第34話

 真志の車に全員が乗り、伏丘の実家があった場所へと向かう。助手席の伏丘は今何を考えているのか、真志が道を尋ねる時にだけ口を開いた。

「私は、この近くにある造り酒屋で生まれた。父方の祖父母と両親、子供は四人で私は長女だった」

 後部座席で口を開いたユキエを、伏丘が一瞥してすぐ戻る。疑ってはいなくても、信じきれないのだろう。死者が乗り移って、話しているのだ。

「私が生まれた翌年に長男である弟が生まれて、私はすぐに放ったらかしになった。それでもなんとか親に見て欲しくて、今思えば健気にがんばってた。それでも誰もこちらを見てくれなかったけど、ようやく私をまともに見てくれる時が来た。高校を出て、店で働き始めた時に」

 ユキエは膝の上で鉈を握り締めたまま、自分の人生を語り始める。

「私は店の手伝いができるよう、商業高校に行って、簿記や必要そうな勉強をした。その知識を活かして、慣例的に続いていた無意味な習慣を少しずつなくしていった。結果、仕事の効率が上がって、いろいろうまく回るようになった。県にもうまく売り込めて、特産品として紹介してもらえるようになって、傾きかけてた経営も持ち直した。でも」

 一つ息をついて、物憂げに窓の外へ視線をやった。確か、その辺には酒蔵があったはずだ。今は、我が県を代表する地酒になって空港の売店にも置かれている。

「大学を卒業した弟が入ってから、また傾き始めた。目新しい、変わったことをしたがって、私が反対しても祖父母も親も賛成しかしなかった。後継ぎはお前じゃないんだと。でも弟は、うまく行ってるように見せ掛けるために赤字を借金で補填しようとした。会社の名義で借りたらバレるから、個人の名義で。だけど、会社の赤字が個人の借金で埋められるわけがない。そんなことも分からないボンボンだったから、すぐ悪い金貸しに引っ掛かった。それが、山瀬だった」

 弟の借金のために、苦しんだのか。

「私は、泣きついてきた弟を助けるために」

「言わなくていい」

 伏丘はユキエの話を遮り、俯いて緩く頭を振る。

「山瀬はその頃、俺が追ってるヤマに関わってた奴だった。山瀬を引っ張った時に保護して、そのままでは家に帰せない状態だったから、俺が連れて帰って世話した。でも元気になったら、すぐ帰すつもりだったのが惜しくなってな。『迎えに行く』って一旦帰して、改めて迎えに行って嫁にしたんだ」

 ユキエは視線を伏せたまま、黙って伏丘の話を聞く。昔のことを、思い出しているのかもしれない。その約束が果たされたことを、後悔しているのだろうか。

「ただ俺は、刑事デカ被害者ガイシャの関係をどっかで引きずってた。『助けてやった女』って頭を切り替えられなかった。事件の後ろめたさがあって、ユキエが俺に気遣ってるのも知ってたしな。だから、実家に行かせた」

 訥々と語る伏丘の口調は、どこか諦めたようでもある。腹を括ったのだろうが、その結末はどうなるのか。ユキエの膝で、鉈の刃は相変わらず冴え冴えと輝いていた。

「俺の実家は、昔は林業と炭焼きで栄えた家だったらしい。山をいくつも持って、人足を何人も抱えるお屋敷だった。でも林業が衰退してからは、食っていくだけで精一杯の有様でな。俺が産まれた頃にはもう、無駄に広い屋敷が残ってるだけだった」

 確かに、あの映像で見た屋敷は、古いが立派なものだった。庭も広く、美しい花が咲き乱れている季節もあった。中の不穏さを知らずに足を踏み入れれば、ただ酔い痴れていられただろう。

「俺も二人兄弟でな。二つ上の兄貴は跡取りだってんで甘やかされてて、俺は放ったらかしだった。でも俺は自由にしたい性質だったから、かえって親が構わないのがちょうど良くてな。進学にも警察官になるのもなんの反応もなくて、楽で仕方なかった。ただ警察官になって数年経った頃、兄貴がスキー中に大怪我して右手に障害を残した。酒飲んで滑って飛んで、コブに叩きつけられたらしい。自業自得でしかねえけど、そこは我儘育ちでプライドの高い坊っちゃんだからな。動かねえ右手を見られたくねえって仕事を辞めて、家でふんぞり返るようになった。その皺寄せが、俺に来たんだ」

 ハリボテの平和が崩れる気配に、ユキエが少し俯く。横顔は私より寂しげに見えたが、どうなのだろう。ユキエは、私をどんな風に眺めていたのか。

「生活費が足りねえから寄越せって電話が、親からかかってくるようになった。仕方ねえから毎月いくらか送るようにしてたけど、なんやかんや理由つけて搾り取ろうとする奴らでな。結婚したのはちょうど、そんな頃だ。半年経って異動の辞令が下った時、俺はユキエを連れて行かずに実家へ行かせる選択をした。仕送りは増やせねえから嫁を手伝いに行かせるってな」

「耐えられると思って、行かせたんですか」

 ずっと黙っていた運転席の真志が、初めて口を開く。伏丘は少し間を置いて、いや、と零した。

「だましだましやって、無理になったら迎えに行けばいいと思ってた」

「迎えに来る気なんて、なかったでしょ。無理だと何度言ってもはぐらかして、ごまかし続けてた。今のあなたみたいに」

 ユキエの視線が、伏丘から真志へと移る。ユキエはここ数ヶ月の私達を見ていたから、よく分かっているのだろう。もしかしたら、私よりよく真志のことを知っているのかもしれない。

「騙されて、それでも信じて待って……二年目の夏に全部終わった」

 掠れた声で告げたあと、ユキエは黙る。霊でいる時より理知的な印象だったが、相変わらず鉈を握り締めているし、伏丘を見る目も澱んで昏い……だけではない。体のあちこちから、障りが少しずつ立ち上り始めているのが見えた。

 私の体が、蝕まれているのか。

「ユキエさん」

 小さく呼んだ私に、ユキエは気づく。光のない目を細めて薄く笑う表情が予想よりずっと邪悪に歪んでいて、ぞっとする。自分の体が悪用されているのだと、今頃になってようやく気づいた。

「すごく居心地がいいけど、中身が違うからどんどん弱っていってる」

「せめて目的地に着くまで、返してやってくれないか。澪子はこれまで、あなたに傷つけられてもあなたを傷つけたことはなかったはずだ。あなたの敵じゃない」

 ハンドルを繰りつつ交渉を試みる真志に、ユキエの表情を確かめる。

「返す気はないけど、安心して。体が壊れたとしても、この人の命には手が出せない。何回か連れて行こうとしたけど、守られてて無理だった。でもどうして……守られる命と守られない命があるの?」

 首を傾げ、口の端を片方だけ引き上げて笑むユキエをじっと見据えた。ユキエは応えるように少しずつ私に体を寄せ、顔を近づける。

「この人は確かに、死んで当然の人じゃない。じゃあ、私は? 死んで当然な理由でもあった? あんな残忍に、殴られて、切り刻まれて殺されるようなことをした? 鉈であの男が手を切り落とした時、私は、まだ生きてた!」

 すぐ間際で目を見開き視線を合わすユキエに、震える肌も噴き出す汗もないはずなのに、そんな心地がする。後ずさりたくても、恨みのこもる視線が絡みついて動けない。

「あなたが残忍な殺され方をしたのは分かってる。でも、澪子があなたを殺したわけじゃない。あなたが殺した四人も同じだ」

「そう、一番悪いのは殺した人。でも理不尽には、理不尽で返すしかない。そうなる理由を作った人は、罰されることもなく幸せに暮らしてるんだから」

 ユキエは真志に答えながら姿勢を戻して座席にだらしなく凭れ、脚を組んだ。したことのない姿勢に、なんとなく恥ずかしくなってしまう。

「この人は優しいから、頼んだらこの体をくれるかもね」

「いい加減にしろ。お前が恨んでるのは俺だろ」

 伏丘は低い声で、少し凄むように言った。私は思わずびくついたがユキエは無視して、外を眺める。流れていく景色をぼんやりと追う寂しげな表情に、言葉を見つけられず俯いた。

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