第45話 2日目

――カルゴア北部ギアド要塞・司令本部


「伝令より報告!死者18名、重傷者27名――」


 司令部にて損害の報告を受けるロベルと彼の麾下の将官たち。一見すると有利に戦局を進められこそしたが、人類軍はまったくの無傷というわけにもいかず、犠牲者は出た。しかし、それでも…


「倍以上の戦力、それも魔族軍を相手に被害を百分の一まで抑えてる…ふむ、さすが司令ですね」


 まともに戦えば全滅すらあり得た魔族との戦闘。それを最小限の被害に抑えつつ魔族軍を一時的に撤退させたわけだから、まさに上出来である。これ以上ない戦果といえるだろう。しかし、それでも言われた当人は浮かない顔をしている。


「はあ。そうだね。…さすがに無傷とはいかないか」


 溜息を一つ。そして紅茶を飲む司令官。


「司令…」


「うん?なんだい?」


「あなたは魔族の脅威から人類を守りました。これは司令でなければ出来なかった偉業です。少なくとも私はあなたのことを尊敬しますよ」


「はは、ありがと」


 副司令の言葉に力なく笑みを浮かべるロベル。


「さて、次の手を考えないとね」


 確かに魔族軍は撤退した。しかしそれは一時的なものだろう。次の侵攻に備えるべく、暗く夜が更けていく中で、いつまでも司令部の明かりはついたままだった。


 そして次の朝。


「敵襲!魔族軍、多数接近!」


 再び魔族軍がやってくる。


 魔族軍は部隊を小さく分散し、大きな横陣を作って平原を進軍してきている。


 それを要塞の上部より俯瞰して見るロベルたち。


「ずいぶんまばらな陣形ですね」


「うーん、おそらく防御陣地をしらみ潰しに破壊してこちらの逃げ道を塞ぐつもりなんだろうね」


 実際、魔族軍は横に長く、薄い横陣を展開してこちらに迫ってくる。


「一ヶ所に集めると爆破の餌食になるからね。ああやって部隊を分散して被弾のリスクを減らすつもりなのかもしれないね」


「ふむ、なるほど」


 そんな会話をしつつ、戦線を上から見守るロベルと副司令官。やがて前回同様に人類軍から弓兵部隊による斉射が行われ、さらに爆発物が投擲されるも、部隊が分散しているということもあってか前回ほど大きなダメージとはなっていない。


 魔族の一体や二体がやられたところで、敵は進軍を止めることなく、横一面に広がる魔族軍の歩兵部隊が次々と防御陣地を破壊していき、人類軍の逃げ場をなくしていった。


「これは…まずいですね」


「そうだね。じゃあ次の手をうちますか」



 ■魔族軍


「おらあ!」


 人類軍が即席で作り上げた丸太製の防御柵。それを太い足で蹴る魔族。それだけで人類軍の防御柵はあっけなく破壊されていった。


 丸太は折れ、音をたてて柵は崩れ落ちる。その様子を見て慌てて陣地を飛び出して逃げる人類軍。しかし前回と違って、今回の魔族軍は横に広がるような陣形を作っているので、人類軍は敵を迂回して背後に回ることができず、そのまま後ろへと逃げるしか道がない。


 それはゆっくりで緩慢な行軍。しかし確実に魔族軍は人類軍を後ろへと追い詰めていった。


 そんな逃げ行く人類軍を見て、魔族軍の歩兵部隊から野次が飛ぶ。


「昨日はよくもやってくれたな!」

「だが今日でお前らも終わりだ!」

「ひゃっはー!昨日分、百倍にして返してやるぜ!」


 確かに前回の人類軍の奇策には驚かされ、一時的に撤退した魔族軍。しかし、どんな奇策も仕掛けさえわかっていればいくらでも対応策はある。


 昨日。魔族軍の司令官はこれ以上の進軍は無駄だと見切りをつけると、一時的に撤退。対策をたてて再度侵攻することを決断した。


 それは司令官としては正しい対応なのだろう。しかし人という種族を見下している魔族側からすれば、一時的とはいえ人間などに背中を見せて逃げることは屈辱以外のなにものでもなく、それが魔族たちの怒りに火をつけていた。


 その怒りの感情のあまり、中にはこの遅々とした行軍に嫌気をさすものもいる。


「ったく、なにをちんたらやってんだよ」

「おい、勝手な行動は慎めよ。お前が先走ると俺まで怒られるんだぞ」

「わかってる…うん?へへ、逃げ遅れた奴がいるぜ。ひゃっはー!ぶっ殺してやるよ!」

「あ、この馬鹿!…はあ、まあいいか一人ぐらい」


 もともと個人主義の傾向が強く、陣形を組むなどの協力的な行動が苦手な魔族たち。いくらこれが軍を動かすにあたって必要なことだとわかっていても、中には命令を無視して飛び出すものもいた。


「おらおら、どうした?躓いちまったのか?運がねえなあ、そのまま死んじまいな…」


「ああ、お前がな」


「へ?ぐあッ!」


 魔族を前に膝をつき、いかにも転んで怪我をしたような行動を取っていた人類軍の兵士の一人。


 しかしその兵士は魔族の一体が部隊から飛び出したことを確認すると、一気呵成に距離を詰め、下から突き上げるように穂先を喉に突き込む。


「あ、あが…」


 喉に槍の先端が突き刺さることでうまく言葉が出ず、やがてブクブクと血の泡を吹き出しす魔族。


 やがて兵士が槍を抜くと、ドバドバと大量の血が喉より溢れ出て、そのままズシンと音をたてて魔族は地面に倒れ伏す。


「ふふ、我が魔槍に突けぬ者な…」


「隊長、なにやってんですか!敵が来ます!早く逃げますよ!」


「ああ?ああ、まったく、捨てセリフを吐く暇もないな」


 その兵士、短い黒髪の上に犬の耳を持つ獣人族の女、そして第六騎士団の副団長でもあるミレイアは槍を横に振って魔族の血を払うと、こちらに向かってくる魔族の小部隊とは反対方向に向かって逃げる。


 魔族ほどではないが、獣人族は人間よりも強靭な肉体を有する種族だ。彼女が使用している槍が特別製であることに加えて、なによりその強靭な肉体より放たれる槍の突きは魔族の硬い皮膚すら貫く。


 といっても流石に連戦するだけの体力はないので、魔族の集団相手に戦うつもりはないのだが…


「それにしても」


 こちらに迫る魔族の部隊をしり目にミレイアは考える。


「あの司令官の言った通りの展開だな。次に奴らは部隊を少数に分散して攻撃してくる。だから数が少ないところを狙え、か」


 正直、なんでこんな凡庸そうな男が人類軍の司令官を努めているのだろうと疑問はあった。しかし、それに足るだけの能力があの司令官にはありそうだと、彼女は認識を改める。


 やがてミレイアたちを追ってくる魔族の集団に向かって爆発物が多数投擲。その部隊は一網打尽になって爆殺されていった。


 そして同じタイミングで、似たような行動が他の箇所でも発生する。


 確かに魔族は強いのだが、決して無敵ではない。集団で襲われたら敵わないが、少数が相手ならば人種でも倒すことは十分に可能なのだ。


 人類軍の中には少数だが、魔族を圧倒できるほどの戦闘力のある兵士はいる。そういう戦闘面で優れた能力を持つ兵士には事前に、魔族の部隊が少数に分散され、部隊から離れている個体が出たら襲撃せよ、そして指定した場所に敵部隊を誘導するように逃げろと命令されていた。


 魔族の軍団は現在、各部隊を分散し、大きく横に広がる横陣を展開している。確かに横陣を大きく広げればその分だけ相手を制圧しやすくなるだろう。


 しかしその反面。戦力が分散されるので、各個撃破がしやすくなっていた。


 その様子を見て、ただでさえ昨日の撤退に怒りを燃やしていた魔族軍の司令官たちは、さらに怒りが膨張していく。


「クソが!なぜだ!なぜ上手くいかない!」


 激怒するあまり周囲に辺り散らす魔族軍の司令官。だがいくら罵声を発したところで、司令官の指示のせいで次々と魔族たちが討たれていく事実に代わりはなく、ただでさえ遅い行軍はさらに遅くなっていた。


「もう、いい」


 やがて司令官は決断をする。


「全軍に告ぐ!楔形陣形を組んでまっすぐに攻撃しろ!」


「ですが、それだとあの爆撃の餌食になりませんか?」


「構わん。多少の犠牲は無視しろ!敵に攻撃されても追撃するな!無視しろ!そのまままっすぐ敵の要塞を襲え!」


「ハッ!」


――人類軍司令部


「はは、奴ら自棄になりましたね。突撃陣形なんて組んだら良い的になるだろうに」


「いや、まずいね」


「え?」


 敵の行動に司令部より笑いが漏れるが、ロベルだけは目を細めて否定の言葉を発する。


「はあ。敵は罠にかかること前提で突っ込んでくる。こういう馬鹿正直な手合いが一番面倒だよ。だって罠の仕掛け甲斐が無いんだもん」


「では、どうされます?」


「うーん、撤退だね。残念だけど、今の僕らに魔族軍の突撃を止める手段はない。第二防衛拠点まで全軍撤退せよ」


「ハッ!」


「それとわかってると思うけど、この要塞を敵に渡すわけにはいかない。すべて破壊するように」


「ハッ!」


 やがて要塞より赤い煙が発生。撤退の狼煙である。それを見た各指揮官たちは迅速に撤退を始める。


「お?」

「なんだ?」

「敵が逃げてくぞ!」

「おいおい、なんなんだよ!てめえら、やる気あんのかよ!」


 魔族からすれば、こっちは被害を受ける覚悟を決めてまで時間をかけて陣形を組んでさあ突撃、という段階で人類軍が逃げ出したのだ。完全におちょくられてる気分である。


「くそが…まあいい。敵は我らに恐れをなして逃げたぞ!全軍、追撃せよ!」


「「「おうッ!」」」


 と司令官が下令を出すも、まだ距離のある段階で人類軍に逃げられてるわけなので、いまさら追撃をしたところで魔族軍が追いつけるわけがない。


 やがて防御陣地を抜けて要塞に辿り着くころには、すべての人類軍は後方…森の中へと消えていった。


「軍団長…どうします?奴ら、森の中まで逃げていきましたが…」


「いまいましいが、無視しろ。明らかに罠だ」


 今までの魔族軍ならばこのまま森の中まで追いかけて追撃したことだろう。しかし、この人類軍の司令官は明らかに普通ではない。


 きっと何か罠がある。その警戒心が行動に歯止めをかけた。


 それに加えて前日からの連戦である。いい加減、兵士を休ませたいという気持ちもある。


 せっかく敵の要塞を制圧できたのだらか、そこで休ませるべきだろう。


 そう考えた矢先である。


 ドッカーンと激しい爆発音をたてて人類軍の要塞が爆破した。


「な、なんだ!?」


「わ、わかりません!急に要塞が爆破、火災があちこちで発生してます!」


「ぐ、ぐぬぬぬ、あいつら、やりやがったな!」


 要塞に今までいたのは人類軍なのだ。当然、この爆破と火災も人類軍の仕業に決まっている。


 要塞より発生した火災は猛烈な勢いで建物を焼き、それに追いうちをかけるように爆破が連続して発生。やがて壮大にそびえ立っていた要塞は瓦解し、火の海の中へと消えていった。


 人類軍を撤退させ、カルゴア北部を制圧した。戦略的に見ればまさに魔族軍の勝利である。だが、要塞を失ってしまった以上、この勝利になんの価値もなく、ただ無駄に魔族軍は兵力を減らしたのだった。


「軍団長、どうします?」


「クソが、クソが…ぐぐッ…構わん。このまま進軍を続ける。その前に一旦、休息をとる。怪我人の処置が終わり次第、行軍を再開するぞ!」


 森の中に逃げた人類軍を撃滅できなかったのは惜しい。しかし最大の目的は人類最後の拠点であるカルゴアを潰すことにある。


 そうだ、なにも問題はない。


 確かに多少のダメージを負ったが、軍はいまだに健在なのだ。このまま進軍してカルゴアを滅ぼしてやれば、すべて終わる。


 そう自分に言い聞かせるようにして感情を抑える魔族の軍団長。やがて休憩が終わると森の中にある道を縦二列になって魔族軍は進軍していった。


そして三日後。


「あの軍団長」


「…」


「この道、おかしくないですか?」


 既に森の中の道に入って以降、三日が経過している魔族軍。しかしいっこうに目的地であるカルゴアの王都に到着する気配がない。


 もしかして罠にかかったのでは?そんな思いを打ち消すように黙って進軍を続ける魔族軍。


 やがて森を抜け、視界が開ける。


 ようやく王都か!そんな声が魔族軍のいたるところから上がる。


 魔族軍は森を抜ける。そこには一面に広がる広大な海があった。白い砂浜に、海の潮風が魔族軍にあたる。


 どう考えても王都ではない。そしてようやく気付く。


「クソがッ!騙しやがったな!」


 青い空に向かって魔族の罵声が轟いた。


     ■


 ――エニスの森・第二防衛拠点


「うまくいきましたね、司令」


「そうだね」


 森の中に仮設した第二防衛拠点。そこには現在、森の中に逃げた人類軍がいる。


 確かに森の中といえば森の中なのだが、精確に言うならば王都へ向かうはずの本当の道の横に作られた拠点である。


 司令官のロベルは今回、防衛の任務につくにあたり、エニスの森の木々を伐採。それを森の出入口に設置し、あたかもここには道がないように偽装しておいた。


 といっても木を植えた程度の偽装なので、もしも要塞の上階より森を見渡したら、すぐにバレる偽装である。


 要塞を爆破したのは、この偽装をバレないようにするための工作だったりする。


 あとは偽の看板を設置し、魔族軍を別の道へと誘導するだけ。


 もしも魔族軍が罠を警戒せずに森の中まで追撃してきたらきっと一網打尽にされていただろう。そのような事態を防ぐべく、様々な小細工を弄して魔族軍に警戒心を抱かせたのである。


 結果として偽装はうまくハマり、魔族軍は別の道を使って進軍。その道は王都はまるで見当違いに繋がっており、最後には見晴らしの良い海岸、カルゴアの王族たちがよく利用する避暑地へ到着する。


 こうして北部の防衛は成功。ロベル司令率いる北部防衛軍は、魔族軍の進軍を遅らせることができた。

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