第二十三話/笑門来福
南都の舗装された道路は雪中を歩き続けた足にはどことなく違和感を覚える歩き心地であり、聖堂から大通りを巡った僕は近くにあったカフェに寄り一時休憩することにした。
当初の目的である服の買い替えは済ませたし、刃こぼれやらで切れ味が悪くなっているナイフを捨てて新しいナイフを買い足すのも終えた。縄も残量が少なくなっていたからもう一巻き買っておいたからしばらくはもつから……買い物は見事に完遂したというワケだ。
カフェではいつでも逃げや戦闘姿勢が取れるようにバルコニーの席に座る。嘘だ、逃げや戦闘を考慮しての行動などでは無く、ただバルコニーの席の方が街を堪能出来ると思っての行為だ。格好付けちまったぜ、テヘペロ。
卓上に置かれたメニューに視線を落とす。なかなかの額だが安価なナイフと同程度の値段だと考えれば安く思えるからそう考えて逃げ切ろう。
パッと見た感じ、選ぶならば店のおすすめと書かれているゆるふわスペシャルパンケーキか単純に響きが美味しそうなフォンダンショコラバナナケーキの二者択一といったところか。金額で考えるならば比較して六百七十モンク安いゆるふわスペシャルパンケーキだが、今の僕が心の底の底から渇望しているのはフォンダンショコラバナナケーキなのだ。財布に合わせるか、自らの欲望の下僕となるか。
「教えてくれソウル。僕はどうすればいい」
『両方だ……両方食べればいい。それが一番イージーな答えじゃないかな? ヴァン』
お前は……心の中のソウル。
だが、ソウルはそんなこと言わない。
「くぅッ」
駄目だ、これじゃ自分自身を騙せねェ!
時間が掛かったから結論を言ってしまおう。
「すみませーん」店員を呼んだ僕は、「ゆるふわスペシャルパンケーキを」
自身の財布の中身を取った。
後悔はある。未練もだ。
しかし、今ここで六百七十モンクを無駄に使って、後々になって欲しいものがあった時に買えないなんてオチに陥りたくはないなのだから……仕方ないのだ。仕方ない仕方ない、致し方ない。どうせどちらを選んだとしてもあっちにしておけば、という考えに身をよじることになっただろうし気にしすぎても生産されるものはないのだから切り替えていこうそうしよう。
切り替える。話題探し。
そんなことをすれば真っ先にやってくるのはつい先程サウロのおやっさんに云われた言葉だ。履歴が最近だから、遡る際にぶつかってしまう。
『西方聖堂を焼いたのは、どのアストライアだ』
だとさ。
焼け崩れたってのは知っていたし、人為的な時間であることも風の噂で知ってはいたけれど……アストライアに限定されるのはどういうこって、的なことを質問してみたけれど『君じゃないのならばいいのだ』とかなんとかいって知らんぷりされちゃったよ。何なんアイツ? コミュ症なの?
「ダルシム、ダルシム」
西方聖堂の火災……もしもあいつの言を信じて犯人をアストライア一族にサボるのであれば、時期からしてたった一人に絞ることが出来てしまう。そしてそいつがそのような意味不明な行動に出るか否かを審議すると、アストライア一族全会一致で肯定するだろう事実は想像に難くない。
——ヴォルデ・ダ・アストライア。
アストライア一族壊滅の一端どころか九端程を担っている最悪に次ぐ災厄。
この不快で腐海で面倒な仮定を共有するかどうかはまあしないで最終結論にしたとしても、どうにかこうにかしてヴォルカスにケジメをつけさせないとならんよなぁ。さてはてどうしたものか。
まず第一に奴が現在どこにいるのか、何をしているのか、また生きているのか死んでいるのか、更には僕の知る野郎の顔のままであるのか一切合切が謎に包まれている。ケジメをつけさせたいが、つけさせるにしても本人に会わなければ話しにならん。
面倒だな、考えんとこ。
「すみませんお客様」
「あっはい」
頭を空っぽにして数秒もせず、僕の頭の中を読んだが如きタイミングで店員から声を掛けられた僕は若干驚いて凄まじい速度で店員へと視線を移動する。
「店内が大変混み合っておりまして、お客様がよろしければ相席という形を取らせていただきたく……」
「ああ、全然。構いませんよ」
答えながら店内へ目をやると、確かに空いている席はぱっと見見当たらない。先刻までそれ程混んでいたようには思えなかったが、昼時も近いし、人の流れなんてものはそんなものか。
僕の肯定を受けて店員はどこぞで待たせているであろう相席相手の元へと去っていく。しかし、そこに立て続けに「お待たせしました。こちらゆるふわスペシャルパンケーキでございます」と別の店員が料理の提供にやって来る。
卓上に置かれた白の円形の皿には狐色に焼けた厚さ四センチはあるであろうパンケーキが乗っており、スノーシュガーとメープルシロップに蹂躙されたそれは凍える外気に反応して湯気を発している。ナイフとフォークも受け取り、では早速頂こう。
「いただきます」
と述べてパンケーキにナイフを入刀するそんなところで、
「こちらの席です」
先程相席の相談に来た店員が、相席相手を連れてやって来た。
相席相手は案内をした店員に対して「どうも」と、一言告げると僕の向かいに腰掛けた。続いて、「失礼をば」と僕に対して軽く会釈をする。釣られてこちらも軽い会釈を返す。
言葉は無い。
所詮は相席相手というだけ。居酒屋でもないとなるとこんなものかと思い、止めていたパンケーキの切断作業に取り掛かる。柔らかく刃はすっと入っていくにも関わらず、確かな反発がナイフを通じて手のひらで感じられる。まるで人を刺している時の様だ、と洒落た言い回しをしようかとも考えたのだけれども、人を刺した時の方が入りも反発も強いのでこの比喩は使い物にならんな。
チラッと……相席相手を気付かれぬよう観察する。一目見た印象はバケットハットを被った色白の青年、だろうか。いや、歳若く見えるが青年というにはやや老け気味かな? 三十中盤辺りと見た。いやはや、掴みどころが無いというか、手からすり抜けて落ちていくような——個性が無い……のか? そうだな、特徴らしい特徴と言えば鋭い瞳くらいなものだろうか。安全……と見て問題ないか。
「ウェイター! コーヒーを!」
メニューを一瞥した相席相手は、少し離れた位置にいる店員へ少しばかり大きなな声で注文をする。無論、あまり褒められたモノでは無いその注文方法に周囲の目は集まり、相席などするべきではなかったと思ったり思わなかったり。
「君も飲むか? 無論、奢るとも」
「あー……じゃあ、飲みます」
「二杯頂こう!」
これを聞き届けた店員が店の中へぱたぱたと走り去る。
「でも、どうして奢ってくれるんです?」
「義理人情というヤツだ。君が相席を承諾してくれなければ私はこのカフェを使用するに至らなかった。感謝・義理を感じ、またそれに報いるには充分だろう」
「はぁ……そうですか。ではありがたく」
中身が濃い味の奴かぁ〜。
面白いっちゃ面白いんだろうけど、一時の休息を願って来たカフェでは会いたくなかったなぁ。
「名乗っていなかったな。私はアンテノール。アンテノール・オルドルだ。ほんのため息のようなひと時にはなるが、よろしく頼む」
「え? あ、うん。よろしくお願いします」
差し伸べられた手を、意味がわからぬままに掴んでみる。人のモノである。生きている人の温かみを、その手からは感ぜられた。人肌の温もり——温度で言うと三十六度ちょっと。平熱ですね。
名乗られた以上、名乗り返すのが礼節というものだろうが知ったことではない。そそくさと握られた手を離した後で再びフォークを掴み、パンケーキを適当なサイズに切り出して口に運ぶ。八等分に分割したパンケーキの内、二切れ目を食べ終えた頃に相席相手のアンテノール氏が注文したコーヒーが届いた。
コーヒー豆は比較的温暖な南方でしか育てることが出来ない高級品である。他所で飲もうとすれば一杯でまず万は超えるだろうに、生産地だからと言っても八千ちょいするコーヒーを奢るとは……驚きだよね。
「初めて飲みましたが、美味しいですね。香りが良いと言いますか……」
「わかるかい? イイネ、君は。そうなんだ、コーヒーの最もたる推しポイントは鼻に抜ける気品ある香りだとも。紅茶とは異なる気品。それは表立った蒼教のような気高さではなく、宵闇に蠢くような陰の気品。そうは思わないかい?」
「まあ……わからないとは言わないでおきます」
「曖昧な言い方をする」
カカカッと機嫌良さげに笑うと、アンテノール氏は手元が暇したのか卓上のナプキンを手に取り結き始める。僕はそれを眺めながら貴重なコーヒーの香りを楽しむために口の中で黒い液体を転がす。
芳醇な香りが口から鼻に抜けていく。
「時に君は、どこから来てどこへと向かうつもりなんだい?」
何てことない日常会話のように言うと、アンテノールはか再びカップに口を付ける。
「どうして、僕が旅人だと思ったんですか?」
「……? そりゃ、君……そんな格好、日常的にはしないだろう? 近隣の町でここに来るにしても、そう厚着はしないとも。考えられるのはどこか南方以外からやって来て、またどこかへと旅立つ——そんなところだろう」
「それもそうですね。こう暖かいのなら、これ程の厚着はしませんか」
カカカッ。
アンテノール氏が快活に笑む。
「さて。君の話を一笑に伏したところで、だ。少し内緒話でもしようじゃないか」そう言いながらも男は背から首から反り返らせて、見下すような目線で語り始めた。「君は……蒼教というものに対して不信感を感じはしないかい?」
「不信感? 教会に対してですか?」
「ああ。教会……あるいは聖典である臨書と言い換えてしまってもいい。違和感とでも言うのか、こう噛み合いの悪さのようなものを感じるのだよ……アレからは。わからないかい?」
「ははっ」
極めて真面目な風にそんな非国民的思想を語る彼の話を鼻で笑い、僕はぐいとコーヒーを飲み干すと、卓に肘をついて改めて相手をする。
「残念ながら僕は臨書を読破した経験が無いために、何とも言えませんね」
「おや? そうかい、成る程……そうか。ならば調べ、知り、自らの中にて考えを描いてみると良い。ここでの出逢いは運命の轍。既に結ばれた縁ならば、再び見えることもあるだろうさ。カカカッ——その時にこそ、君の見解を耳に出来ることを待ち望もうじゃないか」
「まあ、そうですね。じゃあ、どうにかこうにか頑張って読んでみます」
「そうか。では、持って行くと良い」
そう言ってアンテノール氏は外套の裏に手を突っ込むと、卓の中心に蒼教が発行する臨書を置いた。使い古されたというにはまだ新しさが残るが、しかし充分にクタクタなその書物は短いながらも深い歴史を感じさせるには——これもまた充ちている。
「使い古しで悪いが、良ければ……だ」
「そうですか。まあ、借りておきます」
「ああ。貸しておこうか。貸し付けておこう」
返却期限は再び運命が交わった時。
——そういうこった。
「さて、と——私は去るとしようか」言って、彼は二人分のコーヒー代に加えて僕のパンケーキ代を足して尚余りあるだけの代金を卓上に置き、目深にハットを被り直すと外套を翻し南都の街並みへと消えていった。最後、「忠告、忠言しておこう。頭と心臓に魂は宿るものではなく、存在を証明せんとする輝きは常に天にあり」などと言い残して。
空を差した指を追う。
蒼く深く広く狭窄な空だけが、視界の中を占領する。
くらり、と。
世にも珍しい地震でも到来したような視界の横揺れに心穏やかざりえた僕の心中ではあったけれど、揺れ落ちた視線が卓の半ぱを尽くしたところで、僕はこの身体こそが落下したというワケだ。全身が脱力させられて、のらりくらりと揺れた上体は卓上へもたれる形で崩れたのだ。
同時に、
僕は意識を失うこととなる。
失うというか——意識をしっかり握っていた手が痺れた結果、意図せず意識を手放した。手放させられた、という受動態の方が実のところは正しいのかもしれないけれど、確証も根拠もありはしない話を鼻高々に語らえる程肝の座った奴ではない。
*言い訳だった。*
目を醒ます。寝起きのような緩慢な動きではなく、既に警戒心を神経系に伝導させた過敏極まる動きでの起床である。
現状の確認。
拘束具の類いは無し。一見してわかる外傷無し。手足は自由に動き、またそれを制限するものも無し。五感に異常は感じられない。服装に乱れは無く、また傷も無い。
どこにも異常は見られない。
ならばこそ、今僕が在るらしいこの石煉瓦造りの正体不明な建造物すらも現実なのだと認識せざるを得ないこととなる。三方上下を囲む石煉瓦と眼前一面の鉄格子。
殺人者故に、/無常監獄。
それはもう有無を言う隙間すらも無くジャストフィットであった。
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