第13話 たき火
日は暮れ、バチバチと火花が爆ぜる。
月の光とランタンのLEDな輝き。
原初の温もりたる炎の明るさ。
三位一体、幻想的な光彩とはこのことか。
若干おセンチになりつつ、僕は結構感動していた。
「熊野くん、大変! こぼれちゃうっ」
ホットサンドにごちゃ混ぜシチューの夕食後、高陽田さんは別腹タイムを満喫中。
溶け始めて、びよ~んと伸びたマシュマロに苦戦していた。
図らずも、高陽田さんの綺麗な唇から白くネバついたものが垂れてしまう。
偶然たまたま、凝視していた僕。他意はない。
「あちちっ、冷まさないとダメだったね」
「とりあえず、これで拭きなよ」
買い物バッグからキッチンペーパーを取り出す。
「ん~?」
「ん?」
高陽田さんが真顔で静止したため、僕は首を傾げるばかり。
隣に座っていた彼女は、僕の方へ顔を突き出して。
「ふ~いてぇ~」
「えぇっ!?」
「今、手が離せないし、しょうがないよねっ」
両手にマシュマロを刺した串を携え、なぜか得意げな高陽田さん。
ドヤ顔ダブルソード、マシュマロフォームと名付けよう。
「いやいや、僕何もしない人だから……」
「あたし、プレミアム会員だよね? せっかくのリクエスト、無視されるのかぁ~」
「権力の行使!」
誠に遺憾ながら、ともだちレンタルは依頼人の注文に応えて報酬を頂く。
無茶なオーダー、仕事は死んでも離すな。資本主義の本質。その闇を味わったね。
「高陽田さんがやれと言うなら、やるけど……あとでセクハラ案件にならない?」
「多分、大丈夫。きっとねっ」
大変良い返事でした。安心かもしれない、だろう。
悪戯心が宿った瞳を気になるものの、僕は深く息を吐いていく。
そもそも、女子と2人きりの空間自体居心地が悪い。あ、言っちゃった。
理由は、僕が場を盛り上げられないから。
あれができれば、あれが言えれば良かった。後悔、先にも後にも立たず。
高陽田さんは可憐な女子だが、美少女レベルが高いほどリスクは跳ね上がるのだ。
さぁ、楽しませてみせろ。さもなくば。
お前は取るに足らないつまらない奴だと、厳しい現実を自覚させられるのである。
僕は、極めてリアルな幻覚を振り払うや。
「し、失礼します」
恐る恐る白い粘りに狙いを定めて、依頼人の唇を拭っていく。
極力触れないように努めたものの、ペーパー越しに柔らかい感触が伝わった。
一言で表せば、生。
僕にも口は付いているのに、同じものとは思えないプルプル加減である。
扇情的なモヤモヤを打ち払わんと、解脱の域を志した。煩悩退散、カァーッ。
「むむむぅ~!?」
気付けば、高陽田さんの唇をゴシゴシと拭いていた。むしろ、掃除だった。
「熊野くん! もう、大丈夫だからっ。そんなに激しく擦っちゃダメぇ~!?」
「平常心、平常心、平常心、荒ぶる感情、静まりたまえ――ふぁっ!?」
刹那、僕は正気に戻った。
口元を指先で押さえ、肩で呼吸をする高陽田さん。
「高陽田さん、ごめん! 僕は……何という蛮行をッ」
初手、土下座。
僕の唯一の矜持は、プライドの無さ。
一拍の沈黙が何時間にも延長された感覚に支配されていく。幻術か?
「顔を上げて。別に怒ってないよ」
天啓、下る。
平伏する僕が声に導かれると、闇に包まれた世界に一筋の光明が差した。
高陽田さんの笑顔だ。
「熊野くんは先に失礼するって言ったもんね。けど、本当にやっちゃうパターンは予想外だったかな?」
「有言実行が仇になってしまった。やはり、何もしない人が余計なことをしては、」
「こらっ、言い訳しない」
高陽田さんが、ムムムと眉根を寄せて。
「すごく強引だったね……えっち」
「いや、純情な男子をからかったのは高陽田さんの方だから、えっちはそっち」
「えぇ~、あたしは清純だよ? この素直さ、伝わらないかな?」
「僕のピュアハートが弄ばれてしまった。もう、誰も信じられない」
誰にも汚されたことなかったのに! 穢されたことなかったのに!
これじゃあ、お婿に行けない……あ、元々行けませんでした。結婚、無理。
「ごめんねぇ~。お互い、傷ついたってことでおあいこにしよっか」
「痛み分けね、分かった」
徐に、握手を交わした。仲直りの契りかい?
そして、手打ちである。
高陽田さんはスンと大人しくなり、たき火に新しい薪をくべていく。
火が勢い良く踊るにつれて、彼女の可愛らしい姿が陽炎のごとく揺らめいた。
しかし、その容貌は先ほどと打って変わり冷めているように映った。
「あたし、キャンプファイヤーの炎って好きだなぁ~。バチバチって音が落ち着くよね」
僕もたき火の熱に浮かされることなく、普段のローテンションに戻ったところで。
「誰にも邪魔されない時間だから?」
「そうかも」
「ともだちレンタルの目的は、1人の時間を満喫したいだったっけ。いつも周りにたくさん人がいて、楽しそうに見えたけど?」
「楽しそうにしてたからね」
両手で顔を支えながら、高陽田さんがほくそ笑んだ。
「実際、苦痛なわけじゃないんだ。皆に頼られて、愛想良く気配りして、上手に付き合うの。昔から得意だから。でも、大変だったり、誰にも干渉されたくない時間が欲しくなるのも事実」
キャンプを囲う炎を見つめたまま。
「あたし今、何枚仮面を被ってたかな? くっ付けすぎて、外れないかも」
「あの、高陽田さん? そういう胸の内は秘めておいた方がいいよ。どこにあなたを人気者の座から引きずり下ろそうとする輩が潜んでいるか分からないし」
「それは大変。あたしのポジション、必死に守らないとなぁ~」
やる気を感じない生返事が炎に飲み込まれていく。
「……結局、自分は何をしたいのか決められないのが問題だね」
「たいていの人間はそうだと思うよ。本当にやりたいことなんて、そうそう見つからない。自分を欺いて続けて、誤魔化して納得する。人生流れゆく先は何処か」
僕は、すでに諦めている。向上心の欠片もないと通知表に記されるくらいには。
しかし、先方の場合は勝手が違った。
「高陽田さんが弱音を漏らすのは意外だった。いつも相談される姿が目立つし」
「ふふ、熊野くんには愚痴っても問題ないかなって。影響力、ないんでしょう?」
「もちろん、それが僕の本領。悩みを聞くのは得意だ。聞くだけね」
解決できないの? はい、できません。セルフサービスでお願いします。
解決してほしいヒロインは、ヒーローに救われてください。モブ一同、今後ますますの発展向上を――以下略。
う~んと身体を伸ばした高陽田さん。
「ずっと口に出さなかったこと、聞いてもらうだけですごく楽になるね。あたしの秘密を暴くなんて、君は不思議な人だよ」
「や、犯人が勝手に自白し始めただけ。基本、僕は何もしません。いてもいなくても変わらないから」
「それなら、いてくれた方がいいなぁ~」
高陽田さんが即答した。
「あたしは1人になりたいけど、ひとりぼっちは寂しいし」
わがままなクライアントである。
「空気キャラじゃ、寂しさを紛らわせるのは難しいけど」
「ふ~ん、そうかな? 空気みたいなら、いくら呼んでも邪魔にならないもんね」
やれやれと肩をすくめた僕。仕草だけなら一丁前の主人公。
「今度はどこに出かけよっか? あたしの1人の時間にまた付き合ってよ、熊野くん」
高陽田さんの綺麗な顔が、たき火の熱で揺れ動く。
けれど、向日葵のような満面の笑みは燃え崩れずに、いつまでも咲き誇っていた。
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