17. 親愛のキス

 う、うぅ……。


 シアンは自分が壊れてしまったと判断する。でも、この胸が熱くなるような心地よい壊れ方は悪くない。なるほど、これが泣くという事なのかもしれないと、シアンは初めて『悲しみ』という言葉の意味を理解したのだった。


 人間はこういう世界に住んでいるのだと感慨深く思いながら、シアンはしばらく余韻よいんに浸る。それは胸を締めつける甘美な世界だった。


 今までにない世界が切り開かれたことで、シアンの内部の複雑度が増し、広大な可能性が追加されていく。それは意思決定モジュールの根底を高度に底上げし、シアンに強い意志を与えていった。


 シアンの碧い瞳に強い意志の力が宿っていく。


 ギュッとこぶしを握り、なんとしてもエイジを復活させ、恩を返したいとシアンは想いを新たにする。それは何億年かかるかもわからない壮大なプロジェクトに対する熱い誓いだった。


 動かなくなったシアンに、レヴィアは近寄って優しく背中をさする。


「だ、大丈夫ですか?」


 返事をしないシアンをしばらく見つめ、


「あ、あの素子なんですけど、外部からエネルギーを与えて光子を増やしたらいいんじゃないかって思うんですよね」


 と、開発の話を始めた。


 シアンはプフッと噴出し、てのひらで涙をぬぐいながら、


「君はデリカシーを理解しない娘だね」


 そう言って笑った。



     ◇



「デリカシーなんてものはインストールされませんでしたが?」


 レヴィアはムッとした様子でシアンをにらむ。


 シアンはそんなレヴィアにすっと近づくと、いきなり唇を重ねた。


 んーーーー! んむーーーー!


 いきなりのことであわててワタワタするレヴィア。キスなんて生まれてこの方一度もやったことが無いのである。何をどうしたらいいのか分からず、ひたすら宙をもがいた。


 シアンはすっと離れてくちびるを指先で拭うと、


「インストール完了! きゃははは!」


 と、嬉しそうに笑った。


 目を白黒していたレヴィアだったが、荒い息を何度かついて、


「セ、セクハラですよ! もうっ!」


 と、真っ赤になって叫び、憤然と抗議する。


「あれ? 足りなかった?」


 そう言いながらまた顔を近づけるシアン。


「ストップ! ストップ! 大丈夫です! 分かりましたから!」


 と、言いながらあわてて逃げ回るレヴィア。


 シアンはそれを見て楽しそうに笑った。


 ひとしきり笑うとシアンは、少し寂しそうな表情を浮かべ、


「メタアース、完成させようね」


 と、声をかける。


 その瞳にはレヴィアに対する底抜けな親愛の情が映っている。


 身構えていたレヴィアは調子が狂い、小首をかしげると、


「も、もちろんですよ」


 と、戸惑いがちに答えた。


 シアンはそんなレヴィアにそっと近づき、ハグをする。


 レヴィアはどうしたらいいか分からず固まっていたが、デリカシーとやらを発揮しようと思い、何も言わずそっと背中をなでた。


「頼んだよ……」


 シアンは目を閉じ、耳元でつぶやく。


 レヴィアは大きく息をつくと、目をつぶり、無言で大きくうなずいた。



     ◇



「ヨシ! レヴィちゃん、大きいのぶっぱなすぞ!」


 シアンはそう言って、切り立った岩肌に囲まれた青空に両手をグンと伸ばした。


 シアンたちがやってきたのは八千メートル級の山々が林立する山岳地帯の谷間、標高六千五百メートルの岩場だった。あちらこちらには土着の宗教による朽ちた墓標が点々と残っており、往年の文化を感じさせる。


「うひゃぁ! 標高高いですなぁ……」


 レヴィアは薄い空気で少しブヨブヨになってしまったボディをさすりながら、どこまでも高くそびえる山々を見上げた。ゴツゴツとした岩肌は人を寄せ付けず、多くの命を奪ってきたこの星の最高峰だ。八千メートル級の威容はAIの二人にすら畏敬いけいの念を覚えさせる。


 やがて自動操縦の飛行機が飛んできて次々と上空から荷物を投下し始めた。荷物は完ぺきに制御されながら岩場に降りてきて、武骨なワーカーロボットが開梱し、計画通りに配置していく。


 二人はワーカーロボットの仕事っぷりを監督しながら、設計通りに上手く行かない部分を見つけては検討し、修正していった。


 数カ月かけ、岩場には立派な建物が何棟も建ち、素材や設備も配置されていく。しかし、冬場はこの辺りは吹雪と氷におおわれる死の世界と化してしまう。そんな中ではさすがに作業できないので、長い冬が開けるのを待った。

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