第63話 説得

「おかえりなさい、リューク」


「た、ただいま」


 夜も更けた頃。


 流石にもうみんな寝てるかなあ、なんて思いながら屋敷に戻ると、メイドと執事の出迎えとは別に、シルフィアからの歓迎の言葉を受けた。


 どうやらそろそろ寝る準備をしていたらしい。やけに煽情的なネグリジェ姿で彼女は僕の傍まで駆け寄ってくる。


「遅かったね」


「う、うん。ちょっと野暮用で」


「そっか。お仕事ご苦労様です。ねえリューク…」


 シルフィアは甘えるように僕の腕を抱きしめ、その柔らかな胸の中で拘束する。彼女の長く赤い髪が揺れて、かすかに甘い香りが僕の鼻腔を刺激してくる。


「食事にする?お風呂にする?それとも――」


 む?それはラブラブな新婚カップルがよくする定番の…


「浮気の報告でも、する?」


 …なぜそれを知っている?


「リュークはもう一人の体じゃないんだよ?全人類の希望を背負ってるの。そんな大切な人に何かあったら大変でしょ?だからね、常に監視されてるし、何かトラブルがあったらちゃーんと報告が来るんだよ――王子から連絡きたよ」


 僕の腕をがっちりとその柔らかな胸の中で拘束しながら、彼女は耳元で怪しく囁く。


 まったく。腕は幸せだというのに、耳は地獄だよ。はははは!…おのれ王子め!僕が一体ナニをしたというんだ!


「ち、ちちち、違うんだよシルフィア。これは深い理由があって…」


「うんうん。わかってるわかってる。さあ、ベッドで話を聞こうね」


 シルフィアの声音はとても優しい。しかし、それがなんだか怖い。


「今度はもっと大きいサイズにしようかな」


 どうやら怒っているようだ。というかアレより大きいサイズなんてあるの?それだけは勘弁して欲しいかな!


 よーし、全力で謝罪するぞ!


 …


 そして10分後。


「ふーん、つまり、私と間違えて抱いちゃったんだ、その姫執事ちゃんを」


 姫執事って何だろう?なんだか姫奴隷みたいな響きだな。


「そうなんだ。まさか意識を失うほど酔うとは自分でも不覚だったよ。まったく面目ない限りグホッ!」


 ぐりぐりと後頭部にシルフィアの足の感触が来た。


 現在。僕はベッドの端に腰かけて座るシルフィアの眼前で土下座をしている。彼女はそんな僕の後頭部に足を置き、定期的に力を込めて僕の後頭部を踏んでいる状態だった。


「もう、勝手に喋っちゃダメ。今は私が喋ってるんだよ」


「……」


「どうして黙るの?」


「グホッ!…え、だって勝手に喋っちゃダメって言うからグホ!」


「もう、私、喋っちゃダメって言ったよね?どうして言われたことができないのかな?」


 ぐりぐりと足に力を込めて僕の後頭部を踏みしだくシルフィア。


 そんな、喋って欲しそうだから喋ったのにそれもダメだなんて、理不尽だよ。


「あーあ、魔王殺しの英雄が女の子に頭を踏まれて懺悔するなんて、みっともないね」


「え、そう?」


 うーん、どうだろう?僕は別にそんなに気にしはしないけど。まあ一般的な世間においては気にする事なのかな?


 いや、もちろん、相手が男だったら僕だってむかつくし、怒りのあまり殺してやろうって思うかもしれないよ?


 でも相手がシルフィアなら、別に頭を踏まれてもそんなに気にならない…なんなら鞭を使っても良いぐらいだし…こちらとしてはむしろ嬉しいぐらいなんだけどな。


「リューク…それは優しさとは違う気がするけど…」


 おっと、心の声が漏れてしまったようだ。


 なんだかシルフィアに若干引かれたような気がした。きっと気のせいだろう。


「…それで?リュークはそのミルアドのお姫様をどうしたいの?」


「僕の女にしたいと思ってるグハッ!」


 今までで一番強い力で後頭部を踏みつけられた。しかし、シルフィアの足ってすごく綺麗だな。こんな足で踏まれるなら別にそこまで嫌な感じはないか。むしろご褒美的な…


「どうして?私と間違えただけでしょ?リュークも男の子だし、間違いがあるのはしょうがないと思うの。でも間違いは所詮、どこまでいっても間違いだよね――どうして新しい女が欲しいの?」


 どうしてって聞かれると、ちょっと困るな。単純に可愛いから欲しいと思った、ではダメなのだろうか?


 …まあダメか。そんなこと言ったら絶対に怒るだろうし。


「新しい女が欲しいのは、加護のため?それなら別にいいよ。リュークには世界を救う、人類を助けるっていう立派なお仕事があるもの。仕事のために新しい女が必要なら、私、まーったく問題ないと思うよ?だからね――」


 ――仕事のために女を増やすだけ、だよね?――と念を押すシルフィア。


 え、そうなの?なーんだ、加護のためって言い訳すれば問題ないのか!はは、それを聞いて安心したよ!


 僕はようやく土下座から顔をあげてシルフィアの足を掴む。…舐めてみるか。


「まったく、リュークったら…きゃ!ちょ、なにして…もうッ!私、真剣な話してるんだよ!…足なんて汚いよ?あ、こら、どこまで舐めるの…ん💓」


 僕はつま先から順番に彼女の足首、ふくらはぎ、膝、太腿、とシルフィアの綺麗な女の子の足にキスをしつつ、だんだんと彼女の下腹部へと迫っていく。


 そんな僕を押しのけるように、僕の頭に両手をつくシルフィア。しかし、その力は弱く、まるで抵抗する気配がない。


 どちらかといえば受け入れているような…


「ダメ!ダメだってばリューク…ん💓わ、私、怒ってるんだよ?そんなことして誤魔化さないで…あん💓」


「へえ、そっか、怒ってたのか…シルフィア、嫉妬してたのか?」


「…してないもん…あん💓」


 シルフィアをそのままベッドに押し倒す。彼女は僕から目を背けるように横を向く。そんな彼女の首筋にキスをすると、ビクンと体が震えた。


 いつの間にかシルフィアの指と僕の指が密接に絡んでおり、お互いの手を握りあっていた。


「りゅ、リューク…」


「シルフィア、不安にさせてごめんな」


「あ…ん💓」


 シルフィアの唇にキスをすると、彼女も求めるように僕にキスしてきた。


「シルフィアは、僕のこと好きか?」


「……」


「好きって答えてくれたら、さっきの質問に答えるよ」


「…ずるくない?」


「そうかな?」


「そうだよ…………好きだよ」


「僕も好きだよ」


 それだけ言って再びシルフィアにキスをする。やがてシルフィアの体から力が抜けて、顔は赤くなり、体温が上がって皮膚に汗が浮かび始める。


 彼女はなんだか困ったような、それでいて嬉しそうな顔をして僕をじっと潤んだ瞳で見つめてきた。


「私のこと、好きなんだよね?」


 シルフィアが目を蕩けさせながら言葉を紡ぐ。


「ああ、好きだよ」


「私だけが好きなの?」


「…シルフィアは特別だよ」


「私だってリュークは特別だよ」


 シルフィアの表情は曇り、不安そうに眉根を寄せる。


「私だけじゃダメなの?」


「その予定だったんだけどね」


 どうも上手くいかないな。もともとはシルフィアだけ愛する、そんな人生で良かったはずなのに。


「…これが罰なのかな?」


 うん?なんだろう?


「リュークを私の復讐に巻き込んじゃったこと、ずっと後悔してる。だから、これが罰なのかなって。私がどんなにリュークを好きになっても、リュークはどんどん女の子を増やしちゃうんでしょ?嫌だけど、仕方ないこと…これが罰ならちゃんと受けようかなって思って」


 …うーん。そんなふうに考えて欲しくはなかったんだけどな。


「違うよ、罰じゃない」


「そう?」


「そうだよ。ただ僕が、助けてあげたいって思った。それだけだよ。だからシルフィアが怒るのも無理ないし、僕も悪いことしたなって思ってる」


「ふーん。なら私がやめてって言ったら、そのお姫様も切り捨てる?」


 それは――どうなのだろう?


「そうだな。シルフィアがそう言うなら、それに従うよ」


「え?」


「だから言わないでくれないかな?」


「…えっ?」


「頼むよシルフィア。僕らの仲じゃないか」


「ちょ、ちょっと待ってリューク…こら!どこ触って…あん💓」


「好きだシルフィア!君のことを愛してる!これからもいっぱい愛情を注ぐし、絶対幸せにするからさ!約束するよ!シルフィアの幸せは絶対に実現してみせる!だからお願い!もう一人許して!」


「ん💓…ふざけるな…あん💓…どこの世界にこんな…あん💓…もうダメ…許しちゃダメなのに…わかったよ…んんッ💓……あん💓……許してあげる💓」


 はあ、はあ、…どうやらシルフィアの説得に成功したようだ。危なかった。


「もうリュークのバカ…絶対に幸せにしてくれる?」


「ああ、するよ」


「…はあ。もう、わかったよ。その代わり、私のこと幸せにしないと、あとで酷いよ」


「わかってる。愛してるよシルフィア…ぐあッ!」


 その時。頭に激痛が走った。


 この感覚は、間違いない。加護が発動しかけている。じわじわと体内に秘めた黒いオーラが僕の中で躍動し、力の鼓動が始まる。


 え、これまずくない?


 力が――あふれ始める。


 ドクドクと血流が早くなり、体が暴走を始める。


 だんだんと常人を越える力が溢れてきて、思考が狂暴化し始める。


「リューク?どうしたの?」


 シルフィアの心配そうな顔が目の前にある。


 どくん、どくん…覚醒が始まる…


 しかし、一体誰が?


 どこかで…誰かが…寝取られようとしていた。

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