第48話 お姉さんと会いまして

 油断がなかったといえば、あったと言わざるを得ない。

 あの夢から大体十日。

 警戒はしていたものの、色々あったがは特に何もなかった。


 だから、気が緩んでいた。

 言い訳のしようもない。完全に俺のミスだ。


 元よりどうしようもなかったことだとしても、もしかしたら何かできたのかも。

 今になって、そんなことを思う。思ってしまう。後悔という感情と共に。


「――どうかなさいましたか、魔王様?」


 目の前の『聖女』を睨みつつ、俺はそんなことを思ってしまうのだった。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 その遭遇は、多分、本当に偶然だった。


「あら」

「あ」


 武具店でラーナに『魔銃』を買って、その帰り道でのことだった。

 先に声をあげたのは儀式杖を持った茶色い髪の女の方。それにラーナが反応した。


「ラーナではありませんか」

「リシェラ、姉さん……」


 長く伸ばした茶色い髪を軽く括って右肩から垂らしているその女に名を呼ばれて、珍しくラーナがやや気後れした感じで、名前を呼び返す。


 女の名はリシェラ。

 ラーナが『姉』と呼んだということは、ルナーク孤児院の出身者か。

 見たところ年齢は俺達より少し上の用だが、見覚えはない。


「お久しぶりですね、元気にしていましたか?」


 リシェラは、随分と大人びた印象の女性だった。

 二十歳前ではあると思うが、何というか俺達と一回り以上違っても違和感がない。


 年増に見えるというワケではなく、その笑顔には幼さが一切感じられない。

 全てにおいて自分の考えを持って行動し、生きている。

 そんな信念めいたものが感じられてならない。だが、ほかにも感じるものがある。


 これは、この気配は……?

 ラーナが、リシェラに答えを返す。


「そうだね、久しぶりだね。……サレク様が、姉さんのことをずっと探してたよ」

「お父様がですか。探さないでほしいとお伝えしたのに」


 リシェラは困ったようにため息をつくと、今度は何故かこちらを見る。

 おっと、そういえばまだこの人に自己紹介してなかった。


「……ども、初めまして。ビスト・ベルっす」

「これはご丁寧に。私はリシェラ・ルナと申します。ラーナがお世話になっているようですね。血の繋がりはありませんが、姉として感謝しております」

「そんなことないっすよ……」


 やたら丁寧に、そして深々と頭を下げてくるリシェラに、俺は恐縮してしまう。

 見たところ、装備は儀式杖に神官服。

 ラーナとは違って冒険者ではない、純粋な神官ってことか?


 どうにも妙な気配を感じるが、本人には大した力はなさそうだ。

 ただ、ラーナの様子が少し変なのが気にかかる。家族相手にしては、遠慮がちな。


 違うか。

 これは遠慮というより、他人行儀とかそっちか。何が理由だ?


「姉さん……」


 ラーナは、リシェラに何かを訴えるようなまなざしを向けている。

 しかし、当の姉が見ているのは彼女ではなく、俺の方。


「ビストさん、でしたね」

「ええ、そうですけど」


 何だよ、この人の目。

 俺を値踏みするかのような、観察しているかのような視線は?

 ここで抱いたその疑問は、次の瞬間に氷解することとなる。


「……


 リシェラが、その称号で俺を呼んだことで。


「そうですか、あなたがかの『至天の魔王』の転生体。……そのお方が、ラーナと」


 彼女は笑った。興味深げに、おかしそうに、クスクスと笑った。

 そして俺は、このときはっきりと認識してしまった。この女が放つ、気配の正体。


「おまえ……ッ!」

「ど、どうしたの、ビスト君?」


 急に声を荒げる俺に、ラーナも驚きを見せる。

 しかしリシェラは笑顔を崩すことなく、俺達に背を向ける。


「――どうかなさいましたか、魔王様?」


 こいつ、わざと気配を漏らしてやがったな。

 ずっと俺を誘っていやがった。『聖女』であることを自分から示していたのだ。

 そしてリシェラは、クルリと俺達に背を向ける。


「ここは人目もあります。どうぞ、こちらへ。私の聖堂でお話をしましょう」

「…………」

「姉さん? ビスト君?」


 ラーナが俺と彼女の名を不安そうな声で呼んでくる。

 俺は、ラーナの手を取って握り締め、


「大丈夫だ」


 と、だけ、返して歩き出す。

 さて、どこに連れていかれるのやら……。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 アヴェルナ市は、結構広い。

 そりゃ、万を越える人間が住んでる街だ。俺も全部を知ってるワケじゃない。


 だから、ベルーナ孤児院がある区画とは反対側にあるそこも、知らなかった。

 見すぼらしい、木造の小屋だった。


 中は、住居ではなく彼女が言っていた通りの聖堂。もしくは礼拝堂。

 一番奥に祭壇と木製の神像が置かれて、あとは信徒が座るための椅子が幾つか。


 神像は、俺が見たことのないものだった。

 アルレア様が信奉している『灯火の神』ではない。


 かといってラーナとサレク様が信奉している『釜戸の神』でもない。

 それらの神と比べ、どこか鋭角的で刺々しい印象がある神像だった。何の神だ?


「やっぱりまだ、その神様を奉じてるんだね、リシェラ姉さんは」


 ラーナが、俺と同じく聖堂最奥の神像を見上げながら、目を細める。

 まるで咎めるような物言いだ。こいつにしては珍しい。滅多にないことだぞ。


「ラーナ、そんなことを言われては困ってしまいます」


 リシェラは、本当に困ったようにため息をついて、椅子の一つに座る。


「お二人とも適当におかけくださいな」

「…………」

「……ありがとう」


 俺もラーナも、彼女の見せる奇妙な余裕を警戒せざるを得なかった。

 そして、薄暗い聖堂の中に、しばし沈黙が流れる。

 リシェラは泰然自若とした様子で何も語らずにいる。待っているようにも見える。


「なぁ、ラーナ」


 俺は目の前の儀式杖を持った茶色い髪の女神官ではなく、ラーナに尋ねる。


「どうしたの、ビスト君」

「リシェラさんは、どの神様に仕えてるんだ?」


 おそらくは俺が危惧していることに直結している、その質問。

 リシェルの方には別にきくことがある。その前に、それを知っておきたかった。


「……リシェラ姉さんは」


 しばし、ラーナが間を置く。何やら口ごもっている。

 だが、数秒して、彼女はちゃんと教えてくれた。


「この人は――、『大鎌の神』に仕えているの」


 そうして聞かされた事実は、ただただ最悪の一語に尽きた。


「そうかよ、よりによって『大鎌の神』か……」


 ――『大鎌の神」。


 それは、命を刈り取るとされる死の象徴、そして同時に死を生み出す武器の象徴。

 このことから『大鎌の神』は『死の神』と『戦争の神』に通じるとされる。


 だが、それだけでラーナが拒否反応を示しているワケではない。

 俺もこれだけなら『最悪』とまでは思わない。


 この神の最たる特徴は『死』と『戦争』が結びついた先にこそある。

 つまり『大鎌の神』は全ての終わりを司る『滅びの神』と同一視される存在だ。


「万物の末を司り、大いなる終わりを自らの根とするもの。それが『大鎌の神』です。イメージの悪さが先行しすぎて、この街で信徒は私含めて二人ですけど」


 そりゃあそうだろうよ。

 終末を司る『滅びの神』は、地方によっちゃあ『大邪神』認定を受けてる神格だ。

 アヴェルナでだって、決して好まれているワケじゃない。


 見方によっては魔族なんかよりもよっぽど敬遠されてる。

 それが『滅びの神』と同じものとして扱われる『大鎌の神』ってヤツなのだ。


「リシェルさんは知ってるみたいだから言っちまうけど、俺の前世が戦った百人の『勇者』の中にも『大鎌の神』の加護を受けた『勇者』が何人かいたよ」


 軽く思い出せるだけでも、三人くらいか。

 そのいずれもが『私』を追い詰めた強敵であり、難敵だった。


 中でも全身を純白の装備で固めた『真白き勇者』ってヤツがとにかく強かった。

 ヤツとの戦いは数日に及んで、しかも『私』は何度も負けを覚悟したほどだ。

 あの『勇者』は、宿していた『正義』の中身もあって特に忘れがたい相手だった。


「…………」

「随分と険しいお顔をなさっておいでですね、魔王様?」


「リシェラ姉さん、ビスト君は魔王じゃないよ」

「いいえ、魔王ですよ。かの史上最悪と呼ばれた『至天の魔王』の『記憶』と『力』を受け継いでおいて、今は魔王ではない、などと。通用するとお思いで?」

「通用するも何も……。俺は魔法じゃなくて冒険者ですけど?」


 質問に質問を返してやったわ、ガハハ。

 って、それどころじゃねぇんだ。この人が予想通りに『聖女』だとしたら……。


「この辺は言い合うだけ無駄でしょ。どうせ俺もあんたも、納得なんてしないし」


 ここで、俺は強引に話を区切り、最も重要な点を確認する。


「なぁ、リシェルさん」

「何でしょうか、魔王様」


「あんたはどうやら『聖女』のようだ」

「え、せ、『聖女』……? リシェル姉さんが……!?」


 ラーナは神官でもあるから、やはり『聖女』については知っていたか。

 一般はあまり知られていない存在なんだけどな。


「私が『聖女』だとしたら、どうだというのですか?」

「わかってるクセに聞き返すなよ。――あんたはもう『勇者』を見つけたのか?」


 それが、俺が知りたいこと。

 神から託宣を受けて『勇者』探索の使命を授かった女性神官が『聖女』だ。

 リシェラがそうだというなら、彼女は『勇者』を探しているはず。


「……魔王様」


 リシェラが俺をそう呼んで、笑う。


「その節は、ありがとうございました」


 どうしてそんな笑顔で、俺にお辞儀をしてくるのか。

 この『聖女』の感謝の意図が、俺にはまるっきり理解できない……。


「あなたのおかげで、あのお方は余計なモノを全て捨て去ることができました。あのお方が『勇者』となるための準備を、あなたが手伝ってくださったのです」


 恍惚とした夢を見るような表情で、リシェラはそんなことを言う。

 それを聞いて、俺の脳裏に浮かんだのは、あの男の顔。


「まさか、新しい『勇者』は、ヴァイ――」


 突然、俺の意識に直接声が響いてくる。

 それは、ホムラと共に平原に薬草採取に出ているはずのミミコからだった。

 切迫した声で、ミミコが泣き叫ぶ。


『ビスっち~! ホムっちが『勇者』にやられちゃったぁ~!』


 ――『勇者』がッ!?

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