幕間劇/ニアスフィートランデブー

 どうも、ニアスフィートです。


 え? 誰かわからないんですか? ほらあの、スウィトゥハードの……知らない? 知らないですかぁ、そうですか。水を操ってソウル・ステップとアストライアさんを襲った人生の最盛期の記録が無くなってしまっているだなんて……え? それならまあ覚えているって? なら上々。


 さてはて、死人に口無しなんて言葉もありますが何の因果か語る口を与えられたのならば私の熊撃ちアストライアに対しての"愛"を語る他ないだろうね。


 そう、私のことなんてどうでもいいのだ。

 アストライア——熊撃ちの異名を持つ暗殺者集団が私は大好きで大好きで狂推しているのです!


健全な少女達が将来お嫁さんになりたいと思うくらいに純粋な愛情で、アストライアを推しているのです!


 今回頂いた依頼は西都司祭の息子さんの暗殺と荷物の奪取。同情はするけど金持ちなら貧乏人に分け与えるのが筋ですし、死んで私のご飯代になってもらいましょうってなワケでこれを了承してみたのですよ。ええ、今日は葡萄酒じゃなくてホットミルクにしようとかそのレヴェルの低次元の思考でしたよ。


 でも私はこの瞬間のことを永劫未来忘れはしません‼︎


 依頼を受けた三日後の話です。私にこの話を持って来た左腕がない男が再び私の前にやって来て、依頼主からの伝言だと言って一枚の紙切れを渡して来たのです。


 そこには、


「今回の依頼は私が雇ったヴァン・アストライアと共に遂行してほしい。集合地点は同封の地図に記しておく故、二日以内に到着するよう」


 という文字と西都への街道にある宿場町に印の着いた地図が書かれていたのです。


 ヴァン・アストライア——そう、私の推しのアストライア家の中でも結構有名どころの人物です。まあ一番有名なのはやっぱり顔無ヴォルデ・ダ・アストライアだし一番残酷で冷血で遊びがあるのも彼だけれど、異質さで言えばヴァン・アストライアがずば抜けているんですよこれがァ。ヴァン・アストライアの異名は【慈雨】……優しい殺しを行う異端のアストライア。もはやこれだけで推せる! 異端とか異質とかチョー好き、大好き。


 そうなったら、もうウキウキよルンルンよ。

 二日以内なんて生温い、半日とせずに指定の地点にガチダッシュで辿り着いてしまったわけですわ。央都近郊にいたのに! 愛の為せる技だね、うん。


「うっわぁ……尊」


 辿り着いて、覗くわけですよ……物陰から。

 ヴァン・アストライアは既にその町に馴染んでいて、放浪猟師として町での地位を確立していました。笑顔を振り撒いて町の人々と挨拶をするなんて、そんなこと、普通の人間ならしませんよ。スゴイですね!


 黒い髪は短く切り揃えられていて、同じ色の瞳はさながら黒漆塗りの器の如き。皮製のコートは熊製かな? 肩に掛けた銃も放浪猟師という立場を確立している今、何ら可笑しな光景ではない。色白な肌に浮かべられた可愛げな笑みには疑いなんて寄せ付けない力強さが感じられて、もう——達する‼︎


 まあ、そんな姿を見ちまったらですよ。挨拶なんて出来ないですよね。

 烏滸がましいにも程がありましょうよ、そんなもン。無理無理無茶無茶、どーせ今件に関しちゃヴァン・アストライアに投げときゃ成功するんですし私は裏方に徹底しますとも。良き片腕とは助け合うのではなく至らぬところを陰ながら支えるものなの……さァ!


 そんでもってポンデリング、私が到着して四日の後の話ですわ。ふらふらと疲れましたと全身で語る喧しい男が一人町にやって来たのです。そう、ソウル・ステップがやって来たのです。


 彼は酒場に直行し、ヴァン・アストライアも時を見て入っていきました。遂に始まるのか! と心躍らせてワクワクテカテカしながら開戦の狼煙を待ちに待ったのですが、しかしソウル・ステップは十五分程で普通に出て来たのです。なぜでしょう? なぜかしら? いや、私のような若輩者にはわからないそれはもう至高に近い殺戮プランが練り上げられているに違いありませんそうに違いありませんとも。デキる発展途上な私は見守りますとも。


 そして、時は私の想像よりも早く来ました。

 夜闇が辺りを包み、町が眠りに着いた頃です。


 ヴァン・アストライアは昼間に背負っていた銃を持たない徒手の姿で町にやって来ると、ソウル・ステップの宿泊する宿屋の隣の建物によじ登り、跳躍することで宿屋の一室の窓枠に飛び移りました。私の潜む物陰からではヴァン・アストライアの背が障害になって何をしているのかは見えませんでしたが、一分とせずに窓を開いて内部へと侵入していってしまいました。我々は影に潜む者ですから手の内を明かしたくないのは当然と言えば当然の話ですが、ちょっとくらいは何かしら接して欲しいものですね。私、寂しみを感じています。


 この位置からではあの室内に対して私がアクションを起こすことが不可能なので、ここから少し移動しましょう。そうですね、ヴァン・アストライアの使ったあの隣家の屋根上にでも移動するとしましょうか。私の力は大雑把で荒削りですからね、直線位置が好ましいのです。


 そそそっと移動して、隣家の屋根に登って開け放たれた窓から中を覗くわけですよ。


 愕然としましたね。その時点で既にヴァン・アストライアは敗れていて、簀巻きにされてソウル・ステップに虐められているんですから。


 それが人間のやることかよ!

 聖堂の司祭の子っこだからって許せねぇよ!


「死に晒せよー!」


 怒り沸騰、怒髪天地を開闢す。

 私はヴァン・アストライアを救うべく力を扱い直径にして一メートルにも及ぶ水球を作り出し、思ったけの力で宿屋の外壁に叩きつけたのです。ビターンと、精一杯で。


 私の有する〈水を操る能力スウィトゥハード〉はこんな世なので最強と言っても過言では無いのです。水は自分で用意しなければならないという弱点はありますが、そこら中に積もる雪も溶かしてしまえば水なわけですので実質無制限で使用可能ですし、水の本質は変幻自在。質量攻撃も圧縮切断も何でもござれの優れものです!


 待っててください、ヴァン・アストライア。不祥、ニアスフィートが貴方様を悪徳貴族の手から救い出して見せますからね!


 打ち出した純粋な質量攻撃としての一撃で外壁を破壊し、内部の様子を目視で確認可能にする。室内に二人の様子が見えない。いや、位置から察するにヴァン・アストライアはベッドの下に隠れたのだろう。私の水玉は木製ベッドくらいなら簡単に破壊出来ますが、しかし位置がわかったのならばそこを狙わぬよう注意を払えば問題ありません。


 ソウル・ステップは……まさか、同じくか?


 いや、しかしあの破壊で隙を生んだ。あの程度の拘束であればヴァン・アストライアは脱出可能だ。ともすればヴァン・アストライアとソウル・ステップが同じ場所に身を隠す状況は成立しない。ヴァン・アストライアの視界は私の側と方向は同じ……逃げ道は廊下に続く扉一つ。室内にソウル・ステップが残っていると仮定すると意識の一つはあの扉に付きっきりにしておく必要がある。


 私が次手を思案していると、ベッドがこちら側に倒され壁が作られる。その壁の裏にいるヴァン・アストライアの絶対安全圏の照明を受け取り、私はヴァン・アストライアから伝えられた真意に気付く。


 現状破壊出来ているのは宿屋の外壁の一部であるが、部屋全体を俯瞰するには手狭ではある。つまりソウル・ステップの居場所は破壊されていない内壁沿い! ベッドは全体を確認出来るためそのベッドを立てることにより自らの安地をこちらへ伝え、それ以外を破壊しろと! そういうことか!

 一度の相談も無しにこちらの戦力を十全に理解し、私の力を使いこなす様! アストライア、美しすぎます!


 その刹那、部屋の扉が開けられる。

 本当は全身全霊を持ってヴァン・アストライアを感じていたい私ではあるが仕事もある。一部意識を割いていた扉の動きに反射的に一滴の水滴を弾いてしまったが、残念それは宿屋の女店主が破壊音を聞きつけてやって来たというだけであり、まあ可哀想なことだけれど女店主は額を貫かれて死んでしまいましたとさ。


「あ、ミスっちった⭐︎」


 テヘッと自分の失敗をそれなりに悔いていると女店主の死を無駄にはしないと言わんばかりにベッド裏から飛び出してきたソウル・ステップに私はベッドを除いた室内全面目掛けて散弾のように水滴をばら撒いたのだが、そんな逃げるソウル・ステップに対して追撃を試みていたヴァン・アストライアもベッドの裏から飛び出し、運悪く——いや、ヴァン・アストライアの行いの真意を掴みきれなかった私の愚かさ故に——私の放った三段はヴァン・アストライアの左腹部を貫いてしまった。そのせいで一瞬動きが変わってしまい、ヴァン・アストライアはソウル・ステップの室外への逃走を許すことになってしまった。


 私が無駄な手出しをしたせいで、だ。


「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ‼︎」


 無力感が私の胸の奥から湧き出して、自らが最も憎らしい。そして、私はこの自分自身を憎むこの気持ちすらも今覚えるものではなかったのだと反省することになる。

 廊下の扉を飛び出して、外壁に開けた穴から外への脱出を行う影が一つ。ヴァン・アストライアであった。


 脱出と同時にナイフが天高く投擲され、私はそれをヴァン・アストライアからの無事の知らせと受け取った。

 無事とは言えども私のせいで怪我をさせてしまったのは事実だ。私は夕刻にスウィトゥハードの応用で体内の水分を操作して人形化した酒場の店主にヴァン・アストライアを迎えに行かせ、多少強引ではあるが水で傷口を覆うことでの止血を試みるのだが、どうやら未だ意識が残っていたらしい酒場の店主がヴァン・アストライアに助けを求めたことにより人形化が不安定になってしまい、結果として眼孔から操作に使っていた水分が排出されるという結末を迎えてしまった。


 うぅ、もうずっとヴァン・アストライアの足を引っ張っている気がする。面目ない、面目ないよぅ。

 無能です、無能ですみません。


 私はせめてもの償いに私の手を離れた人形店主の体内に残った水分を抜き取り、その軌跡を目視により辿ったヴァン・アストライアは遂に私と出会ってしまうのです!

 ヤバいって、生アストライア死んじゃう。最早苦しい!


「ヴァ……ん、んん。こっちゃッス、アストライアの」


 ヤバい。興奮し過ぎて過呼吸になりそう。逃げていいかな? もったいないよね!


「誰だよ、お前。俺の名前を気安く呼ぶな、お前のような名無し風情が呼んで良い名ではないぞ。上手いこと奇襲したからと言ってあまり調子に乗るなよ」


 ………………? 奇襲? ソウル・ステップと間違えられているのかしら? どうなのかしら? 下から見上げられた時この地点がどう見えるかはわからないけれど、暗くて見えないなんて私らの目ならありえないよね。何を言っているのかな?


「名を名乗れ、痴れ者が。或いは、先に名乗るか?」


「暗殺者が何言ってんスか? まあ、自分を殺す相手の名前くらい知っておきたいって心情もわからなくは無いんで、いいッスよ。教えまスよ。でも、先の栄誉は譲るッス」


 何か考えがあると見た。

 具体的には唐突の第三者の発生による対立関係の破壊! ソウル・ステップがこんな夜中に旅を再開するとは考え難い。私達でもこう暗い中では足を止めざるを得ないからね、まず間違いない。ならば、まだこの町の中にいる。ではどう誘き出すか? 襲撃者のピンチを装う! そういうことですね、ヴァン・アストライア!


「ヴァン・アストライア。熊撃ちアストライアの最後の狩人だ」


「ニアスフィート、ッス。名前だけでも覚えて行ってください」


 やべぇ! 話しちった名乗り合っちゃった!

 もうこれは友達と言っても過言ではないのでは? ないのでは!


 いやー、照なぁ。などとまあ、ヴァン・アストライアとの演技を楽しんでいたというのに、その襲撃は突然だったワケですよ。お陰様で「うおっ⁉︎」なんて可愛くない声で驚いちゃって、そんな声をヴァン・アストライアに聞かれてしまったんです。


 背後からの襲撃者。浅く斬られただけで問題らしい問題はないけれど、落下の際に確認してみれば、そこには抜剣したソウル・ステップが飄々とした姿で立っていた。やーい、釣られてやんの〜という煽りの気持ちと背中を斬られた痛みの怒りが二重螺旋構造!


 まあ私を斬った勢いで一緒に小道に真っ逆様だから締まらないですよ、ホント。だから私はソウル・ステップの腕を掴み私の下敷きにすることで落下のダメージを防ぎ、その後ソウル・ステップを挟み込んで今度こそ逃さぬように即座にバックステップで包囲網を完成させる。マットにする時に身体に穴ボコ空けてやるのはプロの意地というか、まあせめてもの貢献意欲と言いますか、そんなとこですわ。


「くっ……そいつッ、どういうことッスか‼︎」


 演技も忘れない。ちゃんと上手に踊りますよ、私だって。

 名誉挽回よ!


「どうもこうも無いでしょう。殺して殺されるくらいなら、殺さず殺す方がマシってお話。だから……死んでください……なッ」


 横目でソウル・ステップを狙いながらも演技を行うヴァン・アストライアの起点には驚かざるを得ませんね。咄嗟の組み立てといい対応といい、一流なんて物差しじゃ測れない時代、来ちゃってません?


「へへーん。見逃してあげても良いんスよ、別に」


 私の演技に殺意を飛ばしてきたのを合図と受け取り、私はシメに入る。


「ちょっと、ちょっと待ってくださいッス! バーサーカー過ぎるんですよ何摩の血筋ッスか、ったく。熊撃ちさんも、別に死にたきゃ無いでしょう? 死にたくは無いッスよね。見逃してやるから、そいつの荷をこっちに渡して欲しいッス」両手を前に出して振り、ヴァン・アストライアを静止する私。「命あっての物種っスよ」


 依頼主曰く、どうやら命以上に彼の持ち物が必要らしいので、まずは私がこの荷を受け取り依頼主に届ける。私という足手纏いが居なくなったところでヴァン・アストライアを取り巻く不安材料は全て消え去る。


 私達の勝利だ——!


 ヴァン・アストライアが身を屈め、拾い上げた皮袋をこちらへ手渡すべく近付いてくる。こうして面と向かっているだけでも嬉しくて嬉しくて失禁しそうなのにこれ以上近付いたら私は狼になってしまう!


「近付かないでくださいッス、投げ渡して」


 私の指示の通りにヴァン・アストライアが荷を投げ渡す。

 その際にナイフも共に投げられたが今までのものとは異なり速度が遅く、難なく頭の動きだけで避けられた。ソウル・ステップが見ているからまだポーズが必要なのだと伝えられたのだと読み取った私はこの投擲に対して足を引っ張らない程度の傷をスウィトゥハードの水弾でヴァン・アストライアの足に付ける。出血も少なく、痛みも少ない位置に対しての水弾である。


「クソが」


「そちらさんの手癖に言われたくないッス」


 言いつつ、ソウル・ステップから奪い取った荷を開封して中身を確認するが、しかし、依頼主から奪取を命じられた石櫃の姿はどこにも確認されなかった。


「……————ア」


 思わずこぼれたと言わんばかりの細やかな声。

 反射的に目線がそちらを向く。

 青白い光の渦が目に入る。

 私はあれを知っている。

 石櫃の解放だ。


「——叩き割れェェェ‼︎」


 ソウル・ステップの叫びに、私はヴァン・アストライアの裏切りを認識する。あれはとうの昔にソウル・ステップの側に着いていたのだ。


 理由は何だろうか?

 あちらに着くメリットが見当たらない。負け戦で負け側に着くのは大抵尊厳だとか名誉だとか忠誠だとか、私やヴァン・アストライアみたいな暗い暗い井戸の底で水遊びしている奴らには見当もつかないようなものばかりだ。だから、ヴァン・アストライアはそれ以外のメリットを見つけてあちらに着いているハズ。


 能力の発露? いや、石櫃の解放は未だにブラックボックスな部分が多く存在している。単に強い意志だとか危機的状況だとか、そんな単純なギミックでは断じてない。だからそれは交換条件にはなり得ない。


「ふざけるなアアアアアァァァァァ‼︎‼︎」


 ただ叫ぶ。

 裏切られたことにも、私のわからない貴方であることにも。


 石櫃のサブギミックである治癒能力で傷が癒やされたらしいヴァン・アストライアはかなり前傾の無茶な姿勢から駆け出し、あちらの有利な接近戦の間合いへと持ち込もうと愚策な突進をかましてくる。


 私は殺さぬまでも今ここで私が逃げ出せる程度の足留めをするべく必死の抵抗として水弾を作り出して射出するが、先程までとは趣きを異にした雰囲気を醸すヴァン・アストライアは見えないはずの透明な弾丸を上体を捻ることで避け、左手の袖から取り出したナイフで私の首元を掻っ切った。


 一瞬詰まった息を何とか吐き出して冷静さを取り戻しつつ、所詮は無茶な体勢からの突撃のため完璧ではないその抜刀を手の甲を上から叩くことでずらし、受け流しざまに作り出した水弾でヴァン・アストライアの腹部を貫く。肝臓を狙って射出した水弾ではあったが、壊れちゃいけない臓器は承知しているのだろう、わざと体を更に前傾にすることでほぼ臓器へのダメージをコントロールして無いに等しいものにされた。


 初見のハズだろう、この手の戦いは。


 ——だが、貫きはした。

 ダメージコントロールされたとて多少臓器に傷はつけた。ヴァン・アストライアは自分自身の足が絡まり地に伏せる。もう、まともに走れるだけの精神力は残っていなかったのだ。


 私は親指と人差し指をピンと張り、その指の先をヴァン・アストライアへと向ける。


「能力は体得したとしても理解・修練・追及が必要になるッス。そんなこと、あなたなら知っているはずッスよ。実際に保有しているみたいッスから」


 ヴァン・アストライアをこのような木偶に変えてしまった張本人であるソウル・ステップに向けて避難の声を上げるみるが、当のソウル自身は余裕といった面で口角を吊り上げて笑っている。


「知っているさ。どれだけ単純な能力であったとしても、”どんな力を手に入れ”て”どのように扱う”のか、それを知らなくちゃ何にもならない。モチロンこれであんたに勝てるのであれば願ってもいない万々歳だが、世の中そう上手くはいかないものだよネ」


「じゃあ、なんでこんなしょーもない悪あがきなんてしたんスか……?」


「んー? 嫌がらせ」


 べぇっ、と舌を出してそんなことを抜かすソウル・ステップ。その姿を見た瞬間にこのようなことをしでかしておきながらそんな無責任なことを抜かすのかと、全身の毛細血管に至るまで全ての血液は重力に逆らい頭へと流れていき、私は怒りの赴くまま倒れ伏したソウル・ステップに近寄りその顔面に蹴り付ける。大きな卵が割れるような心地良い音色が反響し、如何ともし難い快感がピリピリと肌の表面を駆け巡る。


 ふと目についたソウル・ステップの剣を拾い上げ、折角ならばをこれを抜いてヴァン・アストライアの元へ舞い戻る。


「さよならです。最後に言い残すことはありますか? 聞き届けて、誰かに伝えることでもあるのならば伝えますが?」


 どうせ私の理想の英雄になれないのならば、


「身はたとえ、西箇の野辺に朽ちるとも、留めおかまし熊撃ち魂」


「見事……」


 振り下ろす。そして、受け止められる。

 ああ、素敵だ。


「ちなみに、どうして僕が諦めていないって思ったよ。ありゃ、そのまま諦めて死ぬムードだっただろろ」


 立ち上がったヴァン・アストライアはヘラヘラとカッコよく最高の笑顔で屈託なく、私に問うてくれる。私は慣れない剣を捨てて、この機会を私の得意で相対す。


「影の世界に生きてきた熊撃ち一家の人間がそんなに潔い訳がない——なんて、いっそ希望とも言える理想に賭けただけッスよ」


「そりゃそうか。生き汚なくちゃ僕らの世界じゃ生きていけねェもんなァ。しかしさ、『熊撃ち』なんて言っちゃってさー……そんな名前なんて、どうにもならないぜ? そんなものにお前は何を期待してんのよ」


「何をわかり切ったことを。名前が無いと仕事は入ってこないッスから、名前は大切っスよ。名無しからしたら羨ましい限りっス」


「ニアスフィート・アストライア……名乗ってみるかい? それとも、奪っていくかい?」


「あなたを殺したら、一家の皆様は私の命を狙いますかね?」


「馬鹿言っちゃいけねぇ、一族さ」


 構えて、放つ。

 六つの軌跡が飛翔した。

 この時点で私の勝利は確実なものとなっている。


 不可避の水弾が六発、全てヴァン・アストライアのその身を貫いた。これまでの出血、疲労、傷、どれをもっても満身創痍。死地ギリギリもいい所だ。


 だから、ただ自分の全霊を乗せてヴァン・アストライアにぶつかった。そして、結果は私の勝利で終わった。虚しさなんて微塵もない、快晴の昼下がりのような心地良さの余韻が私の心を反響している。


「存外、つまらない死に様ですね」


 でも、そんな恋心はひた隠す。

 乙女は面倒な生き物なのだ。


「丁寧な口調の方が可愛らしいよ、ニアスフィートちゃん」


 最期はカッコよく葬送しようと、そんな時。


「チェェェェストォォォォォッ」


 舞台から降りた野蛮人が、私の背中を逆袈裟に斬り上げた。深々と斬りつけられた背中が熱く熱を持ち、ふらつく足は必死に倒れることを拒んだけれど、私が最期に見た光景が、ヴァン・アストライアの万雷の花束たちであったことは誇れよう。


「さよならッス……ってなァ!」


 ヴァン・アストライアの血液が射出され、私は額を深く抉られたことで一瞬の内に苦しむことなくこの世を去った。推しに看取られて、推しに殺されるだなんて……ああ、何て幸せなことだろうか。


     *


「——などと、彼女の愚行と書いて乙女心による現状の狂ってしまった盤面の責任というものは、わたしにあるのだろうかね?」


 顔を戻しつつも問うてみると、投げ掛けれられた縹色の髪の青年はヘラヘラとした調子でこれを受ける。


「ま、何ですか。リーダーなんですし、そのくらいの責任ってヤツは負って欲しいトコではありますかね、やっぱり。いくら心配だったからってヴァンちゃんにグドゥグドァくんを付けなかったのは失敗と言わざるを得ないでしょう……グドゥグドァくんくらい忠実な下僕なんて、そうそう居ませんし彼を付けていれば今件のようなコトは起こらなかったと思いますよ?」


「……か」


「さてはて、そんじゃま折角盤面が誰もわからない混沌に堕ちたことですし、彼らがどこまでやれるか賭けますか?」


 ニヤニヤと笑いコインを指で弄びながら語る青年に、わたしは眉を顰める。彼らの元に向かわせた三人を知っていながらも賭けという勝負の土台が成立していると思っている青年に対しての不信感は言うまでもないが、青年の実力をこの身をもってして知り得るわたしにしてみれば彼の言に耳を傾けないという訳にも行かない。


「ソウシが負けると言いたいのか?」


 わたしの質問に、青年は「負ける」と答えながらもわたしへとコインを投げ寄越した。しかしそのコインは青年の能力によって速度は時速にして二百キロは超えていただろう。

 そんなコインを私は辛くも掴み、


「なぜそう言い切れるのさ」


 と返しつつ、コインを離れた位置にある卓の上に置かれた水の入ったカップの中へと投げ入れる。無論、わたしの能力の一つである〈投擲物を任意の状態で落下コイントスさせる能力〉による補正ありきではあるが。


「そりゃ、あんたを一回刺し殺した彼——サキハラ・テンケツが居るからさ。彼は凄いよ、英雄の器なんてちゃちな言葉じゃ足りない満ちない満たされない……オレらの嫌いな本物の満たされた聖杯だよ。彼がいる限りあっち側にゃ誰も勝てやしない、オレを除いてな」


「お前ならアレに勝てると?」


「アレって……酷いなぁ、あんなでも人間なんだぜ彼は。まあ観てなって、教えてくれるはずだぜ? 恐怖と理知の狭間には猛る炎が眠っていることを」


「馬鹿にしているのか?」


 キメ顔で語る青年の語り口調から先のわたしを揶揄してのものだと読み取る。青年は悪びれもせずに顎を上げて見下す姿勢を取ってこれに応えた。


「そりゃあんな大仰な語りしてたら馬鹿にもしたくなりますわ。テンション上がってた?」


「そりゃ、上がりもするだろう」


 言って、わたしの数多ある能力の一つ〈行間を読む能力メディアミックス〉に格納しておいたヤハウェオブジェクトを取り出してこれまた能力を用いて頂点を指先の一点で受け止めながらにこれを回転させる。回転するヤハウェオブジェクトからはあの時のような雲間から差し込む一筋の光の如き神光は見られず、無骨な黒色の四辺形だけが身を踊らせていた。


「ヤハウェオブジェクトねぇ……甘えだな」


「甘えではないさ。我らが王ケリィ・ヨセフは多種多様な姿へと転じ数多ある能力を使い分けた。その一端をヤハウェオブジェクトに変じさせはしたが、彼でさえ制御しきれぬ自然の荒神はヤハウェオブジェクトには成らず人の身を喰らい蝕んでいるのだよ。丁度、キミのそれみたいにね」


「いいね、逆を言えば屈服させてやれば伝説越えってこった」


「あの人をあまり舐めるなよ」


「舐めてねェから伝説なんだろ」


 視界が暗転する——どうやら、青年に殺されてしまったらしい。

 エゴノス・ヴィ・ヴァルディ……彼の顔は嫌いではなかったのだがねぇ、勿体のないことをするものだ。命を何だと思っているのか。命程大切なものは無いという現実を知らない愚かな愚かな青少年ではあるが、彼とてあの人が守ろうとした人々の残り滓なのだから肯定せぬ訳にもいくまいか。


「……全く、正義の味方というのは厄介なサガだとは思わないか? アズマジロくん」


 顔を変え、わたしは既に姿を消していた青年がいた空間から視界を動かし、背後の窓枠に座り器用にも身体を丸めているアズマジロくんに詰問者を変更する。アズマジロくんはまさか自身に投げ掛けれられるとは思っていなかったらしく五秒以上視線を泳がせると何か合点いったらしく口を開いた。


「そりゃ、義正ですから」


 なんて。

 シャレにもならない。

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