第9話 プー子

 久しぶりに人とたくさん喋ったので、今日は疲れた。

 実質、1週間分の会話だったかもしれない。うそ……僕の口、働かなさすぎ?

 真なるごくごく普通な高校生ゆえ、僕は一軒家に家族4人で暮らしている。

 両親は出張で海外を飛び回ったりせず、毎日顔を合わすタイミングがある。


 さりとて、思春期を謳歌せし僕は一家団らんと対峙する立場なのだ。反抗せよ!

 いや、反抗したところであまり認識されないのだが。あぁ、まだいたのって……

 リビングへ入るや、妹らしきものがソファに寝転がっていた。


「プーちゃん、おかえりー」

「ただいま」

「今日は遅かったねー。いつも暇人なのに、早く家に帰るのだけが取り柄なのに」

「僕は帰宅部のエースじゃないぞ」


 帰宅部サイドにも、いつ帰ったか忘れ去られるのが僕である。


「またそんなだらしない格好して、まったく」

「えー、お母さんみたいなこと言わないでよー」


 妹・楓子は、Tシャツにショートパンツ姿でアイスをかじっていた。

 存在感が空気な僕に対して、楓子は愛嬌があり人目を引き付ける子だ。

 切りっぱなしのボブカットで小顔効果もバッチリらしい。


「プーちゃん、今夜はカレー温めなさいだってー」

「プーちゃん、やめなさい」

「プーちゃんはプーちゃんだもん」


 熊野風太郎のプー太郎イジリから、さらにプーちゃんへ派生させた我が妹。


「その理屈だと、楓子はプー子だぞ」

「ぷぅ~」

「それは抗議の声か?」

「ぷぅ~?」


 口元の愛嬌が憎らしい。

 僕の妹ならば、陰キャであれ。


「私、別にプー子呼ばわりでも気にしないもん。言われたことないけどさ」

「余所行きの楓子はしっかり者だしな」

「学校じゃあ、凛とした佇まいがかっこいいって評判だぜっ」


 エッヘンと胸を張った、楓子。


「家だと、パンツ丸出しでうろついてる妹がねえ」

「ちょっ、パンツ丸出しじゃないもん。キャミワンピね! 大人女子の嗜み!」

「なるほど、わからん」

「プーちゃんに乙女心を説くのはマダハヤカッタカー」


 目下、僕は女性目線を知りたいタイプ。

 学校で評判の美少女に粗相がないよう注意したい。いや、何もしないけど。

 楓子が起き上がると、僕に纏わりついてきた。


「プーちゃん、帰りが遅かった理由を述べたまえ。可愛い妹のご機嫌を取れー」

「バイトの打ち合わせ」

「仕事と私、どっちが大事なの!?」

「仕事」


 刹那、楓子は目を大きく見開くや崩れ落ちていく。


「うぅ……なんと残忍な兄。私のピュアハートはもうボロボロ、」

「じゃ、風呂入って来る。晩飯の用意しておいて」

「合点承知の助!」


 テンションがコロコロ変わる妹。これがチェンジオブペースか。違うね。

 シャワーシーン、割愛。きゃーえっち、特にないです。

 食卓に並ぶは、カレーライスとたまごサラダ。豚汁を添えて。

 目を離した隙に、楓子が福神漬けを大量に僕のカレーへぶち込んだ頃合い。


「形容しがたい怒りと同時に思い出したけど」

「イライラしないで、プーちゃん。新しいハチミツよー」


 手渡されたのは、ハニーソーダなるドリンク。たっぷり蜂蜜配合らしい。


「……やっぱり、楓子の誕生日が近いという現実、今完全に忘れた」

「――私の兄はとても立派な方で、いつもお慕い申しております。敬愛の念、とでも言えばいいでしょうか。心が弱った人に寄り添い、また頑張ろうと助走になってあげる姿に感服しております……これくらいでどう?」

「うん、お世辞が上手い。媚びるんるんを感じた」


 あと、ゴマをするポーズやめて。


「まぁ、いくら私がプーちゃんの良さを広めようとしても、必ず最初に、楓子ちゃんは一人っ子でしょって言われるよん」


 初手、断定。

 僕は、誰でもなく、世界に隠された存在かもしれない。

 今日の福神漬けはしょっぺーな。


「楓子、働かなければプレゼントは買えない。帰りたくとも帰れない。それが仕事ッ」

「さっきの話、例の部活かー。でも、プーちゃんは全然指名されないはずじゃ?」


 たまごサラダを咀嚼し、口が空になったところで。


「案ずるな。僕に初めて大型オファーが来たからさ。これでがっぽり」

「え、詐欺だよ。それ、ロマンス詐欺。プーちゃんを評価できるの、私くらいだもん」


 楓子が凛とした姿勢で言い放った。


「信頼されてるのか、信用されてないのか……」


 僕は、苦虫を噛み潰したような表情だったに違いない。


「い、一応、知り合いだし」

「私の兄に知り合いなんていないもん! 意地張らないでっ」

「この妹、ナチュラルにひどい!」

「大体、知り合いなら詐欺らないという見立てがチョロすぎ。クマにハチミツ舐めさせるくらい甘い考えは捨てちまえ!」


 楓子がうんうんと満足そうに頷いていく。

 小癪な。何か、否定する材料はないか。


「僕を騙すには、僕に関心を向けて意識しないといけない。そんな相手、いるかい……?」

「全然、いない! プーちゃん、たくさん稼ぐんだぜ」


 そして、即答である。

 論破って、悲しい所業だったのか。でもそれ、僕の感想かもしれない。

 心がパキッと骨粗しょう症を告げた折。


「楓子、今年はリクエストあるのか?」

「何でもいいよー」

「それ、一番困るやつ。どうせ、後で文句言うに決まってる」

「私が不平不満の罵詈雑言を吐き散らすわけないのにー。実際、去年くれた自転車はお気にだよん」


 不平不満の罵詈雑言って、強そう。パワーワードかな。

 自転車を選んだのは、ちょうどタイヤが擦り切れて買い替えのタイミングだったゆえ。

 楓子の高評価は、運が味方したに過ぎない。


「うむ、プーちゃんが考えて選んだ物が良いのだよ。存分に悩んでくれたまえ」

「さいで。気にしとく」


 僕は、カレーをおかわりするか逡巡した。

 その間、楓子がズズズと豚汁を飲み干していく。


「楓子、家でダラダラしてる姿が本体として、学校で皆に頼られるのはしんどい?」

「辛くはないよん。そのキャラも、私の魅力的な一面って話なだけ」

「なるほど……参考になった」

「どういたしまして!」


 ごちそうさま、と席を立った僕。

 自分の部屋に引っ込むや、徐に独り言ちた。


「周囲が持つイメージとのギャップに苦しむ人は、往々にして存在するよな」


 まだ根拠はあらず、決めつけは早計である。先入観は罠だ。

 隣の席のクラスメイトたちは、理由はどうであれ僕を気にかけてくれる稀有な存在。


 僕は、つい眩い輝きに手を伸ばそうとしてしまう。自惚れるな、それは錯覚だ。

 強すぎる光は目に毒だ。サングラス、買っとかないとね。

 柄にもなく、何もしない人は週末の予定にそわそわするのであった。

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