第44話 1日目の攻防
丘の上に立つ要塞。そこから見下ろす平原には今、北方より国境を超えて進軍してきた魔族の軍勢が隊列を組んでいる。
やや不規則で時間こそかかったが、魔族の司令官の号令にあわせて横一列の横陣の部隊が三つ並ぶ状態になる。
魔族軍は騎馬隊による突破を諦めて歩兵部隊を中心に攻めるつもりらしい。
「ふむ。長槍の歩兵部隊か。今までの戦斧を使っていた魔族軍とはやっぱり違うみたいだね」
要塞より平原を眺めながらロベルは紅茶を飲み、そして次の指示を出していく。
「各防衛陣地より弓兵部隊で迎撃。ギリギリまで引き付けてから斉射するように」
指示を受けた伝令兵が要塞より外に出て旗を振り、現場の指揮官たちに指示を出していく。
「こちらも歩兵部隊は出さなくてもよろしいのですか?多少なりとも魔族の進軍を遅らせるべきかと愚考します」
「うーん、まともにぶつかってもどうせ勝てないからね。ただでさえ人類軍は数が少ないし。死兵をぶつけるような真似はよした方が良いかな」
――それよりも、と続ける司令官。
「はあ。ここからはちょっと神経使うことになりそうだね。あー、やだやだ。働かないで生きれる人生が良かったよ」
「無茶言わないでください。王族だって働くのですよ?」
溜息まじりにぐちぐちと文句を言う司令官。そんなやる気のない言葉とは裏腹に、テーブルの上にある色とりどりの通信石に手を伸ばす。
「じゃあ、やりますか」
■
「全軍、進め!人間どもを蹴散らせ!」
司令官の号令に合わせて、ゆっくりと、しかし力強く前進を始める魔族軍。人間の倍以上の巨躯と強靭な筋肉を有する魔族の歩兵部隊は、5メートルの長さはある長槍を片手に持ち、人類軍を滅ぼさんと前に進んでいく。
やや歪な形ながらも、隊列を組んで前進する魔族の軍隊。やがて人類軍の部隊が籠る防御陣地までの距離が短くなり、そして…
「弓兵体、斉射!」
指揮官の号令で大量の矢が放たれ、空に黒い影を作る。空高く放たれた大量の矢はやがて弧を描き、進軍する魔族の歩兵部隊の上へと落ちていく。
これが普通の人間の部隊ならば、大量の矢が兵士に突き刺さり、バタバタと倒れていくだろう。しかし硬い皮膚を持つ魔族だとそうはいかず、降り注ぐ矢は皮膚に軽く傷をつけるだけで、ほとんどが弾かれる。
中には運悪く目などの柔らかい箇所に矢が刺さって足を止める魔族の兵士もいたが、ほとんどがかすり傷以上の傷を負わずにそのまま歩みを進めてくる。
「くくく、馬鹿な奴らだ」
「いくら撃っても効かないんだよ!」
「ひゃーはっはっはッ!おらおら、もっと撃ってみろよ!」
いくら人類軍が矢を射たところでまるで効果がない。その事実が魔族軍の士気を高め、嘲笑や罵声がそこかしこにあがる。
「しっかしうぜえなあ。効かないって言ってんのにいつまで矢を…あん?なんだあれ…」
いっこうに止まない矢の雨をものともせずに進軍を続ける魔族軍。それは突然発生した。
ドンッ!
激しい爆発音が鳴り、もくもくと黒い煙と炎が魔族の一体から上がった。
「な、なんだ突然!」
「アッシュがいきなり爆発したぞ!」
「おい、矢に混じってなんか飛んできてるぞ!」
空を覆う黒い矢の影。その中で一際大きい何かが人類軍の方から飛んでくる。
その黒い物体の先端には火がついており、ポトリと魔族の歩兵の手前で落ちる。
「なんだこれ?」
バンッ!再度、爆発が発生。近くにいた魔族の歩兵はその衝撃に巻き込まれ、後ろに倒れる。さらに巻き込むように炎が発生し、周囲の魔族たちに火をつけていった。
「気をつけろ!矢と一緒に何か投げてるぞ!」
「くっそ、なんなだよ、ぎゃああ目に矢がああ!」
「矢が邪魔で見えねえ…うん、なにか当たぎゃああ!」
「オルタソが爆発したぞ!」
突然の事態に警戒する魔族軍。しかし飛んでくるものを見ようにも、空には大量の矢が振ってきており、とても視認できる状況ではない。
空をよく見ようとすれば目に矢が刺さるし、かといって視線を下げれば爆発物を避けられずに爆破に晒されてしまう。
二段構えの攻撃に現場は混乱し始める。
■
「あの火薬、やけに火の勢いが強いですね」
要塞より現場を監視する副司令官がロベルに声をかける。
「ああ、あれはね、火薬に油を交ぜてるんだよ。火薬だけだと破裂するだけ。でもそこに油を足すことで、破裂する以上の効果を発揮できるんだよ」
「はあ、随分お詳しいんですね」
「まったくだよ。まさか本の知識を現場で活かす日が来るとはね。世も末だよ」
実際、魔族によって人類が滅びかけているこの状況はまさに世も末と呼ぶに相応しい状況なだけに、その冗談にどう返して良いのか一瞬だけ迷う副司令官。
やがて戦況は次の段階に進む。
■
「うろたえるな!」
目に矢が刺さるわ、謎の物体に爆破されるわで、混乱する魔族軍。しかし軍を指揮する司令官が一喝。その張りのある声に動揺がおさまる。
「ここは戦場だ!ちょっと仲間が死んだ程度のことでいちいち気にするんじゃねえ!いいか、敵は目の前だ!死にたくなければさっさと奴らを殲滅しろ!お前ら、突撃だ!」
「「「うおおおおお!」」」
確かに突然の爆破は脅威だ。しかしその数は多くはない。たとえ犠牲が出たとしても、目の前の人間の部隊を撃滅させてしまえばこれ以上爆破の脅威に晒される心配もなくなる。
そう判断しての突撃命令だったのだろう。
今まではゆっくりと確実に前進していた歩兵部隊。しかし司令官の号令により、全速での突撃へと移行する。
ドドドと土煙をあげ、地面を鳴らしながら人類軍の防御陣地へと突っ込む魔族軍。その途中、何度も爆撃にあって魔族の体が吹っ飛ぶが、もはや気に留めるものはいない。被害を無視し、魔族軍の軍勢が迫ってくる。
800メートル、600メートル、400メートル…
だんだんと彼我の距離が縮まり、やがて魔族軍の先頭が丸太を打ち込んで作られた簡易な防御柵へと取りつき、破壊を始める。
この防御柵が破壊されれば、いよいよその後ろにいる人類軍への蹂躙が始まるだろう。そんな瀬戸際で、防御陣地にいる指揮官が号令を出す。
「敵接近!全隊、散れ!」
その声が上がった瞬間。今まで防御陣地に籠っていた多数の兵士たちが我先にへと防御陣地から飛び出し、巣穴を散らすように逃亡していった。
「お、なんだ?」
「ぐははは!あいつら、俺たちにビビッて逃げやがった!」
「なんてみっともねえ奴らだ!見ろよあいつら、隊列もくそもねえ、あれじゃまるで素人…あれ?」
その逃亡の仕方は確かにまるで素人も同然。規律をなによりも大事にしている軍隊の行動と呼べるものではなかった。
まるで烏合の衆のように一気に逃げていった人類軍の部隊。しかしその逃げる方向に迷いはなく、まるで最初から取り決めていたかのように部隊は分散し、そして空いている防御陣地へと兵士たちは吸い込まれていく。
気が付けば、まるで何もなかったかのように防御陣地への移動が完了。そして、
「弓兵体、斉射!」
先ほどと同じように指揮官が号令を出し、そして同じように大量の矢が降り注ぐ。
「なにをしてる!敵が逃げたぞ!さっさと追撃しろ!」
「え?あ、お、おう!」
「いくぞ野郎ども!」
「おおおおお皆殺しだあ!」
そして先ほどと同じように防御陣地へと進軍を開始する魔族軍。矢の雨と時折やってくる爆破攻撃を耐えつつ、再度防御陣地へとたどり着いて蹂躙を開始しようとした。
そして、再び…
「全隊、散れ!」
その号令に合わせて防御陣地を飛び出すように散り散りになって逃げる人類軍。一見すると無茶苦茶に逃げているように見えるが、しかし一人ひとりをよく見れば、どこに逃げるべきか明白な目標を見出して走り逃げていた。
魔族の歩兵部隊が防御陣地まで迫れば人類軍は逃亡し、別の防御陣地へと籠る。辿り着いては逃亡、到着しては逃げられ、そのあまりにも意味のない行動にようやく魔族軍は足を止める。
「はあ、はあ、クソが!」
「この卑怯者どもが、正々堂々戦えよ!」
「逃げるな!お前らには戦士としてのプライドはないのか!」
■
「なんか奴ら、すごい怒ってますね」
「そうだね。…ねえ君、紅茶のお代わりもらえる?」
司令官のロベルが近くにいた兵士に催促すると、ポットより新しい紅茶を注いでもらえた。
「なあ、あの人、凄くねえか?」
「ああ、完全に魔族を手玉に取ってる」
一見すると闇雲に逃げているような逃亡劇。しかし、どこに逃げれば良いのか、その一連の動きはすべてこの司令官の指示によるものだったりする。
要塞前の平原には現在、多数の防御陣地がそこら中に設置されており、その一つひとつに色違いの旗が掲げられている。
ロベルは色違いの通信石を各指揮官に渡しておき、逃亡する際には光り輝く通信石と同じ色の旗を掲げている陣地へ逃げるように指示しておいた。
さらに末端の兵士たちには指揮官と同じ方向に逃げるように厳命しておくことで、一見すると散り散りに退散するように見せかけて、確実に安全な陣地へ移動できるように采配していた。
魔族は強いが、足は遅い。安全なゴールさえわかっていれば、逃亡する人類軍が魔族に追いつかれる理由はない。
それに加えて平原には大量の杭を打ち込むことで、馬は使用できない。騎馬隊を封じられた今、逃げる人類軍を追撃する術は魔族軍にはなかった。
「む?奴ら、陣地を破壊し始めましたね」
平原を見れば、これ以上陣地を再利用されないよう、魔族軍が追いつく度に防御陣地を破壊し始めている。
「まあ陣地といっても丸太を打ち込んだだけの簡単なものだから、別に壊されても痛手はないんだけどね」
「そうですね。それに…」
陣地を破壊すると、再び別の陣地へと進軍する魔族軍。やがて魔族軍が去った防御陣地に人類軍の工作部隊がやってきて、新しい丸太を地面に打ち込んで急速に陣地を復活させていった。
それはただ丸太を地面に打ち込むだけの簡単な作業。破壊しようと思えばいつでも破壊できる。問題は、破壊するためのわずかな隙に人類軍が逃げてしまうので、いっこうに魔族軍は追いつけず、人類軍に攻撃できないということだ。
やがて修理された陣地に再び人類軍の別部隊がやってきて、そこを拠点に魔族軍の背後より矢の雨を降らせ、爆弾を投擲していく。
魔族は強いが、足は遅い。
せっかく追いついてもすぐに人類軍は逃げるし、陣地を破壊しても工作部隊が直していくので壊しても意味がない。
魔族軍がどれほど頑張ったところで全ては無駄、徒労に終わっていた。
やがて太陽は傾き、陽が沈む頃合いになると、魔族軍は撤退していった。
「おい、敵が撤退するぞ?」
「生きてる、俺たち、まだ生きてるぞ!」
「うおおおおお!」
人類軍の兵士たちより歓声が上がる。こうして国境での戦い一日目が終了した。
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