第2話 ジュピターの妻は陛下だって怖くない

 


「ジュピター、君には本当に済まないと思っているんだけど……早速地方へ行って貰う事になるが……」


「……大丈夫です、陛下。自分は再び引き受けた時から心構えは出来ておりますので」


 翌日、登城した俺は第二部隊の面々と共に執務室に呼ばれた。

 早くも地方で問題が発生し、そこへの調査に赴かなくてはいけなくなったのだ。


 ――皇室騎士団第二部隊……通称『辺境視察部隊』略して『辺隊』

 皇帝の目の届かない地方の問題を見て回り、時には皇帝の代わりに解決することもある為それなりの知見や実力が必要となる。

 第一部隊が皇帝の側近という名の雑用という……蓋を開けてみると緩いあちらの部隊に対して、第二部隊に強いられる仕事量は半端無い。

 当然他の部隊だって仕事量は多いだろう……が、一番のストレスは急に地方に飛ばされて暫く帰ってこられない事である。

 それも突然、予期無く場所も分からない。

 事件や問題は予期なんて出来ない……それは重々に分かっているし、陛下だって自ら地方に赴きたいのは痛いほどよく分かる。

 平和を維持する為には陛下に課せられる仕事量は我々の比では無いのだ……だから誰も文句は言わない。

 有事には自ら盾になる男……それがわが国の皇帝である。反乱や反発なんて起きる訳が無い……少しでも陛下のお役に――もとい仕事量を減らすことが我ら直属の騎士の使命であった。


 最初に騎士となって第二部隊に配属された時は地方に行くことなど以前の自分と変わらず、むしろ得意な所ではあったので何の不満も無かった。

 それが数年経つ頃には……俺にも大切な人が出来たのだ。

 帰る場所に待つ者が居ると居ないでは天と地程差がある。

 流石に新婚早々数ヶ月も家に帰れない状況が続いた時には陛下に直談判した。決死の覚悟だった。

 陛下に一撃でも当てられたら配属変えを受け入れて貰えると言われ、不敬も何も考えずに挑んだ試合稽古で……俺は見事に当てられたのだ。掠るような一撃だったが、それでも皆のどよめく様子は覚えている……それ程までに陛下は強い――が、俺の意思の方が勝ったのだ。

 直ぐに家に戻り、マリーに告げた時の……あの妻の顔は忘れられない。その後は……コホン、まぁ。何でもない。


 ――それが……ものの数ヶ月で取り下げられるとは誰が想像しただろうか。

 俺の決死は何だったのか……?


 陛下から「私が君に一撃を与えられたら願いを聞き届けてもらうとかでもいい……?」と言われた時には素直に断った。いや、それやる前から勝負ついてますし、ただ俺が痛い思いして部署も変わらなくちゃいけないだけでしょう……?

 まさかこんな平和になった世の中で皇帝陛下からの圧をかけられるとは思わなかった。陛下も必死なのだろう……平和とは、戦乱の世よりも苦しいものなのだ……


 肩を落として帰宅し告げた時のマリーの……あの妻の顔は忘れないだろう。その後は何とか妻をなだめる為に……コホン、まぁ。何でも無い。


「本当に申し訳ないが、君しか適任が居ないんだ。君の家族も反発があるだろうが……」


「いえ、それはちゃんと昨日家で話し合って来ましたので。陛下に仕え、帝国の為に剣となると誓った以上……その御身に尽くすまでです」


「そ、そう……ちゃんと納得はしてくれたのかい?」


「勿論です。自分の愛した妻は……何処に居ようとも俺の事を信じ、帰りを待っていてくれるでしょう」


「なるほど……じゃあ、あの……奥方には大人しく家で待っていてもらっていいかな」


「――は?」


 陛下が苦笑いを浮かべ、その隣にいる宰相が脂汗をかきながら俺の後ろをくいくいと指差す。

 ゆっくり振り向くと、周りにいる同じ部隊の騎士達が目をそらしている場所……一際小柄な騎士が振るフェイスの甲冑に身を包んで混ざっていた。

 ……俺は無言で冑の留め金を外して脱がし取る。中から現れたのは見覚えのありすぎる、花のように愛らしい女性だった……

 うーん――妻ァ!


「い、いや、マリー……ここで何をしているんだ」


「あなた……ごめんなさい。私、心配で……つい」


「つい、フルフェイス甲冑で騎士に混ざって……? あと、この甲冑どこから仕入れてきた……?」


「ちょっと借りただけなの」


 ガチャガチャとゴテゴテしい甲冑には所々擦り傷があり、争ったような形跡があった。……まさかね、無理やり奪ってきた訳は無いよね。妻、普通のごく一般人の妻だし……


「マリーちゃん、ダメだから。拝借してきたら拝借された騎士が困るでしょ……返して来なさい」


「嫌! 私、あなたが帰って来るまで大人しく待つなんて、もう無理なの……! 私も騎士になってあなたと一緒に行く!!」


 ……いや、何言ってるのマリーちゃん。

 陛下はそんな様子の妻を苦笑いで見ていた。


「マリーゴールド・スカイ夫人……ええと、残念ながら皇室騎士団では女騎士は募集してないのだよ……?」


「えっ」


 妻は驚いた様子で辺りを見回すが、どう考えても男しか居ないよね……?


「何で女騎士は駄目なのですか?!」


「いや……うん、私があんまり女性に戦ってほしく無いというか……そもそも騎士ってそんなにいい物じゃないからあまり女性には向かないというか……」


「陛下! 今のご時世に何を仰っているのです!! 女性だって戦えます!! そういうご発言は女性に対して失礼でしてよ!!」


「ええと……」


 ウワァ……マリーちゃんが皇帝陛下に物申している……やめてマリーちゃん、誰に向かって言ってるの……?

 あとねマリーちゃん、皇室騎士団って普通の騎士と違って割とかなり雑用メインのブラックな部分があって、多少の無理を強いるのと体力をゴイゴイ削って行くような3Kとか呼ばれている仕事なんだよ。影でそう言われてるって陛下も分かっているからあえて女騎士を採用していないんだからそれ以上陛下を虐めないであげて……


 陛下は国民に優しい。多少の文句を言われてもニコニコしているが、その分自分の中に溜め込んでいくのを知っているから……周りの騎士達もハラハラとしている。


「分かりました……ならば私が一撃でも陛下に当てられたら、私を騎士にする事をお許しください!」


「えっ」


 えっ……??? マリーちゃん?? 何言ってるの???

 陛下が心底困った顔でこちらを見ている。俺も困っている。


「マリーちゃん……あのね、相手皇帝陛下……」


「あなただって戦ったのでしょう?! 私の為に! ならば私も戦うわ!! あなたの為に!!!」


 うーん、マリーちゃんの愛は嬉しいんだけど、君……冒険者でも傭兵でも騎士でもない普通の妻なんだよ……?

 ビンの蓋が開かなくて毎回俺に可愛くお願いしてくるようなか弱い妻なんだからね???


「ジュピター……あの……これ、どうしたら……」


「……ご心配には及びません、陛下。マリー、陛下と戦いたい君の気持ちは分かった。だが、相手は帝国最強の御方だ。戦いたいならばまずは……俺に一撃でも当ててみなさい」


 俺は剣を外して置き、マリーちゃんに向き直った。


「分かったわ、あなた。私、愛するあなただからって容赦はしないわよ!! たーーー!」


 マリーちゃんは甲冑をガチャガチャ鳴らしながら走ってきた。ドタドタと走ってくるマリーちゃんはとんでもなく可愛い、そして遅い。


「えーい!!」


 マリーちゃんが腕をぶん回す。俺はマリーちゃんの頭を押さえてその動きを止めた。リーチの短いマリーちゃんがぶん回す腕が俺に当たる事は無かった。


「あーん! 届かないーー!! いじわるーー!」


「済まないねマリーちゃん……諦めて大人しく待っていてね……なるべく早く帰るから……」



 ひとしきりゴネたマリーちゃんの想いだけは伝わったのか、陛下も出張後なるべくは休みをくれると約束してくれた。


 ごめんなさい陛下。気を使わせてしまって……

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