第二十四話/密室質滿

「ソウルくん。君の目的であるヤハウェオブジェクトをブルーマーガレットに送るのには賛成だ」


 俺とユリウスさん、そしてフィフティさんと机を挟んだ向こうにいるサウロさん。執務室にて席に着き、お茶とそれによく合うお菓子をパクついていた最中に、ふと思い立ったようにサウロさんは口にした。


「だが、しかしねぇ……いくら君とて、ブルーマーガレットへと立ち入る権利は持っていないワケだ。うむ、私同様ね」


「……? 失礼ながら、エテラン様。ソウルくんはともかくとして、エテラン様すらもブルーマーガレット中央大聖堂へ立ち入る権利を有していらっしゃらないと言うのは、一体……?」


「それを、私に語らせるかい?」


「いえ、失礼致しました」


 ブルーマーガレット中央大聖堂は議会であると同時に、蒼教の教主邸宅でもある。俺はそれしか知り得ない——けれど、より高位にあるサウロさんであれば、ブルーマーガレット中央大聖堂を議会としての側面で使用するサウロさんであれば、より深くより抉る形で俺とは別の切り口で覗いているのだろう。


「では、どうすれば良いのでしょうか? サウロさんが預かってくれるんですか?」


「それは無理だな。こんなモノ……これ程のモノを二つも所持するなんて状況は、避けたい」


「そうですか」


「だから、紹介状を書こうと思う。うむ、さしもの教主様とて、四都の司教推薦を無視出来る程の権限は持ち得ないとも。うむ、面倒だが他の四方都市を巡り紹介状を集める……これが最も確率の高い賭けだろう」


「賭け……何ですね」


「教主様は全てを見ておられるからね。彼がいる以上は、賭けになってしまうだろう」


 サウロさんは言いながらも席を立ち、格調高い作業机に向かってサラサラと一筆入れた紙を三枚書き上げると俺の前へと差し出してくれた。他の四方司教に向けた此度の旨々が書き留められた紹介状と、央都はブルーマーガレット中央大聖堂への推薦書。


「すみません、ありがとうございます」


「いや、私に出来ることはこの程度でしか無いからね。うむ。このくらいならばやらせて頂くとも」


 俺に三枚それぞれを確認させると、サウロさんはそれぞれを別の木箱に封じるとその内から四方司祭に送るものだけに自らの名を入れることで何の気もないただの木箱をこの世に二つと無い(眼前に複数形で存在しているけれど)モノへと変質させた。中身を抜いて別の書類に書き換えるだけで、それはサウロ・エテランの名に於いて証明されるのだから責任重大だ。十代に背負わせる責任では無い。


「周るのならば一度央都を経由し北都へ向かった後、東都へ向かう方が安全ではあるが……うむ、そこはまあ自由意志というヤツだな」


 荷袋へ木箱を仕舞い込み、向き直る。


「この後はどうするんだ? 泊まる場所が無いのならば用意するが?」


「それは、ヴァンと相談して決めます。取り敢えずのところは一度南都を周ってみるつまりです」


「うむ、楽しんでくれ。ヴァンさんが帰って来たら、伝えておこう」


「お願いします」


 一度頭を下げてから、席を立つ。

 立場が上であるにも関わらず、サウロさんは部屋を出ようとする俺達に対して扉を開いてくれた。普通ならば従者がやるようなことを自ら進んでやる……権力者には珍しいタイプの人物であり、かくありたいと純粋な気持ちで憧れられる。憧れるに「〜することが出来る」の"れる"。


 短く「ありがとうございます」と感謝を述べて、部屋と廊下を分断する敷居を跨いだ。



     *奇しくもそれは、ヴァンが監獄に転送されたのと全く同じタイミングで*



「——————ッ‼︎」


 ドア枠を通り過ぎた刹那、踏み出された足が踏んだのは暖かみのある木張りの床材ではなく、硬く冷たく美しい磨き抜かれた大理石の床であった。瞬きはしなかったにも関わらず——その眼が記録したのは瞬きの間に変貌を遂げる景色であった。


 絢爛豪華な大広間。その豪勢さで言うのであればそれこそ先程まで居た南方聖堂に負けず劣らずではあるのだが、何と言うのだろうか……あちらは職人の手腕により静謐の中に樹木の木目などで淑やかな絢爛さを体現しているのに対して、こちらは豪快に金細工銀細工を局所に用いた上に三段にも及ぶシャンデリアの光で部屋全体を灯す下品な豪華さによって成り立っている。


 悪徳な金持ちが住んでいる邸宅のパーティー会場、と言えばわかるだろうか。央都の大商人の邸宅で執り行われるパーティーに父の付き合いで着いて行ったことがあるが、そのパーティー会場が丁度こんな下品な華やかさだったように記憶している。


 そんなことはいいんだ。

 問題は、まず間違いなく何者かの能力による攻撃であると言うこと。


 移動したのは、俺か場所か。

 俺の座標が動いていない場合、その能力はユリウスさんの能力のような結界型であると予想される。逆に俺自身が動かされている場合は、相手の能力は対象を瞬間移動させる能力——ということになる。


 前者か、後者か。

 後者の場合、あるいは何かしら制限があるのかもしれないがこのように何も無い開けた空間に転送するよりも例えば空高く中空に転送するなどの人間がどれだけもがいたとしても死ぬような状況に送り届ければ話は終わりだろうに。そうしないのは、出来ない理由があるのか相手の性格が悪いのかだろう。


 そうなると、まず一手で詰む心配が無くなる。

 前者の場合はこの空間自体に何かしらの力場が形成されている可能性があるため、それを見極める必要がある。取り敢えずの現状で言えばギラギラギラギラとガラの悪い装飾がシャンデリアの光を反射して目が痛いくらいのものだろう。


 極力身体を動かさない形で頭を動かし背後を振り返ることで、他の誰かがこの空間に入って来ていないことを確認する。誰の姿もこの目は捉えない。


 巻き込まれたのは俺だけか? では、あの場で俺だけが取っていた行為と言えば? 俺が取っていて、俺以外が取っていない行為は?


 ドア枠を潜る、か。

 ユリウスさんは唄と四股によって空間を形取った。ヴァンと出会う前に俺の命を狙って来た刺客の一人も空間作成系の能力を使用していたが、そいつは地面に円を描くことによって俺を閉じ込めた。


 空間作成系の能力の発動には、何某かの前準備——発動条件があると見て良いだろう。そうすると、この空間への侵入条件は南方聖堂の執務室の扉を潜ること。俺が消えたのを見れば続くユリウスさんは警戒して扉を潜らないはず。


「……やるっきゃない、か」


 意気込んで、腰の剣の柄に手を掛ける。

 瞬間、頸の産毛が総立つような気配に誘われて——未だ温まり切っていない能力ファストドライブで加速されるがままに、抜刀した。気配は背後。闇討ちか。これ程までに悪趣味な見栄えばかりの空間を作っておきながら中身がそれじゃあ、二流どころか三流未満だ。それに、世界の暗部にどっぷり浸かって水泳自由形で泳ぎ回るヴァン・アストライアではなく、ぬくぬく壁内で鳥籠の中しか知り得ないまま育った俺なんぞに必殺の闇討ちも見切られては世話ないだろうに。


 自慢げに自信満々で放った刃であるが、次の一秒に至る前にその手は無理くり引き留めることとなる。


「無事ですか? 無事ですね。何なら元気満々ですか」


 背後の気配は、ユリウスさんだった。

 申し訳なーい……面目なーい……。


「ユリウスさん……すみません。あ、フィフティさんは?」


「フィフティは申し訳ないことこの上ないですがエテラン様にお願いしました」


「成る程」


 妥当だ。


「状況は?」


「この部屋に来て以降、何の変化もありません」


「承知しました」


 短いながらも情報共有を行い、互いに互いの背中を預ける。空間は一見すると密閉されているようではあるけれど、能力なんてものに物体と同じ機構を求めても致し方ないだろう。何が起こるかわからないのだから、常に周囲へと気を張って、加速に加速を重ねていく。


 数十秒の静寂が騒がしく鳴り響く。

 一分に満たないまでもその四分の三は超えた辺りだろうか、あるいはそれ以上の時間が経過したその時、耳をつんざき兼ねない死にかけの鴉みたいなひび割れた声が作成された空間全体に響いた。


 響いた声は俺のものではなくユリウスさんでもない。また外にいるサウロさんでもフィフティさんですらない。


 即ち——

 この空間の作成者!


『あーあー……テステス。……んー、ちょっとピッチ高いか? ……あーあー、テストテスト。もうちょい? こんなもん? まあ、いっか』ハウリングハウリング、響いて崩れて聴き取りづらい。『ようこそ我が怨敵ッ‼︎ あと……え、誰? どちら様で? 何さん? 何でいるんだ……ピャー』


 ……何だろうか。

 あまり言いたくは無いしこんな考えも何もかもが褒められたものでは無い、ナイナイ尽くしの思い付きだが——勝てそう。そう感じた。


 だって……だって仕方ないじゃん。ああも声だけ禍々しいけれど中身が伴わない歪なモノを見せられちゃ、心の構えも自然とほぐれるというもの。これが狙っての行為ならば、それは拍手喝采では留まらぬ俺の完全敗北に他ならないけれど、この抜けている感じはどことなく本物感が漂っているように思えた。


『まあいいや、いいんだよッ! 兎にも角にも七十五節、やっちゃってくだせぇ! アズマジロさんッ‼︎』


 投げやりに、適当に、声の主人または部屋の主人は宣言する。宣言して、先程までは存在しなかった部屋の扉を気取った風にゆっくりと着実に開いてみせた。


 人ひとりが通れる程度の幅が開いたくらいだろうか……黒い風が一迅吹き散らすように駆け抜けた。黒いボロ布のような衣服を着装した【アズマジロ】が、一本の刃を煌めかせて輝かせて——向こう五十メートルを一息の内に走り抜け、俺の首元に刃を吸い込ませた。


 恥ずかしながらも加速を重ねていたにも関わらず、あるいは加速を重ねていたからこそ——その男の顔を見て、太刀筋を見て、動きが固まってしまう。懐かしむ程古い記憶ででも無ければ忘れる程に無印象で非印象で未印象な不印象な相手では無い。


 アズマジロ。

 ジャック・Jと共にイワミ町にて俺らを襲った張本人。


 成る程納得、あの時ヴァンが語った「弱い人間」……そのツケが回るにはいささか早過ぎる気もするけれどこれが俺が行った決断の結果というのならば、だ。


 ——ソウル・ステップ、未来を切り拓く。


 なんて、そうは言ってもしかしそんな因縁深いとまでは言わぬまでもまた浅いというワケでもないアズマジロの讐怨の一撃を防いだのは決して俺ではなく、その背中を守っていたユリウスさんであった。高速の抜刀による逆袈裟を執り行う刃の側面を殴り飛ばし、力に力をぶつけることで弾いたのである。


 素手で。

 握り拳で。


「……………ッ⁉︎⁇⁇」


 無論、斬れる。斬り裂かれる。斬り裂かれて、中指と薬指の又から手のひらの中央辺まで、深々五センチ程度切開した。切り開いた。未来を掴む左手を、切り拓いた。


 激突の直前に手首を捻って刃をユリウスさんの拳の方へと向けて、彼自身の力でその拳を破壊せしめたのだろう。嫌なやり方だが、そういう戦り方をする流派が北都にある。流転自重流……だったか。


「世界に対して私は問う——」


 斬り裂かれた左手。しかしユリウスさんは逆の右手でアズマジロの剣を握り、引き留め、詠唱を始める。


 同時に、コンマ〇・一にも満たない極めて短な一瞬こちらに目配せをされた。さてはて、ここで問題だがヴァンとはいくつもの死線の上でタンゴを踊って来た故にその瞳の奥に輝く水晶体に映し出される意味が何となく掴めるようにはなっているけれど、ユリウスさんとはあまり深い関係ではない上に一度として共闘した記録がない。故に、この場面で彼の瞳が結界内に入ることを推奨しているのか結界外へ出ることを語っているのか……どちらだ?


『ファーストインプレッション! 考えに迷った時はより生き残る可能性を選ぶのじゃ。次手の危険は抜きにして、今手の危険を回避しろ』


 ヴァンは語っていた。


 ならば、

 俺は加速を活かして一足で彼の結界形成範囲外へと飛び出した。そして、その選択はどうやら正解であったらしい。


「——揺蕩い、歪み、蝕み、眩み、明日を願う事すら許さぬ世界よ。

「篝火を守る使徒は何処か。

「魂に喝采を。

「真髄に平伏を。

「私は平等を求める者である。

「研ぎ澄まされた白き灰は、命の末路なりや。

「伝導者よ、迷える私を導きたまえ」


 堰を切った土石流のように、ユリウスさんは詠唱を完結させる。すると、円形ドーム状に湖畔に張った薄氷のような分離壁が形成され——そして消えた。パッとこの部屋に入った時のように、景色が変わるが如く眼前から消え失せた。


『え? は? な、なぜにホワイ?』


 空間からの声からして、想定外らしい。

 そんなんで良いのかよお前……ホントに、大丈夫?

 しかし、どうしてユリウスさんとアズマジロは……その二人を閉じ込めた空間は消え失せたんだ? 空間作成系の能力内部で空間作成を行ったことでの反応か? 反発とか、不覚性とか、あるいはマトリョーシカの限界性?


 取り敢えず、何はともあれ現状最大値の危険因子であるアズマジロはユリウスさんが持っていってくれたのだ。ならば、と俺はアズマジロさんが出てきて未だ残り続けている扉の奥に広がる廊下を見やる。


「攻城戦、か」


 気張って行こうや。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る