第102話 ゼイラの告白

「女の悲鳴を聞いたことあるか?」


 薄暗い民家の中。魔族軍によって滅ぼされた都市の、もぬけの殻となった空き家で僕とゼイラは二人っきりになる。


「まあ、悲鳴ぐらいなら」


 王都を歩いていると、どこからともなく女性の悲鳴が聞こえることはある。段差に躓いて転びそうになったり、友達に驚かされて悲鳴をあげたり、突然の雨に悲鳴をあげる、などなど。


 それこそ理由をあげたらキリがない。女性なんていろんな理由で悲鳴をあげるものだ。


 ――もちろん、ゼイラが言いたいのはそういうことではないだろう。


 今や誰も住んでいない民家の一室。そこでゼイラは椅子を引いて座る。僕もテーブルを挟んでゼイラの正面に座る。


「へへ」


 ゼイラは薄く嗤う。


「そうだな。女ってすぐ悲鳴あげるよな。アタシさ、昔はそういうの嫌いだったんだよな。女って弱くて、すぐ叫んで、悲鳴をあげる」


 ――本当に弱いよな、とゼイラは続ける。


「ゼイラは違ったのか?」


「ああ。今まで一度も心から悲鳴をあげたことって無いぜ?」


 と自信満々に語るゼイラ。きっと本当にそうなのだろう。


「なにしろドラゴンを倒した時ですら悲鳴なんてあげなかったからな。――一体どんな気分なんだろうな、って昔から興味があったんだよ」


 ゼイラはまるで昔を懐かしむような顔をして、そして語る。


「昔からさ、アタシ、負けたことって無いんだよね」


「へえ、そうなんだ。随分やんちゃだったんだな」


「ああ、なにしろ田舎の村を襲いにきた盗賊を素手でぶっ殺すぐらいだからな。ほんの8歳の女の子が、だぜ?」


 へへっと嗤うゼイラ。普通に考えたら嘘だと判ずるところだが、しかし今の彼女が嘘をつくとは思えなかった。


 しかし、あり得るのか?


 確かにゼイラは強い。強力な加護もある。しかし加護を授与できるのは成人以上のみだ。子供に加護は与えられない。


 加護すら有していないただの女の子が盗賊を斃せるとは思えなかった。だとしたら…


 ――まだ何か隠しているのか?


「当時さ、他の子どもより強いかなとは思ってたんだ。自分は特別だ、他の女の子とは違うって思ってた。でもな、途中からおかしいなって思い始めたんだ」


 ――いくらなんでも強すぎる、とゼイラは言う。


「って言ってもよ、世界って広いだろ?いくらアタシが村一番の実力者って言っても、流石に世界にはもっと強い奴がいるだろって普通は思わねえか?」


「…まあ、そうだな」


「アタシもそう信じてさ、村を出たんだよ。冒険者になったんだ」


 ――あの頃は楽しかったな、とゼイラは述懐する。


「まだ見ぬ冒険って奴だよ。世界にはアタシなんかより強い奴はきっといる。きっといつかアタシなんかでは到底勝てない、とんでもなく凄い奴と出会える、それを夢に見て、わくわくドキドキな冒険をしてた」


 それはピュアなことで。まあ若さって奴よな。


「悪くなかったぜ?仲間に恵まれて、腹を空かせながらも宝を求めて秘境を冒険して、苦労に苦労を重ねてお宝を見つける。時にはヤバい怪物に遭遇しながらも、一緒に協力して敵を斃す。笑ったり泣いたり怒ったり…悪くない10代だったぜ」


 ふむ。確かに聞く分には波乱こそあれ、なかなか充実した十代を過ごしたようだ。


 一歩間違えたら命を落とす危険な冒険だったかもしれないが、そういう危険とスリルがかえって興奮に拍車をかけたのかもな。


「でもな、だんだん物足りなくなったんだよ」


 今までは楽しそうだったゼイラの声が一段、低くなった。


「他の仲間はどんどん自分の目的を達成しているのに、アタシだけ目的のものが見つからない――竜を倒した時、アタシがどんな気分になったかわかるか?」


「さあ?どう思ったんだ?」


「絶望だよ。最強種のドラゴンを倒してしまった。もうこの上はないんだろうなっていう絶望だ。きっと人間にアタシを斃せる者はもういない、そう悟った瞬間、何もかもが嫌になっちまった」


 それは、なんというか。しかしそこまで強いなら魔王に挑めば良かっただろうに。


 だから聞いてみた。


「それなら魔王と戦えば良かったじゃないか」


「魔王は人間じゃないだろ」


 とにべもない答えが返ってきた。まあそうだよな。


 ああ、そういうこと、か。つまりゼイラは、


「自分より強い男と出会いたかったのか?」


「…ああ、そうだな」


 ゼイラの目から光が消えたような気がした。


 その表情はなんというか、白馬の王子様なんて存在しないよって言われた10代の乙女みたいな顔だった。


「B級の冒険者に昇格した時にな、故郷の村に戻ってみたんだよ。そしたらさ、昔、アタシが弱いって見下してた女たちがさ、幸せそうに結婚してたんだよな」


 ――どっちが正解だったんろうな、とゼイラは溜息をつく。


「アタシはさ、強い方が正義だって思ってたんだよ。でもさ、あいつらの生活ってぜんぜん豊かじゃないし、恵まれた境遇じゃないけどさ、それでも家族に囲まれて幸せそうに暮らしてたんだよ。それ見てさ、もしかしてアタシ、普通の女並みの幸せすら掴めないんじゃないのか?って落胆したんだよな」


 それは…なんとなく言いたいことはわかる。


 もちろん、村には村のデメリットがあるし、都会と比べて生活も過酷だ。娯楽どころか明日食う飯に困ることだってある。生活水準という意味では、村と都会では雲泥の差がある。


 村という都会から隔絶された環境では、過酷で厳しい生活を強いられるだろう。


 しかしゼイラが言いたいことはそういうことではないだろう。


 B級冒険者に昇格したぐらいだから、きっと当時のゼイラはその辺の村人なんかよりもよほど経済的に豊かな生活は送れていたはずだ。


 地位も名誉も金もある。


 だが本当に欲しいものが手に入らない。それがゼイラにとっての不幸なのかもな。


「そんな時かな」


 ゼイラの表情が変わる。


「ゴブリンの大軍に襲われた村を救って欲しいっていう緊急依頼があったんだよ」


 ――すぐに助けに行ったぜ、とゼイラは言う。


「まだ襲われて日が浅かったし、うちのパーティには優秀なレンジャーもいたからな。すぐにゴブリンの巣は特定できた。あとは奇襲をかけてゴブリンの群れを潰す。それだけの簡単な仕事だったし、実際すぐに敵は殲滅できた。そして拉致られた女どもを救出すれば、すべて解決。そういう依頼だった」


 ――その時にな、聞いたんだよ、とゼイラは嗤う。


「巣穴で悲鳴をあげる女の声をな。弱い女が抵抗叶わず、ただ悲鳴をあげる。ゴブリンどもはそんな女たちの悲鳴を楽しんでたんだろうな。アタシたちの侵入にも気付かず、馬鹿みたいに腰振ってたぜ?」


 ――興奮したんだ、とゼイラは言う。


「その時は戦いの高揚のせいかな?って思ったんだ。ゴブリンの不意をついて巣穴にいた連中を片っ端から殺してまわってな、その後に拉致られた村の女たちを救出したんだ」


 ――その日以来な、あの女たちの悲鳴を思い出すんだよ、とゼイラは続ける。


「アタシさ、憧れちゃったんだよね。自分よりも強い者に無理やり負かされる、あの女たちの境遇に。あの女たち、アタシよりも全然弱いのに、だぜ?あ、もちろん可哀そうだとも思うぜ?だってゴブリンだぜ?汚ねえだろ、あんな低級なモンスター」


「え?ああ、まあ、そうだよな」


 へへっとなんでもないようにゼイラは笑う。


 なかなか酷い内容だが、まあ言いたいことはわかった。


「それ以来な、ハマっちまってな。あの悲鳴がもう一回聞きたくて、女が被害に遭ってるような依頼は積極的に受けるようにしてたんだよ。…ドン引きしたか?」


「え?うーん、そうだな…」


 これは、どうなのだろう?


 正直、良い趣味ではないと思う。どちらかといえば悪趣味な部類だ。


 しかしゼイラ本人が別に誰かを襲ってるわけではない。彼女はただ、人助けをするついでに自分の性癖を満たしているという、それだけのことだ。


 ゼイラは、きっと善悪の区別はついているのだろう。これはやってはいけないというラインを弁えている。


 ゼイラは悪いことはしていない。ただ趣味が悪いだけだ。むしろ行動だけを見れば善行なぐらいだ。


 ならば――問題ないのか。


「まあそのおかげで救われてる命があるって言うなら、別に良いんじゃないのか?」


「お!そっかそっか!そうだよな!いやー、リュークはわかってくれるって信じてたぜ!」


 なんだかホッとした顔をするゼイラ。どうやら本人としては思い切った告白だったのかもしれないな。


「それでだ、リューク」


 ゼイラはじっと僕を見る。


「アタシにもそれ、経験させてくれねえかな?」


「…僕にゴブリンになれと?」


「ちげーよ。全力のアタシを無理やり屈服させて、ただの弱い女の子にして欲しいんだよ」


 同じじゃないか。いや、違うか。


 ゼイラはきっと、楽しみたいのだ。


 彼女は別に自殺願望があるわけではない。


 だからゼイラが魔王に挑むことはないだろう。なにしろ魔王に挑んで負けたら殺されるからな。これでは楽しめない。


 彼女は…ゼイラはきっと楽しみたいのだ。そういう、全力を尽くして、本気で戦って、その上で負けて無理やりされるという、プレイを楽しみたい。そういうことなのだろう。


 それがゼイラの望みか。なら…


「…やってもいい。だが条件がある」


「お、ホントか!へへ、やったぜ。…で?条件って何だ?」


「それは言えない」


「あ?なんでだよ」


「加護に関わるから」


 なにしろゼイラの要求に答えるには加護の使用が不可欠だからな。いくらゼイラのためとはいえ、そんなことを理由に彼女たちの誰か一人を間男に抱かせるわけにはいかない。


 そんなことしたら絶対怒られる。シルフィア、フィリエルか、それとも…


 別に彼女たちが間男に抱かれることを恐れてるわけではない。僕が苦渋を呑み込むのは構わないのだ。苦しみはいくらでも耐えられる。だが、彼女たちが傷つくような真似は避けたい。


「詳細は言えないが、とにかくやっても良いとは思う。ただやるにしても準備が必要だ。その時まで待ってほしい」


「ふーん。まあそうだよな。リュークの加護ってなんか条件キツそうだもんな」


 さすが加護持ち。理解が早くて助かる。


「とにかくローゼンシアの件は助かった。それに報いたいという気持ちはある。ゼイラのために必要ならやっても良い。ただこっちにも都合がある。それをわかって欲しいんだ」


「おう、わかった!んじゃ楽しみにしてるぜ!」


 そう言うとゼイラは椅子から立ち上がり、民家から出ていこうとする。僕もそれに倣って立ち上がり、外に出る。


 彼女は一瞬こちらを振りむき、


「本当に楽しみにしてるぜ」


 と怪しい笑みを浮かべた。


 これはやらないとマズイ流れかもしれない。

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