第13話
――澪ちゃん、ずっと一緒にいようね。約束だよ。
突然思い出された澄んだ声に、目を開く。あれは、確か。
「大丈夫か、ちゃんと見えるか」
でも覗き込むように私を見たのは、泰生ではなく真志だった。
ベッドからゆっくりと体を起こし、ベッド際に佇む憔悴の表情を見つめる。触れて確かめた喉にはもう、痛みはなかった。前回と同じだ。今回も、痕は残っていないだろう。
「別宅に帰ったかと思ってた」
泰生との電話を盗み聞きされていたとは思わないが、後ろめたさがないわけではない。酒を飲んでいたのも、バレているだろう。
「やっぱり、心当たりがあったんだね」
一息ついて切り替えた話題に、崩れたシャツ姿の真志は観念した様子で頷いた。
「お前と付き合う前に、一年くらい付き合ってた飲み屋の女だ。情報源でもあった」
最後の台詞に引っ掛かって、思わずじっと見据える。
――よくねえんだよ!
あの反応と現れた「エリ」の姿を思い出せば、答えは自ずと弾き出された。
「お前と付き合いたくて、電話一本で別れた」
いつもとは違う、感情の乗った声が少し掠れたあと咳払いをする。
「そのあとしばらくして、死体が見つかった。体中の骨が折れて、顔も誰か判別つかねえほど殴られてた」
「犯人は」
「目星はついてたけど、起訴には持ち込めなかった。エリの太客だった裏社会の人間だ。命令した奴と実行犯は別で、殺した奴らはとっくに大陸へ戻ってた」
「大陸」ということは、中華系のマフィアとかその辺りなのだろうか。てっきり、稼ぎどころの多そうな都会にしかいないと思っていた。こんなど田舎貧乏県で、何ができるというのだろう。
「俺に情報を流してたことを、繋がってる奴にうっかり喋っちまったんだろうな」
予想どおりの原因に、視線が覚束なく揺れる。
――客の情報を刑事に流してんだからな。最悪、殺される。
直接手を下したわけではないことくらい理解できるが、原因を作ったのは真志だ。別れる時にもっと誠意ある対応をしていれば、結果は変わっていたかもしれない。恨まれるのは当然だし、切っ掛けになってしまった私につきまとうのも、理不尽ではあるが納得はいく。ただ、なんだろう。今は頭の中が雑然としていて思考が続かないが、胸には妙な違和感があった。エリのことは、一旦置いておくべきだろう。今は、違う違和感を片付けておきたい。
「ねえ。警察って、そんな不祥事起こしても出世できるとこなの?」
「お前、たまに気づかなくていいところに気づくな」
真志は毒気の抜けた表情で諦めたように笑い、眼鏡を外して眉間を揉んだ。
「でも、そこは知らなくていい」
いつものように突き放す声に、視線を落とす。
――捜査のためならなんでもする人だって、あまり良くない噂もちらほら。まあ若くして出世するってのはそういうことなんだろうね。
思い出された泰生の言葉が、今更ずしりと胸に沈む。
「一人死んでるのに、それでもまだ違う人達に危ない橋を渡らせてるの? また死ぬかもしれないのに。まさか、捜査のためなら一人や二人の犠牲くらい仕方ないって思ってる?」
しばらく待っても真志は黙ったまま、静まり返った部屋には息が詰まった。
「もう、いいよ」
対話を諦めベッドを下りようとした私の腕を、真志はきつく掴む。すぐに引き剥がそうとしたが、とても緩みそうになかった。
「離して」
「どこに行く気だ。仙羽のところか」
突然出てきた名前に、じっと真志を見据える。
そんなつもりはなかったが、もうそれでいいのかもしれない。もうどこでも、どうでもいい。
「あなたはこの十年私から好きなだけ逃げ続けてたのに、どうして私は逃げられないの? どうして私だけは、ここにい続けなきゃいけないの?」
涙交じりの訴えに、真志はようやく手を緩めた。昂ぶった胸を深呼吸で落ち着け、腕から抜け出してクローゼットへ向かう。ひとまず、数日分の服があればいい。仕事道具はまた明日だ。
支度の最後に、よれたワンピースをごまかす薄いコートを羽織る。軽いバッグを肩に掛け、ドアへ向かう。最後に一瞥した横顔がまるで似ていない叔母を思い出させて、足を止めた。
「……店にいるから」
捨てきれない甘さに諦めの息を吐き、寝室を出る。でも一旦出てしまえば、足は迷うことなく出口を目指した。
裸足にパンプスを突っ掛け、躊躇いなくドアを開ける。途端に滑り込んだ冷えた空気を深く吸い込み、その中へと足を踏み出した。
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