第45話 その場に一人残しまして

 ヴァイスだけだ。

 他の『英雄派』が幻みたいな理想に目を眩ませている中で、ヴァイスだけ。

 ただ一人、ヴァイスだけが現実を見てしまった。


「俺は、行かないぞ!」


 抜き放った剣をこっちに向けて、ヴァイスは目を剥いて叫ぶ。

 その行動は俺にとっては想定内で、他の『英雄派』には予想外のようだった。


「どうしたんだ、ヴァイス。おまえらしくもない!」


 ライドリィが汗まみれになって叫ぶ。


「剣を鞘に納めるんだ、ヴァイス。そんな蛮行は君には似つかわしくないよ!」


 レベッカも同じく、ヴァイスを説得しようと声を張り上げる。


「う、うるさい。うるさい! うるさァい!」


 だが、幼馴染で朋友であるはずの二人の声も、今のヴァイスには届かない。

 こいつは、危ういところにまで来ている。目に宿る光が明らかに尋常ではない。


「な、どうしたんだ……」

「ヴァイス、さん、何で……?」


 呼吸を荒げるヴァイスを前にして『英雄派』の冒険者達も固まってしまっている。

 俺は、一つの推測をもってヴァイスに確認することにする。


「おい、ヴァイス」


 一声呼んだだけで、ヴァイスがビクリと身を震わせる。


「ギルドを破壊した四人にも来てもらうぜ。いいよな?」

「そんなものは好きにすればいいだろう!」


 叫ぶヴァイスの様子を見るに、ヤケにやっているというワケではない。

 その一瞬だけ、こいつの瞳にはさっきまであった輝きが戻る。


「――やっぱりな」


 ヴァイスの中にある『正義』は曇っていない。未だ、はっきりと脈づいている。

 では、どうしてこいつはギルドへ向かうことを拒否するのか。


 そんなもの、理由は一つしかない。

 ヴァイスがヴァイスだからこそ、こいつはギルドには行きたくないのだ。

 その理由を俺が指摘する。


「ウォードさんだな?」

「……ッ」


 ヴァイスは動かない。しかし、頬がヒクリと引きつったのを、俺は見逃さない。


「やっぱりか」

「ビスト君、どういうこと?」


 ラーナに問われて、俺は簡潔に答える。


「ヴァイスは、ウォードさんを殺そうとしたんだよ」

「え……」

「えー! おっちゃんを殺そうとしたのかよ、こいつ~! 悪いヤツだな~!」


 驚くラーナと、ヴァイスを悪者扱いするホムラ。

 しかしこればっかりは、彼女の言う通り。俺の推測が真実なら、完全に悪行だ。


「ギルド前での騒動で、ウォードさんはヴァイスとホムラの間に割って入った。そのときにヴァイスは、実は止まろうとすれば止まれたんじゃないか?」

「…………くッ」


 ヴァイスが、短く呻く。

 その反応だけでも、すでに容疑が濃くなっていることに気づいているのかどうか。


「だが、実際はヴァイスは止まらずに後からウォードさんを刺した。止まれたのに止まらずに刺した。つまり、ヴァイスにはウォードさんに対する殺意があったんだ」


 もちろんこれは、俺の推測に基づいた話でしかない。

 しかしヴァイスはそれをすぐには否定しない。いや、否定できない。が正しいか。


「どうした、ヴァイス。違うなら違うと言ってみろよ。俺が今話してるのは、おまえの名誉を著しく毀損する内容だぜ。言いがかりにも等しいぞ、否定しろよ」


 ヴァイスが否定できないことを半ば悟りながら、俺はあえてそう言ってみる。

 今の話をこいつが否定しないのは、ヴァイスが実直な性格だからだ。


 ウソを嫌い、正直を美徳とし、誤魔化しや偽りを悪と断じる。

 そういう性格だからこそ、今ここで、ヴァイスは俺の言う推理を否定できない。

 事実を偽ることは、こいつの中では悪なのだから。


「残念だったな。おまえ程度の剣じゃ、ウォードさんにダメージを与えることはできても、殺すことなんて絶対無理だよ。自分とウォードさんのレベル差を考えろ」


 冒険者はレベルを上げることで自己強化の権利を得る。

 新進気鋭とはいえDランクでしかないヴァイスに、ウォードさんを殺せるものか。


 Dランクは、高く見積もってもレベル20ちょっと。

 一方でAランクのウォードさんは、レベル50代後半なんだぞ。


 ウォードさんが受けたダメージのほとんどは、ホムラの『牙炎』によるものだ。

 さすがに、それを口に出すとまたホムラが泣いちゃうから言わんけど。


「ぉ、俺は、お、お……、俺は……ッ!」


 ヴァイスが震えている。

 そこに、またライドリィが大声でヴァイスにすがろうとしてくる。


「ウソだ、ヴァイスがそんなことをするものかァ!」


 彼を皮切りにして、さらに『英雄派』の連中も次々にヴァイスを擁護し始める。


「そうだ、ヴァイスさんが卑怯な真似をするワケないだろ!」

「ヴァイスは、正々堂々とした人なんだ。そんな暗殺みたいなことができるか!」

「止まらなかったんじゃない、止まれなかったんだ! そうに決まってる!」


 こいつらの口から出てくるのは、全てが一片の疑念もない信頼の言葉。

 ヴァイスの『正義』を信じ、その高潔さに心酔しきっているがゆえの怒りの言葉。


 普段のヴァイスからしてみれば、それは心強いばかりだろう。

 だが、今のこいつにはそれはどう作用するのか。

 自分の悪行を暴かれたくないという理由で、同行を拒否するヴァイスには。


「ヴァイス、否定してやれ! 思い切り、ガツンと言ってやるんだ!」

「そうだ、ヴァイス。君の身の潔白は、君自身が一番知っているはずだ!」

「ぐ、ぅ……ッ、うう……ッ」


 ライドリィとレベッカ、二人の仲間からの信頼が、ヴァイスの心を抉っていく。

 バカだよね、おまえらは……。

 ヴァイスは大成しうる器だけど、まだまだ全然未熟なんだぜ。


「うるさァ――――いッ!」


 ほら、耐えきれなくなって爆発した。

 まだまだ完成していない器に、期待ばかりを注ぎ込むからこうなる。


「刺したよ、刺した! 俺が刺したんだ! ウォードの背中を、俺は刺してやったよ! それがどうした? それがどうした! それがどうしたァ!?」

「ヴ、ヴァイス……!?」


 自ら己の罪を激白するヴァイスに、ライドリィが愕然となる。


「ウソだ……」


 レベッカも呆然となって、他の『英雄派』にいたっては、声も出せずにいる。


「だが俺は悪くない。悪いのは、魔族の討伐を邪魔したウォードの方じゃないか! 魔族を庇うなんてあっていいはずがない! だったらいいだろ、殺そうとしても!」

「それは単なる口実だろうが」


 ついに、言い訳までし始めやがったか。

 その精神性だけは高みにあったヴァイスが、いよいよ堕落し始めた。こうなると、


「こ、こんな……、ヴァイスさんが、そんなこと……」

「オイ、冗談だろ? 冗談だと言ってくれ、ヴァイス……!」


 ヴァイスは『英雄派』の中心で、この場にいる連中を繋いでいたのがヴァイスだ。

 信じていた『正義』は、ただの『正義』じゃなく『ヴァイスの正義』だった。


 その意味では『英雄派』にとってヴァイスは半ば崇拝対象で、偶像だった。

 同時にそれは神と同じく『神聖不可侵』でなければならなかった。


 だが、その偶像は地に墜ちた。

 ヴァイス自身が、己の罪を恥じることもせずに言い訳混じりで叫んだばかりに。


 だが『英雄派』の崩壊はこれに終わらない。

 ここからどうなるか、俺も、多分ウォードさんも、大体予想がついている。


「ライドリィ、レベッカ! 他のみんなもだ!」


 いきなり、ヴァイスが『英雄派』の冒険者達に向かって呼びかける。


「何をしてるんだ、武器を構えろ! 早くしろ!」

「な、何を言ってる、ヴァイス!?」


 突然すぎる武装の指示に、ライドリィが混乱して悲鳴をあげる。


「決まってるだろう、ここでこいつらを殺すんだ。この、魔王と、魔族と、魔族に加担する邪悪な冒険者達をだ! 今、最もするべきことはそれだろうが!」


 それっぽいことを言ってるが、やろうとしてるのは口封じ以外の何ものでもない。

 自分を正当化する能力だけは高いよな、このヴァイスってヤツ。


「こ、ここでか!? ここは街中で、しかも施療院の前なんだぞ!」

「関係あるものか、あの四人だってやったことだ! それと同じだろうが!」


 あの四人。

 ギルドでホムラを襲った四人のことか。そういう風に繋げてくるか。

 だが、それはライドリィには通じなかった。


「同じであるはずがないだろ! あっちにはウォードさんとラーナっていう神官もいるんだぞ! ビスト・ベルは仕方ないにしても、あの二人まで巻き込むつもりか!」

「俺は仕方ないんかい」


 思わず呟いてしまった。

 俺は、前世が魔王ってだけで、れっきとした人間様ですよ。

 ヴァイスは、目を血走らせてライドリィに詰め寄る。


「あの二人は魔族に加担してたんだぞ? 魔王崇拝者だ! 魔族の協力者だ! 人間の敵だ! つまりは悪人なんだよ、だったら殺すしかないだろ!?」

「しっかりして、ヴァイス。さっきからおかしいよ、君」


 つばを飛ばして怒鳴り散らすヴァイスを、レベッカが諫めようとする。

 しかし、今のヴァイスがそんなことで止まるワケがない。


「黙れ、レベッカ! おまえまであいつらの味方をするつもりか、この魔王崇拝者め! そんなヤツだとは思わなかったぞ! おまえ、おまえなんてェ――――ッ!」

「え、ヴァイス……」


 憤怒に駆られたヴァイスが、レベッカめがけて剣を振り上げる。


「ヴァイス、やめ……」


 ライドリィが止めに入ろうとするが、間に合いそうもない。そこに、


「この、おバカァァァァァァァ――――ッ!」

「ぐぬはァッ!?」


 レベッカに斬りかかろうとするヴァイスへ、ホムラが横から飛び蹴りをカマした。

 なすすべなくヴァイスが地面を転がって、ホムラはレベッカの前に立つ。


「おまえなー! バトルは『やろうぜ』って言って『いいよ』って言ってもらってからするモンなんだぞー! 不意打ちとかそういうのは、悪いことなんだからなッ!」


 う~ん、言ってることは真っ当なのに、物言いが知能ゼロ!


「あ、ぁ……」

「大丈夫か~? 動けるか~?」


 震えているレベッカへ、ホムラが振り返って小首をかしげて声をかける。

 すると、レベッカは瞳に涙を浮かべて、両手で顔を覆って泣き出してしまった。


「え、あれッ!? なな、何で泣いてんの? 何で? どこか痛い? 大丈夫?」

「違う、違うの……、ぅ、ううぅ……」

「おにーちゃーん! あたし様、泣かしちゃった~! ごめんなさ~い!」


 どうしてそこで俺に謝るんだよ。全く、毒気抜かれるわ、こんなん。

 ヴァイスも、今のキックでKOされてしまった。情けなく地面に横たわっている。


「クソ……」


 ライドリィが毒づいて、座り込んだまま泣いているレベッカを立たせる。


「行こう、みんな」

「けど、ライドリィ……」

「ヴァイスは、今見た通りだ。あいつは、俺達の『英雄』じゃなかったんだよ」


 おそらくは『英雄派』でもナンバー2の立ち位置にあった、ライドリィ。

 彼の言葉は他の冒険者達に静かな衝撃を与えていった。


「何でだよ、ヴァイス……!」

「見損なったよ……」

「最低だ」


 そして『英雄派』の冒険者達は、レベッカとライドリィとその場を去っていく。

 あいつらがこれからどうなるかは、俺にもわからない。つか、知ったことか。


「次に何か騒動起こしたら、どうします?」

「ギルドに言っちゃおうぜぇ~。それで終わりさ。俺らが気をもむ話じゃねぇよ~」


 全く、ウォードさんの言う通りであった。


「それより、ビストよ。ホムラちゃんはどうすんだ~? ミミコちゃんだって、ダークエルフってコトがきっと街中に広まるぜぇ~? 大変だねぇ、これから」

「大丈夫ですよ、きっと」


 ウォードさんに返したのは、俺ではなくラーナだった。

 俺も、彼女と同意見ではあるけどな。


「俺達もギルドに戻りましょうか」

「ヴァイスについてはどうすんだい?」

「放置で」


 ウォードさんの言う通り、俺らが気を揉む話ではないからな。

 ギルドには報告するが、そこから先は知らん知らん。関わりたくもないわ。

 俺達は、ギルドへと戻っていった。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 ――雨が降り出していた。


 施療院の前を人々がせわしなく行き交う中、ヴァイスは道に転げたままだった。

 誰も、彼の存在に気づきながらも、声をかけようとはしない。


 ただ不届き者はいて、目を覚まさないヴァイスに気づくなり、持ち物を漁り出す。

 そうして彼は、武器も持ち物も奪い取られて、往来に横たわっていた。


 雨はいよいよ激しくなり、ようやくヴァイスも目を覚ます。

 彼は低く呻いて、まぶたを開ける。


「ぅ、ぐ……、ぅ……」


 少し体を動かしただけで激痛が走る。

 当たり前だ。さほどレベルが高くない身で、ホムラのキックをくらったのだ。


「ぐ、何が……」


 やっと身を起こした彼は、自分の前に何者かが立っていることに気づいた。


「君は――」


 何もかも失い、雨に濡れるヴァイスの前に現れたのは、儀式杖を手にした女神官。


「お迎えにあがりました、私の『勇者』様」


 柔らかく微笑んで、『聖女』リシェラ・ルナは彼を『勇者』と呼んだのだった。

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