第4話 開戦

 後方に人類軍、前方に魔族軍。


 太陽が輝く青空の下。あたりは起伏の少ない平野部で、風が吹けば草原の草がサラサラと揺れる。


 最初は小さな人影の集団だった。


 しかし行軍が進むにつれて魔族軍の全容が視界に入ってくる。


 緑色の鱗のような肌をした、2メートルほどの身長を持つ魔族の軍勢。


 一応、陣形はあるみたいで、歩兵の部隊を横一列に並べる横陣の陣形でこちらにゆっくりと、されど確実に魔族の軍隊は行軍している。


 ただ人類軍の洗練された陣形と比べて魔族軍の陣形はどこか歪で、崩れている。おそらく即席で陣形を学び、付け焼刃で訓練をしたのだろう。


 それはそうだろう。そもそも本来、魔族は協力しあうような種族ではない。我が強く、他人の命令などまず聞かない。


 そんな協調性皆無な魔族どもが協力しあい、人類への攻撃を始めた。奴らは明らかに今までの旧来の魔族とは異なった価値観を有しており、かつての魔族の常識が通用しない新しい種族と考えるべきかもしれない。


 魔族の軍勢が歩く度にその足音が大気に響き、空気が揺れる。そんな進軍の足音も、先陣を率いる騎乗部隊が止まり、後方の部隊へと指示を出せば、多少時間はかかりつつもやがては停止する。


 敵はこちらを睨む。こちらも敵を睨む。


 時間だ。いよいよ、戦端が開かれる。それをするのは…


 ――どくん。


 心臓が急に撥ねた。


 どうやら、シルフィアと、そして誰とも知らない間男が、行為を始めたようだった。


 僕が聖地で受けた加護「エヌティアール」。


 僕の、最愛の女性が他の男に抱かれる時、その加護は力を発揮する。


 既に通信石に魔力を込めることで魔石を赤く輝かせていた。この魔石が輝く時、それはここより遠く離れた王宮の一室にいる彼女たちに合図を送ることになる。


 そう――やれ、という合図を。


 あの日。シルフィアは僕の加護のすべてを受け入れた。


 彼女は僕の最愛の女性になることを受け入れた。


 そして、魔族を滅ぼすためなら、他の男に抱かれることをも受け入れた。


 ――どくん。再び心臓が大きく撥ねる。


 ああ、伝わってくる。彼女が今まさに、他の男に抱かれている、その情報が。


 直接見たわけでも聞いたわけでもないのに、それでもわかるのは加護の影響からなのか?それとも僕が勝手に頭で彼女が抱かれる姿を妄想しているのか?どちらなのかはわからない。


 それでも今、シルフィアが、僕の大事なシルフィアが、他の男と行為をしている。それもただ抱き合うとかではなく、本当にやっている、男と女が共同でやる作業を本当に致している――それが事実であることを加護を通じて全て把握することができた。


 つつー、といつの間にか涙が頬を伝っていた。


 彼女は大事な、とても大事な女性なのに。シルフィアは今だって僕にとって大事な存在なのに。


「お、おい、大丈夫か?」


 突然の異変に心配そうな顔をする第八王子のルクス。彼が僕に近づくのを、僕は手を出して制する。


「大丈夫、じゃない。大丈夫じゃない、だけど、加護が発動しました」


「…そうか。やれるか?」


「…やれます」


 本来であれば、魔族軍が来る前に加護の性能について試しておきたかった。しかし時間が無かった。


 魔族軍の進軍のペースはあまりにも早すぎた。それはもしかしたらこちらに対策をたてられる前に叩くという戦略上の目的からなのかもしれない。


 実際、その驚異的な進軍の速度によって軍の動員が間に合わず、満足に戦うことなく敗れた国もあるのだろう。


 そんな進軍の早さに加えて、この加護の発動条件は特殊すぎる。


 当たり前だ。


 まず、最愛の女性を見つけないといけない。これは片思いではダメだし、偽りの気持ちでもダメだ。本当に、心底から愛し合っていないといけない。


 僕はシルフィアのことを愛してる。シルフィアも僕のことを心から愛してくれている。


 シルフィアがいたことで、まず一つ目の条件が達成する。


 問題は二つ目だ。


 そんな最愛の女性を、他の男の抱かせないといけない。


 ふざけている。なぜ大事な女を抱かせないといけないのだろう?


 そのあまりの理不尽さに何度激怒し、そんな男がいたらぶっ殺してやろうと思ったことか。


 そう。この感情こそが最大の難問かもしれない。僕は、殺してしまうかもしれない、間男のことを。


 当たり前だ。世界一大好きなシルフィアが他の男に奪われるのだ。たとえ人類を助けるためとはいえ、頭で理解できたとしてもこの胸のうちの感情が消えるわけではない。


 そんなクソ野郎がいたら確実に殺すだろう。幸い、加護の力のおかげで難なく殺せそうだ。


 もちろん、本当にそんなことをしてしまったら困る。人類が。これから魔族を殺さないといけないって時に、なぜ間男を殺す?攻撃対象が間違っている。


 いや、間違ってはないのだが、間違っているのだ。


 もしもこのまま加護が発動してしまったら、間違いなく僕は間男を殺しに行くだろう。しかしそれでは加護を発動させる意味がない。


 そこでルクス王子が一計を講じることにした。


 ルクス王子には絶対順守の加護「ヴェルスヴェージェン」がある。この加護を使用すると、どんな口約束だろうと絶対に守らせることができる。もしも破ろうとした場合、その人間は死ぬ。


 あまりにも強力すぎる加護だが、基本的に相手の合意がなければこの加護は発動できない。


 たとえ命を失うことになっても、それでも人類のために命を捨てる覚悟がある、そういう誠実な人だけを厳選して、シルフィアの間男役になってくれる人を探した。


 ルクス王子が間男にさせた契約の詳細までは知らない。おおよその内容だが、まず僕らのことを口外しないこと。これは情報漏洩のリスクを避けるためにも必須の契約だ。


 そして次に、シルフィアを傷つけたり、脅したり、精神を支配するような行為は禁止した。要するに、必要以上のことをするな、ということだ。


 そこまでして、ようやく僕は、かろうじて、ギリギリではあるが、納得できた。


 もちろん、心はまったく納得していない。しかし、人類を魔族から守るために、苦渋すぎる決断をした。


「いいじゃない。死ぬわけじゃないんだし」


 とシルフィアは僕に言ったこともある。


「たかがセックスよ。人が死ぬことに比べたら安いものよ?」


 ともシルフィアは言った。


「恋人を抱かせるだけで人類を魔族から救えるなんて、条件としては破格じゃないかしら?」


 もうやめてくれ、シルフィ。抱かれるのは君なんだぞ?


「ねえリューク」


 昨晩。彼女は僕の腕の中で言った。


「私の家族…お父様もお母様もお兄様もお姉様も、魔族に捕まったの。お父様とお兄様は男で、戦力になりそうにないからおそらくもう殺されたでしょうね。でもお母様とお姉様はまだ生きてるかもしれない」


 ――女がどんな扱いを受けるか知ってる?と彼女は言った。


 魔族が支配下においた人種の女性に対してしていること。それは話には聞いていた。そしてシルフィアは戦場に出て、その光景を実際に目の当たりにしたらしい。


 地獄だったようだ。


 シルフィアから聞いた話はあまりにも酷く、凄惨で、もはや殺された方がマシではないのかと思えるほどだった。


「あいつらが憎いの」


 とシルフィアは語っていた。


「絶対に許さない。あいつらを皆殺しにできる方法があるなら、喜んで他の男に抱かれるよ、リューク💓」


 シルフィアの人類を救いたいという気持ちは本物だ。彼女は昔から英雄譚に憧れ、その気持ちが高じて騎士になるような女性だ。


 だがそれ以上に、今の彼女は魔族を憎んでいる。


 その憎しみが……なんで寝取られなんて方向に向かうのだろう?


 なんか、理不尽だった。


 魔族によって世界が蹂躙されているこの悲惨すぎる世の中。この地獄みたいな現状を打破するにはなにかを犠牲にしてでも力を得る必要がある。


 その代償が寝取られとは一体どういうことなのだろう?神は一体どういうつもりでこんな加護を…


 そしてそれは唐突にやってきた。


 あ、ああ、あああ、く、くる。なにかくる。頭の中に何かが入り込んでくる。


 薄暗い部屋の中で、ぼんやりとした光景が頭の中に映りこんでいた。それはシルフィアだった。彼女は既に服を脱ぎ、その白い肌を晒し、男の腹の上に座り込み、メスの顔を浮かべ、そして、そして、腰を振っていた。彼女が腰を振る度にその白く丸々としたお尻が前後に揺れ、シルフィアの形の良い胸がたわわに揺れ…


「うわああああああああ!ふざけんじゃねえええ!」


「うお!ど、どうした!」


 力が、力が湧いてくる。


 体が軽い。今ならなんでも出来そうな万能感に体が支配される。


「お、おい、リューク。なんか体から黒いオーラみたいなのが滲み出てるぞ?」


 一体、僕が…俺が…なにをしたっていうんだ?


 悪いことなんてなにもしてねえだろうがよ。なぜこんな仕打ちを受けないとならねえんだ?


 殺したい…ぶっ殺したい…すべての悪を打ち倒したい…間男を八つ裂きにしたい…


 大事なシルフィに手を出しやがったこのクズ野郎を…うっ、違う、そうじゃない…


 俺は…僕は…違う、そうじゃない。


 必死に頭の中にかかる暴力的な思考をどうにか軌道修正する。


 違う…悪いのはすべて、魔族だ。間男じゃない、魔族が全部悪いんだ。


 前方を見やれば、そこには魔族の軍勢がいる。


 こいつら、頭おかしいのか?なぜ人類を滅ぼそうとする?バカじゃねえのか?そんなことしてなんの意味があるんだ?


 こいつらか?こいつらのせいで、シルフィアは今、僕以外の男と交尾してるのか?ふざけんじゃねえ?


 よし、殺そう!


「…な…し…」


「うん?どうしたリューク?」


「皆殺しだ。あいつら一匹残らず、殲滅だ!」


 そうだ、あいつらが全部悪いのだ。人類を滅ぼすとか頭の悪いことを考えるあいつらが全部悪い。あいつらさえこの世から駆逐すればすべて解決するじゃないか。


「魔族どもが!ぶち殺してやらあ!」


 感情の赴くままに口から声を迸らせる。そのあまりの声のデカさに空気が振動し、その光景を見ていた人類軍に動揺が走った。


「な、なんだあいつ!あれが噂の魔王か?」

「初めて見た。こんな凶悪そうな奴と戦えるわけねえよ!」

「おいおい、ちょっとやばくね?なんかすげえ凶々しいオーラ出てるぞ?」

「あれ?ちょっとまって??あれ人間じゃね?…いや、違うか?」

「おわった。あんなのに襲われたらもう無理だわ。ああ、こんなことなら童貞捨てておけばよかった」

「ち、違う!あれはネトラレスキー伯爵だ!第六騎士団のネトラレスキー伯爵!あの噂は本当だったんだ!」

「すさまじいパワーだ。いける、こんな凄い力の持主なら魔族だって倒せる!これは英雄の誕生だ!うおおお、寝取られ好きー伯爵万歳!」


 なんか後ろで騒いでいる。っていうかネトラレスキーじゃなくてネトラレイスキーなのだが、まあ今はどうでもいい。今はそう、敵だ。魔族どもを狙うんだ…


「うおおおおおおおおおお!」


 喉が張り裂けんばかりの咆哮をあげ、僕は魔族を睨み、そして地面を蹴り、前へ飛ぶ。


 ボンッとまるで空気が爆破したかのような音がする。景色が高速で前から後ろへと流れていき、そして再び地面に着地する。


 この力。想像以上だった。こんな力、事前に試さなくて良かった。下手したら人類を壊滅させていたかもしれない。


 魔族軍までの距離はおよそ1キロメートル以上あったはずなのに。たった一回、地面を蹴って跳躍しただけで一瞬でその距離は詰まった。


「な、なんだお前!いつの間に現れ…ぶぎゃああ!」


 僕よりも身長のデカい魔族軍の歩兵。その歩兵に向かってただの鉄の剣を振るえば、まるで紙でも切るような柔らかい感触でその筋肉でできた右腕を切り飛ばすことができた。


 しかし一方で、バキンッと盛大な音をたて、僕の剣が折れた。


 ああ、ダメだ。ただの剣ではとてもこの力に耐えられない。


 うん?


 ちょうど今切り落としたばかりの魔族の右腕。その手には、巨大な黒い鉄でできたメイスがあった。


 ふむ。ちょうど良いな。


「て、敵襲!」


「敵は一人だ!囲んで殺せ!」


 僕はメイスを拾う。魔族用のサイズなのだろう。大きさは1メートルを超えるほど。


 今までの僕であれば、重くてとても持ち上げることなどできない。


 しかし今の僕。最愛の女性を間男に抱かせることでエヌティーアールの加護が発動中の僕であれば…うぅ、涙が出る…く、今は堪えろ…そんな加護の恩恵を受けている僕であればこんな巨大なメイスですら片手だけで持ち上げることができた。


 いつの間にか魔族どもが僕の周りを囲む。それぞれが武器を手にもって今にも襲いかかろうとしていた。


 しかし武器があるのはこちらも同じなのだ。


 僕がメイスを握りしめ、それを横に振るう。


 ブン、と空気を裂く音がする。そして振り終わった後には、魔族の上半身だけが消え、汚い下半身だけが残っていた。


「え?え?」

「なにが起きた?」

「か、体が上から半分無くなってるぞ!」


 遅れてぶしゅっと盛大に下半身から魔族の血が噴出する。ドバドバと血の雨があたりに降り注ぎ、地面を赤く濡らしていた。


 すごい力だ。これは確かに、どんな敵でも滅ぼせそうだ。


 僕はメイスを構え、前進。魔族の軍勢に突っ込んでいった。



 ■魔族軍本陣


「ふむ。ようやく人間どもが見えてきたな」


 魔王ギュレイドスの臣下、ダングルドン。緑色の肌に、頭部より二本の角を生やす魔族の司令官で、この前哨部隊のトップでもある。


「長い道のりだった。しかしこれでようやく、あの目ざわりな人間どもを駆逐できるな。さて、では手筈通りに…」


「報告!敵一騎、中央部隊と衝突!戦闘が開始しました!」


「ほう?一騎駆けとは人間にもまだ根性のある奴がいるんだな?その部隊の数は?小隊か?中隊か?」


「え、あの…」


 報告にきた伝令の魔族の兵士が一瞬躊躇する。やがて答える。


「部隊ではありません。歩兵一人です」


 その報告を受けた途端、ダングルドンの目つきが鋭くなり、舌打ちをすると腰にかけた剣の柄に手を置く。


「お前、殺されたいのか?報告は精確にしろ。どこの世界に一人で軍隊に突っ込むバカが…」


「ほ、本当であります!ご自身の目で確認してください!」


 ダングルドンは近くにいる魔族の兵士を呼び、「おいお前、肩を貸せ」と命令。肩車の状態で軍の前方を見やる。


 そこには、たった一人。その身の丈には合わないサイズのメイスを振り、次々と魔族を屠っている男がいた。


「な、なんだあの化け物?人間か?バカな…」


 開いた口が塞がらないとはこのことで、ダングルドンはあまりの驚きにあんぐりと口を開けていた。

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