第38話 結局はこれが俺でして:中

 俺は、後からルシルを見ている。

 短剣を構える彼女の肩は、小刻みに震えていた。


「御家を守るためです。御覚悟を」


 ルシルは、声の調子を落として、もう一度それを自らの父親に宣告する。


「な……」


 アヴェルナの元領主ガザル・フォン・アルナード男爵は、娘の前で呆けている。


「何を言っているんだね、ルシル。おまえが、わ、私を討つだって……?」

「はい。そう申しております。お父様」


 ルシルの声は、依然として固いままだ。そしてそこには、震えも混じっている。


「バカを言うんじゃない! そんな危ないものを持って、ケガをしたらどうする!」


 だが、父ガザルには、彼女の悲愴さは微塵も伝わっていないようだった。

 小太りの男爵は、見当外れな心配をして、娘を叱りつける。


「ここで会えたのは本当に僥倖だった。辺境伯閣下には悪いとは思っているが、私ももう国に戻れる身ではない。ルシル、私と一緒に来るんだ。共に隣国へ――」

「それ以上は言わないでください。私はこれ以上お父様を見損ないたくありません」

「何を言うんだ……ッ!」


 肩の震えを大きくするルシルだが、ガザルはやはり、その苦しみを理解しない。

 それどころか、この男、自分の娘に向かって上から叱り始める。


「おまえはまだ子供じゃないか! 子供が、一人前を気取るんじゃない! さ、そんな物騒なモノは捨てて、私のところに来るんだ。私と一緒に隣の国に行こう。そうすれば追っ手も容易には追いつけなくなる。またあっちで頑張ろうじゃないか!」

「お父様……」


 いよいよ、ルシルの声が濡れ始める。

 キヂッ、という音が俺の耳朶を打った。彼女が、奥歯を噛みしめた音だ。


「本気で言われているのですか? 本気でこれ以上の迷惑を周りにかけようというのですか、お父様は! 街を統べる領主でありながら騎士団を率いて逃亡し、その挙句にいらぬ火種を二つの国に撒こうとしているのですよ? わかっておいでですか!」

「わかっている。わかっているとも! だけど、仕方がないじゃないか!」


 悲鳴にも等しい娘の訴えに、しかし、父もまた同じほどの声量で叫び返す。


「ああ、そうとも。私は我が身可愛さに街を捨てた臆病者だ。だけど仕方がないじゃないか、あんな巨大なモンスター、どうやったって討てるものか! あんな……!」


 そうか、なるほどな。

 とあるAランク冒険者が変質した『邪神』は、人に畏怖を与える力を持っていた。


 多分、このガザルって人はその影響が人一倍強かったんだ。

 温和で、決して気が強くない性格の彼は『邪神』の力ををモロに受けちまった。


 もちろんそれで、この人のやったことが正当化されるワケではない。

 それに、今となってはガザルは隣国に行く気満々みたいだ。放置はできない。


「あんたが怯えてる『邪神』なら、いなくなったよ」


 ここで、俺は話に加わることを選択する。


「何だね君は……?」

「ビスト・ベル。あんたの娘さんから依頼を受けて同行してる冒険者だよ」

「冒険者? 君がか? いや、それよりも本当か? あの巨大モンスターが?」


 ガザルはいぶかしむような顔つきで俺をジロジロと眺める。


「ああ、何とかな。騎士団や兵士がいなくなって大変だったけど、冒険者で協力して倒すことができた。アヴェルナの街は、今も健在だ。――健在なんだよ」

「信じがたい……」


 言う俺に、ガザルは半ば唖然となる。

 その反応からも、この男がいかに『邪神』に怯えていたかがわかるってモンだ。


「お父様。辺境伯閣下は温情として、私がお父様を討ち果たすことを条件に、御家の存続を認めてくださいました。このまま隣国へなど行かせはしません。止めます」

「やめるんだ、ルシル。その短剣を捨てるんだ。そしてこっちに来なさい!」


「今さら、命乞いですか?」

「そんなものではない。今さら、惜しむ命などない」


 ガザルが、予想外のことを言い出した。それにはルシルも驚きを見せる。


「何と言われるのですか! 自分の領地を放棄して逃げるような人が、命が惜しくないなんて、どの口で! お父様、あなたという人は……ッ!」

「私はおまえに会いたかったのだよ、ルシル」

「え――」


 怒り、挑みかかるようにして叫んでいたルシルの勢いが、その一言に止まる。


「あのモンスターが街に迫ったときに私が考えたのは、もうおまえに会えないんじゃないかということだった。そう思ったら、怖くて仕方がなくなったのだよ……」

「そんな、口から出まかせを……」

「こと、ここにいたっては確かに、ウソにしか聞こえないだろう。だが、私にとってはそれは事実だよ。私は、おまえに一目会いたかったんだ」


 語るガザルのまなざしは真っすぐにルシルを見据えている。

 その顔は至極真面目だ。そして、ルシルにも通じる気品と凛々しさが感じられる。

 逆か。ルシルの方がこの人に似てるのか。


「じゃあ、いいですね?」


 少しだけ俯いていたルシルが顔を上げ、何事かを確認してくる。


「こうして私と会えた以上、お父様の願いは叶ったはずです。次は、私の願いを叶えてください。あなたの罪を、私に雪がせてください。お父様」

「そう、できたらよかったんだがね……」


 言うルシルに、ガザルはかぶりを振る。浮かべた表情ににじむのは、未練の色。


「こうして実際に会ってしまうと、ダメだね。欲が出る。だから、ルシル。こっちに来てくれないか。一緒に国境を渡ろう。そうすれば、また一緒に暮らせるんだよ」

「戯れ言を……!」


「戯れ言なんかじゃない。それに、おまえはさっき辺境伯閣下の温情と言ったがね、娘に父を討たせることの何が温情だい。そんなものは踏み絵でしかないだろう?」

「お父様が、それを言うのですか! こんな状況になったのは、誰のせいだとッ!」


「それは私のせいだ。だがそれでも私は、おまえと――」

「もう、やめてください!」


 ルシルがガザルの言葉を絶叫で遮る。そして彼女の頬を、涙が伝い落ちていく。

 その様子は、俺の位置と角度からハッキリと見て取ることができた。


「私が、今どんな気持ちでここに立っているのか! どんな気持ちであなたに刃を向けているのか! お父様にはわかりませんか? 私は、私だって……!」

「ルシルちゃん……」


 鼻をすすり、涙声で訴えるルシルに、ラーナも言葉をかけられずにいる。

 俺は、ここに来る前に彼女が言っていたことを思い出す。


 ガザルは悪い父親ではあかった。という言葉を。

 あれはきっと、精一杯の悪口だった。

 ルシルからの父ガザルに対する最大限の罵倒。あの表現が、悪し様の限界だった。


 ガザルはルシルを愛してやまず、ルシルもまた、父親を愛している。

 彼女が響かせる悲痛な叫びに、その強い想いがありありと表れ出ているようだ。


「だけど――」


 ルシルが激しくかぶりを振る。


「アルナード家は貴族です! 下級でしかなくとも、貴族という立場にあるんです! 私達が支えなきゃいけない人は、いっぱいいるんです! だから、私は……!」

「ルシル。やめるんだ。もうそれ以上は、やめてくれ……」


 ガザルもまた、その顔を苦痛に歪めて娘を止めようとする。

 向かい合う父娘の主張は、決して交わることはない。

 父は家族として娘を想い、娘は貴族として父を討とうとする。二人は交わらない。


「……楽しくねぇな」


 感じたことが、そのまま呟きとなって出てしまう。

 それぞれ、事情や理由はあるだろうが、この流れは楽しくない。何も楽しくない。


 ルシルとガザル。

 二人の対話――、いや、口論は依然として決着を見ない。


 放っておけばいつまででも続けてしまうだろう、こいつら。どうしたものか。

 と、俺が考え始め、ラーナも顔をしかめているときだった。


「もういい。黙っていろ、ガザル」


 それまで一切口を開かずにいたゼパルが、いきなりガザルの肩を掴んだ。


「黙っていろとは何だ、ゼパル。君こそ黙って……」

「フンッ!」


 ガザルが文句を言いつつ振り向いた拍子に、彼の腹にゼパルが剣を突き立てる。


「な……、ぁ?」

「え、お父、さ……」


 腹を貫かれ、絶句するガザルと、同じように言葉を失うルシル。


「ゼ、パル……?」

「ぃや、いやァァァァァァァァァァ――――ッ! お父様ァ――――ッ!?」


 地面に大量の血をブチまけて崩れ落ちるガザルのもとに、ルシルが駆け寄る。

 それを見下ろしながら、ゼパルが、一つの提案をしてきた。


「これで俺を見逃してくれないか、そこの冒険者さんよ」

「どういうつもりだい、あんた?」


 尋ねる俺に、ゼパルは倒れて苦しんでいるガザルを上から踏みつける。


「おまえらの狙いはこいつだろ? 見ての通り、俺が手伝ってやったんだよ」

「ぐ、ぅ、ゼパル、ゥ……!」

「うるせぇな、クソが。おまえが娘に未練タラタラでいつまでも国境を越えないから追いつかれたんだろうが! こいつはその落とし前だ、観念しろや!」


 激しく舌を打って、ゼパルがガザルをゲシゲシと蹴りつける。


「やめて! お父様に何をするのよ!」

「おまえがいつまでもグダグダとこいつと話してるから、俺がやってやったんだよ、お嬢さん。ほら、その手に持ってる短剣は何のためのモンだ? トドメを刺せよ」

「な……」


 まるで悪びれない態度で、ゼパルは再び俺とラーナの方を見る。


「俺の部下共を石化させたのはおまえらのどっちかだろう? そんな相手とやり合うなんざ冗談じゃない。だったら、そっちに与してやるさ。お得な話だろ?」

「それで、見返りにあんたの亡命を見過ごせ、って?」

「そういうことだよ。話がわかるじゃねぇか~」


 ゼパルが、ニヤリと笑って自分のあごを手で軽く撫でる。


「別に俺一人くらい、お目こぼししてくれたっていいだろ? 俺はこの野郎と違って貴族じゃねぇ。騎士ではあるが、俺一人いなくなったところでガザルが亡命するのに比べれば、大した問題にゃならねぇだろ? なぁ、そうじゃねぇかい?」

「まぁ、そうだな」


 こいつの言っていることは間違っていない。

 貴族であるガザルと、ガザルに取り立てられて騎士になった元冒険者のゼパル。

 同じく隣国に逃げるにしても、二人では立場の重さが違いすぎる。


「おまえらはガザルのヤツを自分の手を汚さずに始末できて、それを手伝った俺はこのまま見逃してもらって、隣の国に逃げる。お互いに何の損もない。まさにWinWinってヤツだ。クックック、俺もようやくこのお荷物から解放されるってモンだ」


 顔にイヤらしい笑みを張りつけて、ゼパルがガザルをさらに何度も蹴りつける。


「やめて! やめなさいよ!」

「うるせぇなぁ、小娘が!」

「あう!?」


 ゼパルは、止めようとするルシルの頬を殴りつけてペッとつばを吐きかける。


「全くおまえらは、親子揃って俺を不快にさせやがって。やっと騎士団長になれたってのに、こんなことでオジャンとはよぉ。もっと早めにおまえとは手を切っておくべきだったぜ、ガザル。まぁいい。隣の国に逃げられさえすれば、またやり直せる」

「ク、ゥ、ゼパル。元はといえば、君が……!」


 ヘラヘラ笑っているゼパルを、ガザルが見上げる。

 その瞳に憎々しげな光を宿して、彼はとんでもない言葉をこの場に炸裂させる。


「こうなった原因は、君だろうが……! き、君が、私に言ったんじゃないか、あのモンスターと戦うようなことになれば、二度と娘には会えないぞ、などと……!」


 な……!?


「何です、それ……」


 俺とラーナが、驚きに身を強張らせる。

 ルシルに至っては、目を大きく見開く以上のことはできず、固まってしまう。


「人に責任をなすりつけるなよ、ガザル。確かに俺は言ったさ。だが、それで逃げる決断をしたのはおまえ自身だぜ。なのに全部俺のせいか? 冗談じゃない!」

「ああ、本当の冗談じゃないな……。君の言葉さえ聞いていなければ、私はきっと貴族としての務めを果たせていただろうさ。己の命と引き換えにね。ぐ……ッ!」

「お、お父様! お父様ァ!」


 苦しみ出したガザルのもとへ、ルシルがすがりつく。

 彼女は、自分が持っていた短剣を放り出したことには、多分、気がついていない。


 寄り添う親子を見下ろしながら、ゼパルが浮かべるのは冷たい嘲笑。

 血に濡れた剣を肩に担いで、元冒険者の騎士団長は主のはずの男爵をせせら笑う。


「おまえが、貴族の務めを果たせてただぁ? そんなワケあるかよ、臆病者の分際であり得ねぇ夢見てんじゃねぇよ。全く……。さぁ、冒険者さんよぉ~」


 また、ゼパルがこっちに向き直る。


「答えを聞かせてくれよ。おまえらのために長年の友を刺した俺の気概を評価してくれよなぁ~? いいじゃねぇか。俺一人いなくなったって、問題はないだろ?」

「ああ、そうだな」

「え、ビスト君……!」


 うなずく俺に、ラーナが仰天する。

 それに構わずに、ゼパルは俺に対して握手を求めてくる。


「ヘッヘッヘ、ありがとよ。これで交渉成立だ」

「ま、おおむね、あんたの言う通りだよ。あんた一人いなくったって、別に大きな影響はない。俺達はガザルをどうにかするのが仕事だからな」


 言って、俺はゼパルの手を握り返す。するとこの男、ニヤリと笑みを深める。

 全く、何を勘違いしているのだか。そら、準無詠唱にて簡易発動だ。


「『腐詛蝕滅コラプション』」

「え――、ぎゃああああああああああああああああああああああああああッ!?」


 響き渡る、ゼパルの絶叫。

 俺が握手に応じたのは、この魔法が接触を要するからだ。


「痛ェ! 痛ェ! 痛ェ! 痛ェ痛ェ痛ェ痛ェ痛ェ痛ェ、痛ェェェェェェェエ! アギィヤァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアァァァァァァ――――ッ!?」

「そりゃあ、痛いだろうな。リアルタイムで肉体が腐っていく感触を、全て痛覚刺激に変換する魔法だからな。――時間をかけて、じっくり苦しみながら腐っていけ」


 バカがよ。おまえみたいな全く楽しくないヤツ、俺が見逃すはずねェだろうが。

 のたうち回るゼパルを全力で蹴り転がして、俺はルシルに近づいていく。


「お父様、死なないで、お父様……!」

「あぁ、ルシル。すまない、私は、おまえを悲しませてばかりだね……」


 ルシルは、ガザルの手を握って懸命に声をかけ続けている。

 だが、ガザルの腹からは今もドクドクと血が溢れ、その身は死に近づきつつある。


 ガザルを討つことが、ルシルの目的。

 ゼパルのやったことは最悪だが、ルシルの一助になってしまったのは確かだ。


「私は、助からないようだ……。だから、ルシル、私を討って、家を……」

「そんなの、イヤです! そんなの、そんな、お父様……!」


 二人の言ってることが、さっきと逆転している。

 ガザルは娘の未来を想って家を守ることを勧めて、ルシルは父の身を案じている。


「ビスト君」


 いつの間にか、ラーナが俺の隣に並んでいた。


「わたし、この光景は全然楽しくないの。ビスト君は、どう?」

「そりゃおまえ、俺も同じだよ。だから、いいよな?」

「うん。助けてあげて、あの二人のこと」


 うなずくラーナにうなずき返して、俺は、後からルシルの肩に手を置いた。


「――ルシル。俺から提案がある」


 さて、それじゃあ、楽しくない現状を思いっきり踏み潰してやりましょうかねぇ。

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