第二十七話/忠臣忠信

 見知らぬ城内を走り抜ける。


 視界をよぎっていく景色の流れ具合から見て、今の速度は時速六十キロメートル弱と言ったところだろうか。加速し続ける俺がどれだけ走り続けてもどこにも辿り着かない豪勢な廊下は右へ左へ蛇行を重ねており、もうずっと同じ場所を走っているように感じる。


 景色が変わらないために時間感覚が狂い始めており正確性は欠くだろうが、俺の自意識ではもう三十分以上走り続けているように思う。あの入り口の広間からどれくらい離れたのだろうか……だいぶ離れたような気もするけれど、しかしてどうしてだろうか全く離れておらず後ろを振り返ったらそこにはこの廊下に至るための扉が鎮座しているように感じた。


 俺の能力である〈ファストドライブ〉と全く同じ能力を父は有していた。更にその父も、そのまた親も〈加速〉の能力を有していたと言う。

 つまりこの能力は我がステップ一族に継がれ続ける能力であり、父は俺がこの能力を継いだ時には扱い方を伝えると告げた。しかしこの能力とヤハウェオブジェクトを継いだ時には既に父は生き絶えており、父の技巧を継ぐことは叶わなかったのである。


 故にこそ、識っているのはこの〈ファストドライブ〉の名を賜った能力が"自身の肉体内部を皮で隔てられたまた別の空間として定義することによって体内を別の時間軸で動かす術である"ということだけだ。南都に来るまでの数日の間にユリウスさんから聴き及んだ彼の結界に近しい部分があるように思うが、その真意は今はもうわからない。


 この能力の弱点は大きく三つ存在する。


 一つはどうしても疲労が速いこと。第三者的視点で見れば素早く動いていることになるが俺からすれば周りの動きが遅くなる——経過時間はこちらが長くなり、長期間の戦闘には不向きであることが挙げられる。


 二つ、一定以上の加速を行えないこと。俺の能力は自分では制御出来ない時間経過と共に加速度が増していく性質を持っている。が、しかしある一定以上の加速を行うと肉体が持たずに自壊を始めるのだ。中身との差異が大きくなり過ぎるのだろう。時間で言うと三十分……一度も加速を切らずに使い続けるならば、そこが限界点だ。


 三つ目は即時的効果ではなく遅効性の毒のようにジワジワと寿命が削れていく。当たり前だろう、結局のところ体内の経過時間は他の人よりも経っているワケなのだから。


 さて。では問題点を提示したところで、今俺が陥っている状態は伝わったことだろう。

 俺は加速を停止して、壁に背を預け腰を落とす。膝を曲げ、抱えて腕の中に顔を埋める。


「疲れた……」


 幼少期から鍛えてはいるのだけれど、十年を超えてそれを見届けてきた父は「お前は短距離選手なんだろうな」と言っていた。そして続けて白身魚と赤身魚の話をしてくれたんだったか……白身魚は筋収縮が速く瞬間的に強い力を出せるが反面、疲労が激しく持久力に欠ける。逆に赤身魚は筋収縮が遅いぶん瞬間的な力は発揮できないものの疲労しにくく持久力に優れる。

 つまり俺は白身魚なんだね、なんて話をしたんだっけか……懐かしいな。


 懐かしいついでに今まで辿って来た方向へ目を向けて、口を締める力すらも失ってダラリと又はあんぐりと口を開くことになってしまった。絶望とか諦めだとか、そういったジャンルの精神マインド。簡単に使って良い言葉ではないけれど、今のこの状況ならば使ったところで何を言われることもないだろうさ。


「サイアク」


 辿って来た……確かに進んできた轍のあるべき道筋には開けっぴろげられた扉があり、その奥には俺がこの空間に入った時に放り出された広間がいけ好かない隣人みたいにいやらしい顔で鎮座していたのであった。豪華絢爛、絢爛豪華な大広間。この広さの広間なんて四方都市じゃまず見られない、央都の上層部が持っているかどうかってレヴェルだ。


 その中心に横になって菓子を貪る人影を見たのである。

 そそそっと気付かれぬよう音を殺してしゃがみ歩きで扉の近くまで移動して、物陰に隠れながらも耳を澄ませる。ガサガサとバスケットの中から美味そうなドーナッツを取り出しては二口三口の内にペロリと平らげるその人物は変な歌を口ずさみながら時折り何やら口にしていた。


「安全圏から煽るの気持ち良すぎッスわ〜。あーあ、姉御も早く到着しないもンですかねぇ……久し振りだなぁ姉御と会うの。ドゥビドゥビチャパチャパピキピキドゥブドゥバピチピチドゥビドゥバドゥードゥードゥー」


 銀の短髪は短く刈り込まれており、肌は太陽を知らないのではないかと想像してしまうくらい白い。背丈はあどけない少女のように小さいにも関わらず、声は立派な大人の男性のそれである。違和感は拭えないがそういう人間もいるだろうと納得できない絶妙なライン上に在るのがどうにも腹立たしいバランスの良いアンバランスな存在。


 まず間違いない点としてあいつが本体だろう。

 どうすれば良いんだ、これ? このまま忍んで進めば暗殺できるだろう……そう見える程にだらけていて、何を思わぬまでもそう思える。だろうけれども、本当か? 今まで戦って来た奴ら、ヴァン・アストライア、その後に戦って来た人らを総合してだ——俺の甘い考えが直で通じた奴がいたことか?


 否、否否否。

 一人だって居なかった。

 そんな人は、ただの一人ですら存在しなかった。


「ふぅ……」


 ひとつ深く呼吸する。吸う時は素早く肺を満たして、吐くのは慎重に時間を掛ける。

 左腰へ手を回し、左手では鞘を抑えて右手で柄を握る。慎重に音もなく立ち上がって物陰から部屋へと入ろうと腰を浮かしたその瞬間であった。


「トゥ!」部屋の中央、人影の丁度真上から見慣れた出立ちの人物が謎の掛け声と共に出現する。「ヘァ‼︎」


 堂々たる立ち姿が何処からともなく風が吹き、コートの裾がたなびいた。中央のだらけていた人影がそんな新規の侵入者の姿を見るや口角を緩ませ、目は緩冷期の太陽が如く輝いている。さながら憧れの騎士を見た少年の様子だ。


「ん? あれ? 何でお前ここにいんの?」


 堂々着地し、人の気配を感じてか振り返ったヴァンが中央の人影に話し掛ける。その語り口は敵愾心剥き出しのいつも行手を阻む者にするような苛烈な言葉ではなく、旧知の人物に話し掛けるような穏やかでたおやかな優しさを内包した声であった。


「そりゃ勿論、姉御の手伝いのためですよ〜」


「え、何? 照れる〜」


 デレデレした甘ったるい声での中央の人影からの返答に、ヴァンが小馬鹿にして返している。貴族の茶会もさながらの緩い空気感。

 何を見せられているのかと違和感のようなものが心につっかえて居心地の悪さを感ぜさせる。嫌なものを見せられているような、大切に育んで来た野菜が不定形のヘドロじみた料理に仕立て上げられたような……愛情込めたものをぐちゃぐちゃにされたような最悪な気分。


「………………ハッ…………」


 呼吸のしかたを忘れ去った肉体が、空気を求めて喘いだ。


 ——裏切られた?


 そんな言葉が脳裏を駆ける。

 あの町で意味不明な理由で敵方を裏切り、掃除屋を撃滅して、イワミ町で追跡者を撃退、山脈超えを達成して、俺を南都へと導いた。そしてサウロさんと再会させてくれて……それで、央都の中央はブルーマーガレット中央大聖堂への道筋は組み上げられた。俺の、明確なのは出発点と到着点だけが明確で道中が曖昧模糊な旅路に一本の明々快活な筋道が導き出されたのだ。


 そこへ導いてくれた旅の仲間であるヴァンが……どうして敵と仲良さげに話しているのだろうか。何だか頭が一杯一杯で考えが止めどなく、怒涛の如く溢れ出すせいで考えがまとまらない。そんな中でも耳から否が応でも流し込まれる広間の二人の声が更なる情報の濁流となって俺の喉を詰まらせる。


「何してたんだよお前。つか、てっきりあの時死んだもんだと思ってたわ。生きてたんね、おめー」


「そりゃあ、姉御が死ねと命じればこの命は花火の如く。緩冷期の夜の空に大輪の大火を咲かしに咲かしてやりますがね、姉御に言われぬ内にそこいらで野垂れ死ぬ愚は犯しませんとも」


「駄犬じゃないことが証明されたな、グドゥグドァ」


「ウスッ」


 グドゥグドァというらしい男は不可思議極まることにヴァンのことを姉御と呼び、そして滲み出る忠誠心でヴァンに曖昧な笑みを浮かべさせていた。強いな、とグドゥグドァのメンタリティを内心で若干の賞賛をしてはみたのだけれど、しかして今の俺はそんなことをしている場合ではないと被りを振って一つ呼吸を置いてから身を起こして堂々たる姿で大広間へと足を運んだ。


 加速はせず、柄にも鞘にも手を掛けず、身を隠さずに走ることもなくに進んでいく。心臓は命の危険を感じて警鐘をうるさいまでに鳴らしており、耳から内臓がまろび出るのではないかと心配になる。

 そうも堂々歩き入れば気付かれないのも無理はないだろう、ヴァンは大広間に入って三歩目を踏み出した辺りでバッと勢い良くこちらへと視線を向けて、その動きに一瞬ビクリと全身を震わせた後でグドゥグドァも彼に続いた。


「お、ソウル無事だった? 怪我はしてない? ご飯食べてる? お母さんもー心配でぇ。ほら、これ家に置いて行った服、持ってきたから」


 言いながら、ヴァンは両手を軽く広げてふざけて"一人暮らしを始めた息子の家に唐突にやって来て頼んでもいないのに大量の服を持って来た母親"の物真似をしながら距離を詰めてくる。ふざけてくるのは割といつものことだし、特段怪しくもない行為のはずなのに色眼鏡を掛けて見てしまってそれすらもいつも通りを装っているに過ぎず……なんて、嫌な想像が湧いて出てくる。


 そうだ、あの日だってそうやって俺の日常は焼却されたんじゃないか。父も母も、俺だって信じた彼に殺された——ならば、そういう手口もあるのだ。穢らわしい暗殺者であるヴァンがそんな手口を使わないだなんて甘えは捨てろ。


「ヴァン……」


「ん? 何ぞ?」


「彼は?」


「ああ、あー……」


 俺がヴァンに手のひらを向けて質問すると、ヴァンは脚を止めてどう答えたものかと熟考していますと言わんばかりに言葉を詰まらせて眉間に人差し指を指した。


「何と言ったものかなぁ。相棒ってんでも無けりゃ仕事仲間って感じでも無いし、かと言って無関係でも無いんだよなぁ………………強いていうのならば、ペット。的な? ニュアンスの何か?」


「……へ? ぺ、ペット?」


 思いもよらない返答に、ついつい緩んだ返答をしてしまう。

 すると、広間の中央で姿勢正しく座り直したグドゥグドァが俺に対して厳しい口調で投げ掛けてくる。


「おい、お前! 姉御に対して何だその失礼な態度は! 死ぬか? 死して償え」


「黙れグドゥグドァ。グドゥグドァ黙れ」


 が、しかし即座に上体を捻って振り向いたヴァンに指を指して静止される。


「グドゥグドァお前さ、今俺はこいつと契約している訳だ。そしてお前は今こいつに対して無礼な働きをした。それは即ち契約関係にある僕とて同じ扱いをされたに等しいとは思わないか? お前は自律思考がアレなだけで馬鹿じゃない、わかるな?」


「……わ、ワァ…………すみませんすみませんすみませんすみませんすみませんすみませんすみませんすみませんすみませんすみませんすみませんすみません死にます」


「死ぬな迷惑だ」


「死にません」


 何を見せられているのだろうか。

 そう、思わずにいられるものだろうか。いや無理だ、どんな聖人君子であろうとも目の前で行われているこの漫才を唐突に見せられれば「俺はぁ、今ぁ何を見せられてると?」とならずにはいられない。


「すまんね、ああいう子なのよ」


「いや全然いいんだけどさ……ヴァン、彼がこの空間を作ったんじゃないの?」


「まあ、十中八九そうだろうな。おいグドゥグドァ! 僕と彼、二人を外に出してくれ」


 叫ぶと、広間の中央のグドゥグドァはあからさまに首を捻り頭の上にハテナを浮かべてフリーズしてしまった。見た目だけは幼い故、絶妙に可愛らしく見えるのがいやらしい。


「え? あ、そうですよ。姉御! 俺はそこの彼を姉御が殺しに行ったから〜って手伝い的な感じで依頼を受けたんですよ。なのに、いいんですか? 裏切っちゃって」


「……あー、そういうこと。成る程成る程。お前、こっち側に着く気は?」


「俺は常に姉御の側に着きますよ。今だっててっきり姉御の側だと思って参入しているに過ぎませんしおすし」


「……てな感じなんだけど、如何せむ?」


「如何って言われても……取り敢えず出してもらっても?」


「だ、そうだ」


「了解であります!」


 言うが早く、一息吐いた次の瞬間には執務室の扉の前に俺ら三人は立っていた。

 一階からの異様な圧力に驚いて振り返った刹那、俺の腰に吊された鞘から抜剣したヴァンが駆け出したのである。俺が唖然としている内にヴァンは床を蹴り、手すりを蹴り一階のその威圧感を発する何者かに対して単身攻撃を仕掛けて行った。


「グドゥグドァ! ソウル、死守」


 手すりを蹴り落下する最中、そんな指示が飛ばされたことでグドゥグドァは手早く動き俺を執務室の中へと押し込んだ。

 ヴァンが俺の腰から剣を抜き取ったのはそれだけの刀身が必要だったためか、あるいは……。

 無粋な詮索は、やめておこう。

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