第22話 存亡の危機となりまして:前
――ウォード視点にて記す。
アヴェルナの街には、大きな時計塔がある。
それは街が建築された折、目印として建てられた、ランドマークであった。
以降、領主館の一角にそびえる時計塔はアヴェルナのシンボルとして扱われた。
ゴ~ン、ゴ~ンと、時計塔が今日も重くて低い鐘の音を街に響かせる。
時刻は午後三時。日はまだまだ高く、空気も温かな、春の午後。
「さ~てと、準備を進めとかねぇとなぁ~」
冒険者の街アヴェルナでも名の知られたウォードは、時計塔近くを歩いていた。
彼が今回受けた依頼は、北の山に巣食っているというモンスターの討伐だ。
どのようなモンスターかは不明だが、何でもドラゴンの可能性もあるという。
そのモンスターがどこから来たかはわかっていない。
ただ、モンスターが居座っている場所が非常に問題だった。
北の山のすぐ隣には鉱山と、そこで働く鉱夫達の街があるのだ。
もしもそこに被害が出れば大変なことになる。
そこで、ウォードとそのパーティーに指名依頼が来た。というワケだった。
ドラゴンの討伐は、今まで経験がないワケではない。
しかし、それでも数える程度でしかない。
歴戦の冒険者であるウォードだが、今回はさすがにやや不安が優っていたりする。
「……いけねぇなぁ、こんなんじゃよぉ」
誰にも聞かれない程度の声で、彼は自分に言い聞かせる。
別に、ウォードは自分がこの街の冒険者を代表しているなどとは思っていない。
レックス・ファーレンを除けばこの街で唯一のAランクという立場ではある。
しかし、それでもウォードはあくまでも一介の冒険者に過ぎない。
そこを勘違いすると、レックスのようになってしまう。
さすがにそんな恥ずかしい勘違いなどしたくないので、自分の立場は弁えている。
だが同時に、長年冒険者として活動してきた自負もまた存在する。
多くの冒険者の先輩として、後輩に身損なわれない程度に背筋を伸ばしていたい。
それは自覚というよりは願望に近いものだ。
が、それがウォードにとっての大きな動機でもあった。
彼は、自分が冒険者であることに自信と誇りを持っていた。
その姿勢こそ、彼が他の冒険者から尊敬を集める理由の一つでもあった。
「武器屋の親父に預けた武器を見に行くか?」
「あ、ウォードさん、こんにちは~!」
次にどこを回るか考えていたところで、声をかけられた。
見ると、そこにいたのは先月冒険者になったばかりのEランクの青年だった。
「おー、ヴァイス。元気してっか~?」
軽く手を挙げると、ヴァイスという名の青年は何故か驚きを見せる。
「お、俺の名前、覚えててくれてたんですか!?」
「ったりめぇだろうがよ~。おまえさん、活躍してっかんな~!」
確かにヴァイスは他のEランクと比べると意欲があり、依頼を多くこなしている。
だが、Aランクのウォードとは比較にできない程度でしかないはずだ。
それでもウォードがヴァイスのことを覚えていたのは、クセのようなものだ。
ウォードは、この街を拠点とする冒険者のことは、ほとんど覚え尽くしている。
「俺は優しいからな~。後輩のことは常に気にかけてるんだぜぇ~?」
「ウォードさん……!」
感激するヴァイスが、深く頭を下げてギルドに向かっていく。
その背中に、ウォードは高い将来性を感じていた。
「……そういえば」
あの、ムチャクチャな新人は果たして今、どうしているだろうか。
ビスト・ベルと、ラーナ・ルナ。
自分達が発見した例の『混沌化』が発生するダンジョンの攻略に向かった二人。
実をいえば、あのダンジョンは自分が攻略したかった。
しかし、発見したときに同行していた賢者に強く止められたのだ。
あの中には、自分には到底対処できないレベルの魔法の罠が施されている、と。
同行した賢者は、ウォードが出会った中でも随一の魔法の使い手だった。
三色の固有属性を持ち、五色までの『混色』を使いこなすという、希代の天才だ。
ウォードのパーティーにも術師はいるが、その賢者には遠く及ばない。
それほどの使い手が、自分では無理だと断言した、あの『混沌化』ダンジョン。
危険性は認識している。
自分達でも攻略が難しいこともわかっているつもりだ。
だが、だからこそ挑みたい。
そう思ってしまうのは冒険者のサガというヤツだ。職業病、宿痾とも呼べる。
「チッ、いいなぁ、ビストの野郎はよぉ~」
と、子供っぽく唇を尖らせて、ウォードは素直に羨ましがる。
だが、欲してやまないダンジョンは実のところただのミミック御殿でしかない。
今のところ、それを知らずにいられる彼は、あるいは幸福なのかもしれない。
「帰ってきたら、絶対に根掘り葉掘り聞いてやるぜぇ~」
ブツクサ言いつつ、ウォードは武器を預けている武器屋を目指そうとする。
すると、いきなり辺りが暗くなった。まるで夜のように。
「何だぁ……?」
陽が雲に覆われたにしても、暗すぎやしないか?
そんな疑問を持ちつつ、ウォードは何気なく視線を上げてみる。
そこに、いた。
連なる街の建物の向こう。そこに見える山と山の間に、大きなものが立っている。
黒い。
暗い。
人型をしている。
山よりもはるかに大きなそれは、確かに、人の形をしている。
ただし首はなく、頭部は肩から直接盛り上がっている。腕も太さはずっと一定だ。
人の形はしているが、人間の形はしていない。
子供が適当に作った粘土の人形のような、何とも雑な造形だった。
だが大きい。あまりに大きい。
ただ盛り上がっているだけの頭は、近くにある山の頂より高い位置にある。
「…………は?」
遠近感を容易くブチ壊すその巨体に、ウォードは思わず間の抜けた声を漏らした。
「な、何だあれ……?」
「いきなり暗くなったのは、あいつの影か……!」
周りも、遠くに現れた山より大きな巨人に気づいてザワついている。
影がここまで届くとは、一体実物はどれほどの大きさがあるというのか……!
背筋を冷たくするウォードの耳に、やけに濁った声が届く。
『ぼ』『く』『は』『さ』『い』『き』『よ』『う』
……ぼくはさいきよう? ――最強!?
咄嗟にそう解読したウォードの背筋を、強烈な悪寒が走り抜ける。
「あれは、まさか……」
そんなことはあり得ないと、彼の中の理性と常識が叫んでいる。
だが冒険者としての勘と直感が、あの黒い巨人について一つの見解を示している。
「おまえなのか、レックス……!?」
黒い巨人がゆっくりと手を動かす。
直後、地面が軽く震えた。その揺れが、人々の恐慌を呼び起こす。
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁ!」
「何だあれ、何だよ、あれはぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
半狂乱に陥って、アヴェルナの住民達が我先にと逃げていく。
まだ、あの黒い巨人がこっちに向かっていると決まったワケではないのに。
「違うな。これは、こいつは……ッ」
肌に、ピリピリと感じる不快な感覚。
それに、ウォードは覚えがあった。
あの宴の夜、自分を押し潰したレックスの殺気とよく似ている。
住民達が逃げ出したのは、この不快な感覚により平常心を保てなくなったからだ。
それもまた、あの黒い巨人が現れてから感じられるようになった。
ウォードの中で、あの黒い巨人とレックスの結びつきがどんどん深まっていく。
そして、この時点で彼は確信していた。
「――あいつは、この街に来る」
ウォードは踵を返して、冒険者ギルドへ向かって駆け出した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ウォードが到着したとき、冒険者ギルドには多数の冒険者達が詰めかけていた。
「オイ、あのデカブツは何なんだよ!?」
「あんなんがいたんじゃ、怖くて街の外に出れねぇんだけど!」
「あいつ、こっちに来そうなんじゃないの!」
やはり、黒い巨人のことばかりだ。
カウンターでは、ラビッツ・ベルや他の職員が対応に追われている。
「待って、待ってほしいピョン! あの黒い巨人については、まだ何もわかってないピョン! だから今は情報を集め――、って、だから待てって言ってんでしょ!」
ラビッツがキレている。他の職員も大体同じ感じだ。
そもそも、冒険者達がギルドにことの詳細を尋ねることが間違っている。
ギルドの性質上、様々な情報が高い鮮度で集まるのは確かだ。
しかし、だからといって冒険者ギルドは別に情報を取り扱う組織ではない。
あくまでも依頼人と冒険者を繋ぐ仲介役。
それが、冒険やギルドという組織の役割で、それ以外であってはならないのだ。
ただ、ウォードには冒険者達の心情も理解できてはいる。
彼らもそれだけ冒険者ギルドを頼りにしているということだ。
ギルドにおんぶにだっこではどうしようもないが、そういうことでもない。
ギルドは冒険者を信頼して依頼を任せ、冒険者もギルドを信用して請け負う。
そういった一種の絆とも呼ぶべき関係性が成り立っているからこその、現状だ。
「おまえさんらァ! ちょっとは落ち着きなさいやァ!」
「ウォードさん!」
「ウォードさんだ!」
ウォードが一喝すると、冒険者達はその声に身を震わせ、一斉に彼の方を向く。
うなずき、ウォードは冒険者達をなだめにかかる。
「あの黒い巨人は俺も見た。あれについて、クラリッサが何も動かないワケがねぇでしょ。今は少し待ちなって。ここで騒いでも状況はな~んも変わらんぜぇ~?」
「そ、そうですね……」
「クソ、ビビっちまってたか。情けない!」
彼の説得に、冒険者達も幾分、冷静さを取り戻したようだった。
うなずいているウォードのもとに、ラビッツが小走りで駆け寄ってくる。
「ウォードさん、助かりました! ありがとうございます!」
「お~う、ラビよ。おまえさんも災難だったな。……それで、クラリッサは?」
「ギルドマスターは、今、マヤちゃんと一緒に領主館の方に行ってます」
さすがはクラリッサだと、ウォードは思った。
領主に軍と騎士団の出動要請をしに行ったのだろう。
仮に黒い巨人がこの街に来なかったとしても、軍が出動するべき事態ではある。
住民達を落ち着かせるためにも、戦力の派遣は必須ではあった。
アヴェルナは冒険者の街とも呼ばれる。
冒険者を取りまとめる立場にあるクラリッサの要請なら、領主も否とは言えまい。
多少なりとも安心材料ができたか。
しかし、問題は何も解決していない。あの黒い巨人が、もしもこっちに来たら。
いや、もしもも何もない。あいつはアヴェルナに向かってくる。
その確信を持っているウォードではあるが、さすがにこの場でそれは言えない。
一旦落ち着いた場が、再び騒然となってしまうこと請け合いだからだ。
「……戻りました」
少しして、クラリッサとマヤが冒険者ギルドに戻ってきた。
クラリッサは無表情で無言。同行していたマヤもやけに険しい顔つきをしている。
「ど、どうなったんですか……?」
場の空気が一気に張り詰める中、ラビッツが二人に問う。
まず、口を開いたのはマヤだった。
「悪いお知らせです。あの黒い巨人は、こっちに向かっています」
「「「え……!」」」
そこにいる全員が驚愕し、ザワめきがギルド建物を揺るがす。
驚かなかったのは、この場ではウォードだけだった。
「軍の派遣は! いつになったんですか!?」
重ねて、ラビッツが声を大きくして尋ねる。
まさか軍を派遣しないことなどあり得ないだろう。皆が、その一年に縋る。
それに答えたのは、クラリッサだった。
「――最悪」
無表情だった彼女の顔に、滅多に見られない怒りの相が浮かび上がる。
「領主は、軍と騎士団を率いて、アヴェルナの街を出ていきました」
「…………。…………へ?」
それを聞いたラビッツが呆けた声を出してしまう。
クラリッサが、もう一度告げる。
「逃走。この街の領主は、命惜しさに軍を引き連れて、この街を放棄しました」
「な――」
ギルドマスターからの報告に、建物内は悲鳴と嘆きで満たされた。
だが次の瞬間、また地面が揺れた。今度は、明らかにさっきよりも強く、大きく。
黒い巨人が近づいている。
その日突然、アヴェルナの街は存亡の危機に見舞われたのだった。
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