第12話 ジュピターは妻に熱される(後編)
「あなた!! 大丈夫?!」
そう言って穴の上から覗き込んだのは、愛しの我が妻マリーちゃんであった。
皇室騎士団第二部隊、流星の騎士ジュピター・スカイは寒い土地での長い遠征を終え、久々に愛しの妻が待つマイホームに帰ってきたばかり。
身も心も冷え込んだ俺を待っていたのは、見覚えの無い謎の罠だった。
誰用の、何に対しての罠なのかは分からないが……冬に冷たい水の中へ落とす罠とは鬼畜過ぎる。せめて普通の土か、竹串位にしてくれても良かった。竹串だったら無駄に屈強な身体でへし折る事は出来るが、侵食する冷たい水は流石に防げない……
這い上がる俺の制服からはポタポタと水が滴る。服の中どころかパンツまでびっしょびしょになってしまった俺の横を通り過ぎる木枯らしは、容赦なく身体を冷やしていった。
「ごめんなさいあなた! ウッカリ家の前に水穴を掘ってしまって!!!」
どんなウッカリがあったらこんな水が結構並々と張られた穴で、しかも一見分からないように罠として仕掛けられるのか本当に謎である。
……いや、俺という大黒柱が不在のマリーちゃんが変な虫対策として自衛の為に掘ったのだろうか……それなら納得出来る。……水はちょっとよくわからないけど。
「大丈夫だよマリーちゃん、この位の落とし穴では怪我なんてしないさ。何故か水も張ってあったしね。……それに、例えこの寒空で水の穴に落とされたとしても暖かいマリーちゃんのいる家に帰れると思えば少しも寒くないさ……」
「えっ、そうなの? えい!」
「えっ」
穴から這い上がる俺を何故かマリーちゃんは突き落とした。マリーちゃん……?
「あーん、ゴメンなさい、手が滑っちゃって……それで、2回目は流石に少しは寒くなった?」
「手が滑ったのなら仕方ないね。うん? いいや、全然寒くないよ。だから早く家に入ってもいいかな……?」
「そう……」
元気な姿を見せようとした俺に対して、マリーちゃんは何故か暗い顔をして落ち込んだ。何故に? マリーちゃん……?
久々に見るいつもの我が家、何日遠征に出かけていても変わらず俺を迎えてくれる、俺が帰るべき場所。
何か変わっているとするならば……そう何故か今日は気持ち遠征に出る前より何か寒い。
そう……寒いのだ。何故なら窓は全開、扉も全開。風通しが良すぎる家は最早アウトドア。
「マリーちゃん、今日は何かあったのかい?」
「えっ? ええと……そう、ちょっと空気が淀んでいたから丁度入れ替えていた所なの。あなたにはいい空気を吸ってもらおうと思って」
そのいい空気の野宿遠征から帰ってきた所なんだよマリーちゃん。
「そ、そう。じゃあそろそろ入れ替えもいい頃合なんじゃないかな?」
と、窓を閉めようとした俺をマリーちゃんは慌てて止めた。
「ま、まだよ! また新しい淀んだ空気が入ってきちゃったから、もう少し開けておきましょう!」
新たな淀んだ空気って俺の事かな……?
とりあえず良く分からないが、マリーちゃんが何かをしたいのは分かった。だが、分かった所で俺はマリーちゃんを止めない男。マリーちゃんがやりたい事があるのならばとりあえずやりたいようにして貰うスタイル。いい夫とはとりあえず全肯定から入るもの。だがマリーちゃんよ、否定は絶対にしないから何を企んでいるのだけは教えて欲しい。
「さ、あなた、ご飯にする? それともお風呂? ……それとも」
「ああ……もちろん」
その先に続くのは分かっている。もちろん、まず最初にマリーちゃんに決まっているだろう?
俺がマリーちゃんを抱きしめようとすると、マリーちゃんが俺の服に手をかけた。……え? マリーちゃん??
いつもなら『やだー! 先にご飯でしょ! もう! 私は後ー!』と照れながらポコポコ叩いてくるはずなのに、今日はやけに積極的でビックリしてしまった。
いや、俺は全然良いんだよマリーちゃん。と、なすがままに脱がされる俺……そして、パンツ一枚になった俺を置き去りにして、マリーちゃんは濡れた服を持って行ってしまった。
「やっぱ、まずは洗濯よね」
う、ウン……そうだね。そうだけどさ……
取り残されたパン1の俺はいつまでも空気を入れ替えている吹きすさぶ風に吹かれて流石に寒くなった。マリーちゃんを抱きしめられると思ったから余計に……シクシク……
「さ、洗濯の後はご飯ね」
そう言って戻ってきたマリーちゃんはパン1の俺を食卓に座らせた。いや順番……
普通、服を脱いだらそのままお風呂ではなかろうか?
パン1なので微妙に冷たい椅子とテーブルの感触にウッとなりながら座ると、テーブルにはマリーちゃん自慢の料理が並ぶ。
「はい、腕によりをかけて作った冷製スープに冷製パスタ、冷やし煮物に冷や飯よ」
と、キンッキンに冷えた酒と一緒に出されたキンッキンに冷えた料理。何故飯まで冷やしたんだいマリーちゃん……?
「デザートは南国で人気のお菓子でカキ氷っていう料理なんだけど」
キンッキンの削った氷の上にシロップをかけたもの……そう、平たく言うと氷である。何でなんマリーちゃん……
「マリー……流石にこれはちょっと、冬に食べるもの……かなぁ……」
と、言いかけた俺だったが……悲しむマリーちゃんの顔を想像すると言葉が詰まり、意を決して冷たい手料理を口に運んだ。美味しいのかどうかも冷たすぎて分からない。吹きすさぶ風、パンツ1枚。北国の遠征だってここまで寒くなかったのだけど……
ガタガタと震えながらデザートまで完食した俺に、マリーちゃんは笑顔で言った。
「次はお風呂にしましょう、あなた」
「ああ、凄くありがたい」
既に芯まで冷え切った俺の身体……熱いお風呂に入ったらこれもう心臓発作で死んでしまうんじゃないかと心配になる位だが……
その心配は必要なかった。何故なら……なぜか風呂の湯が冷たい。
冷たいどころか、湯っていうかこれもう水ね。氷浮いてるし。
「あなた、どう?」
「どうって……何か、もう逆に暖かいよ」
何故か暖かい。何でだろう……身体が冷え切っているせいか?
「……マリーちゃん、一体何を企んでいるんだい?」
「えっ? わ、私は何も……」
明らかに動揺するマリーちゃん。いや、これで何も企んで無いって言われたらその方が心配なんだけど……。
「……実は……私、他の奥さん達の話を聞いちゃってね。風邪を引いた夫の看病をしたって話……いけないと思いながらも、私もその……病気で弱っているあなたを看病したいって思っちゃって……ご、ごめんなさい……」
マリーちゃんは急に我に返ったのか、オロオロと困った顔を見せた。俺は安心させるようにマリーちゃんの頬に手を……触れようとしたけど手が絶対冷たいのでやめた。
「何だ、そうだったのか……だがねマリー。俺は絶対に怪我や病気をする事はないんだよ」
「えっ?」
「君の……前ではね」
残念だがマリーちゃん。俺は君の前では絶対に弱い姿を見せないと決めているんだ。じゃないと君が心配して俺を送り出せなくなるから……
「君が安心して待っていてくれるから、俺は遠征に出られるんだ。いくら君の頼みでも、それは出来ないよ。でもね、看病だったら毎回してくれてるじゃないか」
俺は極寒の風呂から上がり身体を拭いた。風呂が冷たすぎるせいで吹きすさぶ風も何か全然平気。
マリーちゃんに向き直り、軽く抱きしめた。
「えっ……それって、どういう……」
「君を恋しいと思う、恋の病は君にしか治せないし、毎回重症になっちゃって困るんだ……だから、早く看病してほしいな」
そう言って唇を近づける……熱っぽい目を閉じたマリーちゃんの唇は、芯まで冷えた俺の身体には熱すぎた。
「うふふ、あなた、いってらっしゃい!」
翌日、機嫌が良くなったマリーちゃんは、またしても遠征に行かなくてはならない俺を暖かな笑顔で見送った。
その笑顔があればどんな極寒の地だって寒くないのだよ。
意気揚々と登城し、任務を受けて目的地へ旅立つ準備をする俺だったが……
「へっくし……ズズ」
「あれ? ジュピターさん、風邪ですか? そういや前回のグラス大陸の遠征はめちゃくちゃ寒かったですもんねー」
「その分マリーさんの暖かな手料理や愛情で癒されて来たんじゃないですかー? いいなぁ……」
「ああ……」
グラス大陸よりも寒かったマリーちゃんの極寒攻撃は、滅多に体調を崩す事の無い俺に初めて風邪を引かせる事に成功した。
……だが、マリーちゃんに心配をかけまいと一切弱った所を見せるつもりは無い俺は病欠で家に帰る事も出来ず……正直滅茶苦茶具合の悪い体調を我慢して遠征に行ったのだった……
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