第97話 行方知れず
部屋には誰もおらず、まさにもぬけの殻。
ベッドの上のシーツが乱れてはいるが、これはうん、まあ昨夜の僕らの行為の結果であり、誰かが暴れたとかそういう感じではない。
陽の光が差し込む部屋の中はがらんとしており、ほんのつい先ほどまでローゼンシアがいたというのに、今やその気配はまるでない。
人がいた温もりはある。だが、肝心の人がいない。
――どこかに出かけたのか?
部屋にはローゼンシアの衣服はもちろん、下着もない。なのでちゃんと着替えた上で部屋を出たのは間違いない。
ならどこに?
「うん?どうかしたのか?」
僕が部屋の前で茫然としていたせいか、怪訝な顔をしてゼイラが訊ねてくる。
「ローゼンシアが部屋にいたはずなんだが、どこに行ったか知ってるか?」
「さあ?アタシは見てないけど……へえ?アンタたち、そういう関係か」
言ってる途中で何かに気づいたのか、ゼイラの目が細くなる。
しまった。こんな朝っぱらからローゼンシアがいたなんて言ったら変に勘繰られるではないか。まあ事実だから別に良いのだが。
ゼイラは僕の方をニヤニヤと見つつ、部屋の中を見ると真面目な表情に切り替わる。
「――いないみたいだな。この後、すぐにでも出発する予定だって聞いてたけど?」
「ああ。ローゼンシアもそれは知ってるはず」
なら先に外に出たのか?
人類軍の次の行動は、ミルアド首都の南にあるダバンと呼ばれる都市を制圧する予定になっている。このダバンを拠点にミルアドの首都ネルベイラへ軍の大攻勢をかける予定だ。
ダバンの住民はギュレイドス軍の南下時に大虐殺されたとの報告がある。
魔族軍は人類を滅ぼすつもりで戦争を仕掛けてきてるので、奴隷以外の人種に関しては基本的に皆殺しにし、その死体は家畜の餌にしている。
ちなみに家畜とは人間の奴隷兵やらその他諸々のことだったりするのだが、それは今はいい。
いずれにしろ、特に理由がない限り魔族軍は現地の人間を基本的に皆殺しにして進軍しているので、放棄された都市に人が残っていることはまずない。
もし残っていたとしても、それは精神支配を受けている奴隷兵ぐらいだろう。
どちらにせよ、魔族軍の支配下に落ちた人間は味方にはできないので、都市に人がいないのであればそれに越したことはない。
魔族軍はあくまで首都を制圧するのみで、それ以外の都市については現状のところ兵を配備していないのだ。もっとも大陸南部での話だが。
首都以外に兵を配備できない理由…それは単純に、兵数が足りないからだろう。
魔族の大部分は拠点は大陸北部、そのさらに上の魔族領を住処にしている。そこまで行けば軍人以外の、いわゆる魔族の一般人などもいるのだろう。
そんな遠くからはるばる大陸南部のこんな辺境まで魔族の一般人を移動させるのは時間もかかるし労力もいる。
魔族の侵略が始まって以来、まだ2年半の月日しか経過していない。たった2年と半年では、人類軍を追い詰めることはできても、流石に首都以外の都市にまで人材は割けないのだろう。
そんな事情もあってか、首都以外の都市は基本的に皆殺し、食料を奪った後は放棄するというのが魔族軍の従来の基本方針だったりする。
奴らは何を急いでるのかは知らないが、寸刻を争うように大急ぎで人類を滅ぼしに来ているのだ。
その圧倒的な進軍速度に追いつけなかったので人類軍がカルゴアまで追い詰められたわけだが、その一方で爪が甘い。
魔族軍は戦線を拡大し過ぎている。そのせいで兵力が分散され、帝国を潰した時のような大攻勢ができなくなっている。
それは人類軍にとっては朗報ではある。もしもカルゴアに侵略にきた軍がギュレイドスだけでなく、他の魔王も一緒だったら、きっと僕一人では防ぎきれなかったかもしれない。
当初は巨大で精強だった魔族軍も、戦線の拡大に伴って戦力が分散され、規模が小さくなり、だんだんと穴ができるようになっている。
今では一部の首都を制圧するだけで手一杯で、その他の手つかずの都市部は多く存在する。
その一つとしてミルアドの首都の南にあるダバンをまず人類軍が制圧し、そこから首都のネルベイラを攻めるという予定だったわけなのだが…
――ローゼンシアはどこに行ったのだ?
軍隊は時間厳守だ。ローゼンシアは確かに時間にルーズでだらしない私生活を送るぐーたらな人間かもしれないが、軍隊として行動する時は一応は軍の規則を優先している。
まあたまに勝手に行動することもあるが、命令すればちゃんと聞いてくれる。聞いてくれないのは、命令されていない時だ。
ドクン…なぜだろう?心臓が高鳴った。
これは…どっちだ?
まさか、加護が発動したわけではないよな?
嫌な汗が流れる。そんな僕の異変を察知したのか、ゼイラが気遣うような表情を見せるが、今はそれに応えられない。
どくん、どくん、どくん……とくん…とく…とく……おさまった。
どうやらこれは、僕の心理が不安状態になったことによる心臓の高鳴りだったみたいだ。
加護とは違う。ストレスが原因の心臓の高鳴りだ。ただ、そう、ローゼンシアの安否が心配で心音の脈動が激しくなった、それだけだ。
「リューク?大丈夫か?顔色悪いぞ?」
「――ああ、大丈夫だ。心配かけてすまんな。それよりも、ローゼンシアがどこに行ったか心当たりはないか?」
「あん?どんだけ心配なんだ?…うーん、心当たり、ね」
ゼイラは腕を組み、少し考え込む。やがて…
「そういえばあの特殊部隊の連中と仲良かったような気がしたけど、なんか知ってるんじゃないのか?」
ドクン…
ゼイラに悪気はない。おそらく、昨日の戦闘後。ローゼンシアが特殊部隊の人間と一緒にいたことを言及しているのだろう。
そう。ゼイラには悪気はないのだ。彼女はただ事実を伝えたに過ぎない。しかし、その言葉が僕の心に突き刺さる。
……まさか、違うよな?
あの間男は……ローゼンシアを抱いた男は……確か次も会いたいようなことを言っていた。
そしてローゼンシアは今はここにいない。すぐにでも次の行軍があるので遊びに行くということも考えられない。
だとしたら、間男か?
ドクン、ドクン、ドクン…ダメだ。
変なことを考えたせいか、嫌でも心臓が慌ただしく脈動する。
違う。これは加護ではない。僕が変な妄想をしたせいで動揺しているだけだ。そう、ストレスが原因だ。決して加護ではない。
「あ、あいつらって今どこにいるか知ってるか?」
「特殊部隊の連中か?たぶん、外で野営してるんじゃね?」
どくん、どくん、とくん、…ふう。心臓がおさまった。
ゼイラはなんとなく応えただけなのだろうが、その回答は僕に安らぎを与える。
そうだよ。あいつらに砦の部屋は与えられていない。外で野営しているのだ。流石に外でローゼンシアを抱くなんてあり得な…あり得るのか?え、わかんない。どっちだ?
いや、とにかく今は大丈夫なはずだ。だって加護、発動してないし。
…僕の加護って、本番以外は発動しないんだよな。…いや、今はこれ以上考えるのは止そう。
「なあ、そんなに気になるなら直接本人に聞いたらよくね?」
ゼイラの提案に僕は、
「そうだな」
と同意する。
大丈夫、だよね?ローゼンシア、今まさに寝取られてるとか、そんなことないよね?
嫌な予感が募る。僕は特殊部隊…いや間男部隊に会うため砦の外に出た。
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