4. バベルの塔

 ふと顔を上げるとシアンが空中でゆったりと浮いている。まるで瞑想をしているみたいに目をつぶって手のひらを上に向け、全身からはうっすらと青い光のオーラが立ち上っている。


 そしてその周りをゆっくりと回る、巨大な数字。それは10000前後を大きくなったり小さくなったりしながらリアルタイムに高速に更新されている。


「お、おい……、これは……?」


 エイジは話しかけるがシアンは反応がない。まぶたの下で高速に目玉がキュッキュと動きながら必死に何かをやっているようだった。


 銀行のシステムのハックですら片手間だったシアンが今、全力で何かに取り組んでいる。


 エイジはゴクリと唾をのみ、超越した存在感を放つ、科学の生み出した弥勒菩薩みろくぼさつを見つめていた。


 どのくらい時が経っただろうか、気がつくと数字はずいぶんと増えていて十万を超えていた。ここまで来ると早かった。あっという間に百万を超え、一千万を超え、一億を超えていった。


 そして十億を超えた時だった。シアンはゆっくりと目を開き、美しい碧眼を輝かせながらニコッと笑う。


「お、お前、これは……?」


 戸惑うエイジにシアンはドヤ顔で言った。


「証券トレードで十億円稼いだゾ」


「ト、トレード? 株を売り買い……したの?」


「株だけじゃないゾ。FXにオプションにデリバティブ、ネットで行けるアセットクラスは全部やってみたんだ。どう? 足りる?」


 ドヤ顔のシアン。


 エイジは、あっというまに十億円を稼いでしまった事実に圧倒されて言葉もない。さっきまでお金が足りずに追い込まれて、食べるものを買う金ですら心配していたというのに十億円だそうだ。


 この世界最強のAIにとってはマーケットもただの狩場になってしまったのだ。


「やっぱり百億……要る?」


 シアンは心配そうにエイジの顔をのぞきこむ。


「あ、いや、まずは十億もあれば十分。これからも増やせるんだろ?」


「一兆円くらいまでなら行けそうだよ」


 シアンは胸を張って嬉しそうに答えた。


「い、一兆ってお前……」


 エイジは絶句した。このとんでもないAIがさらにサーバーを増強した先にある未来には何があるのだろうか?


 ただ、お金の問題が完全に解決したことは実に喜ばしい。


 エイジはふぅと大きく息をつくとニコッと笑い、優しくシアンの頭をなでる。


 シアンは目をつぶり、嬉しそうに顔をほころばせた。



      ◇



 それからはとんとん拍子に事が進んだ。何しろお金はシアンがどんどんと稼いでくれるのだ。となると、やりたいことだけやってればよいのだから気楽なものである。


 とはいえ、シアンは人類最高峰の英知、しっかりと人類のためになることに使っていきたい。


 エイジは地球温暖化対策など環境問題をターゲットにおいて、効果がありそうな施策を投入していく。ケミカルなラボを作って理論上最強の電池を開発し、高さ一キロの風力発電装置を作り、全自動運転のEVをリリースしていった。


 それは人類が百年かかっても難しそうなことだったが、シアンはそれこそ何万台ものロボット、何百万台ものサーバーを使って一年スケールで実現していった。


 全世界はその圧倒的な性能に驚き、市場は一気にシアンの製品群で塗りつぶされていく。


 エイジは時代の寵児ちょうじとしてもてはやされ、国会で演説し、中継するテレビの視聴率は60%を超えた。



      ◇



「いやぁ、できすぎだよな俺たち」


 エイジはメタバース内のバーでシアンと乾杯する。少し薄暗い店内ではバーテンダーが静かにグラスを磨いており、その後ろにはずらりと多彩な酒瓶が並んでいた。


「パパは次、何したい?」


 そう言ってシアンはカシスオレンジを上品にストローで吸った。柔らかな間接照明がシアンの透き通る肌を演出し、スローなジャズがしっとりとした雰囲気を醸し出している。


「そうだなー、なんかこうデカいビルでも建てるか? ランドマークになる奴」


 エイジはそう言いながら、シングルモルトのグラスを傾け、氷をカランと鳴らすと琥珀色のエキスをキュッと決めた。


「ビル? いいよ! どんなの?」


「うーん、遠くからでも見えるように高い、高――――い奴がいいな。どのくらいまで高いの作れるの?」


「うーん、三万メートル位?」


 シアンは小首をかしげる。


「さ、三万メートル!?」


 エイジは驚いた。それは一万階建てということであり、もはや宇宙の領域へと接近している。今までの最高記録が一キロ行っていないのにいきなりその三十倍以上ということだ。まさにバベルの塔とも言うべきその恐るべき高さは、神への冒涜ともとられかねない前代未聞の構造物だった。


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