第77話 身請け

 どうやら僕の知らないところで着々と次の戦争の準備が進んでいるらしい。


 軍の作戦や用兵なんかは司令部の幕僚の仕事なので、僕としてはいつ出撃の命令がきても良いように待機することしかできない。


「はいカンパーイ!ほらイッキ!イッキ!うぇーい!」


 そう。いつでも出撃できるように僕のような前線に立つタイプの軍人は常に英気を養っておく必要がある。


「ねえ伯爵様~。私、新しいバッグが欲しいんだけど~」


「…いいだろう。買ってあげようじゃないか!ハハハ!」


 ギンギラに輝く魔石が室内を怪しく照らすここは紅玉の館。例の高級娼館である。


「リュークさあ、最近いつも来てるな?やっぱ伯爵は金持ってんだな!!」


 ダハハハ!と楽しそうな顔ではしゃぐのは、例の賭博が原因で娼館で働くことになった元S級冒険者のゼイラ。彼女は今日も胸元をはだけた煽情的な娼婦の服装で僕に酌をしてくれる。


 確かに英気を養うことも重要である。しかし仕事を疎かにするわけにもいかない。僕にはこの元S級冒険者を味方に引き入れるという重要な任務もあるのだ。


「ねえ伯爵~。私も欲しいものがあるの。伯爵様とお揃いの指輪がいいなあ~」


「おいおい、ペアリングかよ。まあいいか!よし買ってやるよ!」


「ありがと~。英雄様ステキ!」


「ちょ、ズルくない?伯爵様~、私も欲しいものがあって~」


 …あれ?なんか人数が多いような…まあいいか!なにしろ国から金貨2000枚も報奨金もらったばっかりだからな!


 ここ最近。僕は元S級冒険者ゼイラをスカウトすべく、毎晩娼館に通っていた。なにしろ今は非常時。いつ戦場に駆り出されるかわからないのだ。下手に動くこともできず、こうして娼館に遊びに行くぐらいのことしかできない。


 もちろん、娼館には通ってこそいるが、娼婦を抱いてはいない。なぜならシルフィアとフィリエルとルワナを抱くからだ。娼婦を抱く時間がない。


 くぅ~。なぜ僕のアレは一本しか生えていないのだろう?あと五本生えていれば問題なかったのに…酔ってるのかな?なんか思考が変だ。


「あれ?リューク、それ水じゃねえか!ほらこっち呑めよ!」


 と言ってさらに酒を勝手に追加するゼイラ。あれ、おっかしいな。これ水だっけ?まあいいか!


 代々ネトラレイスキー家は金に困ったことはない。それは鉱山からの権利収入があるので安定した利益が見込めるというのもあるが、それ以上にネトラレイスキー家の人間は代々質素なのだ。


 しかし娼館遊びがここまで楽しいとは。知らなかった。こんなことならもっと早く娼館通いすれば良かった。


 テーブルに艶やかな美女を侍らせて美味い酒を呑む…うむ。まるで趣味の悪い成金貴族みたいだな。もちろん、僕はそんな悪趣味な成金貴族ではない。正統なる伯爵家の人間であり、これはあくまで任務で行動しているのだ。


 …ちなみに貴族といっても必ずしも裕福とは限らない。僕は違うが、中には放蕩が祟って貧しくなった貴族もいる。もちろん、名誉あるネトラレイスキー家の人間がそんな没落貴族みたいな真似、断じてしない!


「なあリューク…そろそろ上に行こうぜ?アタシのテクで夢見せてやるよ」


「え?そんな凄いテク持ってるの?どうしよっかなあ」


 赤い髪をなびかせてゼイラが横から体を密着させてくる。彼女の大きく柔らかな胸の感触が妙に心地良い。


「伯爵様~。そんな奴より、私と遊びましょうよ~」


「うーん、そうだな~、迷うなア~」


 ゼイラとは反対の席に座るニーナが僕の腕に自分の腕を絡ませてきて、その控え目な胸の中に腕を抱き寄せる。


 ふむ。胸はないと思っていたが、こうやって抱きとめられるとほんのりかすかなエルフの胸の感触が伝わってくる。


 まさに両手に華。一体僕はどうすれば良いのだろう?


 …あれ?そういえば何か大事なことを忘れていたような…


「お、お兄ちゃん…」


「うん?」


 そんな娼館での遊びに耽っていると、ぽつんと立ち尽くしてこちらを見てくる一人の少女…猫耳のモカがいた。


 …そうだった。そもそもここに来た理由はモカの様子を見るためだったんだ。


「ど、どうしたんだ、モカ?」


「……私、どうしよう」


 なんだかひどく怯えているような顔をする。といってもここ最近、モカはとても美味しい食事を振る舞ってもらったようなので、初対面の頃と比較すると血色の良い顔をしている。


 手足も細いといえば細いが…うーん、肌がつやつやして健康そうだ。


 なんだか銀色の毛並みもサラサラで、艶がある。しかし、その頭部にある猫耳はペタンと倒れていてなんだか落ち込んでいるように見えた。


「私…やっぱり知らないおじさんとエッチなことするなんて無理だよ」


「…そう、か」


「でも美味しいものは食べたいし、綺麗な服は着たいし、ふかふかのベッドで眠りたいし…どうしたらいいんだろう?なんとかエッチしないで良い生活を送る方法はないかな?」


「そっかー」


 モカはなんだかひどく怯える一方で、とんでもなく厚かましい要求をしてくる。


 ちょっと前まで食うに困る貧乏暮らしをしていたのだが、やはり金は人を変えてしまうのか?…まあ人ってか猫耳娘なのだが。


 モカは娼婦といってもまだ入ったばかりの新人。それも最近まで浮浪者同然の生活をしていたということもあってか、病気の検査期間中ということで上階へ連れていくことは禁止されていた。


 上階に行くとはつまり、本番ありのプレイをすることを意味する。


 しかし、そろそろ検査期間も終わる。期間が終われば、彼女も他の娼婦同様に客に指名されたら断ることはできない。


 まあその代わり高い収入を得ているのだから仕方ないといえば仕方ないのだが…うーん、どうしよう?


「うぅ…ぐす…こんなことなら止めておけば良かったよ。でもお肉美味しいし…もっとステーキ食べたいし…お兄ちゃん…私、ぐす、どうしたらいいの?」


 目に涙を浮かべて助けを乞うような顔をするモカ。正直、自業自得な気もするが…聖女との約束もあるしな。


「…わかったよ。モカ、うちに来な」


「え?」


「君を身請けしよう」


「え、え、本当に?」


「ああ、本当だよ」


「え?マジで?」「リューク様、本気?ここの身請け金、高いよ?」


 …え?


 僕の身請け宣言に、なぜか両隣にいた二人が真面目な顔をする。


 …だ、大丈夫だよね?だってホラ、僕には今、金貨2000枚あるし。確かに暴落中だけど、そこまでまだ落ちてないし。まだ平気だよね?


「でも、うん、そうだね。おめでとうモカ」


「良かったなモカ。元気でやれよ」


「うん、ありがとうお姉ちゃん!えへへ、よろしくねお兄ちゃん!」


 …あれ?これ、断れない流れ?うーん、まあ大丈夫だろ!なにしろほら、僕って世界を救った英雄だし!いざとなったらルクス王子がなんとかしてくれるって言ってたし!


「ひっひっひっ…おい、ガキ、良かったな」


 僕が今後のネトラレイスキー家の財政について考えていると、ここの支配人のバジルがやってくる。


「あ、おじちゃん。うん!私、今日からお兄ちゃんの女になるからもう客は取らないよ!」


「ひっひっひっ、ああ、好きにしろ。では伯爵。このガキの身請け金、払ってもらいますよ?」


 身請けの話というのは店側からすれば損害かもしれない。しかし、娼婦の苦労を考えれば祝ってやるのが通例なのだろう。


 しかしこの景気のよさそうな顔はなんというか、モカの幸福を祈っての笑顔ではなさそうだった。


 僕はそんなバジルに向けて、言う。


「…いいだろう。いくらだ?」


「…金貨20枚で」


 バジルは一瞬だけ真面目な顔をすると、すぐに娼館の支配人らしい笑みを浮かべて金額を伝えてくる。


 ほっ。よかった。20枚か。まあ確かに金貨20枚は大金だが、余裕で払える金額だ。


「いいだろう。ではモカ。今日からうちに来なさい」


「うん!えへへへ、お兄ちゃん、ありがとう。…私、いっぱい、お兄ちゃんのためにいっぱい頑張るね!」


 先ほどまで怯えていたモカの顔がぱぁっと明るくなり、ぴょんと飛んでテーブルの上を舞うと、そのまま僕の胸に抱きついてくる。


 すっぽりとおさまるように僕に抱きつくモカを僕も抱きしめる。すると「へへ」と可愛い笑みを浮かべ、猫耳がぴょこんと動いた。


 可愛い…それにしてもこの身体能力…やはり獣人は基礎能力が違うな。


「ひっひっひ…拾ったガキが金貨20枚に化けた。おいガキ、やっぱりお前、娼婦の才能があるぞ?いつでも戻ってきていいぞ?」


「やだよーだ!私もうお兄ちゃんの女だもん!他の男なんて絶対ヤダ!」


「嫌われたか…ひっひっひっ」


 確かにバジルからすれば食事と寝床を与えただけで金貨20枚が手に入ったのだ。まさに錬金術でもした気分なのだろう。笑いたくなる気持ちもわからないでもない。


 しかし、身請けは一人ではないのだ。


「支配人…ゼイラも身請けする。いいな?」


「…あ?」


 今まで愉快そうに笑っていた支配人バジルの顔が一瞬強張る。目が細くなり、明らかに雰囲気が変わった。


 わいわいと明るい雰囲気のあった紅玉の館の空気が急速に冷えていく。


 しかし当の本人であるバジルはすぐに表情を元の笑顔に戻していた。


「え?アタシも身請けするの?マジで?やった!これで借金チャラだぜ!」


「お前は黙ってな…伯爵様。流石にそれは横暴ではないですかい?この女はバカだが、それでも良い女だ。こいつはね、うちのナンバー1なんだよ。簡単に身請けなんてさせるわけないでしょ?」


「あ?!ふざけんな!伯爵様殿下が身請けするって言ってんだろ!邪魔すんじゃねえよ、バジル!」


 僕、殿下じゃないんだけどね。王族じゃないし。まあいいけどさ。ゼイラはあまり敬語とかに慣れていないらしい。


「支配人。あなたが不機嫌になる理由はわかる。だが身請けをするのは僕の自由だ。さっさと身請け金の額を言うんだな」


「……」


 僕の言葉にバジルが口を閉じる。


 ふふふ。確かにゼイラはナンバー1だ。しかしモカで金貨20枚なのだ。金貨2000枚ある今の僕ならば簡単にゼイラを身請けできるよね!


 バジルはすぅと目が細くなり、まるで狩人みたいな眼差しを向ける。なんか若干殺意が混じってるような。しかし支配人が暴れるわけにもいかないのだろう。やがて計算が終了したのか、口を開く。


「……金貨5000枚だ」


 …あれ?予算オーバーしてる。しかも倍以上…


「あぁッ!なんだその金額!アタシが借りた金額の100倍じゃねえか!」


「黙りな。伯爵様。この女を身請けしたいなら金貨5000枚。それ以下はあり得ない。できないならそのガキだけ連れて帰りな。もちろん、抱くのは自由だぜ?ひっひっひっ」


 バジルの冷酷な眼差しを見るに、それだけの価値がゼイラにはあるのだろう。


 しかし、それでも金貨5000枚かあ。まあ払えるといえば払えるのだが、ネトラレイスキー家の先祖たちが堅実な生活を送ることでようやく貯まった財貨を切り崩すことになるな。


 …そうだ!不足分は国が払ってくれるって言ってたじゃん!


 なーんだ。じゃあ余裕じゃん。はっはっは!馬鹿めバジル!伯爵家の財力を舐めるじゃねえよ!


「いいだろう。ゼイラ、君を金貨5000枚で貰い受ける。屋敷に使いを送る。今すぐ払ってやろう」


「…嘘は通りませんぜ?」


「名誉ある伯爵貴族が嘘をつくわけないだろ。お前は金貨を数える準備でもするんだな」


「え、ちょ、おいリューク、マジか?え、本気?…本気なのか?」


 もしかしたら無理かもしれないと思っていたのか、本当に身請けするという話になることでゼイラの顔がだんだん明るく、嬉しそうになる。


 その様子を見ていた周囲の娼婦たちもなんだかうっとり、羨ましそうな顔をしてこちらを見ていた。


「えー、いいなー」

「身請けかあ。羨ましい」

「ゼイラ、おめでとう」

「また一人、娼館を去るのね。ふふ、良かったわね。もうここに来ちゃダメよ?」


 なんだかいつの間にか僕らの周囲に人だかりができていた。


 彼女たちもいろいろ複雑な心境なのだろう。それでもゼイラの身請けを祝福しているようだった。ニーナ以外は…


「そ、そっか。ゼイラ、いなくなっちゃうんだね」


「ニーナ。悪いな、アタシ、先に外に出るぜ」


「ううん。いいの。…もう故郷の森もないし。堕ちたエルフなんてここがお似合い。娼婦のエルフなんてここ以外…うぅ…どこにも居場所ないもんね」


 その目にはうっすら涙がある。そしてなぜかチラチラとこちらを見るゼイラの視線が気になった。


「……支配人。ニーナも身請けするよ」


「…好きにしろ。金貨500だ」


 ニーナは元ナンバー1って聞いていたのだが…いや、金貨500は十分高いか。しかしゼイラの金額が破格だった分、なんか格下感があった。


「さっすが伯爵様だな!太っ腹だぜ!」

「お兄ちゃん、すごーい。ニーナお姉ちゃんも一緒だね!」

「え、本当に?私、娼婦を辞められるの?私、外の世界に戻れるの?やった!」


 その後。


 僕は屋敷に必要な金貨を持ってくるように使いを出す。ついでに王宮にも無事、元S級冒険者のゼイラを引き入れることに成功した事と、その費用として金貨5520枚が必要になったこと。足りない分を補償して欲しい旨の手紙を送った。


 …まあこれでなんとかなるだろう。うん?なんか計算が間違っているような気がするが…うん、まあ大丈夫だな!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る