第95話 砦の朝

 砦での夜はやがて明けて、その日の早朝。


 ベッドの上で目が覚め、隣を見ればまだ熟睡中のローゼンシアがそこにいた。彼女は、


「すぅ、すぅ…」


 と小さく寝息をたてて横たわっている。窓から差し込む朝陽に照らされ、眠りにつく顔はまさに美少女そのものだ。


 そんな彼女にシーツをかける。昨夜は間男から取り戻すつもりで全力で抱いたからな、きっと疲れているだろう。


 ローゼンシアは、確かに他の男に抱かれた。もう僕だけを知っていた彼女ではない。今後は嫌でも間男と比較されることになるだろう。


 もちろん、それはシルフィアとフィリエルについても同じだ。…他の男に抱かれた経験があるという意味では、ルワナも同じではあるのか。


 僕の中にある加護が共鳴している以上、彼女たちが僕のことを今も愛してくれていることに間違いはない。確かに愛情は感じられ、伝わってくる。


 実際、昨夜のローゼンシアは凄かった。僕が愛情を注げば注ぐほど、それに反発するように彼女も僕に愛情を込めて奉仕してくれた。


 普段は飄々としているローゼンシアが乱れ、淫らになり、快感に喘ぐ姿はとても艶があって、そんな彼女の煽情的な姿に僕もまた興奮しておかしくなりそうだった。


 求められている。そんな気分になった。そしてそれは悪い気分ではなかった。


 ――これは仕方のないこと、だ。それはわかっている。


 魔族との戦争で勝利をする上で、今後も加護は使わないといけない。そのためには彼女たちの協力は必須だ。


 そしてそれは、間男たちの協力もまた必要であることを意味している。まったく、ふざけた話だ。


 僕は、ローゼンシアを他の男に渡すつもりはまったくない。あくまで必要だから抱かせてやっているだけで、本心から抱かせたいわけではない。


 では、どうする?


 女性の協力者が増えたことで、確かにシルフィアの負担を減らすことはできた。今後は三人が交互に連携することで、長期での戦闘もできるようになるだろう。


 だが、誰を選ぶ?


 人数が増えることで確かに負担は減った。しかし同時に、心労が増えたような気がする。


 間男たちは、ルクスが直々に選んだ男だけあって、どうやら悪い連中ではないそうだ。それがまた腹が立つ。


 いや、もちろん、それはそれで良いことなのだ。シルフィアたちを傷つけるようなクソ男だったら、魔族よりも先に間男を殺すことになっていただろう。


 ルクスは、国に対する忠誠心が高く、忠実で、祖国を裏切るくらいなら命を捨てることを選択する、そういう忠義を尽くすことを第一に置くようなタイプの男をあえて間男に選んだ。


 だから、間男が彼女たちに危害を加えることはまずないだろうし、間男が裏切ることもないだろう。そういう意味では安心だ。


 問題は――本当にさ、なぜだろうね?奴ら、忠誠心が高いせいか、真面目に職務をこなそうとするのだ。


 つまり、決して僕の愛する女性たちを傷つけないように、誠心誠意、忠義を尽くすように寝取ってくる。


 たぶん、悪意はない。むしろ間男には善意しかない。そういう善性の気持ちが伝わるのかもしれない。間男に抱かれた女性陣たちは誰一人、間男のことを悪く言わない。


 なんでだよ。おかしくね?君たち、寝取られてるんだよ?もしかして本当に間男って、良い奴らなの?


 どうする?マジで良い奴らだったら、どうする?殺せないぞ?間男が良い奴らだったら僕、殺せないぞ?


 人の女を寝取るような間男など万死に値する。しかし、僕が仕事で次々と女性を口説くように、奴らも仕事で寝取りをしているのだ。


 そんな奴らを殺せるのか?もちろん、奴らが少しでも彼女たちに危害を加えるようなことをするなら、すぐにでも殺すつもりだ。


 しかし、なぜだろう?間男たちにはぜんぜんそういうことをする気配がないのだ。一体どうなってるんだ?間男のくせに善人っておかしいだろ。


「いや、違うのか?」


 僕はいまだスヤスヤと寝息をたてるローゼンシアの寝顔を見つつ、考える。


 そういえば、彼女を抱いた間男だけ、もう一度会うことを提案していたような。結局、その間男については聞きそびれてしまった。


 もしも間男がローゼンシアに危害を加えようとしているのであれば――すぐにでも殺さないとな。


 だがまだ確証がない。確証がないうちは、殺せないか。


 どうする?間男の詮索は基本的に御法度だ。だって一度でも間男の信頼を疑ったら、僕が疑心暗鬼になってもう加護を使う勇気がなくなってしまうから。


 基本は、間男のことは信用する、そういう前提で僕は加護を使用している。


 本音を言えば、今すぐにでもルクスに問い詰めてローゼンシアを口説こうとした間男を処してやりたいところだが、確証がないうちはダメか。


 今はとにかく、我慢だ。耐えるんだ。呑み込むんだ。苦しみや苦悩はすべて呑み込む。目的のためなら、あらゆる苦悩は呑み込むんだ。これは必要なこと。我慢しなければならないことだ、と自分に言い聞かせて呑み込ませないとならない。


 呑み込んで、耐えて、我慢して、それでもしもローゼンシアが傷つくようなことがあったら、その時は――間男を殺せばいい。


 僕は女性には優しくありたいと思う。だが、男にまで優しくするつもりは毛頭なかった。


 とにかく、間男の件は今は保留にするしかない。それよりも今は…


 僕はそっとローゼンシアを起こさないようにベッドから降りると、服に着替えて部屋を出る。とにかくルクスに聞く必要があるな。


 バタンと扉を閉めると、近くにいた士官にルクスの場所を聞き、そこに行く。


 この砦は、最近までミルアドの軍が使用していたようで、まだ生活の名残がある。


 魔族軍の襲来によってミルアドの軍が砦より撤退。その際に一時的に放棄されただけで、物資などは現在も残っていたので砦としての機能はいまだ健在である。


 もともとはカルゴアの動きを見張るために建設された要塞ということもあってか、平時では観測所としての機能に特化していたようで、警備員の詰所のような場所だったらしい。


 だから人類軍3万の兵を全員収容できるほどの規模はなく、部屋をあてがわれたのは士官以上の軍人だけらしい。


 ローゼンシアは下士官の扱いなので本来なら部屋なんて無いのだが…まさか野宿が嫌で部屋に来たのか?


 今になってその考えが過り、首を振ってその妄想を消し去る。


 そんなこと、ないよね?違うよね?僕に会いたいから来たんだよね?


 確かめたい。だが、ダメだ。そんなみっともない事、できるか。


 僕は世界一のチャラ男になるんだ!そんな男を下げるようなことは絶対できない!


 …?はて?僕って世界一のチャラ男になりたかったんだっけ?


 一晩経って冷静になった途端、急にそんな疑問が湧く。なんか最近、いろんな事が起こりすぎていて自分でも自分の気持ちがよくわからないな。


 いや、そんなことより…


「あれ?リュークじゃねーか。何してんだ?」


 と声をかけられる。見れば、ゼイラが通路を歩いていた。彼女は眠そうに口を開けてアクビをし、眠そうな眼を半開きにしたままこちらに向かってきた。


「ゼイラか。おはよう」


「おはよ…ございますって言った方がいいか?」


 軍の規律とか考えるならもっと礼儀正しくした方が良いような気もするが、


「二人っきりの時はしなくてもいいぞ」


「そっか。それは助かるな」


 そう言うと、なぜかホッと安堵するような顔をされる。ゼイラはそういう、規律的なことは苦手なのかもしれないな。


 ゼイラは士官ではないのだが、僕の副官ということで一応部屋はもらっていたはずだ。だから砦の内部にいたとしてもおかしくはないのだが…


「ここで何してるんだ?」


「別に何も?暇だったから散歩してただけだぜ?」


 ゼイラは赤い髪を揺らしながら、特に何も考えて無さそうな笑顔を浮かべる。


 たぶん、本当に何も考えてないのだろう。まあちょうど良かった。


「実は聞きたいことがあるんだが、良いか?」


「おお、いいぞ。なんだ?」


「昨日の戦いの時だが…」


 僕は昨日の魔族軍との戦いの件で、ローゼンシアから聞いた話をゼイラにする。


 すると、


「ああ、そういえばなんかいたかな?」


 とゼイラは思い出すように答える。


「人類軍の後方になんかコソコソしてる奴らいたな。上の連中は気付いてたみたいだから別に何も言わなかったけど、それがどうかしたか?」


 どうやらゼイラも気付いてたらしい。流石S級冒険者だな。


 っていうか、気付いてないのは僕だけか?だってしょうがないじゃないか、僕って加護が発動してないと普通の人間なんだし。


「ゼイラ。君がいて良かった。助かるよ」


「え?お、おう。へへ、そう言われると悪い気はしねえな。で、それがどうかしたか?」


「ああ、それはおそらくドウラン国の軍の残党…敗残兵らしい」


「ふーん。ま、あの装備じゃ魔族には勝てないか」


「見たのか?」


「チラっとな」


 ゼイラは特に興味なさそうな顔をする。実際、興味はないのだろう。


「ドウラン国は実力至上主義って言うけど、弱そうだったのか?」


「うーん、見た感じでは、普通か?弱くはないんだろうけど、目立つほど強くはないっていうか。まあ敗残兵って言うぐらいらし、後方の補給部隊だったんじゃねえの?」


 それは、まあそうか。


 ドウラン国は人類軍に参加せず、自国の戦力のみで魔族との戦いに挑んだ。そして負けた。


 ただ軍隊なんてどこも実力のある強者ほど前線に投入されるものだ。強い奴ほど真っ先に魔族軍によって斃されたことだろう。強い者ほど前に出て死に、弱い者ほど後ろに残されて生き残る。


「――ちなみに、人数はどのくらいいたんだ?」


「えっと、確か、200ぐらいかな?」


 右上の方を見ながら、ゼイラは考え込むような顔をして答える。


 200…中隊規模だな。もしもそれがドウラン国の残された残存戦力だというのであれば、なるほど、確かに役立たずだ。


 正直な話。魔族との戦争において、何の能力もない兵士が200人集まったところで、もはやどうにもならない。


 もちろん、彼らはあの剣の国の兵士だ。一般人と比較するなら強いのだろう。しかし、魔族はそれ以上に強く、剣士の一振りぐらいであればその硬い皮膚で弾いてしまう。


 要するに、ただの兵士の集まりでは無力なのだ。役に立たないし、なんなら足を引っ張る恐れすらある。


 そんな奴らが一体なぜここに?


 そんな事を考えながらゼイラと一緒に通路を歩いていくと、やがてルクスがいる部屋に到着する。


 扉をノックしようと思い、そういえばゼイラのことをちょっと気にしてたな、と思い出す。


「ルクスと話してくる。外で待機しててくれないか?」


「おう。いいぞ」


 別にルクスがゼイラを狙うとは思わないが、なんとなく会わせない方がいいかな、と思って通路で待ってもらうことにした。


 ノックをすると、中から返事があったので、名前を告げて入室した。


「失礼します。えっと、もしかしてお邪魔でした?」


「…邪推はよせ。たまたまた、だ」


 ルクスは、なんだか真剣そうな顔をしている。ふむ。それは良い。問題は、なぜ部屋にはルクスだけでなく、王女のシエルまでいるのだろう?


「おはようございます、リューク。わたくし、ついてきちゃいました」


 派手なドレスを見事に着こなす我が国の王女シエルは、てへと可愛くらしく笑みを浮かべる。


 シエルが今回の戦争で魔族との交渉役を担っていたことは知っていた。しかし、行軍に参加するとは知らなかっただけに、度肝を抜かれる。


 まったく。いくら王族といえども流石にワガママが過ぎないか?そんな軽いノリで戦場に来られても困る。いくらなんでも軽率がすぎる。ここは一つ、きちんと叱るべきか?


 僕は改めてシエル王女を見る。そして、言う。


「そうですか。ついてきちゃいましたか。…なら仕方ないですね」


「ふふ。リュークならそう言ってくれると信じてましたわ」


 本当なら怒るべきかな、とは思った。でもシエル王女ってすごく可愛い女の子で、その可愛い笑顔とそのドレスから垣間見える大きな谷間のある胸を見せられたら、うん、怒れないよね。ということで受け入れることにした。


「わたくし、こんな近くで戦場を見学するのは初めてですわ~。興奮しちゃいますわね」


 おほほ~と呑気に高笑いするシエル王女。そんな彼女を見て、ルクスは一際デカいため息をついた。

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