第21話
今日は仕事を終えたあと、標準の目つきを取り戻した真志を連れて叔母の見舞いに行く。そのあと牛丼をテイクアウトして、家へ帰った。
てっきり捜査以外のことは何もしていないかと思っていたが、捜査の息抜きに四年前の釜茹で事件と二年前の事故のことを調べていたらしい。捜査の息抜きに捜査をするなんて、凡人には理解できない頭の休め方だ。
「釜茹で事件は、私もネットで調べてみたよ。未解決事件だから、オカルト系のサイトでも取り上げられてた。まあどこまで事実かは分からないけど、共通してたことだけ報告するね」
一緒に買ってきたしじみ汁のカップに湯を注ぎ、一つを向かいに差し出す。牛丼の蓋を外して、ひとまず先に手を合わせた。
「被害者は、某県に住む六十代のAさんで、三十代の息子と二人暮らし。定年退職後に、個人で民俗資料館を経営していた。定年退職と同時に離婚したが、資料館建設を理由に妻への財産分与を拒んだことから息子との関係が悪化。警察はこれを理由に息子の関与を疑った」
「もう違う」
事件の核心には遠い部分で、早速の訂正が入った。ファイルから視線を移し、トッピングのキムチと共に頬張る姿を眺める。
「どこが?」
「財産分与は、『妻が』資料館建設を理由に拒否したんだよ。実家が金持ちで十分食っていけるからってな。合わなくて離婚はするけど夫の長年の夢を潰すような真似はしたくねえって、微々たる慰謝料で手を打ってる」
「その妻、ユキエさん?」
「気が早えな。違う名前だった」
近しい雰囲気を感じて思わず尋ねてしまったが、そういえばユキエは三十前後に見えた。年の差婚にもほどがある。間違っていたところに赤ペンで線を引き、箸に持ち替えた。
トッピングのねぎをこんもりと載せたあと、冷めないうちにしばらく食べる方に集中する。
「じゃあ、なんで息子さんが疑われたの?」
半分ほど食べた辺りで一息つくと、真志はもう食べ終えていた。刑事の性なのか、食べるのが異常に速くていつものことながら足並みが揃わない。
「シンプルに、ほかに可能性のある奴がいなかったからだよ。現場はど田舎で、その家なり民俗資料館なりに行く目的じゃねえと行かねえ道のどん詰まりにある。でも考えられる時間帯に近くを走る車は確認できず、雨のあとで泥濘んでいるに関わらずタイヤ痕も足跡もなかった。あと、認知症で息子が一人で介護してる状況だった。幻覚と幻聴がひどくなってからは資料館も閉館で、負債だけが残ってる状態だった」
確かにその状況なら、息子を疑ってしまうのも仕方ないのかもしれない。普通の殺人は、人や動物によって為されるものだ。
「じゃあ、続きね。事件は深夜から明け方に起き、翌朝、朝食の支度を終え探しに行った息子によって発見された。現場は資料館の一階右奥、農村部の生活を紹介するブースだった。生活用具の一つである釜の中にあった凄惨な姿……の話は、今はちょっと省くけど、この前の事件を上回る悲惨さだよね。そこはユキエさんとも合致するよ。で、その殺し方をするには証拠不十分だったから釈放されたって書いてあった」
「なんでそこはそんな杜撰なんだよ」
「だってメインは捜査の話じゃなくてオカルト解釈だったんだもん」
苦笑で麦茶を傾ける真志に口を尖らせ、残りの牛丼を平らげていく。綺麗に食べ終えて手を合わせ、私も麦茶で一息ついた。
「この前の事件と二年前の事故では、風呂に落ちる前には生きてた。釜茹で事件の被害者も、生きてるうちに切断されて、湯に投げ込まれてる」
食後まで待ってくれたらしいが、決して好ましい内容ではない。
「死んでからと生きてる時だと、違うんだよね」
「聞きたくねえだろうから省くけど、そういうことだ。ただ、切断するからには場所が必要だろ。でも切断に使ったと断定できる場所も血痕もなし、拘束痕らしきものも一切なかった。要は、生きてるうちに無抵抗な被害者を釜の上で切り刻むしかねえ方法だったらしい」
真志は麦茶を飲み干したグラスを置き、一息つく。
「あと、ほかの事件と同様に、首吊り紐が垂れ下がってた。本人の指紋つきのな」
一番の共通点に、じっと真志を見つめる。
「被害者の共通点は、今探してるとこだ。今のところは性別も年齢も居住地もバラバラ、なんの関連性もねえようには見えるけどな。でも同じ死に方してんだ。相手が人間だろうが霊だろうが、どっかに繋がりがあるはずなんだよ」
「みんなどこかでユキエさんに出会ってて、いじめてたとか?」
控えめに尋ねた私に、真志は頷いた。
「可能性がねえわけじゃねえだろうな。その霊がたとえば転勤族の娘なら、あちこちで暮らしてても不思議じゃねえ。ただ」
私の意見を認めつつも、冷ややかな表情と視線で見つめる。夫ではなく、刑事の顔だった。
「その霊が『恨む相手に似てる』だのなんだの、勝手な理屈つけて理不尽に無実の人間を殺してる可能性だってあるんだ」
「でも」
反射的に言い返すと、視線を鋭くした。
「お前のどっかが似てたとしても同じじゃねえ。そいつの苦しみがお前のもんになることはねえんだ。肩入れしすぎるな」
至極まともな意見ではあるが、すんなりと受け入れるには抵抗があった。私にとっては唯一、この寂しさを分かってくれる存在かもしれないのに。
「……それで、オカルト解釈はどうだったんだ」
俯いて黙った私に、真志は話の矛先を変える。小さく頷いて、ファイルの続きへ視線をやる。
「一つ目で有力なのは、落ち武者の報復説。あの辺は昔落ち武者狩りが盛んだったんだって。そのせいで昔狩られた落ち武者の霊が彷徨っていて、子孫である被害者が呪われて殺されたのではって説」
「そうだとして、なんで七十過ぎるまで待ってたんだ」
「なんでだろう。夢を叶えたあとに殺したかったとか?」
「次」
真志は、うんざりしたような表情で手を払う。
「二つ目は、呪いの鬼女面説。あの民俗資料館を訪れた人達のブログ写真をチェックした人が、事件後にこっそり見に行って飾られてたはずの鬼女面がなくなってることに気づいたんだって。その鬼女面が呪いの面で、取り憑かれて殺されて、またどっかに消えたのではって説」
「不法侵入じゃねえか。まともな奴いねえのかよ、次」
今度は、眉間の皺を深くしつつ手を払った。
「三つ目は、古民具呪われてる説。さっきの話と似てるけど、アンティークとかって前の持ち主の念みたいなものがまとわりついてることがあるんだって。で、被害者もたくさん古民具集めてたから、そのどれかに持ち主の念がまとわりついててその影響を受けたんじゃないかって説」
「アンティークが呪われてるってのは、高い宝石や価値のあるものに執着が残ってるって話だろ? 今だからこそ貴重になってるかもしれねえけど、その時代の農家ならどこにでもありそうな鍬や鋤にそんな思い入れあるか? 次」
不快そうに答えて腕を組み、姿勢悪く椅子に凭れる。もう何も期待していないようだったし、正直私もこの三つで終わらせてもいいと思っている。
「最後は、霊視による前世の行い説なんだけど」
「却下」
分かりきっていた答えを聞き遂げて、オカルト解釈の報告を終えた。
真志は眼鏡を外して眉間を揉み、深々と溜め息をつく。まあ、気持ちは分からないでもない。
「お前も、その手の感覚が分かるんだろ。なんかねえのか」
「分かんないよ。気配を感じたり見たりするようになったの、初めてだし。ユキエさんにはやっと慣れてきたけど、ほかの幽霊は普通に怖いよ。見えなくていい」
「まあお前、見えるようになったら死ぬまで外に出そうにねえしな」
「二度と出ない」
言い切った私に笑い、真志は再び眼鏡を掛ける。
「二年前、給湯システムの事故にされた一件は、五十代の男だ。隣の県出身で、親の死を切っ掛けに勤めてた店を辞めてど田舎にUターン。料理人だったから、実家を改築して民泊を経営してたらしい。安いし料理は旨いしで人気だったらしいけど、一方で気に入った女性客に手を出すって悪評があってな。そのうちの一人に訴えられて、強制わいせつでしょっ引かれてた。初犯だったのと示談が成立してたので執行猶予がついて出てきたあとは、宿を閉めて誰とも会わずに引きこもってたらしい。事故は、その一ヶ月後だった」
初犯、か。なんとなく引っ掛からないでもないが、結びつけるのは性急すぎる。
「首吊りの紐が準備されてたのは、状況が状況だけに誰も驚かなかったみてえだな」
「そういう背後があったんなら、まあそうだよね」
「あと、口コミ掘り起こしたら『女性の幽霊が出ました』って二件あったわ」
多分、ユキエだろう。一体、何年前から恨みを果たすべく彷徨っているのか。
「ちょっとずつ時期がずれてるから、やっぱり順番に殺していったってことだよね。その人を殺したいほど恨んでるって考えたら……そういうことなのかな」
「初犯が本当にそうなのかは、本人しか知らねえからな。でも可能性の一つでしかねえんだ。固まるまでは決めつけるな」
浮かんだ不穏な考えを、真志はまた「可能性」で片付ける。決めてしまうのが良くないのは分かるが、いろいろなものがふわふわしていて落ち着かない。
「可能性の話ばっかりで、落ち着かなくて苛々しない?」
「するから距離取ってんだよ。俺が毎日苛々して不機嫌だったら、お前メンタルやられるだろ。俺もオンオフをきっちり切り替えられるほど器用じゃねえしな」
「……そうやって、ちゃんと言ってれば良かったと思わない?」
初めて耳にした理由に、牛丼の容器をまとめつつ不満を口にする。十年経って離婚話が出てから言い訳されて、「そうだよね」で済むと思ったのか。
「別居婚前提だったら結婚してたか」
「してない」
「結婚してすぐ『別々に暮らそう』って言って納得してたか」
「してないけど」
答える度に眉間の皺が深くなっているのが、自分でも分かる。
「だからって『通帳見りゃ分かるだろ』はあまりに杜撰では?」
「一緒に暮らせねえって言えねえ以上、仕方ねえだろ」
それで十年間、障りを消す時くらいしか会いに来なかった。結婚前に真志は全部分かっていたのに、私は。
「明日、日帰りだけど出掛けるぞ」
突然告げられた予定に、弾かれたように顔を上げる。
「どこに?」
「釜茹で事件の現場だ。息子に話を聞きに行く」
仕事か。一息ついて全ての容器を抱え、席を立つ。今はもう、顔を合わせているのがつらい。
「仕事中には行けねえだろ。しかもよその管轄を掘り返すんだぞ」
「一人で行けばいいじゃない。私は、泰生くんと叔母さんのお見舞いに行くから」
冷たい水を細く出し、容器の汚れを流しながら手を冷やす。これまで真志がしてきたことを考えれば、これくらい言ったっていいはずだ。
赤くなるほど冷えた手の水を払い、洗い終えた容器をごみ箱へ落とす。振り向いた場所にはもう、真志の姿はなくなっていた。
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