でも屋を名乗るわりに人手不足でアレコレできないって問題を抱えていたんだ。そこで初代は、人材派遣の人材確保に奔走したらしい」


 僕は、お茶を一口飲んだ。


「多岐に渡るメンバーを募集中、ともだちレンタルを開拓することになって、明るい親友役以外に、一人でいることを誤魔化すカカシ役のスカウトも閃いたんだって」


 何もしない人のパッケージは、初代部長が着想したのである。


「で、熊野風太郎のターン。僕は、中二の頃に引っ越しで人間関係がリセット。前の学校でそこそこ面白い奴と自負してたのに、今度は周囲と価値観が合わなくてさ。全然仲良くなれず、友達作りに難航。あっという間に、ちっぽけな存在感が風前の灯火。転校デビュー失敗でぼっちルートへ。まあ、1人でも構わないと諦めた途端、初代部長に声をかけられたんだ」


 突然、何の面識もない上級生が教室にやって来てビビったなあ。


「何もしなくていいからついて来いと拉致されて、何度も連れ回されたんだ。最初は面倒だったけど、次第に気が楽になっていく自分に気付いた時は負けを認めた。傍に誰かいるだけで充分だって。それから、要求されたんだ。次は君の番、お勤めしてねと」


 以上が、門外不出の何もしない人誕生秘話。

 誰も興味がなさすぎて、国家機密より秘められております。

 僕は通常営業時、一か月分の会話を発して喉がすでに限界だった。


「こんな、感じです」

「ふーん、話が長くて退屈だったわ」

「僕にトーク力を期待されてもさ。馬の耳に念仏唱えて、釈迦に説法させる難易度だ」

「あっそ。プー太郎のルーツじゃなければ、聞き流したところよ」


 テーブルを指で弾いた、月冴さん。


「あんたは、初代部長って人に救われた。そして、感謝してると」

「一応」

「恩返しの意味で、その人が作った組織の下僕になったわけ?」

「大体、合ってる。それでも働いた分はお金貰うんで、社畜かな」


 いかんせん、仲介手数料やら設備投資費と銘打って報酬を中抜きされている。

 下請けイジメ、許せません! 恩人、いつでも訴えます!

 僕が、並々ならぬ決意を燃やしていると。


「……プー太郎がともだちレンタルを始めた理由。わたしも間接的に救われたのね。初代部長さんに感謝するべきかしら」

「え、何だって?」


 ギャラの額を思い出して憤慨するや、クライアントの言葉を聞き漏らした。

 鈍感アピールを踏襲するも、ラブコメ主人公じゃないので単に耳が遠いだけだね。


「ふん、自分の胸に手を当ててみれば?」


 月冴さんは、不満そうに目を細めつつ。


「ちなみに、初代部長って女子なわけ?」

「女子。カリスマ系美人。ファンがたくさんいて、僕は末席を汚している」

「は? 何それ、きも」


 ゼロコンマ一秒、驚愕の反応速度だった。レスポンスがきてます。


「月冴さん! 訂正するんだ! あの人がキモいだなんてッ」

「あんたに決まってるでしょ」

「だと思った! ふぅ~、良かった」


 そっと胸を撫で下ろした、僕。全然良くないね。


「その女の色香に騙されて、コロッと従順な犬に成り下がって情けなくないの? 羞恥心で死にたくなるでしょ? 尊厳死を選びなさい」

「ちゃっかり死刑宣告やめて。僕、プライドがないのが唯一のプライドさ」


 それが矜持である。

 月冴さんは淡々と、僕の目前にある焼きそばを自分の元へスライドさせた。


「あ、僕の焼きそばがっ」

「わたし、極めてくだらない戯言を聞かされてお腹が空いたの。この怒り、伝わった?」

「イエッサー」


 元より、月冴さんの分だしお食べください。

 焼きそばをやけ食いする依頼人に、僕は珍しい光景だと眺めるついでに呟いた。


「初代部長は綺麗な人だったけど、月冴さんも洗練されてるなあ……月下美人、か」

「……っ、ごほっ!?」


 ゴッホ? 代表作と言えば、ひまわり?

 僕は、むせ返る月冴さんに麦茶のおかわりを注いでいく。


「どうしたの急に?」

「それはわたしのセリフでしょっ。急に、変なこと言わないでちょうだいっ」

「変なことって?」


 僕が首を傾げるや、月冴さんは目元をテッシュで押さえた。


「……月下美人」

「誉め言葉のつもりだけど、おかしかった?」


 月冴さんが、耐え忍ぶようにプルプルと身体を揺らすと弛緩させた。


「ふん、もういい。プー太郎に情緒の機微を推し量れなんて無理な注文よね」

「心理学は専攻してないので全然ダメです!」


 得意げな僕に、月冴さんは肩を落とすばかり。

 それから、先方が焼きそばを完食する。

 ご期待のチョコエッグをデザートに頂き例のブツが姿を現した。主役の子と奇声を発するうさぎのフィギュアが出てきて、依頼人は満足そうだった。


 しばらくの間、何もしない人は押し黙る。勝手に消えるなと怒られた。いるよー。

ぽつぽつとお小言を受け取り、今日はとりあえず解散する運びとなった。

 月冴さんは、玄関まで見送りにやって来て。


「プー太郎、明日のスケジュールは?」

「明日は、いろいろと予定が立て込んでまして」

「暇でしょ」

「うい」


 皆々様、僕を永世暇人だと断定するきらいがある。心外だ、残酷な真実なんて。

 コホンとわざとらしい咳をした、月冴さん。


「今度は、夕食に付き合いなさい。焼きそばより手の込んだものを食べさせてあげるわ」

「え、そんな依頼で大丈夫? プレミアム会員だよ?」

「わたしの料理の腕を軽んじられたら困るもの。勘違いしないでよね、別にあんたと一緒にホームパーティーを体験するつもりはないんだからね」


 ホームパーティー、やりたいらしい。クラッカーとコスプレ衣装、用意しなくちゃ。

 全身タイツでリアル黒子を演じようか悩んでいれば。


「今日は一応楽しかったわ。及第点ね」

「次も合格できるよう頑張るよ」

「プー太郎は、わたしを楽しませる義務があるでしょ。期待しないで待ってるわ」


 月冴さんが僅かに手を振るや、僕は帰路に就くのであった。

 マンションを出た頃合い、ふと思い至る。

 孤高の存在と畏怖された、月冴さん。


 その正体は、虚勢を張って撤回できなくなった孤独に苛まれる女子。

 近づく者を拒むのではなく、接し方が分からなくなってしまっただけらしい。

 本人が原因を認識しているなら、解決できる糸口はあるだろう。

 他人の力を借りても良い。彼女がそれを頼めるならば。


 ちなみに、何もしない人は誰も助けられない。何もしないから。

 否、仮に救いの手を差し伸べようとも失敗する。自信があった。

 主人公補正がない分際で出しゃばると必ず痛い目に合う。

 しっぺ返しが僕以外に向かってしまえば、申し訳が立たない。


 ラブコメの主役がいくら平凡を自称しても必ず成功するのは、台本もといプロットに成功の二文字が記されているからに過ぎない。彼らの努力アピールは目くらましである。


 ゆえに、持たざる者はきっかけを探す他あるまい。

 月冴六花が再び、舞台上のスポットライトを浴びるチャンスを。

 僕の存在を認めてくれる人は、輝かしい未来に幸あれと願うばかりだ。

 やれやれ、承認欲求とは些か制御しがたいものである。

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