第2話 プロローグ
大切な人を守りたい――幼少のころ、確かにそのような願いを抱いていた。
それが何故、このような結果を招く?
南端の小国家、カルゴア。人口260万人のこの国は大陸南部ではそれなりに繁栄している王国と言えるだろう。しかし大陸全土から見れば、それほど大きな国ではない。
もしも北部のベリアル帝国が本気で南部に軍事進攻などをすれば、南部諸国はひとたまりもなく吹き飛ぶであろう、それがかつての世界の認識であった。
しかし、ベリアル帝国は既にない。魔族軍によって滅ぼされてしまったからだ。
あれほどまでに精強を誇ったベリアル帝国の十三の魔導騎士団も、すでに魔族によって壊滅させられている。たとえ生き残ったベリアル帝国の魔導暗黒騎士がまだいたとしても、今頃は魔族軍による精神魔法により、魔族側の奴隷人間と化していることだろう。
南部の王国カルゴアは現在、人類にとって最後の砦といっても良いだろう。この国が墜ちれば、もはや人類に未来はない。
現在、魔王ギュレイドスが率いる魔族軍がカルゴアに向けて進軍中。斥候の情報では、王都に向けてまっすぐに進軍しているとのことだ。
敵はこちらをまったく警戒しておらず、王都以外の街や集落には一切の目もくれずに進軍しているようだ。
良い見方をすれば、回り道をしないのでいたずらに国民を犠牲することがない。
悪い見方をすれば、回り道をしない分、それだけ早く魔族軍は王都へ到達する。
この進軍を止められなければ、魔族軍が王都へと流れ込み、蹂躙されることだろう。
魔族軍によって占領された国でどのような蛮行が行われているのかは既に聞いていた。
人間にまともな服や食料は与えられず、男は労働力として見なされ、汚い仕事をさせられる。女は新しい戦力の確保を目的に、魔族と人間のキメラ兵士の創造という役割を与えられる。
役割があるといっても、価値があるわけではない。魔族が気に入らないと思えばいつでも人間を殺せるし、殺したところでその魔族が罰せられることもない。
魔族は人間を生かすつもりがないらしい。
まだカルゴアという国が残っているから戦力として仕方なく人間を生かしてやっているに過ぎず、もしもカルゴアの侵略が成功し、滅ぼすことができたら、奴隷として飼っていた人間も用済みになるのでそのまま殺すことになるだろう。
もはや人類側に負けは絶対に許されない。たとえどんな手を使っても、どんな方法を使ったとしても、魔族に勝たねばならない。そこまで人類は追い詰められているのだ…だからきっと、僕が抜擢されたのだろう。
「リューク。時間だ」
王都の北側に広がるナルグ平野。
王国の北側より現在、魔王軍は南下して進軍している。そのまままっすぐ王都へと進むのであれば、ナルグ平野を通過することになる。
現在、人類軍の司令部はカルゴアの王都へと移動。人類軍のマルゴ総司令官の指揮下にて、戦いの準備が着々と進められていた。
もはや一兵たりとも出し惜しみはできず、残された戦力はすべてナルグ平野に動員されているといってもいい。
もともとのカルゴアの戦力10万弱に加えて、他の敗戦国よりカルゴアに撤退してきた人類軍その他諸々を加えることで、総数38万。
対して進軍中の魔族軍が100万。倍以上の戦力差だ。
普通に戦えば、まず勝ち目がない。
もともと人間と魔族では身体能力に格差がある。人間が魔族に勝つには、最低でも3人は必要だ。それも普通の魔族が相手の話ならば、だ。
これが戦闘に特化したような魔族ともなると、もはや普通の人間が束になっても勝てず、太刀打ちできないだろう。
魔族に対抗するには、魔族と渡り合えるだけの力を持っている戦力が必須だ。
いわゆる、英雄だ。
「リューク、調子はどうだ?」
僕らは野営地のテントから出て、広くひろがっている平野を見る。
隣にいるのはカルゴアの第八王子にて、第六騎士団の団長のルクス・レイ・カルゴア。短い金髪と青い目をした長身の男だ。
本来、王族が戦場に出ることはまずない。しかしルクス王子は特殊な加護を有しているということもあってか、今回の任務に抜擢。第六騎士団団長という地位のもと、作戦に参加している。
「ああ、大丈夫だ。できると思う」
「…そうか。この戦い、お前にかかっているんだ。任せたぞ」
加護。それは祝福、もしくは呪い。
人類は確かに弱い。しかし、魔族と違って人類には女神による加護を有することができる。
15歳になって成人を迎えれば、誰でもマツリガント教国の聖地にて、女神の祝福を受けることができる。
祝福を受ければ、力を得ることができる。
戦闘に長けた祝福を授かれば、強き戦士となれるだろ。
魔術に精通した祝福を授かれば、賢き魔術師となれるだろう。
恋愛に関する祝福ならば色濃い人生を謳歌できるだろうし、富に関する祝福を授かれば財産に恵まれることだろう。
加護の種類は非常に多く、中には今まで一度も授かったことがないような、珍しい祝福もある。
その加護の力次第では、たとえ相手が魔族であっても倒すことができるだろう。
人間が敵わないような相手さえ滅ぼせる加護の持主。人はそれを英雄と呼ぶ。
僕が第六騎士団に抜擢されたのも、ひとえに加護が原因だ。
もはや人類が魔族によって滅ぼされるかもしれないこの有史以来の危機的な状況。しかし、僕の持つ加護は、使い方さえ間違えなければ、たとえ魔族の大軍であろうとも倒せる――はずだ。
もっとも、この加護は今まで一度も使用したことがないので、本当にそれだけの力が発揮できるのか、正直なところ僕自身にもわからない。
本来であれば、このような残酷な力は使わないで済むならそれで良い。僕が15の時、聖堂で加護を受けた時、この力を授かった時、絶対に終生にわたってこの加護を使用することはないだろう、そう誓ったほどだ。
だが、使わざるを得ない状況が訪れた。
もし、この戦争で負けたら、僕らはお終いだ。それは人類の歴史の終焉を意味する。
「シルフィア、ごめん」
広大なナルグ平野の地平線。その奥より、異形の存在が現れる。
空気が揺れる。100万の軍勢の足音が響く。まだ遠い。しかし奴らは確実にこちらに向かっている。
一見すると人の形をしている。しかし、その大きさは人間の倍以上。筋骨で隆起した体を持つ魔族の大軍が、今まさにこちらに押し寄せている。
これが人同士の戦争であれば、戦端を開く前になにか言葉を交わすこともあるのかもしれない。
しかし魔族に人同士でやりとりするような儀礼などは無い。奴らはただ蹂躙するだけだ。
これから戦争が始まる。その雰囲気に吞まれてか、周囲の空気がぴりつき始めた。
平野には現在、数多くの兵士たちがいる。そんな数多の兵士に向かって指揮官が指示を出して隊列を組ませる。
もともと軍属だった者もいれば、生涯にわたって鍬しか握ったことがないような人もいる。
真剣な眼差しをするものもいれば、怯えた目をするものもいる。
槍を握る手に力が入るものもいれば、今にも崩れ落ちそうな体を支えるために槍に縋るものもいる。
いろんな人がいる。いろんな人がいた。ここにいる兵士たちが、人類にとって最後の兵士たちだ。
彼らのほとんどがここを最後の地として考えている。それでも逃げずに戦場に立ち、戦おうとしているのは、きっと守りたいものがあるからなのだろう。
それは僕も同じなのだ。僕だって守りたい。できれば、ここにいる兵士全員を無事に帰してやりたい。
戦争などごめんだ。戦いなど嫌だ。それ以上に…
「うッ…、くそ」
「どうした?平気か?」
あのことを考えてしまった瞬間、脳にズキリと痛みが走る。
くそ、考えないようにしていたのに。
いや、わかっている。そんなこと、できるわけがないのだ。
考えるに決まっているじゃないか…だって…だって…
「なんでもない。準備は出来ている」
「そ、そうか?無理はするな、と言いたいところだが、そうもいかない。リューク、無理をしてでもやってもらうぞ」
「わかってる」
第八王子のルクスは第六騎士団の団長で、いってみれば僕の上司にあたる。当然、僕の加護のことも知っている。
僕の加護は、極めて特殊だ。
その特殊さゆえに今まで誰にも加護について言わず、秘密にしてきたのだが、世界がこうなってしまった以上、言わないわけにもいかず、僕は信頼できるルクスにだけ加護の内容を打ち明けた。
相談を受けたルクスの仕事は早かった。すぐに箝口令を布き、僕の加護に関する情報の流出を王命により厳しく禁じた。情報漏洩のリスクを避けるためだ。
僕の加護について知っているものというと、僕とルクスを除けば、婚約者のシルフィアぐらいなものだ。僕の知る限り、では。
もっとも、その特殊性ゆえに、他にも知っているものはいるだろう。しかしその者の情報はルクスによって隠されているので、僕は知らない。
知らない。そう、僕はそいつのことは知らないのだ。クソが。
「おい、リューク。殺意が漏れてるぞ」
「…申し訳ありません。魔族に対する憎しみが強くて…」
「そ、そうか…………お前の家族で魔族に殺された者がいるのか?」
「え?いえ、うちの家族はみんな王都にいるので無事ですが、それがどうかしましたか?」
「……いや、すまん。ちょっと気になってな。なんでもない。それより、そろそろ始めるぞ」
――やれ、とルクス王子は僕に命令を出す。
ルクス王子は進軍する魔族軍に対して、人類軍総司令官のマルゴと一つ、事前に話をつけていた。
まず先に、僕の加護で魔族を攻撃させて欲しい、と。
当然だが、マルゴは難色を示した。当たり前だ。軍とは関係ないところで好きにやらせて欲しいなんて、許されるわけがない。
しかし、こちらも引くわけにはいかない。なにしろこれで負けたら世界が終わるのだ。やれることはやりたい。
…もちろん、やらずに済むならそれに越したことはない。
どうしても納得してもらえないマルゴに対して、ルクスは僕の加護について一部だけ情報を話すことで、どうにか了承を取り付けることができた。
もちろん、加護についてすべてを話すわけにはいかないので、加護の内容の8割ほどは伏せることになったが。
正直、マルゴの反応を見る限り、半信半疑であっただろう。
しかし、まともにやりあったところで、人類軍が負けることは明白だった。
奴らは強い。そして人類は弱い。人類が勝つには、魔族を倒せるほどの圧倒的な戦力が必須なのだ。それがなければ、もう負けるしかない。
マルゴにとって僕は、まさに一縷の望みにかけるようなものだろう。
交渉に交渉を重ね、ようやく僕らは複数の条件のもと、許可を得ることができた。
まず、絶対に軍の足並みは乱さないこと。
僕らの行動に他の兵士を関与させないこと。
作戦は僕らだけでやること。
たとえ僕らが失敗しても軍は僕らを救出しないこと。
これら条件を加えることでマルゴ総司令官は僕らの単独での戦闘を許可し、そして現在に至る。
もしできるなら、それに越したことはない。
たとえ失敗しても、一人のバカが死ぬだけなので損害はない。
そういう論理のもとに、僕らは今、兵士たちが並ぶ前線に立ち、これから単騎で魔族軍に突っ込むことになった。
単騎といっても、馬がもったないということで馬すらもらえなかったが。
隊列を整えた兵士たちが並び立つ前線。そんな兵士たちを背景に、僕とルクス王子が立つ。
僕は右手に持つ通信用の魔石をじっと見つめる。
この魔石は王宮にある別の魔石と連動していて、魔力を込めるとこの通信用の魔石と王宮にある魔石が同時に赤く輝く仕組みをしている。
この魔石に魔力を込めるということは、それは『やれ』という合図だ。
そう…ついに、やるのだ。
僕が15の時。聖地にて授かった加護『エヌティーアール』
それは最愛の女性が他の男に抱かれている時、あらゆる敵を滅ぼせるだけの力を得るというものだった。
最愛の女性。かつて魔族によって滅ぼされたドルド公国の元公女シルフィア。
彼女とは幼少のころより知っている付き合いで、僕の幼馴染で、婚約者で、最愛の女性だ。そんな彼女が今から誰とも知らない人に抱かれる。それも僕の意思で。
なぜこんなことに?
僕はただ、大切なものを守れるだけの力が欲しい、そう願っただけなのに。
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