第43話 国境の戦い

 カルゴア北部の国境沿い。丘の上にそびえ立つギアド要塞は本来は外国からの侵略に備えて建造された石造りの要塞だ。


 ギアド要塞の前方にはなだらなか平原が広がっており、要塞から見下ろせば敵がどこにいるのか丸見えな状態になる。まさに敵を迎撃するには絶好の景観である。


 そんな要塞の背後には鬱蒼と生い茂る木々が広がるエニスの森がある。その森を切り開くように整備された道を真っ直ぐに進めば、カルゴアの王都へとたどり着くことができる。


 エニスの森は一部を除いてほとんど人の手が入っていない原生林であり、一度足を踏み入れるとたとえその土地に慣れた者であってもすぐに方向感覚を失い、二度と帰ることができない迷いの森とも呼ばれ、周囲の者から畏れられていた。


 もっとも要塞側からすれば、迷い込んだ者を外に出さない迷いの森は敵の迂回を防ぐ天然の要塞でもあるので、安心して後ろを任せられる守りの森とも評されていた。


 そんなギアド要塞の周囲には、エニスの森より伐採した木材を地面に打ち込んで作られた、簡易的な防御陣地が辺り一面、さまざまな場所に設置されている。


 前日。斥候より魔族の大軍が迫っているとの報告があって以降、司令官の指示のもとに人類軍の部隊は行動を開始。事前に取り決めていたように、各部隊がバラバラになって各防御陣地へと移動し、魔族の襲撃に備えている。


 そして、その時はやってくる。


「北部より敵影あり!魔族軍、およそ1万5000!」


「はあ、ついにきたか。報告より若干多いかな?」


 ギアド要塞司令部。北部の防衛ラインを一任されているロベル司令官はテーブルの上にある地図を見やる。


 そこにはギアド要塞を中心に、防御陣地が設置されている場所などの情報がこと細かく精確に書き込まれている。


「歩兵部隊がおよそ1万以上。それと騎兵部隊あり!」


「うん?騎兵部隊までいるのかあ。ふーん、念のため準備しておいて正解だったね」


 人間の倍以上のサイズがある魔族は、力が強い分、移動の速度が遅かったりする。もちろん、中には素早く動けるタイプの魔族もいるが、それはあくまで一部であり、全体的に見れば魔族は進軍が遅いというのが一般的だ。


 もちろん、たとえ遅くても馬に乗れば早く移動することは可能である。ただ魔族は巨体なだけに体重も重く、通常の馬には乗ることができない。たとえ乗れたとしても、魔族の体重が重いので、本来の速度は出ず、騎乗したところでゆっくりとしか行軍はできない。


 騎乗のメリットは素早い行動ができること。それが封じられるのでは騎乗するメリットはほとんどない。にも関わらず今回、魔族の騎乗部隊が現れた。それはつまり…


「おそらく帝国産の軍馬を使ってるのだろうね」


「帝国ですか?」


 司令官の言葉に副司令が反応する。


「品種改良と魔法の薬物実験で生み出された帝国産の軍馬は通常の軍馬の倍以上の膂力があるからね。その代償として寿命が半分になっちゃったらしいけど、その帝国の軍馬なら魔族も乗せられるだろうね」


 ――ただ、とロベル司令は続ける。


「歩兵部隊が中心だったギュレイドス軍が今頃になって騎兵部隊をわざわざ創設するとは考えにくいね」


「ギュレイドスならばあの英雄殿が滅ぼしたわけですし、戦略を見直したのでは?」


「もちろん、そういう考えもあると思う。ただ騎兵というのは一朝一夕で出来るものじゃないからね。ギュレイドスを倒してからまだ一ヶ月も経過していないのに、これほどまで早く騎兵部隊を作れるとは考え難いかな?」


「となると…どういうことでしょう?」


 真面目な顔をして質問をする副司令。その疑問にロベルが答える。


「ギュレイドス軍とは別の軍。今回は別の魔王軍かもしれないね」


 その言葉に一瞬、緊張が走る。


「ま、まさか魔王が来ている?」


「その可能性はあるけど…うん、まあ今回はいないみたいだし、今は考えるだけ無駄だね。今は目の前の敵をどうにかしようか?」


 もしも魔王が来ているというのであれば、この戦いにおける勝機は絶望的だろう。ただでさえ魔族軍は強力だというのに、さらに魔王まで追加されたとなればもはやどう頑張っても歯が立たない。


 今まで何度も魔族軍相手に戦い、そして敗北してきた人類軍にとって、魔王の存在はまさに恐怖の象徴。司令部にいた軍人たちは一様に緊張する。一人を除いて。


「はは、心配はいらないよ。もしも本当に魔王がいたら…」


「いたら、どうなるのです?」


「既に僕らは死んでるよ。はは、僕らが生きてるのが魔王が参戦してない良い証拠だね」


 と飄々とした態度で笑えない冗談を言う司令官。


「魔族軍、動きました」


 やがて伝令兵より報告が上がる。


「ふむ。では計画通りに。決して無理はしないでね」


 そしてロベルはテーブルの上に設置している通信石に手をかざす。そこには赤、青、黄、三色の通信石が用意されていた。


「魔族軍、騎兵部隊、およそ300。きます!」


 カルゴア北部、ギアド要塞にて戦闘が始まろうとしていた。



     ■


「騎兵部隊、突撃!敵を撃滅しろ!」


 魔族軍の司令官が号令を出す。その言葉に応じるように、今まで待機していた魔族の騎兵部隊が声を上げ、ギアド要塞に向かって馬を走らせた。


 帝国産の軍馬は200キロ以上はある魔族の体を乗せているというのに、それでも猛烈な速度で草原を駆けていく。


「いくぞ!人間どもを皆殺しにしろ!」

「「「うおおおおお!」」」


 騎馬隊の先頭を走る魔族の騎馬隊長。その隊長が後続の騎馬隊を盛り上げるように大声を張り上げ、馬は草原を力強く駆け抜ける。


 その魔族軍のデカすぎる大声は空気を揺らし、遠く離れた人類軍の部隊にまでビリビリと伝わってきた。


 大量の騎馬が駆ける蹄の音。巻きあがる土煙。まさに暴力の化身。あんなものが衝突したら、人類軍などたちまち吹き飛ばされてしまうだろう。魔族の騎馬部隊はまさに暴力の塊となって押し寄せてくる。


 その様子を木の杭を打ち込んだだけの簡易な防御陣地より見守る人類軍の部隊。


 まるで何かを待つかのようにじっと魔族の騎馬隊を見守る人類軍の指揮下たち。やがてそれは訪れる。


「うおおおおおぐほあ!」

「うおおおおおおおおぎゃあ!」

「え?ちょ、待て、うぎゃああ!」


 今まで勢いよく駆けていた魔族の騎馬隊。その騎乗する馬が突然、転ぶ。


 その様子を遠く、ギアド要塞の窓より双眼鏡で兵が確認すると、


「敵軍騎馬隊、転倒!続々と倒れていきます!」


「うむ、罠が上手く機能したみたいだね」


 ロベル司令官の声に周囲の軍人たちも安堵の息を漏らす。




「な、なにごとだ!なにが起きてる!」


「わかりません!突然、騎馬隊が次々と転倒していきます!」


 冷静に事態の推移を見守る人類軍とは対照的に、魔族軍は突然の事態に混乱していた。


 なにしろ勢いよく駆けていた騎馬隊が突然、前のめりになって転倒したのだ。それも一体だけでなく、次々と馬が転んでいく。


 一瞬、魔法を疑った。しかし、すぐにそれは否定する。


 魔法を使用したのならばすぐにわかる。だがそんな兆候はまるで無かった。ならばきっと罠があったのだろう。しかし一体なぜ?どんな罠が?


 理由はわからない。詳しく調べればわかるだろう。しかし今はそんなことをする余裕はない。なにしろ騎馬隊は既に攻勢に出ているのだ。


 正体不明の出来事に後続の騎馬隊も慌てて止まろうとするが、ただでさえ力の強い帝国産の軍馬はそう簡単には止まれず、結果として巻き込まれるように転んでいった。


 いくら魔族が頑丈といえど、勢いよく馬から放り出されれば相当なダメージを負うし、なかには落馬時に当たり所が悪くて骨を折る者もでる。運の悪い魔族にいたっては後続の軍馬に撥ねられてそのまま死亡する者もいた。


「うぎゃあ!…くっそ、一体なんだ…あん?なんだこれ!」


 もちろん、転倒した者の中には運よく無傷で済んだ者もいるだろう。地面に叩きつけられた魔族は、そこにあったものを目撃する。


 一見すると、あたりはなにも無い平原に見える。しかしそうではない。生い茂る緑色の雑草。その奥。雑草に隠れるようにして、大量の木の杭が地面に打ち込まれていた。



 ギアド要塞の司令部にて、転倒し続ける敵軍の騎馬隊を遠くから見守りつつ、ロベルはカップを掴んで紅茶を飲もうとし、既に空であったことに気付いた。


「はあ、君、代わりをもらえるかな?」


「え、あ、はい!すぐに用意します!」


「それにしてもあんな簡単な罠で騎馬隊を止められるなんて、驚きですね」


 副司令の言葉に、「そうだね」と返す司令。


「ただの木の杭。それも地面から少し出すだけ。それなら歩兵の邪魔にはならないので味方が転ぶ心配はないですね」


「そうだね、でも馬はそうもいかないからね。ただでさえ重量のある魔族なんて乗せて疾走。そんな状態で木の杭なんて踏んだら、ああなるよね」


 生い茂る雑草の中に隠すように打ち込まれている木の杭。それは間違いなく人為的なトラップであり、人類軍が仕掛けたものだ。


 軍馬はその杭を踏み、足を貫かれることで転倒を起こしていた。


 ようやく魔族軍がそのことに気付いたころには既に遅く、騎馬隊のほとんどが転倒。事態の異変に気付き、速度を緩めた騎馬がいれば、


「弓隊、斉射!」


 人類軍より大量の矢が飛来。その標的は魔族が乗る軍馬。


「そんなもの効くか、ってこれ、暴れるな!」

「チッ!馬を狙ってるのか、うわ!」

「やべ、落ちる!」


 頑丈な魔族と違って馬の皮膚は硬くない。次々と矢が刺さることで痛みに馬が嘶き、暴れ、魔族たちを地面へと振るい落としていく。


 走れば木の杭に足を取られ、止まれば矢の襲撃を受ける。結果として魔族軍は騎馬での攻撃を諦め、歩兵部隊を動かすことになった。


「やりましたね、司令!」


「うん、そうだね。じゃあ次も作戦通りいこうか」


 まるでこうなって当然と言わんばかりの態度で淡々と指示を出すロベル司令。当初こそこの男で大丈夫か?と不安そうな顔をしていた兵士たちの表情が少しだけ明るくなった。

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