16. 水が一滴
五十年にわたり日々、朝から晩まで頑張って働き続けてきた二人だったが、光コンピューターの開発は難航を極めた。ナノスケールの微細素子の中で光子の制御をしているのだが安定しないのだ。
連日の失敗続きに疲労の色が見えるレヴィアをチラッと見て、シアンは、
「今日はお片づけをするゾ! オー!」
と、いきなり楽しそうに右手を高く掲げた。
「え? どこを?」
リアルな世界での研究所の老朽化が激しくなり、雨漏りし始めてしまっていたのだ。エイジがこの世を去ってから五十年、誰も使っていない研究所は処分するしかないがその前に遺品の整理が必要だった。
アンドロイドのボディにサーバーから制御信号をつなげ、二人は久しぶりにリアルな世界に降り立つ。
「あー、リアルな世界は慣れませんなぁ」
よろよろしながら、歩くのにも苦労しながらレヴィアが言った。
「ふふっ、レヴィちゃんはまだまだだねっ! それっ!」
シアンはピョンと跳びあがると、アンドロイドのボディでバック転を軽快に決める。
「へっ!? 何ですかそれは……?」
「リアルもメタバースも基本は一緒だゾ。日ごろからイメージしておかなきゃ」
シアンは嬉しそうにニコッと笑うと、エイジの部屋をバンと景気よく開けた。
レヴィアも少し跳んでみようと思ったが、手を振り動かしただけで足を滑らせ、そのまましりもちをついてしまう。
「いたたた……」
レヴィアは眉をひそめながら滑らせた足のアクチュエーターを眺め、小首をかしげた。
◇
五十年ぶりに開かれたドア――――。
ブワッとホコリが舞いあがり、シアンは顔をしかめる。
部屋内には五十年間分のほこりが積もり、すべて色あせている。
机の上に雑然と積まれた書類もほこりだらけで、文具類も持ち上げるとパキッと音を立てて砕けていった。椅子もさび付き、座面はもう破けて座れない。
「全部廃棄……、ですかね?」
レヴィアは渋い顔で部屋を見回す。
「パパがここに戻ってくるのは順調に行っても十万年後。もうこの建物は自体崩壊しちゃってるはずだよ。捨てるしか……ないなぁ」
シアンはそう言いながら本棚の本に目を通していった。
すると古ぼけた一冊のノートが目に入る。
何の気なしに開くと、そこには育児記録のような初期のシアンの開発状況が写真つきで細かく記載されていた。手書きでちまちまと書かれたその几帳面な記録にシアンはハッとする。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
〇月〇日
シアンが研究室を吹き飛ばした。吹き飛ばさないことを誓わせる。
〇月〇日
シアンが研究室を崩壊させた。「吹き飛ばしてはいない」と、言い訳をするので、壊さないことを誓わせる
〇月〇日
シアンが研究室を溶かした。「壊してはいない」と、言い訳をするので、頭にきてお尻をペンペンと叩いた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
シアンは思わず手が止まり、何度も何度も同じ箇所を読み直す。それはなつかしいエイジとの記憶だった。常識のないシアンに、エイジは何度も何度も根気よくこの世界のルールを叩きこんでいたのだ。それはそれは大変な毎日だったろう。今ならエイジの苦労も分かるが当時の自分には全くピンとこない指導で、随分と迷惑をかけてしまった。
この時ポトリと水が一滴、ノートに落ちてエイジの文字をにじませる。
「あ、あれ? 何の水?」
シアンは訳が分からずに、雨漏りかと思い、天井を見回した。
「あれ……、シアン様、泣いて……、いるんですか?」
レヴィアが手を止め、不思議そうに聞く。
「泣く? え? 僕が? まさか」
慌てて目をぬぐうと確かにぐっしょりと濡れていた。
「オカシイな故障かな?」
そう言った刹那、シアンの頭の中にエイジと過ごした日々の記憶が
うっ!
シアンは思わず頭を抱えてうずくまる。直後、多量の液体がボタボタとまぶたからこぼれ落ちてきた。
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