第9話 ファランクス

 マジックキャンセラーの使用により、敵味方、どちらも魔法が使用できなくなった。


 しかし一連の魔法による攻防により奴隷兵をだいぶ減らせたのは事実で、今までは視界を埋め尽くさんばかりに並んでいた奴隷兵の波が薄くなり、まばらになっていく。


 もはや100万の軍勢とはとても呼べない。最低でも半分以下、もしかしたらそれ以上に損耗が大きいのかもしれない。


 奴隷兵の数が減ることで、今まで背後に隠れていた魔族の軍勢が視界に見えるようになってきた。


 前回の前哨戦でよく見かけた緑色の肌をした魔族の軍勢。しかし今回はそんな魔族よりも一回り背の高い魔族が何体かいた。


 まさか…魔王が来てるのか?


「団長…」


「ああ、あれが魔王ギュレイドスだろうな」


 他の魔族の肌の色が緑色であるのに対して、その大きな巨体を持つ、頭部より二本の角を生やした灰色の巨体の魔族。


 漆黒の鎧と兜を装備し、右手に持つ巨大な戦斧を肩に担いでいるその魔族こそ、魔王ギュレイドスなのだろう。


 周囲の人間たちの倍以上の背の高さだ。身長は4メートル以上あるかもしれない。巨大な肉体を持つ、牛のような顔をしたその魔族の親玉の一人が今、遠く平原の奥にいる。


 ルクスはそろそろ出番だと言っていた。それはつまり、アレを狙うということなのだろう。


 だがその前に、まだ戦場には数多くの奴隷兵が残っている。もはや奴隷兵たちの進軍を阻む魔法による妨害はなく、彼らは雄叫びをあげながらこちらに向かって走ってきていた。


 相変わらず浮浪者のようなボロボロの恰好で、あまり質のよろしくなさそうな剣や槍を持ってこちらに向かって突っ込んでくる。


 そんな奴隷兵の集団に対して人類軍は…


「重装歩兵部隊、密集陣形を組め!衝突に備えろ!」


 と短い号令を司令官が出すだけだ。


 その号令に合わせて槍と巨大な盾を持つ重装歩兵部隊が動き出す。彼らは右手に槍、左手に盾を装備していて、横一列に並んでいる。そんな重装歩兵部隊の列が十個ほど後ろに控えている状態だった。


 あの密集陣形は…ファランクスか。生で見るのは初めてかもしれない。


 盾と槍を持つ重装歩兵部隊による密集陣形、ファランクス。


 盾を構える重装歩兵部隊が密集することで、そこには盾がズラリと並ぶ壁ができあがる。


 盾と盾との間にはわずかな隙間があり、重装歩兵部隊はその隙間より槍で攻撃をするのであろう。


「うおおおおおおッ!」


 やがて平原を走り抜けてきた奴隷兵たちがそんな槍衾に向かって衝突。先頭を走っていた奴隷兵が重装歩兵部隊に剣で斬りかかるが、奴隷兵のなまくらの剣でいくら攻撃したところでまったく通用していない。


 奴隷兵がいくら剣を振ったところで盾に弾かれるだけで、こちらにはダメージはまるでない。


 盾の隙間より侵入しようとする奴隷兵がいれば、その隙間より重装歩兵部隊が槍を突き出して奴隷兵を殺す。


 まさに鉄壁だった。


 これがもしも怪力を持つ魔族であれば、強力な一撃を盾に加えることで、強引にファランクスを突破することができるだろう。


 しかし奴隷兵はしょせん人間だ。人間程度の力でいくら剣や槍を振るったところでファランクスを破ることはまず不可能だろう。


「ぐはあ!」

「ぎゃあ!」

「ぶは!」


 次々と特攻をしかけてくる奴隷兵。そして次々と槍の餌食になっていく奴隷兵たち。


 時には盾によじのぼってファランクスの内側へ侵入しようとするものもいるが、そういった連中は後ろに控えている二列目以降の重装歩兵部隊の槍に貫かれて殺されるだけだった。


 当初こそ脅威に感じられた100万の奴隷兵たち。しかし対策をしっかり講じることで完全にその動きは封じられ、こちらは大きな被害を出すことなく奴隷兵たちはいとも容易く屠られていく。


「ぐあ!」

「げええ!」

「ぎゃあ!」


 奴隷兵たちは魔族に突撃しろとしか命令されていないのだろう。だから突撃する以外の行動が取れず、動きが単調になりやすい。だからこそ簡単に槍衾の餌食になり、やがては刺殺されて悲鳴をあげることぐらいしかできないのだろう。


「弓兵体、撃て!」


 もちろん、攻撃するのは重装歩兵部隊だけではない。弓兵隊も司令官の号令に合わせて空に斉射。弧を描いて地面に降り注ぐ矢が奴隷兵を襲っていた。


「ぐわあ!」

「ぎゃあ!」

「ひげぶ!」


 重装歩兵部隊と弓兵隊との一連の攻撃によって、徐々に、そして確実に奴隷兵は数を減らしていく。


 だがそれでもまだまだ数は多く、いまだに横一列に並ぶ重装歩兵部隊の前には奴隷兵の集団が視界を埋め尽くしていた。彼らは盾にいくら攻撃しても無駄であることに気づくことなく、一心不乱にファランクスの分厚い盾を攻め続けている。


 …ん?


 動きがあったのは、人類軍の方だった。


 司令官が笛を吹くことで、重装歩兵部隊の背後に控えていた弩部隊が突然、重装歩兵部隊の背中に弩を向ける。


 あの状態で弩なんて撃ったら、味方の背中に当たるのでは?


 やがて司令官が二回連続で笛を吹き、やがて大きな声で号令を出す。


「全歩兵部隊、反転!しゃがんで盾を構えろ!」

「弩部隊、斉射!」


 ズドドドドドドッ!


 それは一斉に弩部隊がボルトを撃ち放った音だった。


 大量のボルトが重装歩兵部隊の背後より発射される。


 しかしそのタイミングに合わせて重装歩兵部隊が反転して後ろを振り向き、さらには膝を地面についてしゃがんで盾を構えた。


 その結果、重装歩兵部隊がしゃがむことで体の上半部だけ空間が生じ、そこを弩部隊より発射されたボルトが飛来。そのまま真っ直ぐに飛んでいき、今まで重装歩兵部隊の前にいた奴隷兵たちにボルトが襲い掛かる。


「ぎゃあ!」

「ぐはあ!」

「ぶはあ!」


 まさに至近距離による弩の一斉射撃だった。当然、避ける暇などなく、ことごとくボルトが奴隷兵に刺さり、奴隷兵は後ろに倒れていく。


 そこにさらに司令官の笛が鳴り、号令が轟く。


「歩兵部隊一列目、下がれ!二列目、上がれ!」


 その号令に合わせて一列目にいた重装歩兵部隊が背後へと下がり、そして二列目にいた重装歩兵部隊が前に出て盾を構えると再び密集陣形が構築され、ファランクスによる盾の壁を築く。


 まさに一瞬の出来事だった。とても素人にはマネできない、よく訓練された軍隊による洗練された動きであった。そしてその効果は絶大で、今まで前方を埋め尽くしていた奴隷兵たちを大量に斃すことができた。


「な、なんて無茶な作戦を…」


「まったくだな。だが結果は出てる」


 それは、確かにそうなのだが。今の作戦、一歩間違えたらボルトが味方に刺さるだろうに。


 軍隊は本来、信頼によって成り立っている。こんな殺伐とした戦場で、それでも背中を味方に預けられるのは、それだけ味方を信頼しているからだろう。


 そんな味方の背後から矢を撃つなんて、まさに信頼を裏切る行為だ。


 それにいくら訓練をしているからといって、ボルトというのは常に狙った通りに動くとは限らない。時には外れることもあるだろう。


 実際…


「いててて、くっそ、肩にあたったぜ」

「くっそ、足に刺さった…いってえ」


 と苦痛の声を漏らす重装歩兵部隊もいる。どうやら運悪く味方のボルトが外れて肩や足に命中したようだ。


 確かに効果のある作戦だったが、こんな方法を採用していたら絶対に味方の士気が下がるだろうに。よくやろうって決断したよな。


「リューク、俺たちにはもう時間がない。たとえデメリットの大きい作戦でも、やらなければならないのならばやるしかない」


「それは…確かにそうですが、この作戦はデメリットが大きすぎませんか?」


「そうだな。いくら訓練しても、どうしても不運はある」


「そういう不運な兵にはなんと説明するつもりですか?」


「運が悪かった、諦めてくれ、と言うつもりらしいぞ」


 そ、そうですか。どうやらやらないという選択肢はないようだ。


「まあそんな顔をするな。確かに兵からの不満の出やすい作戦だが、ちゃんと撃つ前に盾でガードしろって警告してるし、なにより悪いことばかりじゃないぞ?ほれ、撃たれた歩兵に治癒部隊が駆け寄ってる」


 そう言われて重装歩兵部隊の方を見れば、撃たれて傷を負い、部隊の背後へと下がった重装歩兵に治癒部隊が走り寄ってくる。


「あれ?確か今ってマジックキャンセラーのせいで治癒魔法は使用できないのでは?」


「治癒魔法は、無理だな。だがあの部隊にはマツリガント教国の聖女様がいるからな。あの聖女の加護ならマジックキャンセラーの対象外だから使用できる」


 ああ、そういえば聖女がいるとは聞いていた。


 彼女がそうなのか。


 治癒部隊には銀色の鎧を装備する聖騎士っぽい者とは別に、白いローブをまとっている治癒魔法の使い手らしい人たちが何人かいる。そんな白ローブの中に数人女性がいるのだが、その中の一人が傷ついた歩兵部隊に近寄り、手をかざしている。


 彼女がなにか唱えると、淡い光が迸り、その光が重装歩兵を囲み、そして消える。


「くっそ、いってえ…あれ?痛くない?嘘だろ、傷が治ってる!」


 今まで痛そうに呻いていた重装歩兵のおじさんの顔色が急によくなり、おさえていた肩より血が止まる。


 どうやら治療が完了したようだ。


「あの聖女の加護はすごいぞ。怪我と病気だけでなく、先天的な障害まで治療できる。生まれた時から目が見えなかった子供が彼女の加護の奇跡で治ったって事例もあるそうだ」


 へえ、それは凄いな…え、それってまさか…。


「あれ、治ってる…虫歯が治ってるぞ!それだけじゃねえ!金玉の横にあったイボがなくなってる!」

「マジかよ…ボルトの傷以外も治してもらえるって本当かよ!せ、聖女様、俺もお願いします!俺の包茎を治してください!」

「バカ野郎!聖女様になに下品なこと言ってんだてめえ!聖女様、こんなバカは放置してまずは俺の怪我を。ついでに短小を治してください」

「ふえ?ほ、ほうけい?たんしお?あの、みなさんは一体なにをおっしゃって…」

「聖女様、そんな戯言は無視して今は怪我の治療を優先しましょう」

「あ、はい!そうですね!みなさん、あのよくわかりませんけど、とにかく全部治しますので落ち着いて、順番を守ってください…」

「聖女様、性病も治してもらえるって本当ですか?実は…」


 あいつら…この魔族との戦争の最中になにやってんの?


「な?不満なんて無いだろ?」


 と、したり顔で僕に言うルクス。


 なるほど、こうやって不満を解消してたのか。


「聖女の加護を受けるなんて本来ならば金貨100枚は必要だからな。それがボルトに刺されるだけで受けられるなんて儲けものじゃないか」


「…はあ、わかりました。確かに兵の不満は少なそうですね」


 兵の仕事はきつく、なにより命がかかっている。それだけに給金も高いわけなのだが、たいていの兵士はその高い給金を娼館などに使うことが多く、性病に悩む兵士も多い。


 せっかく高い給金をもらっても、性病の治療に給金を使っていたら意味がないだろう。その点、タダで聖女様の加護で治してもらえるなら、一石二鳥なのかもしれない。


「それにしても、よく聖女様の許可が…」


 いや、あの聖女様の反応を見る限り、そういう事情があるとは知らないのだろう。彼女はただ純粋に、人類を守るために献身的に治療をしているにすぎない。まさか命をかけて戦っているこの兵士たちが、明日の娼館事情のことしか考えてないなんて、聖女様も夢にも思っていないだろう。


 ま、まあ、彼女の護衛とおぼしき聖騎士は気づいているのだろうが、あえて黙認しているのかもしれない。


 と、そんなことを考えながら治癒部隊の方を眺めていると、チラっと聖女様がこちらを振り向き、そして…目があった。


「うん?どうした?あの聖女が気になるのか?」


「え?あ、いえ…」


 どくん――なぜだ?急に心臓が撥ねた。まさか、いや、そんなわけがない。僕にはシルフィアがいるんだ。


「ほう?聖女に目をつけるとはな。お前も相当だな」


「いや、違います。そんなことは…」


「リューク、お前が望むなら俺が聖女との関係を取り計らっても…」


「団長、今は戦いに集中しましょう。こんな戯言を言っている場合では…」


 そう言って人類軍の方を見やる。彼らは今、人類を守るために真面目に戦っているはずだ。


「くっそ、ずるいぞあいつら。俺だって股間の疼きを治してもらいたいのによお」

「なんで俺にはボルトこねえんだよ、ちくしょ!こちとら性病のせいで娼館出禁になってんだぞ!」

「この戦いが終わったら彼氏のケツを掘ってやるって約束してたのに…くっ、頼む!俺にも聖女様の治療を受けさせてくれ!!」

「はあ、はあ、聖女たん、可愛ゆす。俺の股間の病気も治してくれねえかな?」


 …あれ、おっかしいな。この人類が滅ぶかもしれない瀬戸際とは思えないような戯言が…


 しかしそこはしっかりと訓練を受けている兵士たちだ。彼らによって構築されたファランクスは鉄壁であり、いまだ奴隷兵たちの攻撃を完璧に防いでる。


 ファランクスによる鉄壁の防御。弓兵隊による斉射。そして弩隊による至近距離での射撃。


 まさに攻守一体と化したこの戦法を前にして奴隷兵はなにもできず、確実に数を減らしていき、ついには集団はまばらとなって、やがては数を散らしていった。


 こうなってしまってはもはや数の有利はなく、やがて司令官より号令が出る。


「騎乗部隊、軽装歩兵部隊、攻撃開始。敵を狩りつくせ!」

「うおおおおおおおッ!」


 司令官の合図により、今まで待機していた騎乗部隊と軽装の歩兵部隊が一斉に奴隷兵に斬り込む。


 馬に乗って騎乗する部隊が戦場を走り抜けて奴隷兵たちを次々と槍で刺殺し、剣を持つ軽装歩兵部隊が奴隷兵を次々と切り裂いて屠っていく。


 もはや数の有利はないので、一方的な虐殺だ。


 その時、奴隷兵の中から今までとは違う言動をする者が出る。


「た、助けてください!」

「俺たち、脅されてやっただけです!」

「僕たちは精神魔法なんて受けてないです!」

「お願いです、命だけはぎゃああああ!」


 ボロボロの衣服のまま命乞いをする奴隷兵の集団がいた。しかし人類軍はまったく容赦なく弩部隊に指示を出し、ボルトを斉射。命乞いをしてきた奴隷兵たちは続々と撃たれる。


「団長…あれは…」


「あれは命乞い部隊だな。奴らはああやって自分たちは被害者です、みたいな面をするんだが、よく見ておけ。ああいう連中こそが、もっとも厄介だぞ」


 次々と狩られる奴隷兵たち。その中で、たまに命乞いをする奴隷兵がいるのだが、基本的にそういう連中であっても人類軍は容赦なく殺していく。しかし…


「いや!やめて!なんで私たちを攻撃するの!私たち、人間だよ!」

「た、隊長…こいつら、もしかして本当に精神支配は受けていないのでは…」

「そ、そうです!私は魔族に支配されてまません、だから助けてください…死ね!」

「うわあ!」


 涙を流し、頭を垂れて命乞いをする奴隷兵の女がいた。そんな女に同情したのか、攻撃を躊躇する兵士がいたのだが、その隙を見せた瞬間に女は背中に隠してた短剣で兵士に襲いかかった。


「ぎゃあああ!」


 しかし不意打ちは失敗。隊長と呼ばれた男が槍を突き出して淡々と奴隷兵の女を刺殺していく。


「バカ野郎!奴隷は全員敵だって言っただろ!二度と騙されるな!」

「そんな…隊長…申し訳ありませんでした」


 騙されたことがよほどショックだったのか、兵士は項垂れるも、すぐに気を取り直して戦場に戻る。


 当初こそ、命乞いする奴隷兵に少数ながらも同情する兵士はいた。しかし騙されることでやがて同情心も消え去り、命乞いをする奴隷兵も数を減らしていく。


 やはりいないのだろう。助けられる人間など。


 一旦覚悟が決まってしまえば、人間はどこまでも残酷になれるのかもしれない。その覚悟をもっと早くしていれば、人類はここまで追い詰められなかっただろう。


 そして、奴隷兵がいなくなった戦場で、ようやく魔族が動き出した。


 僕は通信石を握りしめ、いつでも合図を送れるようにする。

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