第二十九話/死闘開幕
思うに、もはや何が何だかわからんのだ。
俺達が置かれている現状を発端に、なぜ狙われているのか、相手はどのような奴らでどれ程の規模で存在しているのか、今後どうすれば良いのか、何でヴァンは若干機嫌が良いのか……俺は今、何もわかっちゃいない。何もわからないままに空気を読んでそれっぽい振りをし続けている。アンテノール・オルドルと名乗った男と対峙した時も、俺は勢いで相対していた。一体何が起こっているんだ。
「うむ、それでは現状を整理しようか」
サウロさんの一声で意識を正された俺達は、一斉に視線を彼に向ける。
南都に到達して一日と経たずに何度目の集合なのか、憂鬱だ。
「本日、ここ南都で起こった事件は大きく二つ——聖堂への攻撃と、ヤハウェオブジェクトの窃盗だ。本来あってはならない事項だが、起こってしまったものを後悔したところで仕方がないだろう。うむ、切り替えていこう」
聖堂への攻撃と、前例の無いヤハウェオブジェクトの窃盗……彼らが一体何を求めて何を為そうとしているのか俺は知らないけれど、俺だけではなくこうして他都にも手を出したことで最早言い逃れも見当違いの余地もなく国賊と成り果てたのだ。
ならば、相対するなら徹底的、根本的に切除しなければならない。そうでなければ無辜の民草が安心した一日を過ごすことができなくなってしまう。何のことはない日常を守るのも、教会の役目だ。
「聖堂に攻撃を仕掛けて来たのはそこのグドゥグドァと、アズマジロ。そしてアズマジロの死体を蘇生せしめたアンテノール・オルドルの三人ですね。グドゥグドァよ、あのいけ好かないアンテノールとかいう奴は知ってる?」
「いえ……知らないっスね、姉御。誰ですかあれ? 台詞回しも臭いっスし、ちょっと痛々しくて見てらんなかったっスよ」
「ねー、次会ったらサクッと殺そっか」
「スね、スね。そうしましょうそうしましょう」
笑顔で物騒な話をするヴァンとグドゥグドァさん。
こうして見ると、やはり長い付き合いを感じざるを得ないな。
「うむ、ヴァンくんの言う通り今件は既に疑いようもなくこの都市だけではなく五都すらも凌駕し、国家規模での話になっている」中空を三枚の紙が飛び、机の上に並べられると同一の文言が認められていく。「うむ、南方聖堂司祭サウロ・エテランの名に於いてここにアンテノール一派の掃討を宣言、生死を問わず指名手配の開始を宣言、他の四都にもこの旨を伝えよう。ついでに、頼めるかな? ソウルくん」
「あ……はい、任せてください」
初めての言葉に判断が一瞬遅れてしまい、阿保みたいな返事になってしまった。
アンテノール一派の掃討——掃討は数件の前例が西都でもあるが、規模も首魁も組織名すらもわかっていない状況で掃討を宣言だなんて……それに指名手配? あまりにも、あまりにも唐突で無茶苦茶だ。何もわからないのに何に懸賞金をかけるというのか、あまりにも無茶苦茶だよ。
「し、しかしサウロさん……掃討宣言といい指名手配といい、あまりにも事が早急ではありませんか?」
俺が惚けている間に文を認め印を押した紙が三枚差し出されており、俺は気圧されつつもサウロさんが伸ばした手からそれら受け取る。受け取る際に言われた「例の手紙と共に」という言葉に従って受け取った手紙は先の木箱にそれぞれ納めて、荷袋の中へと仕舞い込んだ。
「私の読みでは東都、北都も同じ状況になっている。西都が例外的なだけで本来はこのタイミングでの襲撃が本来の作戦だったのではないだろうか? グドゥグドァくんも、今日のあのタイミングで動くようにと言われていたのだろう?」
「ウッス、その通りです」
「どう思う、ヴァンくん?」
「あーそうですね、あり得る話ではあるかと。……ちなみにだがソウル、西都の襲撃ってのはいつ頃どんな手段で行われたんだ?」
「え?」
質問を聴き取れながらも聞き返した。
知りながらも聞かずにいてくれたヴァンの不躾な質問は、どうにも俺の心を傾ける。ヴァンがこのタイミングで訊いてくるということは何かヴァンは知っているのでは……?
「一ヶ月、もう二ヶ月かな? そのくらいの時期に、赤黒い霧みたいなものが……」
ふんわりとした返答になってしまったが、ヴァンは軽く目を閉じて……何だ? どういう感情だ? 歯は強く食いしばり、閉ざしたと思われた瞳はただ細く射貫くような鋭さを有している。
なぜだろうか? ただ純粋に、怖い顔だ。
「西都の件は、サウロさんの読み通りにアクシデントだった……で、間違えないと思いますよ。はい」
「ヴァン、何か知ってるのか? 西都の、あの日について何か知ってんのか?」
「知らないよソウル。僕は、僕の知っていること以外は何も知らない」
腹が立ったから動こうと思った。
そんな苛立ちすらもスンと落ち着かせるような恐怖が俺を包んで、頭に沸々と昇った血液は恐怖でサッと全身に退いて行った。今のヴァン・アストライアの立ち姿には、怒りすらも持つことを許さない力がある。
「サウロさん、では俺達はあの時の話し合いの通りの順で央都へ向かいます。ヴァン……東都、北都、央都の順で旅をするとなると、どんなルートになるかな?」
「ああ、えーっと、それじゃあソウルよ。僕らの次のルートは東都を経由しつつ北上し、北都を目指すってなルートなワケ? マジ? 東都と央都を断ち切ってるノビドメ連峰はまだしもヤヴァイ山脈越えるのは結構厳しいと思うんだけど……」
「でも、西都も南都がやられているんだ。他の二都も襲撃されていてもおかしく無い。央都の大聖堂に行くにしても他の二都の推薦は必須だし……行く以外に道はないんだ」
執務室に沈黙が響く。
確かに、ヴァンの言うことにも一理あるとは思う。
南都から東都に向かうのは央都や西都から向かうのに比べればだいぶ楽なもので、国土の中央を縦断するノビドメ連峰を迂回する手間が省けるため問題らしい問題は発生しない。しかし、更にその北に鎮座する北方を二分する程の巨大な山嶺であるヤヴァイ山脈は山越えするにしろ迂回するにしろ問題が多々存在している。
山を越えるならば極冷期真っ只中の今行軍するとなると西都から出てすぐに喰らったホワイトアウト地獄をまた体験することになるだろう。進むに進めず、引くに引けない——下手をしなくとも命は羽のように軽く死ねる。かと言ってヤヴァイ山脈を迂回するとなると右回りのルートは大森林に当たってしまうため、自然というよりも人為的な危険性が高い。だからと言って左回りのルートとなると結局国の左端まで回って行かねばならず、到着する頃には緩冷期に入っていてもおかしくはないのでそれならば麓で極冷期が終わるのを待った後で山越えをした方が早く着くことだろう。
「行くとしても山脈は多少の危険を理解の上で大森林の方面を進むしかないぞ、流石に。この時期に山越えはまず不可能、左回りで迂回するのは時間が掛かり過ぎるからナシだ。安牌を選ぶと、まだ大森林際を攻める方が……どうしても得策になる」
「やっぱ、そうかぁ」
「テンケツはどうすんだよ。来んのか?」
ヴァンが問うと、壁に背を任せて立ったままのテンケツさんが首肯しつつ言葉を返す。
「旅は道連れ。この際だ、俺は着いて行く」
「するってーと、戦えんのは四人か……まあ何とかなるレベルではあるか」
「何でシンプルにオレを入れてんだ」むむむ、と唸りながらも脳内で計算板を弾くヴァンの呻きに対してユリウスさんがツッコミを入れた。「オレらは東都にゃ行かないぞ。元々そういう約束だ。オレ達は西都に向かう。ソウルくんの力に成れないのは心苦しいが、オレにとってはこいつの方が優先なもんでな」
そう言ってソファに座らせられているフィフティさんの頭にポンと手を乗せたユリウスさんの顔には苦い笑みが浮かべられており、俺はそんな彼に対して両手の平を向けてふるふると振るう。
「いえいえ、こちらも無茶を言った身です。ここまで案内して頂いただけでも感謝以外の心など……⁉︎」
「はぁ⁉︎ お前、ここまで来て……えぇ、いやまぁ、うぅーむ……いけ、るか? やれるか? やれる? マァジで?」
「これに関しちゃ、お前にも謝罪しとくわヴァン」
「いや、こっちもソウルとおんなじでそういう契約だから文句はないんだが……正直な話、今後も一緒に来てくれるとありがたい」
俺は人生で一度も大森林というものへ近付いたことがないため、噂程度の話しか聞いたことはないのだけれど、それ程までに過酷な土地なのだろうか。一年を通して温暖な土地であり、ありとあらゆる果実が実ると言われる秘境。しかし外部との接触を嫌い、一部の集落を除いて大森林外との接触を断ち大森林内部だけで大きなコミュニティを形成して暮らしていると聴く。
刀や銃器など特異な武具の作製を得意としており、特に銃器に関しては現在市場に出回っているものは全て大森林製ではなかっただろうか。
「大森林を迂回しては進めないの?」
俺の質問にヴァンが一瞬考えるような素振りをした後に首を横に振った。
「大森林の潤沢な食糧を求めて獣がやってくるんだ、丁度この時期に。大森林外の方が危なっかしい。だからわざとちょっと中に入って進んだ方が安全なんだが……今度は人とのいざこざがなぁ」
「そんななの? 大森林って」
「命が渦巻く土地というものは、得てして命が埋葬された土地だ。命を育むものは死であり、死とは命無くしては有り得ない。大森林とは、そういう土地だ」
「そう……ですか。でも、通らざるを得ないと?」
「うん、だって嫌でしょ? 死ぬ確率九割九分九厘な山越えとか。そうじゃなきゃ西端まで回り込んでぐるっと行くことになるんだけど……め、メンディ」
「面倒って、そんな……」
そんなことで——ってヴァンに言うのも、酷だよね。俺は使命で動いているけれど、ヴァンは使命ではなく心に従って動いている。心に従って動いていると次第次第に整合性の取れない行動が目立つ様になっていく、そう輪書にも伝導者様の失敗談と共に書かれていた。
「だってさ! 何が悲しくて大陸横断レースなんてしなきゃならんのさ! いやだよぉアレ割りかし辛いんだよぉ……それに今は一刻一秒を争う状況だ。ならば、最速を目指していくべきでは無いのかい? ソウル・ステップ、ファストドライブ」
「さっきアンテノール馬鹿にしてたけどヴァンもなかなかになかなかな台詞回しするよね」
「なんだぁ! 姉御に文句あんのかよ」
怒鳴りながら俺の胸倉を掴んだグドゥグドァは次の一刹那でヴァンの拳骨をくらいピクピクと痙攣して動かなくなった。着撃時の音がおよそ人体から発せられるものとは思えないような、そんな破裂音がしたけれど……グドゥグドァは無事なのだろうか? 自己責任とは言え、可哀想だから床に転がったグドゥグドァくんをフィフティさんの横に立て掛ける。
「まあ、何だ。おふざけ抜きにしたって、やっぱり現実的な線引きをするならばここから北東に昇って行ってノビドメ連峰南に位置する今じゃ廃れた炭坑夫の町・ルッタで炭坑に潜って安全にショートカットしつつノビドメ連峰の東側に出て、そのまま北上してまずは東都に到着。これが第一ウェーブかな」
「うむ、あまりそういった外法のルートを私の前で宣言して欲しくはないのだけれど……安全に進むという意味で、それ以上のルートもないだろうね。無論、炭坑内のルートは既に頭に入っているのだろう?」
サウロさんの質問にヴァンは首肯だけで応答した。
「東都から北都にしたって、やっぱりどうしたって大森林は通ることになる。山越えは無茶、迂回するにしたって山脈沿いを歩くなんて危険性が高い苦茶だ。自然災害は僕ら裏方稼業にしたって恐ろしいし、能力持ちにだって恐ろしいものでしょう。ならば自然ではなく人為的な事件の方が幾分対処はしやすいってことで……僕は東都から沿岸部を通り北上、大森林を通ってヤヴァイ山脈を右回りで迂回するルートを提案する」
ヴァンの目にはどこか迷いがあるように感じた。それが何に対しての迷いなのか、鳥籠の中の鳥でしかなく自然も社会も今この世界がどんな激動の中に進もうとしているのかすらも一も二も知らない俺では理解できるハズがない。だが、世界の綺麗や汚いくらいは知っているのであろうヴァンがそのルートに提案という形を取っているということはそれ相応のリスクがあり、しかしながらそのリスクに見合うだけのリターンが存在するのであろう。
ならば、ならばこそ俺に残された選択肢はたった一つに集約されるというものだ。
「それで行こう、ヴァン」
目的は決まった。そこに至るルートも。仲間は二人減ってしまうが、心強い一人が舞い戻って来た。ならば、恐れるものは自然だけだ。
俺達は、その日サウロさんの案内で聖堂近くにある高級宿屋を使わせて貰った。久し振りの身体が沈み込むような柔らかなベッドに心踊らせて、夜が耽るまでヴァンとはしゃいでしまった。夕飯として出されたコースは絶品の一言では済ませられないものであったが、ヴァンは「これ食べたら明日からの飯が苦しくなるなぁ……」と渋い顔で美味しそうに肉を頬張っていた。なんだか、リスみたいで不覚にも可愛いと感じてしまったのが癪だ。
グドゥグドァさんは明けた朝食時にはもう宿を発った後であった。どうやら、ヴァンが央都でセーフハウスを作らせるために先に向かわせたそうだ。何か一言あってもよかったのではないかと抗議すると、サウロさんには伝えたから法的には問題ないなどと妙な逃げ方をされてしまった。
朝食を食べ終えるとすぐにユリウスさんとフィフティさんが宿を発って行った。
「そんじゃ、まぁ……西都で用が済んだらそのまま北都に行くから。予定日的には再会できるかもしれないな。そん時こそ、央都への道行きは旅は道連れ世は情けってことで」
「はい。また会いましょう」
「ヴァン。ソウルくんは死守だからな、わかってんだろうな」
「言われるまでもなく、だ。……気をつけろよ。僕らと関わったって時点でお前らも狙われる可能性はゼロじゃない。あいつらがヤハウェオブジェクトを狙っていると判明した以上、僕らと交流があったお前らにヤハウェオブジェクトが渡っているという見方も可能なワケだからな」
「ああ、わかってる。こっちの道筋で何かわかったら、北都で落ち合った時に」
「ああ」
そんな具合で、ユリウスさんらとは別れた。
再会を誓っての別れなので、悲しくはない。永遠の別れが目に見えた再会の誓いでもないのだ……また会えることは必然と言っても過言ではないだろう。
輪書には「旅する者は帰りはせぬが目的地には必ず着く」といった話がある。この話の場合は旅先で新たな帰る場所ができたから自分の親よりもそちらを優先してしまうのは人である限りどうにもできないといったなかなか情けないメッセージが込められた話だが、解釈次第だ。
ユリウスさんを見送る俺を置いて旅の準備などと言って街へと狩り出て行ったヴァンを置いて、俺は部屋へと戻った。そうして荷袋の中身を整理している織にふと胸元に仕舞い込んでいたテンケツさんの妹さんへの短刀の存在に気がついて、テンケツさんと再会したのならばと短刀を返却すべく隣室のテンケツさんを尋ねた。
三度のノックに「空いている」と返答が成される。俺は失礼しますと扉を開けて室内に入り、テンケツさんの前まで歩いて進んだ。
「テンケツさん。預かっていた妹さんへの贈り物を返しに」
言って、短刀を握った両手をテンケツさんへと突き出す。
「よい。ステップ、君が持っていろ」しかし突き出された手をそのまま押し返す形で胸元まで押し戻すテンケツさん。「……きっと妹よりも君の方が今過酷な生を歩んでいる。ならば、護り刀はその使命を真っ当できる場所である君の元にいるべきだ」
重い、そして深い優しさの込められた語りだった。
俺はその言葉に返す言葉が見当たらなくて、少し手を戦慄かせた後でどうしてもと返す訳にもいかずにそっとそのまま胸元へと仕舞い込んだのだった。
俺達が南都を旅立ったのは陽が半ばまで上がった頃であった。ヴァンはまたしても新調したコーデが結構気に入ったらしかったが、最後にサウロさんから渡された旅の資金をふんだんに使ったらしいそのコーデはあまり趣味が良いとは言い難いものであった。何と言うのだろうか……朝のランニングをしている人、的な、そんなコーデ。でも多分指摘をしたらへそを曲げるから、内緒の話である。
「東都にはどのくらいで着く予定なの?」
「まあ、予定で十三日ってトコかな。でも早けりゃ九日で着くよ。昔ちょいとポカをやらかした時なんかは南都近くから東都まで四日で着いたし、世界ってのは割りかし狭いもンなのよ〜」
「知りたくなかったな」
「輪書に書いてあることだろ」
その返しに、俺は驚いてじっとヴァンの顔を見つめてしまった。今更ながらにヴァンの瞳は良く光を反射する美しい瞳だという知見を得た。
「何さ」
「いや、だって輪書なんていつ読んだのさ」
「サウロさんに貰ったんだよ、さっき挨拶がてら寄った時」
「何で一人で行くんだよ! 俺だって挨拶したかったのに……」
「そう何度も行っても迷惑だからこのまま出発するぞ。まあ、その後軽く読んでたら書いてあったからぬぇーん」
「興味持ったんだ」
「まあ、こんだけ関わってたらな」
口ではそう言うヴァンではあるが、しかしどこか本心は別にあるような……別の目的があって輪書を読んでいるような、そんなどうしようもない不安感とでも言うのだろうか。心配のし過ぎ、杞憂で済むのならばそれ以上のことはないのだけれど、どことなくそんな空気を感じさせた。
——ヴァンは割と感情が表に出る。
将来、俺が輪書のように自らの人生を綴り残すことがあればこの文言は欠かせないな。
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