第55話 最高すぎる最悪でして
それはまさに、話を根底から覆す一言だった。
「……『勇者』に? ぉ、俺が?」
あまりといえばあまりなラーナの言葉に、俺は間抜けヅラを晒して自分を指さす。
「うん。わたしの――、『釜戸の神』様の『勇者』になって」
再び告げられたその内容は、やはり、二度聞いても信じがたいものだった。
「ラーナ、おまえは……」
「多分、ビスト君が感じてる通りだと思う」
真剣な顔のままで、彼女はうなずいた。
やはり、そうなのか。
ラーナは神の声を聞いて『聖女』として目覚めたってのか!?
「バカなッ!」
静寂が訪れかけていた荒野に叫びを響かせたのは、俺ではなかった。
「バカな、そんなバカなことがあるか! 神が、神が魔族を認めるなどと……!?」
ヴァイスだ。
剣を振り上げた格好のまま、ヴァイスが驚愕と怒りに顔を歪め、吼えている。
「どうしてですか?」
「な、何?」
「何で、神様が魔族の人達を認めるのがおかしいんですか?」
ラーナが、俺の横に並んでヴァイスに問う。
怒っている。彼女は、その声に明らかな怒りの色をにじませている。
「さっきも言いました。『至天の魔王』と戦った『勇者』は百人。神様は百八柱です。最低でも八柱の神様は魔王を邪悪だと判断しなかったっていうことですよね。もちろん、わたしの神様もそうでした。『釜戸の神』様はその八柱の中の一柱です」
「あー……」
確信をもって語るラーナに、俺は小さく声を漏らす。
そういえば、そうだったかもしれない。
俺が受け継いだ『私』の記憶の中に『釜戸の神』の『勇者』と戦った記憶はない。
「『釜戸の神』様は食事の神様です。食べること、生きることを司る神様です。この世界に生きているみんなを陰ながら応援してくれる優しい神様です」
「だから、魔族をも認めるというのですか。この世界に生きる命だから……?」
「そうだよ、リシェラ姉さん。わたしの神様は、わたしにそう言ってくれた」
ラーナが左手の儀式杖を地面に落とす。
そして、彼女はそのまま左手をヴァイスとリシェラに向けて――、な……ッ!?
「……『手のひらの虹』!」
ラーナがかざした手の中に、七色の光が発生していた。
それは、基礎六属性+無属性の七属性の魔力を混ぜ合わせることで起こしうる光。
人類の魔導技術水準でいうと、賢者と呼ばれる術師でも難しい芸当だ。
「本当だったら、わたしにはこんなことできないよ。だけど今は、神様がわたしに力を貸してくれてる。だからできるんだよ。リシェラ姉さんなら、わかるよね?」
「こんなことが……」
これまで、ずっと余裕をたもち続けてきた『聖女』リシェラから表情が失せる。
ラーナが自分と同じ『聖女』となったことが、よっぽど衝撃だったらしい。
「神様はわたしに言ったんだよ、ビスト君」
「な、何を……?」
「今の世は、今を生きる命のための舞台だ、って。だからいいんだよ。今を生きるビスト君は邪悪でも何でもない。あのときにわたしとか、ウォードさんが言った通りだよ。ビスト君は、ビスト君が思うように生きていいんだよ」
ヴァイスとリシェラを睨みつけたまま、ラーナはそんなことを俺に言ってくる。
それは、ヴァイスが俺を否定する論拠を丸ごとひっくり返す内容。
神様も俺という存在を認めてくれた。
ああ、そいつは嬉しいよ。喜ばしいよ。けど正直、素直に受け取れない俺がいる。
「なぁ、ラーナ。今、おまえが言ってくれたことさ、すげぇ嬉しいよ」
「うん」
「だけどさ……」
俺の味方になってくれたラーナと『釜戸の神』には感謝しかない。
しかし、しかしだ……!
「俺に『勇者』になれってのは、どういうことだよ……?」
ラーナは『聖女』となり、神の力を授けられた。
彼女の左手に灯る『手のひらの虹』を見れば、それは事実だとわかる。
だが、俺に『勇者』になれ、だと?
俺に? かつての『私』の『記憶』を受け継いだ、この俺に!?
「ラーナには、前に俺の中の『後悔』の話はしたよな?」
我ながら重々しい声で、それを尋ねる。
彼女はコクリとうなずいた。
「『至天の魔王』ビスティガ・ヴェルグイユが死に際に抱えた『後悔』のことだよね。『正しさ』に人生を費やして、最後の最後で『楽しさ』を知ったっていう」
「そうだよ。俺の中にはその『後悔』が今もしっかり根づいてるんだ!」
絞り出した声は、ほとんど悲鳴も同然だった。
百人の『勇者』に勝ちながら、三人の冒険者に敗れ命を散らした『至天の魔王』。
最期に知ってしまった『生きることの楽しさ』に、あいつは自分の失敗を知った。
ただ『正しい』だけの空虚さを自覚して、深すぎる『後悔』を心に刻んだのだ。
「『勇者』なんて、どいつもこいつも自分の中身を『正義』で満たして、それ以外は何もない屍同然の存在なんだよ! ただ『正しい』だけで、神やら他の人間やらにいいようにコキ使われてるだけの、人形みたいな連中なんだよッ!」
俺達に『滅び』を与えようとしているヴァイスこそ、まさにその典型だ。
俺を魔王と断じ、邪悪と決めつけて消し去ろうとしている。
今、あいつが動かずにいるのは、ラーナを警戒しているからだ。
チェックメイトをかけつつある現状、ヴァイスは確実に俺達を屠ろうとしている。
ラーナの存在は、その確実さを妨げる不確定要素になりうる。
だから見極めようとしてるのだ。俺という邪悪を絶対に滅ぼすために。
そんなヴァイスの根底にあるのも確かに『正義』ではあった。
自らが悪と断じたものを全て消し去って秩序を保とうとする『滅びの正義』だ。
理解はできるがしたくない、そういうたぐいの正義だ。
多くの人間にとっても同じはずだが、ヴァイスにとっては誇るべき正義でもある。
俺からすれば、そんなものを誇るようなヤツ、まっぴらごめんだよ。
自分の『正義』を声高に主張するという行為自体、少しも楽しいと感じられない。
むしろ嫌悪しかねぇよ。
本当に、心の底から嫌悪するよ、そんな『勇者』なんて存在は。だけど、
「……俺に、それになれっていうのか、ラーナは?」
まさかすぎる提案ではあった。
ラーナが『聖女』になったというのなら『勇者』を探す必要は出てくる。
けど、だからって俺に『勇者』なれってさ。
さすがに、それは。それだけは――、
「勘違いしないで、ビスト君」
苦さしか感じていない俺に、ラーナが見せたのは優しい微笑み。
彼女は七色の光を灯した左手で、俺の頬を触れてくる。
じんわりと、温かなものが疲れ切った体に流れ込んでくるのを感じる。
体を蝕んでいた虚脱感が、少しずつ消えていくような感覚。
「わたしの言葉を思い出して。さっきも言ったよ。ね?」
「さっきも……」
一瞬の戸惑いののち、俺は言われた通りに思い返そうとする。
ラーナが何を言ったか。思い出そうとして、すぐに気づいてハッとした。
「――『私』が戦った百人の『勇者』の中に『釜戸の神』の『勇者』はいない」
「そうだよ」
うなずいて、ラーナが笑みを大きくする。
「ビスト君が言ってるのは、これまでの『勇者』のことでしょ? じゃあ、これから『勇者』になる人もみんな一緒なの? みんな『正しさ』の残骸なの?」
「それは……」
俺は、咄嗟には答えられなかった。
ラーナの言う通りだと、思ってしまったからだ。納得させられそうになる。
「考えてみて。『勇者』の定義って何? そんなの誰が決めたの? 冒険者みたいに、どこかに『勇者』に関する規約があったりするのかな? 『勇者』って神様から使命と加護を授かった『英雄』のことで、定義といえばそれだけだよね?」
それもまたラーナの言う通りだった。
神が与える使命の内容は様々であるはずだ。『英雄』だって色々なタイプがいる。
俺はずっと『勇者』を『正しさ』に魂を売った残骸か人形だと思っていた。
しかし、しかしだ――、
「ラーナは……」
彼女へ、俺は尋ねる。尋ねずにはいられない。
「『聖女』になったおまえは、神様から使命を授かったはずだよな。おまえは『釜戸の神』に何を言われた。どんな使命を授かって『聖女』になったんだ?」
「うん、あのね……」
ラーナは、めいっぱいの朗らかな笑顔で、自分が授かった使命を教えてくれた。
「『好きに生きて好きに死になさい』だって」
「……はぁ?」
思わず聞き返してしまう。
何ですか、ソレ。
「だって『釜戸の神』様は、食べることと生きることを司る『生命の神』様と同一視される神格だもん。命は、生きて、生き抜いて、いつか死んで完結するから命なの。それをちゃんとできる人を『勇者』にしなさいって、言われたの」
「生きて、死んで、完結するからこその命……」
言われてみればそれは正しい。間違いなく正しい。当たり前すぎる。当然すぎる。
ラーナが教えてくれた『正しさ』は、正しいが『正義』ではない。だが正しい。
「思うんだ」
彼女が、俺に身を寄せてくる。
剣を杖代わりにしている俺の体が、ラーナにも支えられる形になる。
「そんなに『勇者』が嫌いなら、ビスト君がこれまでの『勇者』を全部台無しにする『最悪の勇者』になっちゃえばいいって、そんな風に思うんだ、わたし」
「『最悪の勇者』に、俺が……?」
「そうだよ」
俺を見上げるラーナの瞳は、力に溢れて強い輝きを放っている。
そこにあるのは確信。自分の考えが一つも間違っていないという、漲る自信だ。
「思うように生きることを最優先する、自分勝手で無責任な『最悪の勇者』になっちゃえばいいんだよ。だってそれが『釜戸の神』様が言ってた『好きに生きる』ってコトだもん。ビスト君以上に適任な人、わたし、思いつかないなぁ」
「…………」
開いた口が塞がらないとは、まさにこのことか。
全力で語るラーナに、俺はお口あんぐりさせるしかなかったよ。
だって、そんなの考えたこともなかった。
好きに生きる『勇者』なんて、そんな無責任な『勇者』がありうるだなんて……。
「……ハハハ」
だけど、どうしたことか。
それを少し想像しただけで、笑いが込み上げてくるのだ。
そう、か。そうかよ。そういうことか。
俺が見た夢は、あのとき出てきた『私』は、このことを警告していたんだ。
――即ち、魔王を『勇者』にしようとする神のことを。
なるほどな。そりゃあ確かに最悪だ。
これまでの歴史が築き上げた『勇者』像をブチ壊す、まさに『最悪の勇者』だよ。
けどそいつは、同時に最高でもある。
俺が、『私』の『力』を継いだ俺が、『勇者』の看板に泥を塗る『勇者』になる。
何だよそりゃあ。どういうことだよ。
そんなの楽しすぎるだろうが!
どこまでも、果てしなく、最高に、楽しくて楽しくて、楽しすぎる!
「ラーナ」
「うん。ビスト君」
錬魔剣を地面に突き立てて、俺はラーナの左手に自分の右手を重ねて指を絡める。
すると、流れ込んでくる。さっきよりはっきりと、それがわかる。
彼女から、重ねた手を伝って俺の中に、強い力が注がれてくる。
俺は、ヴァイスを前にしながらも、ラーナだけを見る。
ここからどうするのか、何となくわかるような気がする。そうか、そうやるのか。
「いけません、ヴァイス様!」
リシェラが血相を変えてヴァイスに向かって叫ぶ。
「早く、あの二人に『滅び』を! このままでは、こ、このままでは……!」
その声は焦燥に染まっている。
しかし、ヴァイスはすぐには動かなかった。
「ぁ、あり得ない……ッ」
「ヴァイス様!」
「あり得ない。あり得てたまるか! 魔王が、ビストが『勇者』になるなど!」
いつでも攻撃できるクセに、ヴァイスは掲げた剣を一向に振り下ろさない。
「何故です、ヴァイス様! その剣を、どうして振るわないのですか!」
「決まっている。ビスト・ベルが『勇者』になり損ねるのを見届けるためだ。今消してしまうのは、あの男が『勇者』になれる事実を認めるようなものではないか!」
俺が『勇者』になれないことが証明されてから、俺とラーナに滅びを与える。
その選択はきっと、ヴァイス・アロイドという男の未熟さの表れだった。
「見てるがいい、リシェラ。あの男は『勇者』になどなれはしない。あの男は、ビスト・ベルは魔王だ! 邪悪な存在なんだ! 『勇者』になど、なれるはずが……!」
「ヴァイス様!」
リシェラが、ヴァイスを急き立てようとする。
だが、当代の『真白き勇者』は、その顔色を赤黒く染め上げて、叫び返す。
「ビスト・ベルは『勇者』になれない! 絶対に、なれるはずがないんだ!」
ありがとよ、バカ野郎。
おまえがおまえでいてくれたから、俺とラーナは生き残れたよ。
ラーナが、目を閉じて爪先立ちになる。
近づいてくるその顔に、俺も小さくうなずき、左手でゆっくりと頬を撫でてやる。
ちょっとだけ、胸の奥に罪悪感。
俺を育ててくれたベルーナ孤児院で信奉されているのは『灯火の神』。
すいません、アルエラ様。
俺、別の神様の『勇者』になっちゃいます。
一度だけアルエラ様に謝って、俺は、ラーナと唇を重ねる。
それは誓いの意味を持つ口づけ。
ラーナと俺とで、これから先の運命を分かち合い、共に歩む。それを誓うキスだ。
重ねられた手と、重ねられた唇。
彼女のそれはどっちも柔らかくて、あたたかくて、そして優しくて、いとおしい。
「ぁ、あぁぁあ……ッ、バカ、な、こんなバカな……ッ!」
ヴァイスの声が聞こえる。今さら、自分のミスに気づいたか。
見えるだろ、俺達が纏う『真黒の衣』が。
感じるだろ、俺達が発する『魂元属性』の魔力を。
「早く、早くあの二人を消滅させて、ヴァイス様ッ!」
「ぅ、ア、ああああああああああああああァァァァァァァァァァァァ――――ッ!」
ヴァイスが、ついに剣を振り下ろす。
刀身から『滅び』の閃光が撃ち放たれ、俺達へと押し寄せてくる。
さっきは、俺が全身全霊を振り絞ることで何とか防いだ、白い光の激流。
しかし、今度はそもそも、こっちにまで届きすらしなかった。
「な、な……ッ!?」
掻き消された『滅び』の閃光を目の当たりにして、ヴァイスが激しく狼狽する。
いいねェ、そのツラ。最高に楽しいよ、ヴァイスさんよ。
「いきなり何すんだよ、おまえ」
ラーナから少しだけ離れて、俺はヴァイスの方に向き直る。
そして、笑って言ってやった。
「同じ『勇者』なのに、ヒデェヤツだな」
「ぐ……ッ!」
屈辱に歪む『真白き勇者』の顔は、かなり面白かった。
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