第103話 方角

「――これは…毛髪ですか?うーん…うん、大丈夫です。これならいけますよ!」


 事情を知らないニーナは僕がたまたま、そう偶然発見に至ったローゼンシアの紫色の髪の毛を手に取って応える。


 ローゼンシアは紫色という特徴的な髪の色をしているので、探したらすぐに見つかったらしい。


 なにしろ間男は銀色の短髪だったからな。複数ある髪の毛のうち、紫色の髪の毛があったら目立つだろう。


 だからこそ、実感してしまった。


 ――ああ、ここでローゼンシア、寝取られたんだ、と。


 僕が戦場で戦っていたあの瞬間。ローゼンシアは防音対策が施された馬車の中で、あの男に抱かれていたんだ、と改めて実感させられた。


「?…伯爵?どうされました?」


「…いや、なんでもない」


「そうですか?苦しそうな表情をしていましたが」


「ああ、ちょっと片頭痛がしてね。…大丈夫、痛みには耐えれるから」


「そうなのです?酷いようでしたら今日は止めておきます?」


「いや、いい。大丈夫だ。――やってくれ」


 ローゼンシアの美しい顔と淫らな体、そして寝取られる間男の姿を一瞬脳裏に浮かべてしまったが、今はそれどころではない。


 僕は脳内の妄想を振り払ってニーナに追跡魔法を使用してもらう。


 ニーナはローゼンシアの髪の毛を摘まむと、両目を閉じ、そして呪文を唱える。


「――アウェイシング・エンゲイトメイタ…宿主の行方を教え給え」


 ニーナが口を動かして詠唱をする。すると、彼女の綺麗な両手から淡い光が溢れ、魔法が発動する。


 淡い光は渦を巻いてニーナの体を包み込む。やがて光は収束し、彼女の体内へとおさまっていった。


「――ふぅ。わかりました」


 派手な演出だが、終わる時はあっさりだな。


 ニーナは目を開いて僕の方を見ると、「ローゼンシアはあちらの方向にいますね」と人差し指を向ける。


 白く綺麗な指が指し示す方角。それは…


「北か?でもなんで?」


「さあ?そう言われましても、この魔法でわかるのは持ち主の方角だけですので」


 僕の問いかけにニーナはもっともな答え方をする。


 そもそもニーナはローゼンシアとそれほど親交が深いわけでもないし、なにより事情も知らない。彼女はただ僕に言われて魔法を使用しただけだ。


「もっと詳しく場所を特定できる魔法はないのか?」


「あるといえばありますけど、髪の毛だけでは触媒としては足りないですね。位置特定の魔法は高度な上級魔法ですので」


「そうか。わかった、ありがとうニーナ。助かったよ」


「いえ、こちらこそお力なれずになんだか申し訳ないです」


「そんなことないよ。感謝してる」


 そうだ。役に立ってないわけないのだ。ニーナは十分に役立ってくれた。問題は、なぜローゼンシアは北にいるのか、だ。


「――ん?なんだ、もう終わったのか?で、結果はどうなんだ?」


 ニーナの魔法を遠巻きに見守っていたゼイラ。こちらの様子がひと段落したのを見て取ったのか、興味深そうに近づいて聞いてくる。


「ちょうど終わったところだ…ローゼンシアは北にいるみたいだな」


「北?でもそっちって…」


「ああ――魔族軍がいるな」


 現在。僕ら人類軍が駐屯しているのはミルアド国のダバン。ここよりさらに北というと、そこからは魔族の支配地域だ。


 人類が魔族より取り返せた土地はまだ小さい。魔族の支配地なんかに人間がのこのこと向かったら、まず殺されるだろう。


 魔族の支配地なんぞで人が暮らせるわけがない。そして現在、バルゴアード軍はこちらに向かって南下している最中なのだ。


 ローゼンシアがなぜ北にいるのかその理由までは知らないが、下手をするとバルゴアード軍と接触する危険性がある。


 ローゼンシアは今、おそらくドウラン国の軍に捕まっているのだろう。つまり北に向かうということは、ドウランの軍隊が北に向かっているという意味だ。


 ――北、そう北だ。でもなぜ?そこには現在、魔族軍しかいないはずなのに…


 まさか、裏切り?


 あいつら…ドウラン国の連中は本当に人類を裏切るつもりなのか?だとしたら…


 その考えに至った時、銅鑼の音が突如鳴り響いた。


 ゴン、ゴン、ゴン、と警告を表す銅鑼の音が駐屯地に響き、周囲にいる人類軍に警戒を促す。


「あら?なにかしら?」


 軍事について何も知らないからだろう。ニーナが不思議そうな顔をする。知らないのはゼイラも同じだが、彼女は何かを察したのだろう、警戒するように表情を変えて僕を見る。


「――敵襲だ。準備にかかれ」


 僕は銅鑼の意味を彼女たちに伝えた。



 ■ダバン臨時司令部


 そこには現在、今回の遠征に参加している人類軍の司令官や参謀、さらには各大隊を指揮する将官などが集まっている。参加していないのは、カルゴアの将官ぐらいだ。


「現在、北部より魔族軍7000がここダバンに向かってきている。敵はギュレイドス軍の幹部バルゴアードの軍と予測される」


 将官たちを前に現在の状況を伝える参謀役の男は、威勢よく声を荒げて伝える。時折、司令官の方をチラチラと見つつも、そして続ける。


「兵科は歩兵と騎兵が中心の編成で、3体ほど特殊個体が確認された」


「3体か。多いな」


 前回の一般兵が中心だった魔族軍と違い、今回は特殊個体が3体いるということで、将官たちの顔が一瞬だけ曇る。


「ふむ。確かに奴らは強い。特殊個体は並みの兵士ではまず歯が立たない。だが、今の我々には切り札がいる。ネトラレイスキー卿だ!」


「そうだな。我々には寝取られ好き卿がいるではないか!」


「ふははは!勝ったな!あの憎き魔族どもに地獄を見せてやるわ!」


「…だがあまり活躍させて良いのか?」


「なんだ、不満そうだな?魔族が死んで何が悪い?」


「俺とて魔族がくたばるのは歓迎だ。だがネトラレイスキー殿はカルゴアの軍人だぞ?魔族を殺す分には構わないのだが、やり過ぎると我々の立場がな」


 今まで連敗を重ねてきた人類軍。もちろん、寝取られ好き…ネトラレイスキー伯爵が魔族を斃す分には歓迎なのだ。


 しかし、魔王ギュレイドス討伐以降、ネトラレイスキー伯爵ばかりが活躍することで、人類軍の面目が潰れているのもまた事実だった。


 いくら友軍といえど、やはりネトラレイスキー伯爵はカルゴアという一国家の軍人である以上、彼が注目を浴びれば必然的に他の人類軍の評価が下がる。


「今までは南の田舎貴族だと思って気にしていなかったが、最近はあの男を歓迎する動きが出ている。不味くないか?」


「なんでもミルアドの王女と教国の聖女までカルゴアについたらしいぞ」


「ふむ。そういえばあの男、とんでもない好色という噂があるな」


「ああ、特になんだあの副官は?とんでもない美女ではないか」


「…ああ、すごい爆乳だった。羨まし…」


「戦場に女など…あ、申し訳ないヴィラ殿」


「ふん。貴様ら、いい加減にしろ。少しは弁えろ」


 強面の将官たちが集う司令部にて、一人だけ性別の異なる将官がいる。


 ヴィラと呼ばれた女将官は鋭い眼光で周囲を睨むと、小さく舌打ちする。


「いくら嘆いても仕方あるまい。我々には幹部級を斃す力が足りないのだ。諦めて早く現実を受け入れろ」


「そうは言いますが…」


「黙れ!貴様、それでも精強なるジンライド国の軍人か!」


「いえ、私はブルゴート国の軍人なのですが…」


「…チッ、そうだった。人類軍とは面倒だな」


 ただでさえ不機嫌そうな女将官は他国の将官から顔を背けると、苛立たしげに舌打ちを重ねる。


「お前たちの不満はわかる。だが嘆いても仕方ないだろ。今は目の前の魔族軍を滅ぼすことだけ考えるんだな。…はあ。早く王女殿下に祖国の土を踏ませてやりたいものだ」


 ヴィラ・ガルビア。ジンライド国所属の女騎士。現在は人類軍に参加し、今回の作戦の総司令官としての任にあたっている。


「――いい加減、奴を田舎貴族だと侮るのは止めろ。戦場では結果がすべてだ。魔族を一体でも多く殺した奴が偉い。今もっとも偉い人間がいるとすれば、それはあのリューク卿だ。文句があるなら…」


 ――敵を殺して、殺して、殺しまくれ、と銀髪褐色の女騎士にして司令官のヴィラは周囲の将官たちを威圧する。


「騎士道など綺麗ごとは捨てよ。どんな卑劣な方法だろうと、魔族をもっとも多く殺したものが偉い。それが戦場だ。これより魔族を皆殺しにする。準備にかかれ」


「「「ハッ!!!」」」


 魔族軍と人類軍の戦いが再び始まろうとしていた。

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