第6話 束の間の休息
「リューク、ここにいたのか…」
「…ルクス団長ですか?」
人類軍の野営地のテントの一つ。ルクス王子率いる第六騎士団専用の軍用テントの中で一人、腰をおろして休息を取っていると、テントの外よりルクス王子がやって来た。
「今回のお前の働き、見事だったぞ。予想以上だ」
「……光栄です」
「あまり元気がないな」
「そのようなことは……ありません」
と否定するものの、どうしても他の兵士たちのように勝利を祝う気にはなれなかった。
人類が魔族軍に勝利した。それはとても素晴らしいことだ。人類と魔族との戦が始まって以来、一方的にやられるばかりだった人類が初めて勝利することができたのだ。
それは暗い闇の中で一筋の光明を見つけるような、ようやく見つけた希望のようなものだろう。
そう、それはとても喜ばしいこと。それはわかっている。頭ではわかっているのだ。だけど…
「ルクス団長。僕は…」
「なにも言うな。今は堪えろ」
そう言って僕の横にドサッと腰をおろして座るルクス王子。
この人は、確かに王族と呼ぶにはざっくばらんな性格で、権力を持った者特有の驕ったところのない人だ。貴族だけでなく平民相手でも気軽に話しかけてくるような御仁である。
その遠慮のない言動を憎らしく思う者もいれば、好感を抱く人もいる。僕はどちらかといえば後者で、この人の実直なところには好感を持っている。
だが、それでも…今はあまり好意的な対応を取ることが難しかった。
「リューク。お前は正しいことをした。それだけは伝えておく」
「わかってます」
「言いたいこともあるだろう。不満もあるだろう。だが耐えろ」
「わかってます」
「…そうか。なら良い。間違っても自棄になるな。お前を失ったら人類は終わりだ」
「わかっています。ただ、時間をください」
僕の気持ちを察してくれたからなのか、ルクス王子はそれ以上は何も言わず、ただ横に座るだけだった。
時間。そう、今は一秒でもいいから、耐える時間が欲しい。でないと気が狂ってしまいそうだ。
当たり前だ。僕の最愛の女性が、シルフィアが…、僕以外の男に抱かれたのだ。
それもあんな優しい顔で、頑張れって褒めてもらえるだなんて。僕だってしてもらったことないのに…
「クソが!」
「うお!…急にキレるな。驚くだろ」
「申し訳ありません」
「はあ。黙ってたら余計に悪化するだろ。少し話すぞ」
「いえ、今は…」
「第六騎士団団長としての命令だ。聞け」
命令か。それをされると聞かないわけにはいかない。
今の僕は、第六騎士団に所属する騎士だ。騎士として働く以上、上司の命令を聞く。それは当然のことだ。
そして第六騎士団とは、団長のルクス王子の加護「ヴェルスヴェージェン」によって絶対の忠誠を誓っている騎士のみによって構成された騎士団のことでもある。
もしこの忠誠に反することがあれば、加護の名のもとに命を奪われ、絶命することになる。
僕の加護「エヌティーアール」の加護の詳細を知っている人は、ほとんどいない。たとえ王ですら知らないだろう。
いくら情報漏洩のリスクを避けたいからといって、王ですら知らない能力を信用しろというのはなかなか無理のある話でもある。
だからこそ、ルクス王子の加護が意味を持つ。
ルクス王子の加護で契約を結んでいる以上、望む望まないに関わらず、忠誠を誓うしかない。
この加護があるからこそ、王は王子に対するのと同じだけの信頼を僕に置いてくれてるし、必要とあらば全面的な支援さえしてくれる。
人類が勝つためにはすべての人間が協力しないといけない。しかしこんな状況ですら、いやむしろこんな状況だからこそ、加護がないと相手を信用することもできないのだ。
「今回戦った魔族の部隊の数だが、およそ3000ほど」
「?…ギュレイドスの軍勢と聞いていたのですが、ずいぶん少ないですね」
ギュレイドスの軍勢といえば100万人以上の規模と聞いていたし、実際それだけの軍勢がこちらに向かっているとも斥候の報告にあった。
「ああ、おそらく前哨部隊だろうな。本命はまだ後ろにいるはずだ」
そういうことか。
いくら魔族といっても、100万の軍勢を高速で動かせるわけがない。人数が多い分、どうしても進軍の速度は遅くなってしまう。
「リューク、お前は強い。たった一人で魔族を2000体以上も殺したのだ。もはや英雄を超える存在だ」
「…ありがとうございます」
「だが、さすがに100万の軍勢ともなると一人では相手ができない。数で押される」
それは、そうなのだろう。
今回、戦ってみてわかったことがある。
僕の加護は確かに強力だ。これさえあれば魔王だって秒殺できるかもしれない。問題は、時間と数だ。
その辺の雑魚だろうと、魔王だろうと、殺すのにかかる時間が同じ1秒とした場合、100万の軍勢を一人で滅ぼそうと思ったら最低でも100万秒必要になる。
だいたい11日から12日ぐらいかかるか?はは、それまで人類軍が保ってくれればいいのだが。
…いや、それだけじゃない。問題は…
「ルクス団長。そのことで話があります」
「ん?なんだかすごく言い難そうな顔してるが、加護の件か?」
僕はそんな辛そうな顔をしていたのか?まあ当然か。
僕は話した。戦っている最中に加護が切れたこと。そのあと回復したが、それは間男が回復したからであることを。
ルクス王子は…あれ?なんか笑おうしてないか?笑ってないよね?普段はイケメンフェイスをしているルクス王子の顔がなんだかぴくぴく痙攣してるけど、これは笑いを堪えているわけではないよね?きっと怒りに耐えてるだけだよね?そうだよね、笑うはずがないよね?もし笑ったらさ、うっかり殺しちゃうかもしれないけど、大丈夫だよね?
ごほんごほんとかなり激しく咳払いをするルクス王子。そんなにせき込んだら喉が痛くなるだろうに。
やがてキリッとしたいつものイケメンフェイスに戻り、感情のない、極めて冷静で真面目な表情で話を再開するルクス王子。
「それは由々しき事態だな。できれば人数を増やしたいところだが…そう怖い顔をするな。まだすると決まったわけではないぞ?」
「も、申し訳ありません。つい殺意が湧いてしまって」
「お前、一応警告しておくが、もしも俺に殺意を向けたら加護の力で絶命するからな?気をつけろよ」
「はは、わかってます。今のは間男に対する殺意ですよ。まさか王子に対して…ぐぅッ」
な、なんだ?ちょっと冗談のつもりでルクス団長に殺意を向けてみよっかなあって思っただけなのに、急に首が締められるような圧迫感が…これが契約の加護「ヴェルスヴェージェン」の力なのか?おそろしい加護だ。
「お前…いいか、冗談でもやるなよ?本当に死ぬからな」
「わかってます。このリューク・ネトラレイスキー、最後の時まで王子に忠誠を誓います」
「う、うむ。そうか。でだ、先ほどの続きなのだが…リューク、お前、側室はいないのか?」
そくしつ?ああ、側室のことか。
一応、シルフィとの婚約を発表した時に伯爵の地位を父上から引き継いだわけなので、現在のネトラレイスキー家の当主は僕である。
今まではただの伯爵家の長男だったが、これで晴れて名実ともに伯爵の地位を得ることができた。
本来、爵位の移譲は世襲でしか認められず、父上が死ぬまで爵位の生前贈与は認められないはずだったが、世が世である。もはや人類滅亡の危機だ。父上も世界が終わる前に息子の晴れ姿を見たいということで、特例として爵位の生前贈与が認められ、今は正式に伯爵を名乗ることができる。
あの誰よりも格式と伝統を重んじるあの父上が妥協をした。きっともう死を悟っているのだろう。それは他の貴族も同じようで、将来を悲観するあまり早々に爵位を息子や孫に生前贈与するというケースが増えているようだ。
なかには生まれたばかりのひ孫に侯爵の爵位を譲った家もあるらしい。まあ、気持ちはわからんでもない。
…もしも魔族から人類を救えたら英雄になれるかもしれない。しかし厄介なお家騒動が発生するかもしれないな。まあそれは後で考えればいい話だ。
そう。今の僕は伯爵だ。伯爵である以上、複数の女性と縁を結び、婚姻関係になったとしても、これといって問題はないのだ。
むしろ跡継ぎのことを考えるのであれば、側室を持つことは歓迎されることはあっても、忌避されることはない。まあ中には忌避する人間がいることもあるが、表向きは歓迎されるだろう。
「妹のシエルがお前のことを気に入っているが…」
「団長。シエル様は王女じゃないですか。本気ですか?」
この人はなにを言っているのだろう?王女が側室、それも上級貴族とはいえ臣下の家に嫁ぐわけがない。仮になったとしても、僕の女になるということは戦闘がある度に他の男に抱かれるということだぞ?
この人は、自分の妹を、あの高慢だけど可愛らしいところもある王女様を夫以外の男に寝取らせるとでも言うつもりなのか?
そう、それは本来ならありえない提案。しかし、ルクス王子は僕をじっと見て、
「それがどうした?」
と否定し、続ける。
「俺とて王子だが、今はこうして戦場を駆けまわっている。こんなことは本来、下賤の身分のものがすることだろ?なぜ高貴なる俺がこんなことせねばならぬ?」
「いや、それは…」
ルクス王子は、相手が平民だろうと分け隔てなく平等に対応するような人物だ。普段であれば決して今みたいな下位の身分の者を見下すようなことは言わない。だからきっと、わざと言っているのだろう。そうだと信じたかった。
「…すまん。今のは失言だな。だがわかって欲しい。いいか、魔族どもは俺たち人類を滅ぼすつもりだ。そのためならあらゆる手段を講じてくる。もはや手段を選んでられるような余裕も時間もない」
ルクス王子は真剣な眼差しで僕を見つめる。
「覚悟を決めろ、リューク。倫理観など今は不要だ」
「……」
「倫理、善徳、道徳、大いに結構だ。好きなだけ叫んでくれ。だが今はやめろ。いいか?人の道とはな、人がいてはじめて成せる道だ。人のいない世界で人倫などなんの意味がある?」
――俺はな、リューク、まだ生きることを諦めてないんだよ、とルクスは云った。
「シエルを抱け。好きになれ。必要ならば俺からあいつに言っておこう。お前の加護に必要なことがあるならすべて言え。あらゆる手段を使って手配してやろう。目的のために必要なことはすべて実行しろ」
「……団長」
「なんだ?」
「僕も、まだ生を諦めてはいません。この加護を団長に伝えたのは、諦めたくなかったからです」
「…そうか」
「それが必要ならばやります。ただ一つだけ、約束してください」
「なんだ?」
「シルフィアを傷つけるようなマネだけは止めてほしい。それをすると、僕は、俺は、人類を恨んでしまうかもしれない」
「…わかった。約束しよう。シルフィアだけじゃない。お前に関わる女たちを傷つけるようなマネはしない。それでいいな!」
…え?
あれ、今の話ってそういう意味ではなかったような…
「いや、しかし堅物のお前が嫁以外の女を抱くことを決断してくれて嬉しいぞ!」
「え、あの…いや、その…」
「よし、話もまとまったし、次の戦に備えるか」
ルクス王子は憂いがなくなったのか、やけにスッキリした表情で立ち上がり、テントから出ていこうとする。
「リューク」
「は、はい」
「あとで作戦司令部に来い。時間になったら人を寄越す。それまで待機してろ」
「…承知しました」
そう言ってルクス王子はテントより出ていった。
あの目は本気だった。あの人は、妹君のシエル様のことを溺愛していたのに。本気でやるつもりだ。
やがて日が沈み、空は暗くなる。戦場には束の間の休息が訪れた。
そして翌日。太陽が上り、雲の間より光が草原に差し込む早朝。
「伝令より報告!魔族軍、多数接近!その数、およそ100万!」
「来たか」
魔王ギュレイドス率いる魔族の大軍が迫る。多数の足音が地面を踏み鳴らし、空気を揺らす。
まだ遠く。地平線の奥よりやがて多数の人影が見え始める。
そう、それは人影。
魔王リューゲールによって完全なる精神支配を受けて奴隷となった人間の兵士たち、およそ100万の奴隷人間で構成された軍が迫っていた。
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