第8話 魔法
ほんの少し前まで。緑色の草で覆われていた平原。それが今や黒い煙と炎、そして人間の肉片が散り散りになる荒野へと化している。
既に魔族の奴隷となった人間による自爆特攻が始まって以来、かなりの時間が経過している。
いまだに雄叫びをあげ、火の魔石を抱えて特攻してくる奴隷兵が後を絶たないわけだが、だいたい人類軍の前方200メートルぐらいの地点に到達した奴隷兵から順番にドンッドンッと爆発が起きていた。
普通ならば、この200メートルのラインを堺に爆破が起きているわけだから、そこで停止するなり反転して引き返すなどの行動を起こすだろう。
しかし精神支配を受けている奴隷兵たちは与えられた命令以外の行動が取れず、奴隷兵の数が続く限り自殺に等しい特攻が続いていた。
まさに無駄死にである。
魔族にとっても無駄だし、人類軍にとっても無駄な時間だ。
ただいたずらに人間の命が散っていく。
しかし、魔族の精神支配を受けたものが助けられない以上、もはや見殺しにするしかできない。
「それにしても、誘爆魔法というのはずいぶん広範囲に効果を発揮できるんですね?」
これ以上、奴隷兵のことを考えていたら気が狂いそうになる。だから視点を変えてルクスに質問してみた。
「もともとは爆破系のトラップを解除するための魔法だからな。近くで誘爆なんて起きても困るだろ。だいたいあの魔導部隊の半径200メートルぐらいが誘爆の対象だ」
なるほど。
あらためて人類軍の方を見ると、魔導部隊が杖を掲げ、詠唱を唱えることで誘爆魔法を展開している。
さすがに魔族もバカではないだろうから、たまに別の命令を受けた奴隷兵が進行ルートを変えて迫ってくるのだが、そういう奴隷兵もやはり保有している火の魔石の爆破に巻き込まれて爆散している。
やがて無駄だと悟ったのか、人の波が途絶え、魔族軍側の奴隷兵の動きが止まる。
バンと最後の奴隷兵が爆破すると、今までさんざん空気を揺るがしていた爆発音が止み、途端に戦場が静かになる。
「ふむ。ようやく第一波が終了か。今ので20万ぐらい死んだかもな」
ルクスの推測は、おそらく正しいだろう。なにしろ人の群衆がことごとく爆破して死んでいったのだから。
それはここで20万発以上の爆破が起きたということでもある。大惨事だ。
緑豊かだった平原。それが人類軍より前方200メートルのラインを堺に岩肌が剥き出しになり、荒地と化していた。
果たして人類軍に死傷者が出なかったことを褒めるべきか、それとも人間の命が20万以上失われたことを嘆くべきか。
きっと前者が正解なのだろう。今の人類には敵に情けをかける余裕などないのだから。
それでもまだ80万以上もの奴隷兵が残っている。戦力差はいまだに大きく開いている。
魔族軍の奴隷兵たちが雑多に動いているのが遠くからでも見えている。やがて2メートル半ぐらいだろうか、背の高い魔族が前に出てきて、奴隷兵の一人を殴り殺していた。
「団長!魔族が味方を殺しています!なぜですか!」
「八つ当たりだろ。ほっとけ」
副団長のミレイアが質問すれば、適当に答えるルクス団長。実際、八つ当たり以外のなにものにも見えない。
いくらムカついているからといって、戦場で味方なんて殺したら普通なら兵士の離反を招くところだ。しかし相手は魔族に絶対服従をしている奴隷兵だ。たとえ殺されたとしても文句ひとつ言わず、粛々と命令に遵守する。
今まで前線に立っていた奴隷兵たちがやがて背を向け、後ろへ向かう。と同時に後ろに控えていた奴隷兵たちが今度は前に出てくる。
背の高い緑色の肌をした魔族が雄叫びをあげると、それに合わせるようにして奴隷兵たちが再び人の波となってこちらに向かって走ってきた。
「うおおおおおおお!」
続々と集団となってこちらに向かって戦場を走り抜けてくる奴隷兵たち。その先頭を走る奴隷兵を見ると、剣やら槍やらを持っている。どうやら今度は武器を使って攻撃するつもりらしい。
「武器を持ってますけど、ずいぶんみすぼらしいですね」
「そうだな。せめて盾ぐらい用意してやればいいのに」
と、淡々と答えるルクス。
「魔族は人間を見下してるからな。本音では武器どころか服だって与えたくないのだろう」
ああ、だから奴隷兵の服はぼろ布なのか。
「そのおかげで、簡単に射殺できるからありがたいことだな。そうやって人間を舐めていればいい」
とルクスが冷たく言い放つのと同時に、人類軍も動く。
「弓兵体、構え。撃て!」
指揮官の号令に合わせて、弓兵隊が一斉に空に向けて矢を放つ。
といっても奴隷兵たちはまだ200メートル以上遠くに離れている。ここまで距離があると、普通の矢では当たらないのだろう。しかし、弓兵隊の背後には複数の魔導部隊が控え、なにかの魔法を使用しているのが見えた。
一斉に放たれた大量の矢が空を覆う。その黒い影はぐんぐんと距離を伸ばす。まるで意思を持った生き物のように矢は空を飛んでいき、そして奴隷兵たちがいる箇所へと雨のように降り注いだ。
「団長…あれは…」
「風魔法だろうな。風に矢を乗せて敵のいる場所に落としているのだろう」
――せめて盾でもあれば防げたのにな、と述懐するルクス。
それはそうなのだろう。ろくな装備もなく、服もボロボロで身を防ぐ手段のない奴隷兵たちは、雨あられの如く降り注ぐ大量の矢の恰好の的だった。
頭に刺さるもの、腕に刺さるもの、足に刺さるもの…
一度に大量の人波が密集して走ってくるのだから、どこに矢を落としても確実に命中し、矢が刺さることだろう。
もちろん、相手が強靭な肉体を持つ魔族であれば、たった一本の矢ごときで致命傷を負うことはまずないだろう。
しかし、相手は人間である。
たった一本だろうと体のどこかに矢が刺されば十分に致命傷になるし、動けなくもなる。
せっかく致命傷を避けた奴隷兵がいたしても、後ろからさらに走り続ける奴隷兵たちに踏みつぶされ、その結果として死んでいく奴隷兵もいたほどだ。
そんな矢の襲撃を逃れた後続の奴隷兵の波がやがて200メートルのラインを突破してこちらに走り込んでくる。そのタイミングで、総司令官が号令をかける。
「魔導部隊、土魔法を展開、敵を足止めせよ!」
土魔法というと土関係の魔法のイメージであり、実際土壌を対象にした魔法も多くある。だが土魔法の対象はなにも土だけではない。そこから生える草木なども対象だったりする。
土魔法に特化しているであろう魔導部隊が指揮官の命令に合わせて土魔法を展開。杖を先頭を走る奴隷兵に向けて詠唱を唱える。
やがてなにかしらの魔法が発動したのだろう。
今まで先頭を走っていた奴隷兵たちが突然転び始める。そして、その後ろを走っていた奴隷兵たちが転んだ奴隷兵を踏みつぶし、やがて先頭に躍り出ると、その先頭を走っていた奴隷兵たちも転び、後続によって踏みつぶされるという、地獄絵図のような状況が展開していた。
「む!団長!あいつらの足に突然雑草が伸びて絡まってます!なにかの妖術かもしれません!今すぐこの辺りの草木を焼いておきましょう!」
「ミレイア…お前は目がいいな。あれは初級土魔法の草転がしって魔法だ。走ってる奴にあの魔法かけると簡単に転ばせられるから便利だぞ。雑草の上でないと効果はないがな」
「むむ!そうでした!さすが団長、博識ですね!」
と副団長と団長の妙にほのぼのとした会話からは想像できないほど、草転がしは人間の命を刈り続ける凶悪な魔法として効果を発揮していた。
さきほどの矢を好きな場所に飛ばす風魔法といい、今の土魔法といい、そこまで強力な魔法ではない。しかし使い方次第では一度に大量の人間を殺せる魔法と化している。
平原を埋め尽くす奴隷兵たちはそんな魔法の力によって次々と絶命していく。
やがては魔法なんて使わなくても、死体になった奴隷兵に躓いて転び、そして踏み殺される奴隷兵たちまで現れる。
大量にいた人間の奴隷たちは倒れていき、呼吸を止め、その命を絶っている。
戦争という意味では、とても順調だ。ここまで順調だと、逆にどうして魔族の侵攻を止められなかったのだろうという疑問すら湧いてくる。
「人類軍の目的はな…」
僕の疑問を察知したのか、ルクスが言う。
「人類を守ることだ。だから軍が設立された当初は、魔族の支配に陥った奴隷たちを解放することを目的に戦っていた」
――それが間違っていたのだろう、とルクスは語る。
「たとえ自分たちを襲ってくる奴隷兵だろうと、なんとか助けようと試みた。それがよくなかったな。それだけが敗戦の理由ではないが、それが人類軍が負けた理由の一つであるのもまた事実だ。精神魔法から解放される手段がないと判明するまで、どれだけ人類軍が犠牲になったことやら」
はあ、とルクスは深いため息をつく。
「今の人類軍に当初のような甘い理念はもうない。魔族軍についた以上、たとえ精神魔法によって強制されたとしても、もはや救出はあり得ない。奴隷兵は全員殺す。それ以外はない」
人類軍の兵士たちは指揮官に命令されるがままに躊躇することなく行動し、奴隷兵を攻撃。あれだけたくさんいた奴隷兵たちはみるみる数を減らしていった。
相手がたとえ人間でも、それでもやる、そういう覚悟のもとで彼らは戦っているのだろう。
「お、あいつ、またキレてるな」
そんなルクスの声につられて魔族軍の方を見れば、背の高い魔族がめちゃくちゃ暴れている。よほど腹が立っているようで、近くにいた奴隷兵たちが次々と殴り殺されていた。
やがて暴れることで怒りが鎮火したのか、腕を大きく動かして何か指示を飛ばしている。
ズラリと奴隷兵が移動し、人の群れが分かれることでそこに空間ができる。やがて奥からなにか黒く、丸い球体のような物体が出てきた。
「あれは…マジックキャンセラーだな」
とルクスがぽつりと零す。
「それはディストグルフが開発した例の兵器ですか?」
「ああ。魔術の国がよりにもよって魔術を停止する兵器を作るんだから、皮肉なものだな」
魔術に特化した国、ディストグルフ。多くの高名な魔導士を輩出し、新しい魔法を多く発見するなど、まさに魔導界の権威とも呼べる国なのだが、魔導士というのはなぜか変人奇人も多く、時にわけのわからないものを開発することもある。
対魔導士専用兵器のマジックキャンセラーもその一つ。その兵器の効果はその名前の通り、広範囲にわたって魔術の使用を強制的にキャンセルする、というものだ。あれを使用されると魔法が使えなくなる。
一見すると魔法攻撃に対して非常に便利な兵器なのだが、デメリットもある。あれは広範囲にわたって魔法の使用を停止させる装置なので、一度使用すると敵だけでなく味方も魔法が使えなくなるのだ。
ただし加護は例外で、たとえマジックキャンセラーを使用したとしても加護の使用は止められない。あくまで魔法に対する兵器である。
やがて魔族軍サイドでマジックキャンセラーを使用したのだろう。黒光りしていた巨大な玉が淡い紫色に発光し、ドンッと空気が破裂するような音がいきなり轟いた。
その瞬間、空を飛来していた矢が勢いを失ってバタバタと地面に落ちた。
「さて、魔法が使えなくなったみたいだな」
「団長、マジックキャンセラーでも精神魔法は解けないのですか?」
「あれは体外の魔法を止める装置だからな。体内でかかってる魔法、例えば精神魔法や肉体魔法までは解けない」
ふむ、まあそうだよな。あの装置で精神魔法を解けるなら苦労はないか。
「では準備をするか。そろそろ出番だぞ?」
と僕に声をかける団長。ついに来てしまう、僕の加護の使用の時が。それは同時に、シルフィアがどこの誰とも知らない男に寝取られることを意味していた。
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