王都防衛戦
第3話 シルフィア
「リューク!私の剣の稽古に付き合ってよ!」
ドルド公国のアレンドラ公爵家の三女、シルフィア・オル・スィアーク・アレンドラは、その国の大貴族の娘と呼ぶには勝気で威勢が良く、花嫁修業よりも剣の修行\を好むような貴族の令嬢だった。
当時10歳。腰まで届くような赤い髪と青い目が綺麗な、明るく元気で活発な女の子、それがシルフィアだった。
公爵というのは確かにその国においてはもっとも位の高い地位の爵位ではある。しかし大国のベリアル帝国の衛星国でしかない小国のドルド公国の公爵家の爵位にそれほどの権威があるわけもなく、当時のシルフィアは公爵家の娘というより地方領主の娘ぐらいの感覚で田舎暮らしを満喫していた。
だからなのかもしれない。同じく南部の小国の伯爵家である僕に対して、シルフィアは貴族同士というより、同じ年齢の友達くらいの感覚で話しかけてくれた。
「えー。やだよ、だってシルフィ、すぐ首狙うんだもん」
「いいじゃん。先手必勝が大事ってゲオルグも言ってたし」
ゲオルグというのはアレンドラ公爵家で剣の指南をしている人だ。主に兄弟向けに。ゲオルグはなにを思ってこの公爵家の娘に剣術を教えたのやら。
「それより、ほら!早くやるよ!」
「もー、わかったよ。痛くしないでね?」
急かすように僕の腕を引っ張り、無理やり剣の稽古をさせるシルフィ。
そのあと、剣の修行と称して木剣でボコボコに滅多打ちにされた記憶が懐かしい。
「ふふーん。男の子のくせにだらしないね、リューク!」
「うう、シルフィが強すぎるんだって…なんでそんなに鍛えてるの?」
「だって私、将来は帝国の騎士団に入りたいもん。それでね、それでね…」
と嬉しそうな顔をして将来の夢を語るシルフィア。彼女は当時、ベリアル帝国の騎士団に入団することを夢見ていたという。
当時の僕は世の中のことなんてそれほど詳しくはなく、ただ漠然とシルフィみたいな強い女の子ならきっとなれるだろうなあ、ぐらいにしか考えていなかった。だからこそ、
「うん、シルフィならなれるよ!応援してるね!」
「えへへー。リューク、ありがと!」
なんて無責任なことを言っていたのかもしれない。
アレンドラ公爵家とうちのネトラレイスキー伯爵家は、昔から付き合いがあるようで、年に数回の頻度でたまにアンドレア公爵家の家にこうして遊びにきていた。
もちろん、本当は仕事か貴族同士の付き合いなどが主な理由なのだろうが、当時の僕らは子供で、そんな大人の都合など知る由もない。
ただ漠然と、親戚の家に遊びに行くような、その程度の認識しかなかったのだ。
「ねえリューク、今日は湖で遊ぼ!」
「ねえリューク、一緒に買い物に行こう!」
「ねえリューク、リュークはその、好きな人っている?」
「ねえ、リューク」「ねえ、リューク」「リューク!」「リューク?」「へへ、リュークー」「リューク」「リューク」…
「ねえリューク?」
それは十三歳の時。僕らはベリアル帝国の全寮制の学校へ入学。そこは軍の指揮官や内政官を育成する教育施設なわけで、シルフィは指揮官コースを希望したが、親の方針のもとで内政官コースを選ばされていた。
「女は騎士になれないって本当?」
「え?」
それは授業のない休日のこと。シルフィはいつもの勝気な眼差しとは違う、暗い目を僕に向けて切実に問うた。
「女は男の子と比べて力がないから、騎士にはなれないって言われたの。リュークもそう思う?」
「それは…」
この時。なんて答えるのが正解だったのだろう?もしも正解があるのならば、教えてほしかった。
当時の僕は、女性が男性と比べて腕力が劣るということを漠然とではあるが知っていた。
だから、女性は男性と比較するなら、確かに騎士にはなりにくいかもしれない。でも…僕はシルフィのことが…
「そんなことないよ、シルフィ」
「本当に?」
「だって、魔導騎士団には女性だっているじゃないか。ほら、ヴィレッタ様だって女性だし」
「そうだよね!女の子だって騎士なれるよね!よーし、私、頑張るよ!」
暗く、落ち窪んでいたシルフィの目に光が戻った瞬間だった。
赤い髪を風になびかせ、明るい笑みを浮かべるシルフィの姿はとても可愛く、彼女はやっぱり泣き顔よりも笑顔の方が似合うな、とその時は思った。
後日。シルフィは親に無断で学校を辞め、騎士団に入団した。ご両親、特に父親からこっぴどく叱られ、騎士になるまで帰ってくるなと表向き勘当の扱いを受けることになる。
ただ僕は知っている。彼女の父親がシルフィのためにいくらかの資金を渡していたこと、いつでも無事に帰れるようにシルフィ専用の護衛をこっそり雇ったこと、騎士団の団長にシルフィを優遇するように賄賂を渡そうとして危うく捕まりかけたこと、などなど。
そして十八の時。僕は既に学校を卒業し、父の跡を継ぐためにカルゴアの王都へと戻っていた。
この時。既に僕は例の加護を有していたのだが、あんな内容の加護だ。たとえ家族が相手でも伝えられるわけがない。
「あれ?リューク?」
それは父の仕事の関係で王宮へ向かった時。見慣れない騎士たちが城門の前にいたのだが、その中の一人がシルフィだった。
「シルフィ?なんでここに?」
「うん、仕事でね。それより久しぶりだね!元気だった!」
5年ぶりの邂逅だった。
再会した幼馴染の女の子は、成長し、騎士の姿がよく似合う凛々しくも美しい女性になっていた。騎士になった時に髪を切ったのか、あの長く綺麗な赤い髪が肩にかかる程度の長さになっていた。
「ねえ、それより見てよ!私、騎士になったんだ!」
騎士の鎧を身にまとい、腰に剣を下げている姿はまさに騎士そのもの。
大人になったシルフィ。しかしその喜ぶ姿はまるで昔のままで、少しだけ懐かしさを覚えた。
「そうなんだ!おめでとう、シルフィ」
「うん!ありがとう!へへ、ねえリューク」
「うん?なにかな?」
「…へへ、ううん、なんでもない。ねえ、私、ここには一週間くらい滞在する予定なんだけど、今度会える?」
確かに体は成長して、大人びた雰囲気のあるシルフィ。しかし、僕と話すその姿は、やはり昔の子供のころのままだった。
そんな彼女の姿を見ていると、ドクンと心臓が鼓動をうち、僕の感情を揺さぶる。
会いたい、もっと一緒にいたい、そんな淡い感情が僕の胸の中を支配していた。でも…
「うーん、どうだろう?明後日は時間ある?」
「あー、ごめん。最近魔族の動きが活発でね。その日は調査が…」
結局。その時はどうしても予定が合わなくて、再び顔を合わせることなくそのままシルフィはベリアル帝国へと帰ってしまった。
そして二年前のあの日。当時、ベリアル帝国で任務についていたシルフィは、祖国が魔族によって滅ぼされたことを知ったという。
魔族の侵攻は唐突に、前触れもなく、突然始まった。そのあまりの侵攻の早さにドルド公国の軍の防衛が間に合わず、魔族軍は瞬く間に首都を制圧。軍部は機能を失い、抵抗する力を喪失した。
ドルド公国は壊滅し、そこに住まう住民は魔族による苛烈な支配を受けることになった。
その後、魔族の進軍は続く。
ドルド公国はベリアル帝国の保護下にある国で、そこを滅ぼされたということもあってか、ベリアル帝国が国の威信をかけて魔族を殲滅するべく軍を派遣。そこにはシルフィの姿もあったという。
この時。すべての国が一丸となって魔族軍を総攻撃で攻めていれば、もしかしたら倒せたかもしれない、と言う人もいる。
しかし従属国を滅ぼされたことで面子を潰されたベリアル帝国が他国の介入を拒否。帝国単独で魔族軍と戦うことになる。
その結果、帝国軍は敗北。魔族軍に協力する人間の手引きもあり、帝国内に魔族軍の侵入を許してしまった帝国は崩壊。ベリアル帝国は魔族の手に墜ちた。
それから三ヶ月後。シルフィがカルゴアの僕のもとへやって来た。
「憎い」
ぼろぼろの姿で、あの綺麗だった赤い髪は乱れ、明るく陽気な笑顔がよく似合ったあの顔に怒りの表情を宿らせ、シルフィは涙を流していた。
「魔族が憎い」
そんな言葉、彼女から聞いたのはこれが初めてだった。
「ねえリューク。お願い、力を貸してほしいの。魔族を滅ぼすための力を貸して?」
もしかしたら、教えるべきではなかったのかもしれない。
隠した方がよかったのかもしれない。
しかし、帝国を支配下においた魔族軍の勢いはさらに苛烈さを増し、もはや止められる国はなかった。
このままだと人類が滅ぼされるかもしれない。そういう危機感があった。
だから話した。
「すごいじゃない、リューク!もう、そんな力があるのにどうして黙ってたの?」
目をランランと輝かせながら、僕の加護の感想を述べるシルフィア。
こうなることを、僕は恐れていたのかもしれない。
「ねえ、もう気づいていると思うけど、私ね、ずっとリュークのことが好きだったの」
頬を赤らめ、照れたような顔をするシルフィア。だが、彼女の瞳の奥はどこか暗く感じた。
「…うん、僕もシルフィアのことは大好きだよ」
「知ってる。だってバレバレだもん。…ねえリューク…」
――私にも魔族を殺す力を分けてくれないかしら?――
王都にある屋敷の私室。ベッドの上でシルフィアは僕の顔を両手で挟んで固定する。その力はとても強く、僕を決して逃がさないという意思が感じられた。
もっとも、僕も逃げるつもりはなかったのだが。
シルフィアはゆっくりと僕の唇にその柔らかな唇を重ねた。
唇を放して再び僕を見るシルフィア。そんな彼女を僕は抱きしめ、今度はこちらからその唇を奪った。
もしも今、シルフィアを手放したら、そのままどこかに消えてしまう。そんな危機感があった。なにより、シルフィアを自分のモノにしたい、そんな危機感が強く働いていた。
その日。僕とシルフィは結ばれ、翌日には婚約を発表した。
シルフィは僕にとって最愛の女性であり、そして…僕の加護の犠牲者になることを自らの意思で選んだ。
僕の選択は正しかったのか、それはわからない。わからないが、それ以外に選択肢がなかった。それだけは確かだった。
そして現在。
魔族軍を前にして、僕は加護を発動させることになる。魔族の軍勢を滅ぼすために、今日、今から、これから、僕の彼女は誰かに抱かれる。僕の意思で。
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