第61話 金貨

「大変申し訳ないことをしました。この責任は我が家名にかけて必ず償わせて頂きます」


 おそらく何か重要な議題の最中だったのだろう。


 陽が沈み、窓の外は暗くなり始めた時間帯。照明用の魔石が室内を照らす豪勢な客間にて、ルクス王子とデオドラ・ロリコオン公爵が真剣に話し合っていた。


 そんな彼ら…主に公爵に向かって頭を下げる僕。そんな僕の後ろにはなんだか恥ずかしそうに顔を赤らめている執事のルワナがいる。


 頭を下げ、謝罪の意を表明する僕。そんなこちらの様子を見て、頭を抱えるルクス王子。その口から言葉が漏れる。


「お前、おとなしくできないのか?」


 その表情は苦悶に満ち溢れていた。


 なんだかひどく疲れた顔をしているな。まあ最近は激務だし、僕が思っている以上にストレスを溜めているのだろう。


 そんな苦悩に蝕まれているルクス王子とは対照的に、なぜかロリコン公爵は嬉しそうな顔をする。


「ハッハッハッ!英雄色を好むとは言うが、ここまで手が早い人は初めて見ましたよ。いや、流石というべきですかな」


 ほっ、よかった。てっきり怒られるかと思ったが、まさか褒められるとは。ふぅ、危ない危ない。


 ……まあ皮肉なんだろうけどね。


「それで?ルワナ…様はどうされたいのですか?リューク殿にご執心のようですが?」


 表情を変えずに僕からルワナへと視線を向ける公爵…うん?なんで様付けなんだろう?


 なんだか部屋の雰囲気が変わった気がする。それを察知したのは僕だけではない。ルクス王子も目を細くして公爵を見る。


「…デオドラ。あなたには感謝しております。ですが、この気持ちは止められません…ボク、リュークの女になります!!」


 そう言って僕にそっと近づき、手を握ってくるルワナ。その手はとても柔らかく、やはり彼女は女性なのだと改めて実感した。


 …うん?なんかおかしいような…特に言葉遣いが変わったような気がした…


「あの、リューク、ボクのこと、大事にしてね」


 ルワナは確かに燕尾服を着用する、見た目だけは男の子のような外見をしている。しかし今、はっきりとわかった。


 頬を赤らめ、目を潤わせながら僕の上目遣いに見つめてくる彼女の顔は間違いなく女の顔だった。


 この可愛らしい彼女の笑顔を見て、僕は彼女のことを一生大事にして守ってやりたい、そう思った。


 …うん?なんかおかしいな。


 僕は別にそこまで礼儀にうるさい方ではない。しかし、僕がそうでないからといって周囲までそうとは限らない。


 ルワナは見た目は可愛い女の子だが、その役職は公爵家の執事のはず。執事が貴族を相手に下に見るような話し方をするものだろうか?


 室内の空気の異変を感じ取ったのは僕だけではないようだ。ルクス王子もなんだか疑うような目つきになる。その対象は公爵だけではない。この執事にもだ。


「おめでとう、ルワナ様…あなたが幸せになってくれるならこの上ない幸福です。ただ、そうなるとリューク殿はルワナを身請けする、ということになるのかな?」


 急に現実的な話をする公爵。さすがは商業国家ミルアドの大貴族だ。そういう金の話に抜け目がない。


 しかし身請けとはなんだか穏やかな話ではないな。いくら公爵家の使用人だからといって、他人の恋愛にまで口出しするのは野暮というものだろう。


 まあ伯爵と使用人だからな…確かにこれは身分違いの恋かもしれないが、今のようなご時世だ。今更世間の冷たい目など気にすることもないだろうに。


「実は彼女の父親、うちの傘下の商会より多額の借金をした後に行方をくらましてしまいましてね。私が代わりに借金を立て替えてあげたのですよ」


 なんと、そんな事情があったのか。なるほど、だから身請けなのか。


「ルワナの父親とは古くからの付き合いですからね。彼女は私にとって姪みたいなものですから、こうして面倒を見ているのです。いってみれば親代わりのようなものですね」


 ふむ、そういう事情があったのか。そんな姪っ子同然の女性に手を出したのだ。やはり責任はすべて取るべきだろう。


「わかりました。彼女の父親の借金…」


「おい、ちょっとま…」


 ルクス王子が何か言おうとしたが、もはや止められない。僕はルワナを身請けすべく、堂々と宣言する。


「カルゴア王国伯爵家のこのリューク・ネトラレイスキーが責任をもって全てルワナを身請けましょう!」


 ふふ、決まった。こんなカッコイイ姿を見せたらきっとルワナも僕のことをもっと好きになるに違いない!


 僕のそんな宣言を聞いて、ルワナはますます顔を赤らめて嬉しそうな顔をする。なぜだろう?公爵も嬉しそうな顔をする。


「それを聞いて安心しました!流石は世界を救う英雄だ!言うことが違いますね!」


「はは、貴族たるもの当然のことをしたまでですよ」


「では彼女の父親の借金、金貨5万枚、払っていただきましょうか?」


 …うん?


「申し訳ない。金貨5枚と言いましたか?」


「いいえ、金貨5万枚ですね。桁が間違ってますよ」


 ははは、そっか、5万枚か!5枚じゃなくて、5万枚の借金だったか!


 …なにそれ?国家予算じゃん。


「ふざけるな!どこの世界にそんな大金を借りれる人間がいるというのだ!国家予算ではないか!」


 今まで事態を冷静に見守っていたルクス王子が、ここぞとばかりに反論する。よかった、味方がいた!


 そうだよな、いくらなんでもおかしい。融資というのは返してもらえるアテがあって初めて成立するものだ。


 金貨5枚なら庶民でも払えるだろう。しかし5万枚となると、領地を有する貴族でも払えるような金額ではない。それこそ一国の王でもない限り…


「おや?ルワナの父親を御存知ないと?ふむ、ではせっかくの機会ですし、彼らにも教えて頂けますかな、ルワナ様」


 …なんだか目下の者が目上の者に話すような言い方だな。公爵より偉い人なんて王しかないのに。


「リューク…」


「ルワナ?」


 彼女は僕の方をじっと見つめ、なにかを決心するような顔をして言う。


「私の父は…エルンスト・フォン・ライヒデルグ・ミルアド…ミルアド国の王です…」


 へえ、ルワナのパパって王様だったんだあ…ということはこの娘、王女だったんだ…


「な、なぜ一国の王女が執事を…」


「今は人類存亡の危機ですからね。王女様を優遇している暇はないのです。なにより彼女本人がなにか役に立つことをしたいと申し出ましてね。こうして執事の仕事をしてもらってるのですよ」


 と、質問に答える公爵。


 そっか、そうだよなあ。人類の危機にぶらぶら遊ぶなんて、たとえ王族でも無理だよなあ。まあうちの国のお姫様はやってたけど。


「金貨5万枚というのは…」


「魔族との戦争にかかった戦費ですね。これでも少ない方ですよ?なにしろ貸し主の商会たちの多くが魔族の襲撃に遭って滅んでしまいましたからね!」


 ハッハッハッと他人事みたいに笑う公爵。まあ彼からすれば商売敵みたいなものだし、そんなに気にならないのだろう。


 それにしても、そっか、本当に国家予算だったんだ。じゃあそれぐらいかかって当然か。


「…お前、ハメたな?」


 今まで冷静に話を聞いていたルクス王子が、冷徹な声で公爵を睨む。普通の人間だったらビビッてしまいそうな圧のある声だが、公爵はまったく動じてない。


「なにをおっしゃいます?ハメたのはそちらの方でしょう」


 ルクスの厳しい視線がこちらに来る。僕はさっと顔を背けて視線から逃げる。


「公爵ともあろうものが美人局とは、やることが陰湿だな?」


「それは見解の相違ですな。我らが敬愛するルワナ姫が貴国の英雄殿と結ばれただけではないですか。とてもめでたい話です。これは人類の繁栄にとって大いなる幸いとなるでしょう。水を差すような真似はよして欲しいですな」


「リューク?」


 ルワナは僕の腕を握り、上目遣いにこちらを見る。


「ボクのこと、遊びだったのかな?」


 そんな子犬みたいな顔をしないで目をうるうるさせないで欲しい。好きになってしまうじゃないか。


 …しかしさっきまで伯爵様って呼んでたのに、もう呼び捨てなんだ…まあ可愛いから問題ないか!


「ふふ」


 公爵が嗤う。


「はははは!」


「なにがおかしい?」


 棘のある声でルクスが牽制する。


「いえいえ、どうもこういう空気は良くないですね。ルクス王子、我々は別に貴国と険悪な仲になりたいわけではないのですよ」


「よく言うぜ」


「ふむ。どうも誤解しているようですね」


 公爵は一瞬、考えるような素振りをする。きっと演技なのだろう。この男は最初から、こうなるように仕向けて動いている、そんな節があった。


「実はですね、金の価格が現在、暴落しているのですよ。御存知で?」


 急に話題が変わる。いや、もしかしたら変わっていないのかもしれないが、公爵の真意が読めない。


 ルクスの方を見れば、ムッとした表情をする。どうやら本当らしい。


 しかし金が暴落するなんてあり得るのか?金って確か、どんな時であっても価値を有する安全資産ではなかったのだろうか?まあ人類が危機に陥っている今の世の中だ。どこにも安全なんてないか。


「金は安全資産といっても、それは人の営みがあっての話ですからね。魔族の進軍で人類が滅びかけている現在、金貨そのものの需要が減ってしまったのですよ」


 金貨の需要、ね。それはきっと帝国のことだろう。


 通常、庶民が金貨を使うことはない。使うとしたら貴族か大商人、そして国だ。


 大口の契約を結ぶ際には金貨を用いるのが恒例だ。特に国家間の契約のような大きな取引ならば尚更だろう。問題は、その国家間の取引が現在、無くなっているのだ。


 なにしろ世界経済を掌握していたのはベリアル帝国なのだ。その帝国が滅んでしまっては契約もクソもない。


「帝国は巨大でした。帝国がいたからこそ世界の経済は回っていた。その恩恵は計り知れません。帝国という価値の裏付けがあったから、金は価値を有していた。それがなくなったせいで、金貨の価値が無くなり始めてるのですよ。まったく、困った話です」


 商業国家の人間のくせに、やけに他人事だな。


「今や金貨よりも麦の方が価値がありますからね。せっかく必死に集めた金貨の価値がどんどん目減りして我々も困っているのですよ」


 ふーん…あれ?じゃあこのまま金の暴落を待てば金貨5万なんて余裕で払えるのでは?


 と思ったのだが、ルクス王子の苦々しい顔を見る限り、事態は思った以上に深刻なのかもしれない。


 ――そこで提案なのですが、と公爵が前置きする。


「ミルアドを復興させてください。我が国の商人の力があれば、金貨は再び価値を取り戻すでしょう」


 ――それで借金をチャラにしませんか?今なら姫もつけますよ?…と公爵は老獪な商人のような顔をして提案を持ちかけていた。


 王族すら商品に変えてしまうのか。この国の狡猾さをちょっと甘く見ていたのかもしれない。

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