第16話 スタバ

 休日の午前時。

 最寄り駅のロータリーに着くと、待ち合わせの人々がひしめき合っていた。

 今から都会へ繰り出そうとする若者や、オバチャンたちの姦しい声が響き渡る。

 部活で遠征らしいジャージーズの集団を避けて、駅ビルの通路に目を凝らせば。


「月冴さん」


 美人が支柱に寄りかかっていた。


「……?」


 きょろきょろと周囲を窺う月冴さん。

 一応、正面から声をかけたつもりなんですが……はい、気付きませんか。

 自動ドアや検温機、改札も認識を誤る程度の存在力。それが僕たる所以さ。


 数メートルの距離を惜しむな、目前まで近付け。接近戦に持ち込むんだ!

 内心、謎のバトル展開を繰り広げていく。


「月冴さん」

「……っ!? きゃっ」


 月冴さんは、変質者に遭遇したようにビクッと目をつむってしまう。

 おそるおそる目を開けば、そこにはモブの姿が現れた。


「あんたっ、プー太郎!」

「風太郎です」

「そんなことはどうでもいいでしょ。急に現れて、心臓に悪いじゃない!」

「いやいや、よくある事案なんで、先に声かけしてから声かけしたよ」


 これから声をかけますよ~と呼んだのだ。

 二度手間じゃないか? しかし僕の場合、全く無駄じゃない。


「あんたはほんと、一瞬見失うと消えるわね。探す方の身になりなさい」

「いやあ、背景に埋もれるのが得意なもんで」


 証明写真を撮るや、たまにいない者と証明される。悲しいね。


「わたし、電車の往来を眺めに来たわけじゃないんだけど」

「待たせちゃってすいません。妹の朝食作ってました」


 時計をチラリズムすると、約束の10分前である。

 遅れたら怒られそうだし、早出したのに怒られた。

 ふと、疑問が沸き上がる。


「月冴さん、もしかして待ち合わせの時刻間違えてない? 今、9時50分だし、その様子だと30分くらい前に到着した感じ?」

「……っ」


 月冴さんの鋭い目つきが泳いだ。


「まさか、今日のともだちレンタルを心待ちに、」

「は? 別に楽しみで早く起きたとか、早く出発したとかそんなことあるわけないでしょ。調子に乗らないでよねっ」

「あ、そうなんだ」


 僕がラブコメ主人公だったら、一体どうして怒ってるんだぁ~? 女心、わけわけめ。

 などと、鈍感アピールを仕掛ける場面である。

 しかし、僕はどこにでもいるようなごくごく普通な脇役だ。誠実に対応しよう。


「当然、ただ用事を済ませたいから僕を招集した。御意、絶対に勘違いしないから!」

「……ふん。うざ」


 なぜかそっぽを向いてしまう月冴さん。

 僕は、あれと困惑するばかり。


 しょーもない鈍感ピールを回避したのに、依頼主はご機嫌斜め。女心、わけわかめ。

 初っ端からマズい対応だった。お客様満足度を向上しなくては。


「つ、月冴さんっ」

「なによ」

「今日の私服なんだけどさ、そのひらひらした羽織り、すごく似合ってる」


 月冴さんは、ノースリーブのブラウスにデニムのショートパンツを合わせている。  

 その上に、黒色のシースルーのロングカーディガンを纏っていた。

 透け具合がすごく大人でした。いと、セクシー。


「ふーん? 他には?」


 月冴さんが、長い黒髪を指で弄ぶ。ついで、こちらの様子を横目で見た。


「あ~と~はぁ~」


 考える人並みに考えた、僕。


「ブーツスタイルかっこいい! 綺麗で長い脚がより美しく映えてる!」

「あんたって、いつも人の脚ばかり見てるわね。きも」


 SE、ガーンッ!

 つい本音が。セクハラ案件だ。政治家よろしく撤回しますでご勘弁を。


「プー太郎に褒められても全然嬉しくないけど、賛辞は受け取ってあげる」

「え、訴えない? ふぅ、危なかった……ところで、なぜ後ろ向きなの?」


 いつの間にか、支柱側に目線を向ける月冴さん。プルプル震えていた。

 僕が少し待っていると、彼女は大きく息を吐いて振り返った。


「特に意味はないわ。くしゃみが出そうになっただけ」

「あれ、顔が赤いけど平気?」

「赤くないから。プー太郎は黙って付いてきなさいっ、役目でしょ」


 頬を紅潮させながら一喝した月冴さんは、この場から足早に離れていく。

 月冴さんは意外と、褒められるのが苦手なのかもしれない。

 僕みたいな路傍の石の声なき声に過敏な反応を取るとは、何ゆえか。


 おそらく、小さい頃から美辞麗句を散々積み上げられた人だろうに。不思議だね。

 クライアントの指示が出た以上、僕は後を追いかける。


「プー太郎?」

「ちゃんといます」

「あんたさ、後ろで黙ってたら気配を感じなくなるわけ。勝手に消えないでちょうだい」

「……気を付けます」


 そして、理不尽である。

 線路沿いを歩いて、信号を超えた先に目的地が視界に入った。

 シアトル発祥の有名なコーヒーチェーン店。今日もロゴが緑色。


 一応、リア充でも意識高いわけでもない僕でさえ、幾度か入店経験がある。

 それくらいメジャーなコーヒーショップで、スターなバックスだ。


「ここよ」

「ここか」


 月冴さんが立ち止まった。


「今日は、この店を利用するわ」

「なるほど」


 僕は、月冴さんの隣に並んだ。


「それで、スタバで何をするつもり?」

「コーヒーを飲むに決まってるでしょ。プー太郎は抹茶ラテが飲みたいわけ?」

「いやいや、コーヒーを買うのはもちろん分かるよ。それで! 何をするつもり?」

「あんた……わたしの話を聞き流すなんて良い度胸ね」


 眼光鋭き月冴さん。

 妙に会話が成り立っていな気がする。さてはループもの?


「一応確認するけど、最初の依頼はスタバに同行すること。月冴さんが、コーヒーを嗜みながらパソコンで作業したり、読書するのが目的だと思ってた」


 一から説明せんとできんのか! ったく、これだから最近のワカモンは……

 心中、パワハラおじさんが騒ぎ立てた。


「僕は、その隣でマネキンになる予定だったわけで。スペース確保要員的な?」


 テーブル席を使いたいものの、1人で独占するのは気が引けちゃう。

 でも、2人で利用すれば心理的にもギリセーフ! なのかと。

 いやはや、長時間居座る時点で超絶迷惑という真実から目を逸らしつつ。

 お店の回転率について思考を巡らせるや、月冴さんが顎に手を当てていた。


「それは盲点だったわ」

「え」

「プー太郎のくせに、慧眼じゃない」

「え!?」


 そして、驚愕である。

 どうも雲行きが怪しい。今日は大変な一日になりそうだ。額から汗が一筋伝う。

 今まで数々のともだちレンタルをこなしたベテランの勘がそう告げている。


 ――オメーは、期間がなげえだけだろうがぁぁあああーーっっ! 死ぬ気で働けや!

 まるで、部長の声が木霊した。耳鳴りだね。


 幻聴はさておき、僕はクライアントと共にスタバへ入っていく。

 甘い香りとほろ苦い香りが鼻孔をくすぐった。

 店内は、明るい照明が木目調のテーブルを照らしている。ショーケースにスコーンやサンドイッチが並び、レジ奥にはコーヒーメーカーや器材が用意されていた。


「まあまあね」


 月冴さんが腕を組んで頷いた。


「お次のお客様ぁ~」


 レジスタッフが、入り口で立ち止まる僕たちに声をかけた。


「先に注文どうぞ」

「えぇ……そのつもりよっ。大丈夫、わたしはできる!」

「できる?」


 様子がおかしい。月冴さんはもっとこう、強気で冷徹なお方のはず。

 彼女は焦燥感を滲ませた様相で、エプロンの人とレジにて対峙した。


「こ、コーヒー1つ」

「はいこちら、ドリップ、カフェ、コールドブリューをご用意できますが、如何なさいますか?」

「……っ!?」

「お客様?」


 コーヒーを注文したら、知らないワードを連呼されテンパる。共感できます。


「普通のやつで……」

「ドリップコーヒーですね。サイズはお決まりですか?」


 刹那、僕は反射的にレジへ駆け寄った。

 ――いかんっ! スタバの罠だ!

 世界がスローモーションに支配される中、依頼人を助けようと手を伸ばした。

 否、現実は非情である。


「Sでいいです、スモールで! お願いしますっ」

「スモール……? はい、ショートサイズのことですね! かしこまりましたっ」

「……っ!」


 不可視の衝撃を受けてふらふらと後ずさった、月冴さん。

 当事者には、エプロンの人の笑顔がひどく嘲笑に見えたことだろう。


 加えて、窓際席でマックブックエアーをタンターンッする大学生や、限定スイーツの撮影に夢中な女性たちが一斉に振り返ったのだから。やだあの子、プークスクスと。


 それはかつて、背伸びした僕も通った道である。

 崩れ落ちそうな月冴さんを支えるも、彼女は僕の存在を察知する余裕がないらしい。


「失敗した失敗した失敗した……」


 虚しいうわ言が繰り返された。


「お連れのお客様はご注文お決まりでしょうか?」

「あ、はい。マンゴーパッションティーキャラメルマキアートモカクリームフラペチーノ。サイズはトールで」

「かしこまりました! お呼びいたしますので、受け取りカウンターまでお願いします」


 かくして、おそらく月冴さんのスタバデビューは見事に失敗するのだった。

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