第11話 ペルソナ

 高陽田さんがようやく足を止めた。

 行きついた先は、水族館ツアーの動線から外れたような隅っこの小部屋。

 人気が少ない、むしろ僕と高陽田さんしかいない。

 全体的に薄暗い空間は深い海のごとし。


部屋全体を包み込むように配置された水槽の底が、怪しげなライトで照らされている。

 その中で、ゆったりと不気味で神秘的な主が浮遊感を満喫していた。


「これは、クラゲのイルミネーション?」


 豊かな色彩を浴びるや、透明だったクラゲたちが光のアートを作り出す。

 芸術に無感動な僕でも、おぉと感嘆した。


「幻想チックだなぁ~」


 粗末なベンチに座っていた、高陽田さん。


「たまには静かな場所で、ぼぉ~っと綺麗なものを眺めたくなるよね」


 学校でのニコニコ笑顔は鳴りを潜め、伏し目がちに光の軌跡を見つめていた。


「熊野くん、今のは君に話しかけたんだよ?」

「あ、うん。ごめん。普段、人に話しかけられなくて、レスポンスにラグが出るんだ」

「なにそれぇ~、変なの」


 高陽田さん、にっこりスマイル。

 冗談と捉えたのかもしれない。こちとら、真面目な返しだったよ。


「あたしはいつも、熊野くんに喋りかけてるのに、まだ慣れてくれないのかな?」

「ちょっと眩しすぎるし」

「ん~?」

「それそれ」


 おめめ、パチパチ。陽の光を蓄えたような視線。

 陰の者を滅せんと、効果抜群。陽だまり光線と名付けよう。


「高陽田さん、周囲をよく観察してるよね。僕の気配を察知できるなんて、流石気配り上手の評判は伊達じゃないな」


 風太郎です。ときたま、駅の改札や自動ドアが認識してくれません。ここにいるとです。


「気配り上手かぁ~。うん、あたしは期待に応えるのが得意だから……」


 刹那、依頼主の表情が曇った。


「ところで、ペンギン好きじゃないの? 一応、水族館の目玉ゾーンだったけど」

「えっ、あぁ~、ペンギンは可愛くて好きだよ。でも、今日のテーマとはちょっと違うからね。もしかして、熊野くんこそペンギンを愛でたかったのかな?」

「別に。動物もあまり気付いてくれないけどさ。この前、散歩中の犬が足にぶつかってきて、めちゃくちゃ驚いた顔してた。こんなところに棒立ちの人間だワンッ! って感じで」

「ほんとに、犬も歩けば棒に当たるんだぁ~。面白いね」


 高陽田さんは、足を投げ出すように伸ばした。

 見つめる先は、たゆたうクラゲたち。あるがまま、流れに身を任せて揺られていく。


 まるで、綺麗な瞳に羨望を携えたような美少女をチラリズム。

 何度もしつこくて申し訳ないが、僕は何もしない人である。

 セラピストでもカウンセラーにあらず。資格は、漢検と英検しか持っていない。


 仮に、普段の様子と違う雰囲気や違和感を抱いたところで出しゃばらない。

 救ってやろうなんて、おこがましい。本人が申告した時のみ、要望を聞き届けよう。


「ここのクラゲ、気持ち良さそうに泳いでる。すごく楽しそうだよね」

「……傍目から見たらそうだけど、案外窮屈に感じてるかもよ」

「熊野くんにはそう見えるの? 無理してるって」

「いや、全然分からない。自由かどうか、本人が決めることだし」


 例え話や哲学もあまり好きじゃないな。

 僕は、アメリカ人よろしく肩をすくめてみせた。


「ただ、外の世界はもっと広い。高……彼らはそれを知っていたはず。あとは、満足できる方を選べば良いと思う」


 自分でも、何を伝えたいのか要領が得なかった。

 ク、国語の偏差値52の弊害が出てしまったか。日本語、むつかしい。

 僕はただ、高陽田さんがクラゲに自分の姿を重ねたように早とちりしただけで。


 あー、恥ずかしい。自分の意見を述べよが一番苦手なんだ。

 小部屋に流れたしっとり系BGMのヒーリング効果に若干期待したところ。


「君は、皆とちょっと違う感性だよね」

「そりゃあ、皆のグループから弾かれてるし。ブームとか、終わった頃に知るタイプ」

「そういう意味じゃないんだけどなぁ~。けど、あたしの判断は間違ってなかったかな」


 うんうんと納得した、高陽田さん。


「いや、プレミアムプランは考えるほどお金が勿体なかったよ。勉強代と言っても、学ぶものがなさすぎる!」

「熊野くん、まだ気にしてたの? ちゃんとあたしにも利益はあるから大丈夫」


 高陽田さんが、悪戯小僧よろしくニヤリと破顔する。


「料金分、しっかり働いてもらわないとねっ。元を取らなくっちゃ」

「還元率は、預金より金利が低いけど」

「じゃあ景気良く、次行ってみよう」


 高陽田さんが立ち上がるや、クラゲたちに別れを告げていく。

 水槽にハァと息を吹きかけ、バイバイと書き残した。

 くるりとターン。出入口まで足取りは軽やかに。

 と思えば、もう一度くるりとターン。背景役の人影に急接近。


「ASAPだよっ」

「可及的速やかに?」

「オフコース」


 自慢じゃないけど、英語の偏差値は58なんだ。

 本当に自慢じゃないことはさておき、国語より理解できました。


「か、顔が近い……」

「ん~? どうしたのかな?」


 さりとて、美少女と距離が詰まるほど平静は保てない。

 テンパリストと化した僕は、視線が右往左往にキョドる他なかった。

 あの、テンパリストって英語? 偏差値58じゃ判別できない。


「なるほどねぇ~、熊野くんはもっと人と交流した方がいいね」


 高陽田さんは顎に手を当てて、思案顔を作った。


「検討するかどうか、持ち帰って協議するよ」

「それ、絶対やらないやつ! ダメでーす。今からあたしと特訓しよっか」


 言うが早いか、高陽田さんが僕の手を取った。

 そのまま強引に、僕は彼女に手を引かれてクラゲ部屋から連れ出されてしまう。


「……っ!?」


 僕は今っ! 学校で評判の可愛い女子と手を繋いでいる!?

 あまつさえ! 高陽田さんの手はスベスベして、溶け込むような柔らかさ!

 あまつさえは、悪い意味の時に使うとか国語の偏差値52では――以下略。

 案内に従い、エリアをどんどん突き進んでいく。


 他のお客たちがダイオウグソクムシの動かない様子を眺める中、僕は手汗の心配で頭いっぱいだった。緊張とかウケる~って言われたら、絶望で廃業しそう。


「緊張しちゃった? 実はあたしもなんだ、ちょっと大胆過ぎたかな?」


 そして、てへぺろである。


「……べ、別にっ。高陽田さんっぽいなーって」


 こういう時、上手い返事が出来れば僕もリア充になれると思いました。


「……」


 何もしない人は、意図的に無になりやすい。

 意識して何も考えない思考に達するのは案外難しい。だが、そこは経験値が違う。

 目下、僕は虚無太郎。何も考えないを考えます。


 高陽田さんが持つ魅惑の感触を忘却の彼方へ飛ばし、ただひたすら追随する。

 途中、展示ケースの巣穴から飛び出すチンアナゴを依頼主は熱心に覗いていた。

 海の生物たちと邂逅を果たし、幾星霜。

 しばらく歩くと、大きな広場に着いた。


「すごく、大きいです」


 眼下に広がるは、オーシャンブルー。

 南国を連想させるような、白い砂地のサンゴ礁。

 サメ、エイ、マンボウ、カラフルな小魚が一つの共同体を生み出していた。

 この水族館最大の目玉、巨大ガラスで囲まれたアクアリウムである。


「大迫力だぁ~」


 圧巻の生態系を前に、高陽田さんは図らずも足を止めてしまう。


「熊野くん、見て! エイが飛んでるね」

「あんなにヒレがせわしないと、お隣さんにぶつけてトラブル起きそう」

「イワシの群れが隊列作ってるよ。からの~、旋回っ」

「イワシのパフォーマンスは有名みたい。僕は初めて見たけど」


 興奮冷めやらぬと声に出ていた、高陽田さん。

 あっちこっちと指差すや、自然と繋いでいた手は振り解かれる。

 若干名残惜しいものの、人生の記念になったので良しとしよう。

 ……え、学生時代に女子と手を繋いだことないの? 僕? あるけど?


 いかんせん、マウントを取る相手もいませんでした。悲しいね。

 僕は、無心で依頼主の背中を追いかけていく。ふと、耳に幻聴が。

 諸行無常が響く中、高陽田さんは祇園精舎より足を運んだ先は。


「記念に何か、買ってもいいかな?」


 海を模した壁紙に魚のタペストリーがたくさん並んだ、お土産店だった。

 お菓子や冷凍食品、雑貨に小物、食器類、家電など。所狭しに陳列されている。


「もちろん」


 高陽田さんと共に、ぶらぶらとお土産を物色していく。

 果たして、彼女のお眼鏡にかなう物品が発表された瞬間。


「これ、可愛いねぇ~」


 まず選ばれたのは、チンアナゴのボールペンでした。

 デフォルメされたチンアナゴの口からペン先が出ている。


「尻尾を引っ張ると、伸びるんだよっ。びよ~んって、びよ~ん」

「すごーい」


 試してみろと手渡され、僕はそっと棚に戻した。


「えぇ~、熊野くん、お気に召さない感じ?」

「僕の好みより、高陽田さんが好きなものを買いなよ」

「せっかく一緒に来たんだから、同じもの欲しいの!」


 不服そうに頬を膨らませた、高陽田さん。


「あたしのプライドにかけて、絶対に満足させてみせるからね」

「そういうオーダーなら、まあ」

「次、持ってくるっ」


 兵は神速を貴ぶよろしく、ピューッと散開。

 元気だなぁ、と独り言を漏らしながら追随。

 高陽田さんが悩むような仕草をすれば、次のお土産を見定めた。

 ショーケースに手を伸ばし、ビニール包装を掴んだ。


「クラゲのジェリー! 今日はクラゲをいっぱい見たし、思い出にピッタリだよね」

「ゼリー?」

「違うよ、ジェリー。ソーダ味っ」

「いや、味が気になったわけじゃないけどさ」


 その透き通る水色でコーラ味だったら驚いた。

 クラゲのジェリー、か。

 クラゲはジェリーフィッシュ。

 ゼリー……ジェリー……あっ。


「お、おもしろーい。ハハッ」

「あたしが考えたんじゃないよ! 熊野くん、引きつった笑いやめてっ」

「プレミアム会員は接待しないと……けど、クラゲの水分くらい喉を潤したい」

「ほとんど乾燥しちゃってるよ! もう干物でもお土産にしようかな? いじわる」


 高陽田さんにポカポカと腕を叩かれる。

 仲睦まじいカップルが行きの電車でやってたやつ。まるで、デートのようだ。

 残念ながら、仕事じゃなければ僕は女子と接触する機会はない。是非もなし。

 厳然たる事実に無感動を貫いた折、ピーンポーンパーンポーンと館内アナウンス。


「――ご来場の皆様、大変長らくお待たせいたしました。只今より、中央ホールにて、イルカのマリンショーを開催いたします」


 ガヤガヤとお土産屋に喧騒が巻き起こった。


「イルカショーだって、行こうぜ」

「海の豚かい?」

「こうしちゃいられねえ、ドルフィンターンだ!」


 お客さんたちが蜘蛛の子散らすように、来た道を戻っていく。

 先ほど見たであろうイワシの隊列を思い出してくれ。

 瞬く間に、僕と高陽田さんが店に取り残されていた。

 彼女は放送を気にしなかったらしく、新たな物品と睨めっこの最中。


「高陽田さんはイルカショー、行かないの?」

「イルカは好きだけど、人混みは嫌いかな。特に休日はストレス溜まるし、今日のテーマとは違うもんね」

「了解」


 クライアントが首を横に振り、僕は首を縦に振った。

 とはいえ、高陽田さんは名残惜しいのか宣伝用のポスターに目を細めた。


「さっ、早く買うもの決めちゃおう! 次に行くところもあるんだからね」

「……」


 僕の数少ない長所は、出過ぎた真似をしないこと。いと慎み深し。

 通知表には、物事に消極的と記される短所である。もっと自分出していこうぜ!

 持たざる者が出しゃばったがゆえに、事態を悪化させるなら何もしない方がいい。プラスを欲張ってマイナスに陥るより、プラマイゼロを維持するのは賢明だろう。


 否、僕はときどき余計な選択を取ってしまう。

 商品棚を急いで見回すや、手頃なアイテムと目が合った。

 直感で2つ手中に収めた僕。ショッピングに悩める依頼人の元へ。


「高陽田さん、お土産はこれにしよう」

「どれどれぇ~?」


 高陽田さんに預けるは、イルカのストラップ。


「ふ~ん?」


 可愛いけれど、特別推せるものじゃない。

 正直、水族館の限定要素は薄く、どこにでも売っているようなお土産だった。

 ダメかなと思ったつかの間、相好を崩した高陽田さん。


「うん、ストラップにしよっか。ちょうどバッグに付ける小物欲しかったんだぁ~」

「え、僕が提案した手前、反論するのはおかしいけどさ、もっとお土産っぽいの、いっぱいあるよ?」

「熊野くんが主張するなんて珍しいからね。明日は虹かな?」


 今週はずっと、快晴らしい。雨が降ったら、僕が原因ってこと?


「一応、理由を聞きたいなっ。なぜなぜ、白状するんだ!」

「単純に、イルカはまた今度。今日はこれで我慢しようって話」


 高陽田さんがパチクリと瞬き、ニヤニヤと綻ぶ。


「つまり、あたしとまた一緒に水族館に来るつもりだね」

「……っ!?」


 右ストレートが炸裂したような衝撃。


「ち、ちが」

「そういうことなら、しょうがないかな? 熊野くん、意外とやるねぇ~」

「……っ!?」


 顔面にフックが決まった、気がする。

 レフェリーに判定負けを告げられるまでもなく、僕はもうグロッキー状態。

 頭痛が痛いくらいの眩暈で、店内のソファにぐったり座り込んでしまう。


「もしかして疲れちゃったの? あたしが代わりに買って来るから、休んで良いよっ」


 高陽田さんは、僕の肩を軽く叩いてレジへ向かった。

 ……何だかなぁー。

 さっきの流れだと、僕が高陽田さんと出かけたい奴みたいじゃないか。

 断じて、決して、嫌でない。


 さりとて、僕はともだちレンタルを介さなければ女子と交友など図れない。

 何もしない人のくせに、何かしようとしてしまい。

 高陽田さんに、差し出がましいと思われたかもしれない。


 先方は、いてもいなくて変わらない存在感を所望しているはずである。

 やれやれと肩をすくめた、僕。

 昔読んだオーヘンリーの短編曰く、愚かな行為こそ賢者の贈り物らしい。

 否、現実において小賢しい行為こそ愚者の贈り物と化してしまった。


「そりゃそうか。あれはフィクション。実際の人物とは関係ありません」


 たとえ同じシチュエーションだったとしても、同じ結果にはなり得ない。

 夫婦のクリスマスプレゼント交換が無駄になったね! イイハナシカナー?

 モブ、美談に割って入ること叶わず。背景と空気、それが僕の役割なのだから。

 気持ちが沈むと同時、目線がどんどん床へ落ちていったタイミング。


「熊野くん、お待たせっ。あたし、お腹空いちゃった。レストラン、行こうよ」

「あ、はーい」


 高陽田さんが軽妙に登場するや、僕の重たくなった身体に温かい光が降り注ぐ。


「……陽だまり、か。眩しいな」

「え、今、名前で呼んだのかな? マリィって!」

「ううん、呼んでないよ。呼んだだけ」

「どっち!?」


 表情がコロコロ変わる高陽田マリィさん。

 人に元気を分け与える笑顔は、極めて稀有な才能だと思いました。

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