第二十五話/跳梁跋扈

 三方上下を囲む冷徹な石の壁。眼前には鉄格子が嵌め込まれてられており、見るに左右に廊下が広がっているようだ。壁に掛けられたランタンの灯りが、そう告げている。


 だが、まずは落ち着いて、そそっかしく鉄格子の外へ逃げ出すのではなく一度ぐるり牢屋の中を見回してみる。左手側には簡素な二段ベッドがあり、右手側にはトイレと机椅子のセットが置かれている。天井にはランタンがひとつ吊るされていて、床は脱走防止措置のためか壁材と同じく石造りのようだ。


「いたんですか」


 そうして見つけた先住民へ警戒しつつも声を掛ける。右手側のトイレにズボンを下ろさず履いたままで脚を組んで座るバスケットハットの男へと。


「カカカッ! 心外だな。いやさ、このような不条理な状況に叩き落とされたのだから仕方がないというかヤツか。私とてこの不条理を受け入れるには相当の時を要したものだ」


「……どれだけここにいるんですか、貴方は」


「む? わからぬさ、変化を伴うものがこの場にはないのだから。時が流れる感覚など潰されるというもの」


「です、か」


 嘘は言っていないように見える。嘘を吐いていないのか、嘘を嘘とも思わず語ってみせたのかはまるで知らないが……どちらにしろ、ここは先にこの場にやって来たらしいアンテノール氏に情報を求める他にない。


 しかし、僕と彼でこの牢獄へ転移された際に発生した時間差は一体何だ? 先に転移していた彼が転移対象で僕はあくまで巻き込まらただけ、とかだったらわかりやすくてこの上ないのだが、この男が狙われているのだとしたらあんなに堂々と街を歩けるだろうか? いや、まあ僕も犯罪者であるにも関わらず街中を四方八方へ東奔西走していたので自分に出来ることを他人に出来ないと言うのはいささか傲慢チキな感じがするけれどもね。


「取り敢えず、出るか」


「では、私も追随するとしようか。何かあったとしても何も出来ないが、ここに残るより君といた方が安全そうだ」


「守りはしないぞ。いのちだいじには僕自身にだけ適用される」


「構わんとも。私とて私を守れとは言わぬさ。守り、そして君が死んでしまっては何の意味もない」


「……? 貴方が生き残るだろう?」


「自己防衛手段を持っていないんだ、次手でやられる。この場合、ティアで言えば君の方が格別に上だ。万一の場合、私を盾にすることをも許容しよう。共倒れなんてのは馬鹿のやることだ」


「………………強いな、アンタは」


 牢の扉から頭を出して廊下の左右を確認する。

 右はすぐに壁があり行き止まりのようだが、左には歪曲していて先が見えないが登り階段があるようだ。進む道が一本であるならばあの階段を登る他に選択肢はあるまい。

 一応罠の類いに気を張りつつ石畳の廊下へ踏み出す。


「無論、私とて死を望んでいる訳ではない。——が、しかしだ。私という人間は意思が確信にある奴でね、この意思さえ次世代に継がれるのであれば特段これと言った支障が発生しないのだよ。生きていたとしても死んだとしても、私という人間の生死よりも考えが生きていることこそが重要なのさ。生命ではなく、思想だ。そして、この考えを一人……取り敢えずではあるが伝承してある」


 廊下の石畳に不審な音の反響は見受けられない。それは床下に空洞が無いこと、罠を巡らせる隙が無いことを示している。


「格好付けるのであれば、年長者は身を張って年少者を守るものだからね。強さではない。野放図に等しいのさ」


「思想の継承……ですか。確かに、自分の考えを繋いでくれる人がいるのならば、命として死んだとしても人としては死なないですもんね」


「ほぅ? 見てきたように言うね。わかった風を装った学徒とは違う、深みのある物言いだ」


「ある意味では、僕もその一端を担っている存在だからですかね」


 アストライアという血と、熊狩りに起因する技。

 彼の言う理論を思想から技術に置き換えれば、アストライア家はそれを何代も重ねてきた存在なのだ。


「思想って言うのは、あの言ってた教会への不信感というヤツですか?」


「む? ……いや、そうだね。こんな場所だ、包み隠さず話してしまうには最適か」


 階段を登って行く。

 一本の柱を回る形の螺旋階段のため不意に上から降りてくる者があったとしても発見が遅れる可能性が大いに考えられるが、このような閉所であればこちらの有利に働いてくれると信じたい。


「君は聖典を読んだことがない、と言っていたね」


「はい。勉学に勤められる産まれではないので」


「では、簡単に聖典の内容から話そう。聖典が蒼教の頒布する啓発本であることは知っているね」


「はい、その程度ならば」


「善し。聖典は大まかに分けて五つの内容にわかられるのだ。ひとつ、ネボアシズムという思想について。二つ、ネボアシズムでの心の持ち方について。三つ、人と人の可能性について。四つ、これはあくまでイチ考えでありこれだけが真理ではないこと。五つ、可能性のその果て——覚者について」


「可能性……ですか」


 その果ての覚者。

 ヤハウェオブジェクトから与えられる能力と、能力保有者という存在。


 そういうことだろう、つまり。聖典の記述者らしいケリィ・キセキも能力保有者だったのか、あるいはケリィ・キセキの付近にも能力保有者がいたのだろう……そうすると、どうなる? ケリィ・キセキなる存在は、一体全体僕らにどのような影響をもたらすのか。


「教会はこれら聖典をケリィさんの日記帳と位置付けたけれど、可笑しいと思わいでか? 日記であるのならば、こんな書き方はしないだろう。自分の思想を語り、人について思考し、人の可能性を夢に見て、全てでないと保身をするか? そんなもの日記の書き方ではないだろう! 日記のように過ぎ去っていく日々を書き連ねている訳ではなく、自らの考えと夢見る未来を綴っているのならば——それは兵法書の方が近くはないか?」


 周囲を警戒しているが故に彼の顔を覗くことは出来ない。けれど、語気の強さからこれが戯言の類いではなく真実、彼が心の底から思っている思想だと断ぜられる。


「そりゃ、解釈次第なのでは?」


 だが、敢えて僕はここで固定された考えがない——それこそ聖典の四章に書かれている[これはあくまでイチ考えでありこれだけが真理ではないこと]を盾にして曖昧に返してみる。


「解釈次第か」確かに、とカカカッと盛大に笑うもどことなく嘘っぽいアンテノール氏。「しかしだ、著者が在る以上解釈とは極一されるはずだ。書き手が記述する際に頭を使わない無能ならばいざ知らず、彼ならば書き手として解釈を画一固形にしている。誤解の隙を与え逃げる狭間を与えて尚、ケリィさんは自身の思想を一本の刀として持っている。大体、そうでもなければ聖典なんてネボアシズムなんて確立しないだろ。『しない』はずが『ない』。『する』はずだ。いや、『する』んだ。……すると、解釈あるいは解体方法はただのひとつに搾られる」


 言わんとすることは、わかる。

 書き手——つまり向こうに人がいる以上、そこには意図が組み込まれる。これは全ての事情に通ずるものであり、例えば熊を狩猟したとしてその熊を解体する時に肉を食べやすいようにと注意を払えばそういう風な意図がその熊の肉には組み込まれ、例えば人を殺す際に復讐心から殺人を行ったとなれば復讐という意図が組み込まれる。

 行動と、それに追随する意図もしくは行動理念。

 彼が言わんとしたことは、つまり、聖典もまた人の創作物であるのならばそこには著者本人の解釈があるはずだ。そういう話である。


 真っ当な意見だと思う。この上なく。

 けれども、もしそうだったとしてもそれをどう確かめるのだろうか? もう既に存在しないケリィ・キセキの意図をどう証明するのだろうか? 本人がいない以上、結局今の僕らでは考察推論以上の行為を聖典に対して行えるワケではない。すると、決定的なイチ解釈なんて取れはしないのではないだろうか?


「でも、そうだとしてもですよ。ケリィ・キセキに答えて貰いようがない以上、確かめられはしないでしょう?」


 僕は胸に浮かんだ疑問を言葉に乗せて質問する。


「いや、答えて貰えたとしても確かめようはない」


 アンテノール氏はバッサリと、積み上げてきた前提を破壊した。


「例えば君が今し方した質問、その意図を答えろと言われたとしよう。そして答えたとする。けれどその答えは質問した時とは別に、思い出すという一度別のプロセスを踏んで、その上で言葉に変換するシステムを使用しなければ伝えられない。すると、だ。二度に渡って捻れた意図は更に受けての解釈により別のモノへと着陸する。要するに、書き終えたケリィさんでは書いているケリィさんの意図を十全に語れないし、例え聖典を執筆している最中のケリィさんであったとしても胸中にさざめく霧を言葉に乗せた以上想いは捻れて伝わってしまう。居ても居なくとも変わらぬさ」


「じゃあ……」


 組み込まれた意図をどうやって識るのだろうか。

 階段を登り切って、大部屋に出る。閉ざされていながらも狭さを感じさせない程に広々とした円形の部屋は、見回しても人の気配を感じない上に人影も見受けられない。壁に掛けられた篝火は部屋全体を照らしているにも関わらず石造りの室内は冷えている。衣服に包まれている腕や脚といった身体とマフラーで包まれた口元は寒さを感じないが、いかんせん隠しようのない目元はいささかの寒さに凍えた。


「それは単純な疑問だが、この複雑な問題から産まれ落ちた単純な疑問には曖昧な回答を返す他に道はない——」


 足元の石床を踏み締めながら罠の有無を確かめながら歩を進めていくけれど、ここもまた牢や廊下、階段と同じくそんな感触は一切感ぜられない。罠も人も無い篝火ばかりの賽の城砦……一体全体、どんな理由でこんな場所が存在しているのか。


「——コフッ」


 咳き込む声。液体が撥ねる音がする。

 背中から聞こえてきた不穏な音に脊髄反射で振り返って見てみると、背後を歩いていたアンテノール氏の胸の中心から鈍色の刃が突起していた。そんなアンテノール氏の更に後ろに、笠と口当てで顔を隠した何者かの姿がある。


 僕が振り向きアンテノール氏の血塗れた姿を脳味噌で処理したその刹那、胸中一点を貫いた刀身がぐるりと半周捻られ切られて上向きになった刃は、背後の何者かが棟を肩に当てて担ぐようにして力を加えたことによって切り上げられて行き、終局、肩口へと切り抜いた。

 舞い降りる鶴翼の如き、優美な技。

 不気味に輝き、乱反射した光が空間を歪ませている刃には斑模様で気色の悪い波紋がびっしりと刻まれている。


「————マジか」


 袖口からナイフを取り出し、警戒しながら何者かから距離を取る。二歩、三歩と脚を後退させながらも何者かを視界に捉え続ける。

 納屋の奥に何十年も放置されていたようなボロボロの笠と、右半身に焼け跡が残る和装。腰に鞘が吊るされており、背にも鞘が吊るされている。しかし背の鞘には未だ大太刀が納刀されており、今その手に握られているのは腰の刀であると見てわかる。


 焼け崩れた服から本来覗くはずの素肌には薄汚れた包帯がぐるぐると巻かれており、その包帯は顔の右側面にまで巻き付けられている。口元も布で覆われているために、伺えるのは左眼の付近だけである。

 しかし、そんな左眼であるにも関わらず、その瞳は白く濁っている。とても像を映すようなものではないだろう。


 で、あるにも関わらず——あのように流麗な暗殺をやってのけたのか。よし、奴の名前は今日から包帯人間Xだ。

 ズズッと静かな空間に布が擦れる音がした。

 何者かが振り返り、僕を見る。


「血河に染まる修羅が二人——」


 一瞬の内に距離を詰め、右腕を狙って放たれた剣戟の中で刀の腹をナイフの剣尖で撃ち迎撃する。そして確信した、この刀が超常のモノであると。

 武器の破壊を狙って撃った……平常の武器ならば壊せた確信がある。それだけ的確に、そして破壊するにたる威力が手のひらで感じていた。だが壊れなかった。そんな武器の鍛造技巧を持っているのはヤツだけだ。


「——切り捨てるツ」


 しゃがれており聴き取り辛く、何より剣呑な阿修羅の声。

 何者かは大きく後方へ跳び退くと同時に大上段に構えを取ると次の一瞬には再度僕を刀の間合いへと巻き込んだ。回避は間に合わないとして、ナイフで受けても折られるだろうな……刀身も、腕も。肩が外れても可笑しくない。受けたら死ぬが、回避は間に合ったとしても追撃で死ぬだろうなァ。


 よしッ、格好付けよう。

 生きるか死ぬかなんだ、やってみる価値はありますぜ。

 両手を軽く広げて、バッチ来いと意気込む——その間も包帯人間Xの刃は僕の脳天目掛けて振り下ろされている——軽く息を吸い込んで、勢いよく吐き出してながら両の手を素早く打ち鳴らしす。パンッと心地の良い音が鳴り響き、僕の身体をギリギリ包む程度の極めて狭い範囲を白く曇った薄い膜が張られる。外と内とを別つ結界——ユリウスの【ジャッジメント】だ。


 包帯人間Xが振り下ろした刀はこの膜に阻まれたらしく、こちらからは観測出来ないがガインッと石でも叩いたような音が向こう側から聞こえてきた。それを合図に僕は結界を解除し、目の前にいる包帯人間Xの顔面を右手で鷲掴みにする。同時に刀を右肘辺りに仕込んだナイフで受けて、体勢を崩して後ろへと転んだ包帯人間Xをそのままマウントポジションで固定する。

 左袖からナイフを取り出して首筋、頸動脈のおおよその位置を予測して突き立てる。薄皮を切先が切り開き、筋肉を切開し、あと二センチ深く突き刺せば止まることを知らない血の濁流が吹き散らすことになったであろうに、包帯人間Xは刀を握っていない手で僕の手首を掴み、侵攻する刃を咳止めた。


「御仁……」


 包帯人間Xが先程の剣呑な雰囲気をまるで感じさせない声色で、語り掛けてくる。


「いや、お前……ヴァンか?」


「む?」


 まあ、おおよそ察しは着いていたというかワンチャン違ったらな〜くらいの気持ちで対応していたから……いや嘘嘘マジでかそんなことある? かな〜くらいは思ってたのはジャストフィットだとは思わなんだ。


「えーっと……テンケツ? どしたん話聞こか?」


「兎にも角にも手を離せ」


 ほいほいと返事をして頭から手を離し、ふと自分でもわからない何かに突き動かされ左手にグッと力を込める。相手は友人だ、別に殺そうだなんて思っての行動では決してなかったのだ——けれど、けれども——左手は僕の意識を保ったままに力が込められていく。


「後悔するぞ」


「………………」


 左手から力を抜き、刃を引き抜く。

 巻かれた包帯に血は滲んだけれど、それは別段大した怪我ではない。


「お前は修羅ではない。修羅ではないのだ」


 サッとナイフを振ることで刃に付着した血液を払う。

 そして、指の動きだけで袖の中にナイフを仕舞い込む。


「だが、お前の瞳の奥には滾る焔が見える」


 立ち上がり、テンケツから距離を取る。

 五メートルか、十メートルか。


「気をつけろ」


 僕は……首肯する。首を縦に振って肝に銘じると誓いを建てる。

 これにテンケツも首を振って返事をすると、立ち上がり、刀を腰の鞘へと戻した。こうして改めてテンケツの姿を見ると浮浪者とかそう言ったタイプの格好であるにも関わらず、どこか整然として剣聖だとかそういう類いの人間に見える。


「さてと」一息着いて、「どうやって戻ったものか」


 ここはどこでどうすれば南都へと帰還することが叶うのか。

 彼の死体はこの際どうでも良いしどうとでもなるけれど、今生きている僕の帰投をいかにして行うかにこそ思考すべきであろう。


「お前はどう来たのさ、テンケツ」


「俺を焼いた奴を追ってきた……つもりだった。あいつはソウル・ステップではないだろう? 彼はどうした?」


「あ? ああうん、ありゃソウルじゃないが……野郎がお前を焼いた奴なのか?」


「いや、俺を焼いたのはあいつじゃない方だ。だが、あれもまた俺を焼いた奴の片割れではある」


「その目、見えているのか?」


「俺とて修験道を歩む者の一人だ。この程度の知覚認識は心眼を持ってすれば見えずとも観えるものさ」


「ほーん」


 どういうこっちゃ。


「俺を焼いた奴を追って歩き、南都へと辿り着いた。追っているのが知られたのだろうな、人混みに紛れられた。が、しかし片割れを見つけた。殺したと思ったのだが、殺しきれていなかったのだろうな。しかも丁度お前との二人組だった故に……な。気付けばここだ」


「成る程ね。んじゃ、お前もこっからの出方は知らんのか」


「出るだけならば、敵う。が、何処に出るかまでは保証しかねる」


 さも当然と言わんばかりに平坦な口調でテンケツが言う。


「……いけんの?」


「瞞し斬りとて心眼の内だ」


「マジ?」


「嘘は好かん」


「何でもアリじゃん」


「無論、長き年月を清められた一刀あってこその芸当だ。妹ならばいざ知らず、中途で逃げた俺には刀あっての瞞し斬りしか出来はしない」


「充分よ」


「そうか……」


「ソウルが心配だ」


「では、切ろう」


 話が早い男だ。大好きだぜ、そういうの。

 テンケツは右肩の裏へと手を回し、背負った大太刀を抜刀する。黒漆塗りの鞘から抜き出されたのは腰の気味悪い斑目な刀身を持つ刀とは似ても似つかない、淀みも窪みも有りはしない銀兎色のそれはもう美しくも美しいいかなる美辞賛麗を持ってしても言い表せない表し難い長刀であった。


「そんなん、持ってきてたっけ?」


「知人のモノだ。借用してきた」


「ほーん、借用ねぇ。それ、使うもンじゃないでしょ? 飾りもんの刀なんてお前、嫌いじゃなかったっけ? そんな甘えは許さない〜的な」


 刀は肉を切り骨を断ち人を殺すものであるが故にこそ、刀剣を飾り物として作り上げ見栄えばかりを気にした物品なんてものは紛い物も甚だしい。本質を逸れた物体は偽物以下の紛い物だ、みたいな。

 そんなことを、テンケツは語っていた。

 殺しを生業にする僕が自分の刃が殺しに使われているのはどういう気持ちなのか、と問うたのにテンケツはそうして返答した。


「打ったのは俺だ」


「売ったの?」


「捧げたのさ」


「……道祖様のヤツか、まさか」


「ああ」


 何も、何も言わないさ。それは僕に都合が良いことで、それ以上でも以下でもないのだ。道端にほっぽられているとは言えども言えども言ったとしても、それでも願掛けする相手なのだ。旅路の安全を、安全な未来を。


 ははっ! 笑っちゃうね。

 清められたって……道祖様への捧げ物って意味かよ。祟られても知らないぞ、包帯人間Xテンケツエディションめ。


 テンケツは大太刀を右の手一本で握り、同じく右脚を引く。刃を肩の高さまで持ち上げて馬手を引き、逆の手の指先をなぞるように刀身に這わせる。

 腰を落とす。

 突きの構えだろう。


「——————」


 声ではなく、空気が吐き出される音。

 右脚が一歩踏み出されるのと刹那の違いもなくまるで完璧に調整された機械のように一切合切が突きの威力を上げるための挙動となり、白銀の一突きは大気を切り裂き穿ち貫き爆竹でも起爆させたみたいな炸裂音を掻き鳴らして放たれた。

 ピンと右腕が伸ばされると、続いて手首が捻られる。


 それはさながら南京錠のロックでも外すみたく、鍵穴に鍵を差し込む動作だとでも言うのだろうか——伸ばされた腕が引き戻されて、立ちくらみした時みたいに動いていないにも関わらず空間が捩れ曲がり捻くれて、僕は、見ず知らずの小路地に立っていた。

 隣にはテンケツがいる。


 一瞬の内に今自分がいる地点を脳内図から引っ張り出して最も近場の大通りへ頭だけを出して左右を確認する。左の防壁側は特段変化はなく人々がわいわいやっているが、何やら右側の聖堂方面は奥の奥の聖堂付近が少しばかり騒がしい。


「む?」


 背後のテンケツが声を漏らす。

 振り返るとテンケツが大太刀の刀身を見て神妙な面持ちをしていた。


「どうした?」


 僕の問いにテンケツは「いや……」と言葉を詰まらせて、


「心鉄が折れた。想定以上に硬かったらしい、あの霧は」


「弁償はする」


「いいから行け。聖堂だな? 俺はこれを埋葬してから行く」


「すまん、頼んだ」


 片手で手刀の形を取り精一杯の感謝を表した後で僕は大通りに溢れ出し、歩行者共を押し退けて突き飛ばして蹴飛ばして聖堂目指して駆け出した。

 走り出す理由は、修羅故か友情か。

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