第5話 初めての勝利

「止めろ!誰でもいいからその人間を早く殺せギャアア!!」


 そこにはまさに戦場と呼ぶに相応しい、混沌に満ちた惨禍で溢れていた。血潮が吹きすさび、肉片が舞い散り、悲鳴が轟く。


 まさに死屍累々。魔族たちの死体が次々と量産され、土や草を血で染め上げる。


 こんな惨状は、魔族の人類への侵攻が始まって以来、初めてのことだった。


 当たり前だ。人間は魔族と比べて脆弱な生き物。


「ぐはあ!」


 人間が魔族に勝てる道理などない。


「ぎゃあ!」


 人間など、魔族にとってその辺のゴミと変わらない存在、だったのに。


「うがあ!助けて!」


「ぐははははは!死ねぇ!クソ魔族どもがああああ!」


 その人間は、人と呼ぶにはあまりにも凶々しい存在だった。


 全身からは黒く透き通るようなオーラが滲み出ており、目は真っ赤に輝き、黒い髪は逆立ち、そして魔族への憎悪を全身から迸らせている。


 このたった一人の人間が、この魔族の死体を築き上げていた。その死体の数はいまだ止まることがなく、増え続けている。


 一体なにがこの男をここまで執拗に動かしているのだ?よほど魔族に対して強い恨みでも抱いていない限り、ここまで憎悪に満ちた行動はしないだろう。


「死ね!人間が!」


「お前が死ねや!」


 三メートル以上あろう、巨大な魔族がその人間に向けて巨大な戦斧を振り下ろせば、その人間は下から上へとメイスを振り上げ、戦斧を弾き飛ばす。


 ガンッと激しい金属音が鳴り響き、魔族の戦斧は力負けして空中へと放り投げられる。


「死ね!」


 両手が上がることでガラ空きになった魔族の腹に向けてメイスを横一閃に振るう。すると、腹があった場所が一瞬で消えて、胸から上、そして股から下だけが残る。


「え?」


 その巨大な魔族が気づいた頃にはもう手遅れだった。自分の腹が、メイスによって根こそぎ千切れ飛び、もはや魔族の生還が不可能であることは誰の目にもはっきりとわかった。


 ばたばた。


 まるで思い出したかのように、肩から上の部分の魔族の死体が地面に落ち、血と肉片をばらまいていく。


「い、弩隊、撃て!」


 魔族の指揮官の号令に合わせて、30人以上の魔族がその人間、――つまり僕に向けてボウガンを向け、そして撃つ。


 一斉にボウガンよりボルトがこちらに向かって発射。何本かは僕の体に命中する。しかし…


 ガンッガンッガンッ、と音をたてて弾かれ、ボルトが地面に落ちていく。


 ふむ。どうやら体の防御力も上がっているようだ。もはやボウガン程度ではこの体に傷一つつけられない。


「そんな、バカな…」


「どうした?そんなモノじゃ効かないぞ?俺を殺してみろ!」


 と安い挑発をすれば、簡単に乗ってくれるのが魔族というものだ。


「人間風情が調子にのりやがって…お前ら!全員でかかるぞ!いくら強いといっても所詮は人間。いずれ疲れるはずだ。とにかく疲弊するまで攻撃を続けろ!」


 ふむ。体力か。


 すでに10分以上戦っているのだが、まったく疲れる気配がないんだけどな。


 前方から8体の魔族が襲いかかってくる。そいつらに向けてメイスを横に振るえば、一瞬で魔族の体が肉片と化す。


 もう斬るとか殴るとか、そういう次元ではない。僕がくりだす一撃が強力すぎて、体が一気に砕けるのだ。


「つ、捕まえた!俺ごとでいいからやれ!」


 僕が攻撃した後の隙を狙ったのだろう。後ろから魔族が掴みかかってくる。


 僕よりも背の高い、それもこんな筋肉隆々の魔族に体を締め上げられたら、それだけで普通の人間の背骨はバキバキに折れることだろう。


 しかし。


 僕が魔族の腕を掴み、ちょっと力を入れる。それだけで…


「え?ぐぎゃあああ!」


 僕を掴んでいた魔族の腕が千切れ飛ぶ。その痛みに叫ぶ魔族の頭を右手で掴み、左手で肩を掴んだ状態で思いっきり引っ張れば…


 ブシュッ。


「そ、そんな…」


 周囲の魔族どもが唖然としてその光景を見やる。


 頭を思いっきり引っぱったからだろう。背骨ごと頭部が体から抜き取られ、頭と背骨という奇妙な状態の魔族ができあがる。


「来ないのか?じゃあこちらから行くぞ?」


 もう挑発しても意味がないのかもしれない。明らかに今の僕と魔族では、力量に差があった。それは埋めようがないほど絶望的な、圧倒的な差だ。


「嘘だろ?」

「なんだよあいつ…」

「こんなの聞いてねえよ!」

「なんで人間がこんな強いんだよ!」

「うわあああああ!」


 僕は戦場を駆ける。ついに恐怖に駆られたのか逃走を始めた魔族に追いつくと、その背中に向けてメイスを振り下ろす。すると…


 ぐちゃり、と音をたてて地面にひき肉となった魔族ができあがる。


 死体が積みあがっていく。もはや誰にも止められ…うっ!


 どくん、どくん、とくん、…


 なんだ?急に力が抜けて…一体なにが?


「ひえ、お助け…あれ?」

「おい、なんかあの人間、様子がおかしいぞ?」

「ようやく疲れ始めたのか?」


 それは突然の出来事だった。それもマズイ事態だ。


 急にどっと肩の力が抜ける。さきほどまで軽々と振り回すことができたメイスが今はやけに重く、僕の力では持ち上げられずにそのまま地面に落ちる。


 な、なんだ?なんでいきなり加護の力が消えて…


 いや、それよりもこれはマズイ。このままでは僕が殺され…


「おい、これチャンスじゃねえの?」

「え、でも…」

「いや、今ならやれるぞ!」

「うおおおお!ぶっ殺せ!」


 まずい!魔族がこちらに襲いかかってくる。


 なんとか応戦しない、と?


 ドクン。再び心臓が大きく鼓動する。一体なにがあったというのだ?


 その時、僕の頭の中に、妙な感触が入ってくる。これは、まさか…


 脳内に映像が浮かびこんでくる。そこにはシルフィがいて、なにか言っている。


 一体なにが?まさか間男との間に何かあったのか?


 彼女の口から漏れる声がだんだん声量が上がり、やがて明瞭になって聞き取れるレベルまで音量が上がってきた。


「もう、どうして急に勃たなくなったの?ほら、がんばれ💓、がんばれ💓」


 そう言ってシルフィは男を抱きしめ、優しい顔をして男の頭を撫でる。正常位の状態で。


「な…」


 僕はすべてを理解して、絶句する。


 まさか、そういうことなのか?この人が真剣に魔族と戦って人類滅亡の危機を脱しようと奮闘している、この大事な局面に…あの男、あの間男の野郎…


「な、中折れしてんじゃねえええええ!クソがあああああ!」


「ぐわあ!」

「なんだこいつ!さっきまで弱ってたのに急に強くなりやが、ぐあ!」

「っていうかさっきよりなんか強くなってるような、うぎゃあ!」

「鬼神だ。あれは人間じゃねえ、バケモンだ!」


 眼前まで迫っていた魔族に向かって僕はメイスを拾って一閃。まとめて薙ぎ払うように振るう。すると、メイスが当たった肉体が爆散して魔族の肉片が飛ぶ。


 さらに近くにいた魔族の頭部に向けてメイスを振り下ろして頭を砕き、その隣にいた魔族の腹に横からメイスを振り当てて肉片に変えた。


 魔族どもを悉く肉の塊へと変えてから、気づく。


 今の映像はきっと加護の副作用みたいなものだろう。きっと今、シルフィアの身に起こっていることがリアルタイムで情報として僕の頭に届いたに違いない。


 くそ、ふざけやがって。シルフィみたいなイイ女を抱いているのに、なに途中で萎えてんだよ。殺してえ。この間男、殺してえよ。


 っていうか危うく僕が殺されるところだったじぇねえか。精力用のポーションぐらい飲んでおけよ!


 それにしても、この加護にこんなデメリットがあったとは。これは予想外の事態だ。


 元来、僕の加護に制限時間はない。条件が満たされている限り、永久に戦える。


 しかし、間男には制限時間があることを僕は失念していた。


 一人じゃ、足りないのか?ふざけてる。なんだこの理不尽さは?


 くっ、とにかく今は魔族の殲滅を急ごう。時間が限られていることがわかった以上、悠長にしてられない。


 僕は魔族を睨み、戦闘を継続した。魔族の死体はさらに量産されていった。




―― 魔族軍本陣部隊



「だ、ダングルドン様。ダメです、あの人間、止められません」

「どうします?撤退、されますか?」

「く、ふざけるな!人間相手に撤退などできるか!」


 ダングルドン率いる魔王軍のこの部隊。その数は3000人弱。魔族だけで構成されている魔王ギュレイドスの前哨部隊だ。


 その主な任務はあくまで偵察であって、本格的な戦闘をする必要は本来ない。


 しかし、相手は脆弱な人種。それもあと一歩で滅ぼすことができる、まさに虫の息といっても呼べるような、吹くだけで死にそうな体たらくの相手だ。


 そんなあまりにも弱い相手に背を見せて逃げるなど、あっていいはずがない。


 だが、たった一人の人間によって次々と魔族が殺されているのも事実だ。


 精強な魔族が、脆弱な人間一匹に殺されている。あっていい事ではない。


 たかが人間、それも一匹の人間なんかのために、撤退など、あっていいはずがなかった。


 ――お前らだけで最後の国を滅ぼしてもいいんだぞ?とダングルドンの直属の上司である魔王ギュレイドスにも言われていた。


 確かにまだ人間の勢力は残っている。しかし、もはや魔族にとって敵と呼べるような英雄級の人間はもういないと言われていた。


 あとは雑魚だけ。それならば、たとえ20万の軍勢がいようとも、魔族だけで滅ぼせるだろう。


 それだけ魔族と人間とでは圧倒的な差があった。なのに、なんだこの惨状は?


「引けぬ」


「…ダングルドン様?」


「絶対に引けぬ!強いといっても敵は一人。奴以外は誰も攻撃してこないではないか。いいか、強いのはあいつだけだ。奴は無視しろ!中央部隊だけで奴を足止め。右翼部隊と左翼部隊は迂回して攻めろ!」


「ハッ!」


「わかったら早く行け!どうせもう奴らしかいないのだ。全軍、攻撃を開始せよ!背後など気にするな!」


 部下に命令を出し、一息をつくダングルドン。


 そうだ、最初からこうすれば良かったのだ。確かにあの人間は脅威だが、しょせんは一人だ。


 相手が強いならば、無理して戦う必要などない。


 我々の目的はあくまで人類の殲滅。強い奴が一人いたところで、それ以外の人間を皆殺しにしてしまえば、その強い人間もいずれ死ぬ。人間は一人では生きられないのだ。


 だったら、無視すればいい。それだけだ。


 どこのどいつだか知らないが、そうやって暴れてるがいい。気づいたころにはお前の仲間は全員あの世に行ってるだろうよ。


 やがてダングルドンの命令を遂行するべく、魔族軍は動き始める。


 中央部隊だけを残す形でそれ以外の右翼部隊と左翼部隊が前進。人類軍へと向かい始める。


 そうなると必然、本陣の部隊の守りが薄くなり、前方以外、特に後部がガラ空きになっていた。


「む、お前らどこから現れ…ぎゃああ!」


「て、敵襲!ぐあ!」


 それはまさに急襲だった。魔族軍が動き、背後に空きができたその瞬間。ルクス率いる30人弱の精鋭部隊が背後より魔族軍の本陣部隊を襲撃した。


 魔族の体は確かに精強だ。しかし剣で斬れば肉は裂けるし、致命傷を負えば死ぬこともある。いくら強いとはいえ、不意を突かれたらどうにもならない。


 魔族たちの目が前方で暴れる男に惹きつけられているその時。平原の背の高い草叢に身を隠していたルクス部隊が魔族軍の背後へと迂回して接近。他の部隊が動いて本陣部隊の守備が薄くなるタイミングを彼らは待っていた。


「な、敵だと!ぐはあ!」

「くそ、お前ら応戦しろ、うがあ!」


 ルクス部隊は次々と魔族たちを切り裂いて走り抜けていく。敵に応戦させる余裕など与えず、一気呵成に仕掛ける。その刃はやがてダングルドンへと迫り、背後よりその剣を突き刺した。


「ぐはッ…、いつの間に…」


 ルクスは剣を横に振るい、ダングルドンの首を斬り撥ねた。


 その首を拾い掲げ、


「敵将、討ち取ったり!」


 と叫ぶ。


 まさに一瞬の出来事だった。


「アイル、ゼレン、やれ」


「「ハッ!」」


 ルクスの号令のもとに、二人の騎士が剣を掲げ、同時に魔法を放つ。


「シルフィード!」


「フレムゲヘナ!」


 アイルが風魔法を引き起こし、ゼレンが火魔法を起こす。


「な、なんだ!?」

「熱い!」

「くそ、火が邪魔で見えねえ、ぐあっ!」

「うぎゃあああ!」


 魔族たちに風がまとわりつき、そこに流れるように炎がやってくる。炎の熱さから逃れるために魔族が散り散りになって逃げようとするが、風が追尾をし、そこに炎が舞うことで逃げられず、魔族たちは焼かれていった。


「ゴードン、今だ!」


「ハッ!ダムモール!」


「くっそ、どうなってんだよ、早く逃げねえと…なんだこれ!」


 なんとか炎から逃げようとする魔族軍。しかし、本陣部隊を囲むようにしていつの間にか地面の土が垂直に盛り上がり、逃げ道を塞がれる。


「よし、では撤退するぞ、エルオ、やれ」


「ハッ!ショート転移」


 エルオと呼ばれた騎士が呪符を地面に張り、詠唱を唱える。すると、ルクス隊の周囲に魔法陣が輝いて浮かび、彼らを光が包む。やがて光が消えるのと同時に、ルクス隊はその現場から消えていた。


「そ、そんなバカな…」

「ダングルドン様がやられたぞ」

「あっつ!早く逃げろ!焼かれるぞ!」

「どこに逃げるんだよ!」

「クソ、どうなってんだよ!なんでこんな場所に壁があるんだよ!」


 司令官が討たれるという突然の事態に魔族軍は混乱に陥った。司令官のいる本陣部隊は足止めを受け、進軍を始めた右翼軍と左翼軍は混乱。部隊は進軍を停止する。


 その間。足止めをしていた中央部隊はたった一人の人間によって壊滅させられ、その視線は左翼軍へ。男はさらに左翼軍を蹂躙していく。


 残された右翼軍は人類軍からの襲撃に遭うも応戦。当初こそ善戦するが、やがて左翼部隊を全滅させた男に背後より襲撃され、やがて殲滅させられた。


 こうして人類軍は魔族軍に勝利。それは魔族軍が人類への侵攻を開始して以来、初の勝利だった。


「か、勝った」

「マジかよ、俺たち、勝ったのか!」

「うおおおお!生きてる、俺まだ生きてるぞ!」


 兵士たちは勝利を祝し、雄たけびをあげた。


 みなが勝利に酔いしれ、生の喜びを噛みしめている。しかし、そうでない人間が一人いた。


 リューク・ネトラレイスキー伯爵。彼だけが、苦渋に満ちた表情を浮かべていた。やがて通信石を切り、遠く王宮にいる最愛の女性にすべてが終わったことを知らせた。

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