第47話 まおt………魔王を屠りし者

 …はあ、はあ。


 呼吸は荒く、空は灰色だ。重い空気の中、魔族の軍勢は森の中の狭い道を縦二列になって行軍していた。


 はるばる遠く北部大陸より魔王直々の下令を受けて進軍。わざわざこんな辺境の大陸南部の小国までやって来たというのに、さんざんな目に遭っている魔族の軍勢。


 この魔族の軍勢は5魔王の一角、シログレイスの傘下にあたる軍団であり、その目的は人類最後の拠点であるカルゴアを潰し、そこをシログレイス軍の拠点としてギュレイドスの残党を潰し、大陸南部をその支配下におさめることだった。


 いくら魔王を失ったとはいえ、いまだギュレイドスの幹部たちは残っており、大陸南部は事実上、ギュレイドス軍が支配下においている。


 人類軍が虫の息と化している現在。魔王軍にとってもっとも目障りな敵対勢力は別勢力の魔王軍であったりする。


 あくまで人種という共通の目的があったので協同してことにあたっただけで、魔王同士はそもそも仲が良いわけでもないし、別に友誼を結んでいるわけでもない。いつでも殺し合いを再開する覚悟と準備はできている。


 人種という共通の敵がいなくなれば、今度はお互いが敵同士に戻る。もともとそういう約定のもとで人種を相手に戦っていたに過ぎないのだ。


 今まではギュレイドスがいたので大陸南部への侵攻に躊躇いがあっただけだが、いなくなったのであれば話は別だ。


 もちろん。なぜあれほどの強さを誇ったギュレイドスがやられたのか、その疑問はあった。しかしギュレイドスという魔王は力こそ強いが思考は単純で、簡単に罠にハマりやすいタイプでもある。


 きっと人種が仕掛けた罠にハマったのだろう、魔王シログレイスはそう決断を下し、威力偵察をかねて1万5000の魔族の軍団を南部に送った。


 威力偵察とは言うが、そのまま斃してしまっても構わないぞ、そんな事を冗談めいた口調で言って軍団を送り出した魔王シログレイスの言葉を軍団長は思い出す。


 意気揚々と見送られた魔族の軍団を率いるこの軍団長は、今後どうすべきかで悩んでいた。


 進軍か、それとも撤退か。


 森の中の道をゆっくりと行進する魔族の軍勢。その一団の顔はひどく疲れ、消耗している。


 これが戦に勝利した結果としての疲労ならばまだ良かった。しかし、結果は惨敗に等しいものだ。人類軍の罠に見事にハマることで行軍に遅れをきたすばかりか、いたずらに兵士たちを消耗してしまった。


 魔王シログレイスはたとえ相手が格下の部下だろうと、気さくな態度で話しかけてくる、とても気持ち良いの性格の持ち主だ。しかし、優しくはない。


 結果を出している限りはとても友好的に接してくれる。しかし、いざミスをし、無能の烙印を押されれば、たとえ昨日まで友として接していた相手だろうと即座に切り捨てる。


 司令官として考えるならば、撤退するべきかもしれない。


 しかしなんの成果もなしに帰るなど、許されない。必ずや失敗の責任を取らされるだろう。


 あの冷酷な魔王はきっとこの軍団長を許さない。


 そのことを考えると、ブルっと軍団長の体が震える。


「――なあ。なんかこの辺、静かだな」


 魔族の軍団長が今後のことに憂いていると、前を歩く魔族の歩兵がそんなことを呟く。


「あ?そうか?」


「だってさっきまで鳥とかゴブリンとかいただろ?でも急に動物とか魔物の気配が消えて、なんか不気味じゃね?」


 そういえば――と思い返す軍団長。


 鬱蒼と木々が生い茂るこの森は、人の手が入っていないせいか動物や低級のモンスターにとって住みやすい環境のようで、行軍の最中に小動物やゴブリンなどを見かけていた。


 特にゴブリンなどは魔族の軍勢を警戒しているのか、遠巻きにこちらの様子を伺っていた。それが、今はいない。


 そう、いなくなっているのだ。まるで何かから逃げるように森の中の生物は姿を隠す…


 そういえば、同じような経験が以前にもあったな、と軍団長は思い起こす。


 あれは魔王シログレイスが数名の幹部たちを連れて人類軍を追撃していたとき。山中に逃げ込んだ人類軍を追っていたシログレイスがやがて敵を追い詰め、強烈な殺気を放った時。今までこちらの様子を伺っていた動物や低級なモンスターなどが一斉に逃げ始め、周囲から消えていった。


 動物や低級のモンスターのような弱い生き物は、強い生物の殺気などに敏感なのだろう。


 特に魔王シログレイスのような規格外の強さを持つ者が放つ殺気はあまりにも強烈すぎて、周囲の動物たちを怯えさせてしまったのかもしれない。


 ふふ、懐かしい記憶だな…うん?


 その懐かしい記憶を思い返すことで、軍団長はなにか大事なことに気付きそうだった。しかしその気付きは、「前方に敵発見。歩兵一人です!」という報告によって打ち消された。


「こんな場所に敵だと?」


 それも一人だという。


 一瞬、なにかの罠か?と警戒心が頭をよぎる。


 これもあの人類軍の司令官の策略か?だとしたら、うかつに近づくのは危険かもな。


「全軍、止まれ!周囲の警戒をせよ!」


 軍団長の命令で今までのしのしと歩いていた魔族軍が停止する。そして…


「敵接近!先頭の部隊と衝突します!」


「ああ?一人で俺たちとやるつもりか?なんだ、ただの馬鹿か…」


 警戒心が休息に解かれ、ホッと安堵する軍団長。


 脆弱な人種と強靭な魔族とでは、強さがまるで違う。確かに人種の中には単体で魔族と渡り合えるような特殊な個体もいるが、そのような例外ですら魔族が集団で襲えば耐えきれず、負けるものだ。


「はあ。ったく、こんな馬鹿にまで舐められるとは、魔族も落ちぶれたもんだな――そんな馬鹿はさっさと殺してしまえ!」


 と命令を下すも、わざわざ言われるまでもなく先頭の部隊はその馬鹿な人間を今ごろきっと殺していることだろう。


 しばらくすると、剣戟の音が鳴る。激しい斬り合いの音が縦列の先頭より聞こえてきた。


 わざわざ魔族の軍勢に突っ込むのだから、たとえ馬鹿であっても相応の実力はあるのだろう。金属と金属がぶつかるような激しい剣戟の音は縦列の後部まで響く。


 しかし、その音もやがて止まるだろう…と軍団長は思っていた。


 だが、止まない。金属のぶつかる音はさらに激しさを増し、そして音はより大きくなる。


「………」

「………」

「……たすけぎゃあ!」


 やがて剣戟の音に悲鳴が混じる。それは魔族たちが切り殺される悲鳴だった。


「て、敵接近!歩兵部隊を突破しています!」


「なんだと!なにが起きている!」


「化け物だ!化け物が襲ってきてる!」


 襲ってくるって、こっちは1万5000の軍団だぞ?


 確かに現在、狭く細い森の中を縦列で行軍しているので、敵は実質目の前の二人を相手に戦うだけなのだろうが、だからって次々と後ろから敵が現れたらいずれ体力が底をついて戦えなくなるだろ。


 しかし、軍団長のその予想を裏切るように悲鳴は続く。


「うぎゃあ!」

「助けて!」

「こいつ化け物だうぎゃあ!」


 ――まさか、こいつなのか!?


 その時、ようやく気付く。魔王ギュレイドスが一体どうやって殺されたのか。


 あの力だけは最強を誇っていた魔王ギュレイドスが負けた理由。それは、卑怯な罠や策略ではなく、堂々と戦った末に負けたというのか?


「ぎゃああ!」

「おたすけぶっしゃあ!」

「ぐわすかああ!」


 悲鳴。剣戟。そして肉が裂かれ、首が飛び、内臓が落ちる音がする。敵はもうすぐ目の前まで迫っていた。


 やがて今まで前方の視界を塞いでいた魔族の部隊が血風をまき散らして目の前で瞬殺。体をバラバラにして地面へと肉の破片を落としていく。

 

 その結果、視界が開けて敵の正体が目に入る。


 それは黒いオーラをまき散らす、暴力の塊だった。


 全身から黒い靄のようなものを大気へと垂れ流し、目は赤く輝かせ、殺意を迸らせる。その人間は巨大な大剣を右手に、黒い槍を左手に持ち、こちらを睨む。


「殺す」


 その暴力の化身は言葉をハッスル…発する。


「なにがハッスルだ!この腐れ外道まお…魔王どもが!お前ら、ぶっ殺してやるからなッ!」


 うおおおおッと化け物じみた咆哮をあげ、こちらに突っ込んでくる。


 あれは、まずい。絶対にまずいやつだ。


「ま、待て!我々は降参する!俺は魔王シログレイス麾下の軍団長で、人質としての価値がうぎゃっぷ!」


 暴力の化身が右手を軽々と振る。たったそれだけでの簡単な動作で右手の大剣が高速で一閃され、その近くにいた魔族どもが肉片へとなり、地面に大量の血や臓腑をまき散らしていった。


「そんな、軍団長が…」

「なんだよあれ、あんなの反則だろ」

「逃げろ。にげろおおおおうごすげぶ!」


 今まできた道を引き返すように逃げる魔族の軍勢。その背後より暴力の化身、ネトラレイスキー伯爵が大剣と黒い槍を握りしめて追撃する。


 普通の人間、いや魔族ですら長時間戦っていたら体力は尽きるものだ。しかしネトラレイスキー伯爵の動きはまったく鈍ることもなく、次々と魔族を屠っていく。


 中には道を逸れて森の中へと飛び込む魔族もいた。しかしネトラレイスキー伯爵が大剣を振るえば森の木々ごと魔族が伐採され、下半身だけを残して血を噴いて倒れていく。


 味方を囮にしてなんとか近くの沼に飛び込む魔族がいれば、槍を振り上げて黒い雷を強烈な破裂音とともに発生させる。そして槍を振ればまるで自我があるかのように大量の黒雷が沼地に向かい、沼の水ごと魔族を焼き裂いて殺していく。


 もはや逃げ場などなし。


 1万5000いた魔族の軍団はたった一人の男によってみるみる数を減らし、そして撃滅させられた。


 その様子を見守る人類軍たち。魔族からすれば地獄の光景かもしれない。しかし、魔族によって滅ぼされかけている人類側からすれば、希望の象徴のような光景だった。


「うわあ」

「すげえ」

「あの人がいればもう俺たちいらなくね?」

「ああ、そうだな。あれはもう一人旅団だな」

「ネトラレイスキー伯爵。あの人こそ本物の英雄だな」

「寝取られ好き!寝取られ好き!」

「ふむ、あの人になら俺のケツも預けられる。いつか掘ってくれないかな?」


 たった一人で魔族の軍勢を死へと追いやったネトラレイスキー伯爵。その圧倒的な光景は見る者を魅了し、兵士から賞賛の声が溢れていた。


 やがて今まで来た道をとぼとぼと歩いて戻ってくる。その姿はとても歴戦の勇者とは思えず、なんだかひどく疲れているようだった。


 そんな彼を黙って見守る兵士たち。やがて伯爵は槍を天へと振り上げ、叫ぶ。


「…敵は殲滅した!人類の勝利だ!」


 勝利を宣言するネトラレイスキー伯爵。その言葉に、


「「「「うおおおおお!」」」」


 割れんばかりの勝鬨が上がった。兵士たちは一斉に勝利の雄叫びをあげ、人類の勝利を喜んだ。



「…帰りたくないな」


 皆が皆勝利にわき、家族や恋人のもとへ帰ることを考えている中、一人だけ帰還を嫌がる声が発せられたが、それに気付くものは本人以外にはいなかった。

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